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恥の再定義とセンシティブ概念の終焉:透明化された内面と存在の変容
前節では、SID(Synaptic Interface Device)が構築した「思考の開示社会」において、倫理が「行為」から「内心」へとその対象をスライドさせ、「無意識の責任」という新たな問いを提起したことを論じた。
また、「意図主義倫理」と「感受主義倫理」の対立が、SID裁判所における「思考の正義」の探求を促し、倫理が「集合的感情AI」によって生成される「SID倫理プロトコル」として、きわめて可塑的な性質を持つに至ったことを詳細に分析した。
この倫理の変容は、人間の内面における最も個人的で、かつては秘匿されてきた感情である「恥」の概念を根底から揺るがし、それに伴い「センシティブ」という表現の緩衝帯が、その意味を失い終焉へと向かうことを意味している。
本節では、この「恥」の再定義と「センシティブ」概念の終焉が、2060年代の基盤テクノロジーとどのように相互作用し、人間の存在定義にまで影響を及ぼしているかを考察していく。




