第三十七話 新たな日常
ベチが村を去ってから数日が経った。
村の風景は何一つ変わらず、いつものように朝日が昇り、畑では農民たちが働き、ギルドには依頼を求める冒険者たちが集まる。ナスィもまた、いつものように剣を腰に差し、ギルドの扉を押し開いた。
「おはよう、ナスィ」
カウンターの奥で書類を整理していたレサーが、顔を上げて微笑む。
「おはよう」
ナスィは軽く手を挙げ、掲示板に目をやった。そこには新たな依頼が並んでいる。
「今日はどうするの?」
「適当な討伐依頼を受ける。最近は魔物も大人しいが、油断はできないからな」
レサーは少し考えたあと、一枚の紙を差し出した。
「これなんてどう? 近場の森にゴブリンの群れが出たみたい。大した脅威じゃないけど、数が増えると厄介だし」
「ふむ……確かに、放っておくと村に被害が出るかもしれないな」
ナスィは紙を受け取り、依頼内容をざっと確認した後、サインをする。
「気をつけてね」
「大丈夫だ。すぐに片付けてくる」
ナスィがギルドを出ようとすると、レサーがふと声をかけた。
「……ねぇ、ナスィ」
「ん?」
「最近、どう?」
ナスィは振り返り、レサーの顔を見た。
「どう、とは?」
「その……気持ちの整理とか。ベチのこと」
ナスィは少し考えた後、ふっと笑った。
「意外とな。すっきりしてる」
「そう……」
レサーはどこか安堵したような、それでいて少し寂しそうな表情を浮かべた。
「レサーは? 俺がもうベチを引きずってないとわかって、安心したか?」
「そ、それは……」
レサーは頬を染め、視線をそらした。
「……まぁ、うん。少しは」
ナスィは苦笑しながら、そっと彼女の肩を軽く叩いた。
「帰ったら、また飯でも行こう」
「えっ? ……う、うん!」
彼の言葉に、レサーの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、行ってくる」
ナスィは軽く手を振り、ギルドを後にした。
森の中は静かだった。
木漏れ日が地面に揺れ、微風が葉をざわめかせている。その中をナスィは慎重に進んでいた。
(ゴブリンの痕跡は……こっちか)
折れた枝、踏み荒らされた草、かすかに漂う獣臭。
ナスィは剣の柄に手をかけながら、その場に耳を澄ませた。
──ギィ……ギギ……
茂みの向こうから、かすかな声が聞こえる。
(いたな)
ナスィは足音を殺しながら、静かに剣を抜いた。
影が動く。
次の瞬間、ナスィは一気に間合いを詰め、剣を振るった。
「ギャッ……!」
一体のゴブリンが短い悲鳴を上げ、地面に倒れる。その音に気づいた別の個体が慌てて振り向くが、それより早く、ナスィの剣が閃いた。
「ガギャッ……!」
二体目が倒れ、残ったゴブリンたちは恐怖に慄いたように後ずさる。
ナスィは一歩前へ進み、無言のまま剣を構えた。
「……来い」
その静かな言葉に、ゴブリンたちは本能的な恐怖を覚えたのか、逃げるように森の奥へと駆け出していく。
「……ふむ」
ナスィは剣を振り、血を払うと、倒れたゴブリンたちを確認しながら息をついた。
「思ったより少なかったな。とはいえ、まだ残党がいるかもしれないが……」
ナスィは辺りを見回したが、すでに森は静寂を取り戻していた。
「……まぁ、これで十分か」
彼は剣を鞘に収め、村へ戻ることにした。
その夜、ナスィは酒場にいた。
向かいにはレサーが座っている。
「お疲れさま、ナスィ。ゴブリン討伐、無事終わったんだね」
「ああ、大した敵じゃなかった」
「それはよかった」
レサーはほっとしたように微笑む。
「そういえば、ナスィって甘いもの苦手だと思ってたけど、前にリンゴのタルト食べてたよね?」
「……あれはお前がやたら勧めるからだ」
「えー、でも美味しかったでしょ?」
「まぁ、悪くはなかった」
レサーはくすっと笑う。
「これからは、もっと色んなもの食べに行こうよ」
「そうだな」
何気ない会話。
でも、そのひとつひとつが心地よかった。
村の夜風が静かに吹き抜ける中、二人は穏やかな時間を過ごしていた。
———ナスィの新たな日常は、少しずつ動き出していた。




