第十八話 揺れる思い
ナスィたちと別れた後、ベチはいつものように勇者エガワの率いるパーティーとともに旅を再開していた。
だが、その胸中にはこれまでにないほどの葛藤が渦巻いていた。
焚き火の前に座るエガワの横顔をちらりと見ながら、ベチはそっと目を伏せる。
(私はエガワ様の力に憧れて、このパーティーに参加した。でも――)
ふと頭をよぎるのは、死の巣で見たナスィの姿だった。勇敢に魔物に立ち向かい、最後には疲労困憊で倒れながらも、大切な人を守り抜いた彼。その姿は、今も鮮明に心に焼き付いている。
「ベチ、大丈夫か?」
突然の声にハッとして顔を上げると、エガワがこちらを見ていた。
「え……ええ、大丈夫です。」
「顔色が良くないぞ。何か悩み事でもあるのか?」
その問いに、ベチは一瞬答えをためらった。だが、エガワの優しい眼差しに押されるように口を開いた。
「……ナスィのことが頭から離れないんです。」
パーティーの他のメンバー、魔法使いのマジアと弓使いのリエレンも驚いたように顔を上げた。
「ナスィ? あの田舎の奴か?」リエレンが興味を示す。
「そう。あの時の彼の戦いぶりを見て……信じられなかったの。私が知っているナスィとは、全然違う人みたいで。」
「そりゃ、あいつが強かったのは確かだ。だが、それがどうした? お前、今さらあいつに惚れたりしてないだろうな?」リエレンがからかうように言うと、ベチは慌てて否定した。
「そ、そんなわけないでしょ! ただ……自分があの人を見下していたのが恥ずかしいというか、後悔してるの。」
エガワはベチの言葉を黙って聞いていたが、ふと口を開いた。
「お前、ナスィを侮ってたことが気になってるんだな。でも、それだけじゃないだろう。」
その言葉に、ベチははっとした。
エガワはいつも通り落ち着いた態度で、ベチに続けるよう促す。
「お前は昔から、俺たちの力に憧れてこの道を選んだ。ナスィを田舎に残したのも、それが原因だろう?」
「……ええ。そうです。」
「それでも、今になって彼の強さを知ったことで、何かが揺らいでるんじゃないか?」
ベチはその問いに答えられなかった。確かに彼女の中には、エガワに対する尊敬と憧れがあった。だが同時に、ナスィを侮った自分への後悔と、彼に対する不思議な感情が芽生え始めていた。
(私はエガワ様が好き。それは変わらない。でも、ナスィをあんな風に見下していた自分が情けない。そして、あの姿を見てから、少しだけ……)
その先の感情が何なのか、ベチ自身にもわからなかった。
焚き火の火がはぜる音が静寂を破った。すると、ずっと黙っていたマジアが口を開く。
「ベチ、後悔するのは別に悪いことじゃない。ただ、それで前に進むのをやめるのは違う。」
「……前に進む?」
「ああ。ナスィのことがどうしても気になるなら、一度素直に自分の気持ちを整理するんだな。お前は今まで、ただ俺たちに憧れて走り続けてきた。でも、それが本当にお前の望む道かどうか、考える時が来たんじゃないか?」
マジアの言葉は、彼女の胸に深く刺さった。
その夜、ベチは焚き火から離れ、一人で夜空を見上げた。
(私は一体、どうしたいの?)
エガワとともに戦い続けたいのか、それともナスィとの過去にけじめをつけたいのか。
胸の中には、エガワへの揺るぎない憧れと、ナスィに抱いた新たな感情がせめぎ合っていた。
(私はエガワ様を愛してる……でも、ナスィのあの強さを見て、何かが変わった気がする。彼に謝りたい。けど、それだけじゃない。)
その答えはまだ見つからないまま、ベチの胸の中に静かに渦を巻き続けていた。
翌朝、エガワがベチの肩を軽く叩いた。
「お前がどんな答えを出すにせよ、俺たちはお前を見捨てない。迷いがあるなら、それと正面から向き合え。それが戦士だ。」
「……ありがとうございます。」
エガワの言葉にうなずきながらも、ベチの中の迷いは完全には晴れなかった。
だが、彼女は今までよりも少しだけ、自分と向き合う覚悟を決めることができたのだった。