第三十三話 見せない顔
「ナスィ、これからどうするんだ?」
ベチの声が、ナスィの背中に向かって投げかけられる。
ギルドの広場。討伐依頼を終えて報告を済ませたばかりのナスィは、疲れを感じながらも、静かに息を整えていた。
「特に予定はない。今日はもう休むつもりだ」
そう言って踵を返そうとした瞬間、ベチが一歩踏み出した。
「だったら、明日のクエストも一緒に行こうぜ」
「……は?」
ナスィは眉をひそめ、振り返る。
「私はまだここに残ることにしたからな」
ベチはにやりと笑った。
「せっかく久しぶりに再会したんだ。一緒にクエストをこなせば、昔みたいに息が合うことを思い出せるだろ?」
「……俺は、そんなつもりはない」
ナスィの言葉は冷たかった。
「もう、お前とは違う道を歩いてる。わざわざ同行する必要もない」
「そんなこと言うなよ。実際、戦闘中は悪くなかっただろ?」
ベチの言葉に、ナスィは小さくため息をついた。
確かに、彼女の剣技は相変わらず鋭く、戦闘の経験値も積んでいる。だが、それだけではない。
戦いの最中、彼女は何度も自分の動きを予測し、補佐していた。
かつての彼女とは違う。
だが、それでも――
「昔の俺には戻らない」
その一言が、ベチの笑みをわずかに曇らせる。
だが、すぐに彼女は口角を上げた。
「まあ、いいさ。明日のクエスト、私は参加するつもりだからな。ナスィ、お前がどうするかは自由だ」
ナスィは無言のまま、彼女を見つめる。
「じゃあな」
ベチはそう言って、踵を返しギルドの奥へと消えていった。
ナスィはしばらくその背中を見送った後、小さく息を吐いた。
(……面倒なことになったな)
ナスィがギルドの受付へ向かうと、そこにはすでにベチの姿があった。
「おっ、来たな!」
彼女は明るく手を振る。
「昨日言った通り、今日もクエストに行くぞ」
「……お前が勝手に決めるな」
ナスィは眉をひそめたが、ベチは気にした様子もなく笑っている。
レサーはカウンターの向こうから心配そうに二人を見つめていた。
「ナスィさん、本当に大丈夫ですか……?」
「まあ、仕方ない。依頼の内容は?」
ナスィが聞くと、レサーは手元の紙を確認する。
「村の東側に出没している『影猟犬』の討伐です。単独行動の魔物ですが、素早くて、夜間は特に危険とされています」
「影猟犬か……まあ、問題ないだろ」
ベチは腕を組んで頷いた。
「じゃあ、行くか!」
ナスィはため息をつきながら、依頼書を受け取り、ギルドを後にした。
その様子を、レサーは不安げに見送っていた。
(本当に……大丈夫なのかな)
ナスィとベチ。
かつて許嫁だった二人が、こうして再び行動を共にすることに、レサーの胸はざわついていた。
「影猟犬は夜間に活動が活発になる。今のうちに仕留めておきたいところだな」
ナスィが周囲を警戒しながら呟く。
「なら、手分けして探すか?」
ベチが提案するが、ナスィは首を横に振った。
「いや、奴は単独行動とはいえ、奇襲を仕掛けてくるタイプだ。一緒に動いた方がいい」
「へぇ……お前、そういう判断をするようになったんだな」
ベチは感心したように微笑む。
「昔はもっと無鉄砲だったのに」
「昔の話を持ち出すな」
ナスィは短くそう言い放った。
そのやりとりの最中――
「……来る」
ナスィが剣を構えた瞬間、茂みの中から黒い影が飛び出した。
「チッ!」
ベチが素早く剣を振るうが、影猟犬はその攻撃を避ける。
「素早いな……!」
ナスィもすぐに動く。
「二手に分かれるぞ!」
ベチが先に動き、影猟犬の注意を引きつける。
ナスィはその隙を狙い、一瞬の隙を突いて剣を振り下ろした。
「――っ!」
影猟犬の喉元に鋭い刃が突き刺さる。
一瞬の静寂の後、魔物は崩れ落ちた。
「よし、討伐完了だな」
ナスィは剣を納め、ゆっくりと息を整えた。
ベチはそんな彼を見つめながら、ふっと笑った。
「やっぱり、お前は変わったな」
「……そうかもな」
ナスィは淡々とした口調で答えた。
「俺はもう、昔のお前の背中を追うようなことはしない。自分の道を進むだけだ」
ベチは、その言葉を噛み締めるように黙った。
(私は……まだ、諦められない)
それでも、ナスィの隣にいたい。
その思いが、彼女をこの村に引き留めていた。
ギルドに戻ると、レサーが待っていた。
「ナスィさん、お疲れ様です」
彼女の笑顔に、ナスィは微笑みを返した。
「ただいま、レサー」
その自然なやり取りに、ベチは言いようのない焦りを覚えた。
(……こんな顔、私には見せたことなかったのに)
ナスィとレサーの間にある、確かな絆。
それを前にして、ベチは拳を握りしめた。
「ふーん……なんか、随分仲良さそうだな」
皮肉交じりに言うと、ナスィは静かに彼女を見つめた。
「……俺の大切な人だからな」
その言葉が、ベチの胸に突き刺さる。
(まだ、終わりたくないのに……)
焦燥感と、悔しさ。
けれど、それを悟られまいと、ベチは強がりの笑みを浮かべた。
「そっか……なら、私はもっと頑張らないとな」
彼女の心に渦巻く感情が、ゆっくりと形を成していく。
――まだ終わらない。まだ、終わらせない。
ベチは、そう心に誓った。




