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漆星(ななほし)中学校生徒会会報

作者:

 ミンミンミンミンミーン。ミンミンミンミンミンミーン。

 今日は一学期の終業式の日。通常の日程は無事に終わった。

 三年の会長副会長会計を除く生徒会メンバーは生徒会室に一度集まって各自持ってきた弁当で打ち合わせも兼ねての昼食を摂り、体操着に着替えた。

 そして今ここ……屋外のプールサイドに立っている。さっきまで生徒会顧問の小畑先生もいたけど、ブラシの本数が足りない事に気付いて顎に手を当てて思案した後

「多分、別の道具入れに紛れ込んだんだと思う」

 先に始めてて良いよと言って取りに出ていった。

「お~~い!水、抜けたからそろそろやるぞー」

 もう一人の三年じゃない方の副会長が号令を掛ける。俺たちはジャージのズボン裾を捲り上げながら返事した。

「う~い」

「は~い」

「松屋のやつ、燃えてんなあ」

「だな」

 ブラシを手にして、大量にあった水が抜けたがらんどうの二十五メートルプールに降りた。

 なんの事はない。

 これから生徒会役員による《自主的プール掃除》が始まるのだ。


 うちの中学校は小学校と敷地が隣同士で、互いの体育館と校舎を屋根付きの渡り廊下で繋げている。

 その渡り廊下の中間辺りに、小中共用のプールがあって……これだけど。

 毎年、夏休み前半の二週間間だけ学生に開放される。その前に一度プール内を掃除するのだ。

 プールの詮を抜いて一度水を全部抜き、現れたプール底をひたすらブラシで擦る。

 ゴシゴシ

 ゴシゴシ

 ゴ~シゴ~シ

 ゴッシゴシ

 ゴシゴ……

「ああ!終わんねえっ」

「そして一番に根を上げる松屋であった」

「うるせえっ、ブラシの柄をマイクに見立てて語ってんじゃねー!」

 茶がかった短髪の副会長が俺たちを指差して吠えた。

「ちょっと男子!ホントに終わんないから、口よりブラシを動かすっ!」

「あらぁ……姫が怒ったぁ」

 書記の澤井が汗でずり落ちる眼鏡を上げてぼやいた一言に、会計の三姫(みつき)が般若の面を向ける。

「だあっも~!誰だよ、プール掃除やろうって言ったやつ?!」

 磯村、澤井、三姫、髙橋の四人は揃って作業の手を止め、先週の会合での遣り取りを思い返してみた。

 髙橋「毎年先生達だけでやってるって大変だね~って、話になって」

 磯村「今年は生徒会も手伝おうって事になったんだよな」

 三姫「でも、三年生は受験勉強に専念して欲しいから」

 澤井「二年の俺達だけでやる!って言い出したんだよな」

 とどめは異口同音、揃ってツッコんだ。

「松屋がさ」と。

「がああああ!ハイッ俺デシタッ!!」


 よいしょっと縁に手を掛けてプールから上がると、目敏く松屋が吠え掛けた。

「おお、逃げんのかよ!」

「違うって」と答えて、俺はプールサイドの隅に置いてた水筒を持ち上げた。

「ちょっと水分補給」

 すると松屋は狼狽えて視線を逸らして「そ、それなら良い……」とかなんとか。後はボソボソと呟くので何と言ったか判らない。

 気にせずコクコク水を飲んで、ふと視界に入ったのは

「補助プール……」

 二十五メートルプールの隣に小さくて水深の浅い通称“補助プール”が在る。正式な呼び方は知らないが、そっか。在ったな……懐かしいな。

(相変わらず存在感の薄いプールだなぁ)

 プール掃除を始めてもう三十分は経っているのに、何度も視界の端に入ってた筈の補助プールなのに、全く気が付かなかったとは。

 然し、意識の中に入ってしまうと今度は興味をそそられる。妙なものだな。

 水筒を置いてプールサイドを歩き出した俺を「やっぱり……逃げる気か!」

 慌てて松屋もプールの端に飛び付いてよじ登ろうとする。でも、なんで飛び込み台が付いてる方からだ?絶対難易度高いだろう。

「だから違うって。……ほら、補助プール」

 指差しながらプールサイドを歩いていく。

 俺の言葉に他の三人も何だ何だとプールから上がる。

 補助プールにはまだ水が張っていた。ただその水は全体的に薄い緑がかっている。

 今日は風もないので水面は波紋一つ立たない程度にゆったりと揺れている。

「ちっちゃーい」

 両膝に手をついて水面を覗き込んだ三姫が声のトーンを上げて言った。

「うん……」

 その三姫の隣に立って、髙橋が腕組みしながら彼女の一言に頷く。

「信じられないよね……僕ら、小学生の時はここで泳いだりしたんだよ」

「うん確かに」

 当時の自分がどんなだったか、思い出せない程に昔じゃない筈だけどなぁ。頭を掻いて零した俺を見て、松屋が余計な事を思い出した。

「ま、お前は泳げてないけどな」

「!!」

「海の()の“海児”なのにさ、カナヅチだったろうが」

「そっそれは!低学年の時だけでっ」

 今はちゃんとクロールっ、二十五メートル泳げるんだからな!

 辺りに磯村の必死な声が響いた。自分の大声で顔が一気に火照る。

 過剰に反応されて面食らった松屋が手を合わせて謝った。

「わりぃわりぃ。……そんなに気にしてたのかよ」

(くそぉ……)

 そろそろプール掃除を再開しますか、と髙橋が皆に声を掛けた。そうねとか、だなとか、掃除掃除とか言いながら四人は補助プールから離れていくが、俺は四人に背を向けたまま補助プールの水面を見つめていた。

(なんだよ……謝ったからって、簡単に許してやらねえぞ)

 モヤモヤする感情を宥める気にもなれず、じっと揺蕩う水面を見つめているうちに腹の奥から衝動的に沸き上がって来た。

 それはちょっとした出来心。

 片足を前に出す。薄緑色に揺れる水面の上へ。

 実際のところ、補助プールを使用した期間は短い。早いやつだと三年生で“本プール”と呼んでた二十五メートルプールへと昇格し、本格的に泳ぎ方を教わる。

 俺も本プールへは四年生の一番後だったが、あれから一度も補助プールで泳いだ事はない。見向きもしなくなって存在すら意識しなくなった。今日まですっかり忘れてた位だ。

 どれだけの深さなのか。今なら足のどこまで浸かるのか。

(気になるんだもんな。知りたくなるし)

 遣りたくなるよなあ。

 恐る恐る下ろして足裏が触れた。小さく水音がした。

 それだけで一つ、波紋が生まれて広がっていく。

 あれ。

 首を捻る。まさか、と一瞬迷って足を水面から離そうとして却ってバランスを崩し、どっぷん!と水に突っ込んでしまった。

「ぬっ」

 勢いは止まらず、もう片方の足も補助プールの中へと後を追った。補助プールの水深は膝まで届く事はなかった。が……

「ぬっる!!」

 予想してなかった水温の高さに思わず鳥肌が立つ。

「あったり前だ、補助プールだぞ。こっちと違って面積小さいし浅いんだから、太陽熱ですぐに温度が上がるに決まってんだろ」

 二十五メートルプールの方から松屋の声がした。もう下りてしまったか、ここからじゃ姿はよく見えない。

「いいからさっさと続きやるぞー」

 はよ戻って来い!

 その命令口調な言い草に再びモヤモヤしてきた。

 よし、もうちょっとここにいよう。

 波打っていた補助プールの水面は徐々に静けさを取り戻す。

 ミンミンミンミンミーン。蝉の声がまだ喧しく鳴いている。

 ふと、当時の自分を思い出した。

 確かプールのあそこら辺だったなあ………。

 『やだあ。鼻がいたいぃ』

 『大丈夫だから!ほらっ、もう一回』

 ミンミンミンミンミーン

「やあやあ二年生諸君!捗ってるかい」

「か、会長!」

「いやねえ、帰ろうとしたら小畑先生と偶然ばったり廊下で会ってねえ」

「嘘つけっ」

「あっ副会長も……」

「はい、私もいますよ~」

「濱田先輩?」

 『そうそう。その調子!しっかり足を動かして!』

 『できない~』

 『出来るわっ、自分を信じて!』

 ミンミンミンミンミーン

「やっぱり二年生だけじゃ大変そうだからさ、あたし達も手伝うよっ」

「真に受けるなよ。成績表が思ってたより悪かったから家に帰りづらいだけだ、るか(こいつ)は」

「………」

 二年生四人は揃って(受験、大丈夫かなあ?確か会長の志望校って結構な高偏差値だった筈)と喉までせり上がってきた言葉を飲み込んだ。

「失礼なっ、大丈夫!夏休み中に挽回するから……怖かない……わよ」

「じゃあなんで目が泳ぐんだ?俺はフォローしないからな」

 『がばごぼがっ………わあん!もうやだあ』

 『もうちょっと、頑張って。こう、手で水を掻くの!こう、よっ』

 ミンミンミンミンミーン

 思い出すのは全部、泣いてるかヘタレてるかの俺。碌な記憶じゃないなと自分の事ながら呆れてしまう。

 あんな状態からよくもまあ泳げるようになったもんだ。

 あの時の担任に感謝感謝、大感謝だ。

 プールの生温かい水に浸かっているのも段々気持ち悪くなってきた。モヤモヤもどうでも良いや。

(そろそろ、あっちに戻るか)

「で、更に助っ人も連れて来たから……さっさと終わらせちゃおう!」

「ちょっ!待って、私やるって言ってないけど?!」

 いつからいたのだろう、生徒会長のいつも通りの明るい声が背後から聞こえて来た。

 直後に発せられた美声に磯村は全身で反応する。

(ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆ優里先輩?!)

 心臓が激しくドラムを打ち鳴らす。俺の恋する赤血球が一斉に目を覚まし、身体中の血管を駆け巡る。

 表情筋が勝手に動き出す。口の両端を限界まで引き上げて、一方で目尻は垂れ下がる。耳朶までかっかと火照り汗が止まらない!

 さっき、生徒会長は『助っ人を連れて来た』と仰った。野川優里先輩が助っ人だと。

 一気にテンションが上がった。爆上がりだ。

(優里先輩と一緒に、プール掃除ぃ♪やった!)

 今すぐに皆の所へ戻ろう!補助プールからさっさと上がるぞーっ!!

 やる気満々で振り返ったら、スーツのズボンが目に飛び込んで来た。

 はっ!

 興奮で火照った身体は一転して冷や汗を掻いて熱を奪われる。緊張でにやついたまま固まってしまった顔をゆっくりと上げていく。

 目が合ったのは、やはり顧問の小畑先生だった。にこ~っと仏顔の小畑先生は変わらず穏やかに告げた。

「感心だねえ。補助プールの掃除を進んでやってくれるとは。折角だしね、生徒の自主性を先生は尊重するとしよう」

「あ……え、ちが」

「嗚呼、あっちのプールの事は構わないから。ここは、磯村君に頼もうかね」

 開栓レバーはね、実はここにあって……これで良し。うん、流れてるね。

「じゃあ任せたよー」

 ミンミンミンミンミーン。ミンミンミンミンミーン………ジッ!


生徒会役員活動記録

二〇✕✕年〇月✕日( )

記入者:二年B組三番 磯村海児

役職名:書記

 第一学期終業式。

 放課後、生徒会と女子バスケ部長の九人で本プールと補助プールの掃除を手伝う。

 一時間程度ブラッシングした後、先生方に引き継ぐ。


 会誌に書き込んでいた磯村はノートに一雫分の染みを落とした。

(終)

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