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ネットワーク倫理体制と「個人」の終焉:透明化された意識と主体の溶解
前節では、SID(Synaptic Interface Device)が構築した「思考の開示社会」において、「恥」の概念がいかに「共感不能性」へと再定義され、「センシティブ」という表現の緩衝帯がその意味を失っていったかを論じた。
内面が透明化され、性癖が「情動プロトコル」として共有される中で、私たちは倫理が「集合的感情AI」によって生成される可塑的な規範へと変容する様を目の当たりにしてきた。
しかし、この一連の変化は、単に倫理や表現のあり方を変えただけではない。
それは、人類が近代以降、最も根源的な概念として確立してきた「個(Individual)」の定義そのものを溶解させ、その終焉を告げるという、きわめて深遠な影響を社会にもたらしていたのである。
本節では、SIDがもたらした「ネットワーク倫理体制」が、いかに「個」の自律性、唯一性、不可侵性といった概念を揺るがし、根源的かつ多層的な格差を生み出しているかを、思想史的視座と2060年代の最新の社会状況を踏まえて具体的に論じていく。




