「個人の嗜好」から「情動プロトコル」へ:性癖の民主化と再定義の光と影
性癖がSIDによって可視化され、共有されるようになったことで、その概念そのものが再定義された。
性癖は、もはや単なる「個人の嗜好」ではなく、「複数人によって共感された記憶の束=情動プロトコル」として存在し始めたのである。
SIDによる性癖の可視化は、ある意味で「性癖の民主化」をもたらした。
かつては、極めて個人的で、誰にも理解されないと思われていた性癖(例えば、第1章で論じた「美少女がお茶漬けを食べている様子」に性的な快感を覚えるという奇妙な快感)も、SIDを通じてそれが「存在する」ことがデータとして証明され、それを共有した者同士が共鳴することで、新たな文化圏として成立するようになった。
これは、「共感の共有」が、性癖の存在を社会的に承認するという新たなメカニズムを生み出した。
SIDの中核をなす「集合的感情AI」は、倫理的共感マップを生成し、特定の性癖がどれほど多くのユーザーに共感を呼び、あるいは不快感を誘発するかをリアルタイムで評価するようになった。
これにより、性癖は、その「共感度」によって「倫理スコア」を付与され、それぞれの性癖の社会的な許容度が可視化されるようになったのだ。
倫理スコアの高い性癖は、感情共鳴度が高く、多数派の規範に合致するとされ、より広く共有されるようになり、倫理スコアの低い性癖はその消滅を期待されるようになった。
性癖は、もはや「個人の属性」ではなく、ネットワーク上で共有・認識される「情動プロトコル」となったのである。
これは、特定の思考や感情のパターンが、SIDを通じて伝達・認識される際の「規約」のような振る舞いを示した。
性癖は、このプロトコルを通じて、その存在をネットワーク上で確立し、他のユーザーと共鳴し、倫理もまた、この情動プロトコルに対して可視化されたのである。
SIDは、社会が何を快とし、何を嫌悪するかをリアルタイムで可視化し、そのフィードバックによって進化可能な倫理を生成しはじめた。
この「情動プロトコル」としての性癖は、従来のタグ文化やプロンプト文化の延長線上に成立した。
タグが「共通の言語」として性癖を水平化し、プロンプトが「AIに理解させるための呪文」として性癖をデータ化したとすれば、情動プロトコルは、性癖を「意識が直接通信するための規範」へと昇華させたのである。
しかし、この「性癖の民主化」は、光と影の両面を持っていた。
性癖が「公認」される喜びがある一方で、そのプロセスは、「管理」と「同調圧力」の深化をも意味していた。




