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「恥」の概念の歴史的変遷とSIDによる根源的変容

「恥」とは、社会規範や共同体の期待から逸脱した際に生じる、個人の内面的な苦痛や不快感、あるいは自尊心の損傷を伴う情動である。


その概念は、文化や時代によって多様な形態をとってきた。



伝統的な社会において、「恥」は主に「公衆の目」に晒されることによって生じていた。


社会規範や道徳律に反する行為が他者に知られたり、見られたりすることによって、個人は共同体からの承認を失い、その作用としての羞恥心を覚えた。


日本の「恥の文化」という概念も、この「世間体」や「集団からの評価」に強く根差している。


性的な表現や欲望は、私的な領域に閉じ込められ、公にされることは「恥」とされた。


この段階の「恥」は、行為や言葉、そしてそれが外部に露呈することに強く結びついていた。



近代に入り、個人の内面が重視されるようになると、「恥」は単なる外部からの評価だけでなく、個人の内面的な「罪悪感」や「自己嫌悪」といった感情とも結びつくようになった。


フロイトの精神分析学が「超自我」の概念を提唱したように、社会規範が内面化され、自己が自己を監視することで生じる「恥」の感覚が強まっていった。


しかし、この段階においても、内心の思考そのものが直接他者に知られることはなく、内面の自由は一定程度保たれていた。



2058年から現れ始めたSID社会は、この「恥」の概念を根底から変容させていった。


SIDが人間の言葉になる前の思考をリアルタイムで読み取り、ネットワークに共有するようになったことで、もはや内心の「秘密」は存在しなくなったのだ。


これにより、従来の「公序良俗に反することを他者に見られる=恥ずかしい」という概念は、その前提を失った。



SID社会における「恥」は、「他者と感情が接続されない=共感不能性によって生まれる情動」へと変化したのである。


SIDの中核をなす「集合的感情AI」は、数億人のSID接続者の思考フローを解析し、「倫理的共感マップ」を生成していく。


このマップは、特定の思考や感情が、ネットワーク全体でどれほど共感を呼び、どれほど不快感を誘発するかをリアルタイムで評価する。


もしあなたの内心の性癖や思考が、このプロトコル上の「共感インデックス」で低く評価された場合、それは「倫理的に逸脱している」と認識され、「共感されない」というフィードバックがSIDを通じてあなたに返される。


この「共感されないこと」から生じる苦痛は、かつての「見られた恥」とは異なる。


それは、社会から「理解されない」「存在を承認されない」という、より根源的な「孤立感」や「疎外感」を伴うからだ。


奇抜な思考やフェティッシュな欲望は、共感される限りにおいて倫理的になりうる一方で、共感されない性癖は、その存在自体が「倫理的に逸脱している」と評価され、社会的な排除のリスクを負う。


これにより、倫理と「人気」の境界が曖昧になるという、奇妙な現象が発生した。


SID社会では、自分の性癖や内面が共有されるだけでなく、他者の性癖や内面も共有される。


これにより、他者の「恥ずかしい」と感じる感情が、SIDを通じて自身にも伝播し、あたかも自身の感情であるかのように体験される「分有される恥」という現象も生まれた。


これは、倫理が、個人の感情を共有することで、より複雑な形で再構築されることを示唆していた。


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