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まえがき

変態にだって、描く自由がほしい――思考が共有される世界で

「これは自分の性癖なんだろうか?」

「こんなの描いたら、ひかれるだろうか……」

「誰にも見せられない。でも、誰かには見てほしい」

あなたが今、原稿用紙の片隅で、あるいはCLIP STUDIOのキャンバスの奥底で、ひそかに抱えているその熱い、だがどこか後ろめたい気持ち。



私の名はよしすけくん。


SF作家としてこの時代を生き、気がつけば92歳の老人になってしまいました。


幸いなことに、この2068年という長寿社会では、人類の平均寿命は148.2歳に達していますから、私もまだまだ「若い」部類に入るのかもしれません。


それでも、これほど長い時間を生きてきて、時代がどんなに変わろうと、いや、変われば変わるほど、この「自分の中に渦巻くけしからん欲望をどう表現するか」という問いが、人類普遍の、そして未だ解決を見ないポストSID時代における、新たな人権問題のひとつであると、確信にも近い感覚を抱いています。



私たちは、己の内なる変態性と日々向き合っている。


同人作家であれば、なおさらその対話は深く、激しいはずです。


性的妄想、嗜好、倒錯、偏愛……それらは時に社会的に「異常」「不健全」と烙印を押され、排除の対象とみなされる。


けれど、はたしてそれらは本当に排除されるべきものなのだろうか? そして、いったい誰が、どこから、その排除を宣言する絶対的な権利を持っているというのだろう?

事態が目に見えて複雑になったのは、2020年代に生成AIが登場してからのことです。


誰もが一瞬で美麗なキャラクターや風景を生成できるようになった一方で、AIに課せられた「倫理フィルター」は、人間の創作性の中核をなす性的表現やスケベ心 を、まるで不純物であるかのように徹底的に排除し始めました。


プロンプトに「胸が大きくて」「スカートの奥が少し見えて」などと示唆しようものなら、瞬時にAIの健全性アルゴリズム がしゃしゃり出てきて、私の理想の嫁を勝手に「健康的」に修正してくる始末です。



── それはまるで、昭和の少年が隠し持っていたエロ漫画を、善良すぎる母親に「汚いから」と勝手に捨てられた時と同じ、言い知れぬ剥奪感と喪失感を与えた。


その上、捨てられたのはモノではなく、形になる前の「妄想」そのものです。



しかし、物語はここで終わらない。


この数十年で世界は激変しました。



2058年の社会では、SID(Synaptic Interface Device)によって、人間の思考と意識そのものがネットワークに常時接続され、互いに共振するようになったのです。


もはや、AIが倫理フィルターで「出力」を止めるだけではありません。


SIDは、あなたの内心、言葉になる前の漠然とした欲望や性的連想そのものを「データとして認識」し、ネットワーク全体の「共感インデックス」に基づいて「不適切」と評価を下すことができるようになった。


あなたは、自分の頭の中で密かに想像しただけで、社会的な評価を、あるいはAIによる「警告」を、いや、最悪の場合には「監視ログ」を付与される可能性に直面しているのです。



これほどまでに、内面が剥き出しにされ、透明化された世界で、変態の表現にだって、根源的なアクセスの自由がほしい。


自分の性癖を、もっと正直に、もっとバカみたいに、いや、狂おしいほど真剣に、真摯に描きたいと願う気持ちは、この時代になっても、そしてこの年になっても、全く衰えることを知りません。


でも現実には、「規約」や「健全AI」という目に見える監視の壁が、そして今やSIDが築き上げる「集合的良識プロトコル」という見えない圧力の壁が、その前に立ちはだかる。


誰かに見せたくて、心の奥底から迸る衝動で描いたはずなのに、誰にも見せられないまま、あるいはネットワーク上にその思考の痕跡さえ残すことを許されず、作品はお蔵入りしていく。


あるいは、そもそも着想すらしないように、心の壁を作らなければならない。



その痛みを、私は知っている。



そして、きっと、今を生きるあなたも知っている。



この本は、そんなあなたに捧げる、ささやかな、だが抗い難き「表現と精神の防衛線」です。


21世紀初頭の、わずかな「性的なイラスト」への検閲から、AIの登場、そしてSIDがすべてを可視化するこの2068年という時代に、私たちのスケベ心をどう描くか。


どこまで許されるのか。


いや、本当に、何が、どこまで許されるべきものなのか。



ネットワークで繋がりすぎたこの世界で、同じ妄想を抱く新しい仲間を見つけるのは、一見簡単そうに見えて、実はより困難になっているかもしれません。


SIDが共感の輪を広げる一方で、深くパーソナルな、奇妙な性癖こそが、より孤立しやすい性質を持つからです。


しかし、私は信じています。


「この性癖、わかるよ」と言ってくれる誰かは、この広大な情報空間のどこかに、絶対にいる、と。



だから私たちは、今日も描き続ける。


書くのだ。


打ち込むのだ。


そして、SIDを介した見えない監視の目の中で、ひそかに考えるのだ。


自分の変態性に、堂々と名前を与え続けるために。



変態にも人権を。


けしからんにも居場所を。



それが、この本の出発点であり、そして、老いゆく私にとっての、最後の目的地でもあるのです。



2068年 晩春

SF作家のよしすけくん


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