第三十八話 私の居場所
ベチが村を去り、勇者パーティーに戻ってから数日が経った。
馬車の揺れに身を任せながら、ベチはぼんやりと窓の外を眺めていた。広がる草原、遠くに見える小さな村。どこもかしこも、ナスィのいる村とは違う景色なのに、どうしても思い出してしまう。
(……何考えてるんだろ、私)
彼は前を向いていた。もう、自分を引き止めることも、すがることもしない。ただ静かに、けれど確かに、自分の道を進んでいる。
それなのに、自分はどうだろう。
「ベチ」
隣から声をかけられ、彼女はハッと顔を上げた。勇者エガワがこちらを見ている。
「ぼーっとしてるな。体調でも悪いのか?」
「……ううん、大丈夫」
「ならいいが」
エガワはそれ以上追及せず、前を向く。彼の隣では、魔法使いのマジアが呆れたようにため息をついた。
「ほんと、最近のベチは元気ないよね。村で何かあったの?」
「別に何もない」
「嘘。絶対何かあったでしょ」
マジアは鋭い目を向けてくる。弓使いのリエレンと僧侶のサナーも、ちらりとベチを見た。
(……隠せてないな)
ベチは内心で苦笑しつつも、口をつぐんだ。
「まぁ、本人が言いたくないなら無理に聞かないけどさ」
マジアは肩をすくめたが、その目はまだベチを見ていた。
エガワは腕を組みながら言う。
「今度の討伐戦、相手は強敵だ。お前の剣が必要だぞ」
「……わかってる」
エガワの言葉に、ベチはこくりと頷いた。
そうだ。今はそんなことを考えている場合じゃない。自分は勇者の仲間として、戦いに生きると決めたんだから。
(もう振り返らない)
心にそう言い聞かせながら、ベチは剣の柄を握りしめた。
勇者パーティーは王都に到着し、そのまま王城へと向かった。
広大な城門が開かれ、豪奢な赤絨毯が敷かれた廊下を進むと、やがて玉座の間に通される。
王の前にひざまずき、エガワが口を開いた。
「勇者エガワ、戻りました」
「よくぞ参った」
王は厳かな声で告げ、側近が一枚の書状を差し出す。
「王国南方にて、魔王軍の残党が活動を再開したとの報告が入っている。討伐の任を、お前たちに託したい」
エガワが書状を受け取り、一読する。
「……魔族の将、グラド・ザークか」
「うむ。かつて勇者一行によって討たれたが、その腹心たちが勢力を盛り返しつつある。手を打たねば、いずれ再び王国を脅かすことになろう」
「わかりました。我々が討伐に向かいます」
エガワの言葉に、王は満足げに頷いた。
「頼んだぞ、勇者よ」
王城を後にし、パーティーは宿に向かう。
その夜、ベチは一人、宿の屋上にいた。
静かな夜風が吹き、遠くで街の灯りが揺れている。
「……はぁ」
息をつきながら、彼女は空を見上げる。
思えば、ナスィとの再会は自分にとって何だったのだろう。
彼に会えば、何かが変わると思っていた。でも、変わったのは自分じゃなく、彼だった。
ナスィは自分を待ってなどいなかった。彼は彼の人生を生きていた。
——それを受け入れられなかったのは、自分のほうだ。
(……もう、戻らない)
ナスィの隣にいるのは、レサーだ。
彼女の笑顔を、ナスィはちゃんと見ていた。
なら、自分も……。
「ベチ」
突然、背後から声をかけられ、振り返る。
そこに立っていたのはエガワだった。
「こんなところで何をしている?」
「……少し、考え事をしてただけ」
「そうか」
エガワは彼女の隣に立ち、同じように夜空を見上げた。
「お前、変わったな」
「え?」
「前はもっと、がむしゃらだった。何があろうと突っ込んでいくようなやつだったのに、今は違う」
エガワの言葉に、ベチは少し驚いた。
「……変わったのかな」
「変わったさ。でも、それが悪いことだとは思わない」
エガワはふっと笑う。
「お前が何を考えているかは知らんが、お前がここにいる限り、俺たちはお前を必要としている。それだけは忘れるな」
ベチはエガワの横顔を見た。
彼は、最初から変わらない。まっすぐで、ぶれない。
(……私も)
ナスィが自分の道を歩くように、自分も自分の道を歩くしかない。
今の自分の居場所はここだ。
「……うん、わかった」
ベチは小さく頷いた。
「よし。じゃあさっさと寝ろ。明日は出発だ」
エガワがそう言って部屋へ戻る。
ベチはもう一度夜空を見上げ、ゆっくりと目を閉じた。
(さよなら、ナスィ)
そう心の中で呟くと、彼女は静かに屋上を後にした。




