第二十二話 戻ってきた意味
ベチは広場の隅に立ち尽くしていた。
目の前の光景を信じたくない気持ちと、現実を突きつけられた衝撃が混ざり合い、胸の奥がざわつく。
ナスィとレサーは、まるで長年連れ添った恋人のように自然に並んで歩いていた。
ナスィはレサーの言葉に耳を傾け、時折優しく微笑んでいる。レサーもまた、楽しげに彼へと語りかける。
その姿が、あまりにも自然で、幸せそうで、ベチの知るナスィとはまるで別人のようだった。
(そんな顔……私には、見せたことなかったのに)
足が震えそうになるのを堪えながら、彼女は拳をぎゅっと握った。
彼が強くなったことは、死の巣で目の当たりにした。信じたくはなかったが、あの場で見たナスィの戦いぶりは、かつての彼とは別次元のものだった。
だが、それだけではない。
強くなっただけでなく、彼は新しい道を歩み始めていた。
そしてその隣には、自分ではなく、レサーがいる。
「……」
ベチは思わず後ずさった。
この場に立っていることすら、耐えられなくなりそうだった。逃げ出したい。しかし、目を背けたくない自分もいる。
「ベチ?」
不意に、ナスィの声が耳に入った。
驚いて顔を上げると、いつの間にか二人がこちらを見ていた。
ナスィの表情には警戒も驚きもなく、ただ穏やかなものだった。それが余計に、ベチの心を締めつける。
「……久しぶりだな」
かろうじて声を絞り出すと、ナスィは少し微笑んだ。
「そうだな。久しぶりだ」
以前の彼なら、もっとぎこちなく照れたように話していただろう。しかし、今のナスィは違った。落ち着き払った態度で、自分に向き合っている。
レサーが横で少し不安そうにベチを見ている。それすらも、今の二人の関係を象徴しているようだった。
「……話があるんだ、ナスィ」
レサーが不安げにナスィを見上げるが、ナスィは落ち着いた様子で頷いた。
「わかった。少し歩こうか」
レサーは心配そうだったが、ナスィはベチを見つめたまま、一歩踏み出した。
ベチは、深く息を吸い込み、彼の後を追った。
二人は、村の外れまで歩いた。かつて、何度も並んで歩いた道。しかし今は、違和感が拭えなかった。
「……戻ってきたんだな」
「……ああ」
ベチは足元の石を蹴りながら、ゆっくりと口を開いた。
「私、ずっと考えてたんだ。ナスィ、お前のことを」
ナスィは黙って、ベチの言葉を待つ。
「……私は、間違っていたのかもしれない」
絞り出すような声だった。
「お前が強くないって、無名のまま終わるって、勝手に決めつけていた。あのとき、勇者のパーティーに入ることが正しいんだって、そう思ってた……」
ナスィはベチを見つめたまま、何も言わなかった。その沈黙が、ベチに言葉を続けさせる。
「だけど……死の巣で見たお前は、私が知ってるお前じゃなかった。あんな強い戦い方をするなんて、信じられなかった。でも、それだけじゃなくて……」
ベチは目を伏せ、唇を噛んだ。
「お前が、私が知らない顔をしてることが……一番、苦しかった」
ナスィは静かにため息をついた。
「……俺は、変わったよ」
その言葉に、ベチは顔を上げた。
「前みたいに、お前に振り回されることもないし、自分の価値を他人に決められることもない。俺は俺の道を行く。それだけだ」
はっきりとした言葉だった。
ベチの胸が、ずきりと痛んだ。
「……私は」
言いかけた瞬間、ナスィはゆっくりと首を振った。
「もう、いいんだ。過去のことだ」
「……っ!」
ベチの喉が詰まりそうになる。
(もう、私に……振り向かない?)
そう思った瞬間、言いようのない寂しさが押し寄せてきた。
「ナスィ……」
気づけば、手が伸びかけていた。しかし、その手はナスィの前で止まる。
ナスィは、それに気づいても動じなかった。ただ、静かにベチを見つめるだけだった。
その瞳には、もう迷いも未練もなかった。
「俺は、レサーと歩いていくつもりだ」
突きつけられた現実。
ベチの目が見開かれる。
「……そう、か」
喉の奥から、掠れた声が漏れた。
足元の小石を蹴るように、一歩引く。
「……わかったよ」
それ以上、言葉は続かなかった。
ナスィも、それ以上は何も言わなかった。
そして、ベチは静かに踵を返した。
(私は、何をしに戻ってきたんだろう……)
胸の奥で、自分自身に問いかける。
だが、その答えは、まだ見つからなかった。




