第十六話 変化
死の巣での激闘から数週間が経った。ナスィは村に戻ったものの、しばらくの間ギルドに姿を見せることはなかった。
村の人々は彼の無事を喜びつつも、彼がどのように魔物を倒したのかは誰も知らなかった。
むしろ、「死の巣で魔物を討伐したのは、きっと勇者エガワのパーティーだ」と噂が立ち、それを疑う者はいなかった。
ナスィ本人はそんな噂話を気にも留めず、静かに過ごしていた。日々の生活を取り戻しながら、自らの心に残っていた迷いや葛藤を少しずつ整理していった。
ある朝、ナスィは久しぶりにギルドの扉を押し開けた。
「……ナスィ?」
その姿を見たレサーは、一瞬目を丸くした。これまでの彼とはまるで違う、明るい表情がそこにあったのだ。
「久しぶりだな、レサー。」
ナスィは微笑みながらそう言った。
「お、お久しぶりです! ずっと心配してましたけど、元気そうで何よりです!」
慌てた様子で言葉を返すレサーだったが、ナスィのその顔を見て胸が熱くなった。
(あんなにも悩んでいた彼が、こんな穏やかな表情をするなんて……)
周囲の冒険者たちも、久々に現れたナスィに気づきざわざわと話し始めた。
「おい、あれがナスィか? なんか雰囲気が違うな。」
「死の巣で戦ったとか噂されてるけど、実際は勇者たちがやったんだろ?」
「ま、田舎で無名だった奴が、いきなりそんなことできるわけないよな。」
ナスィの耳にもその言葉が届いたが、彼は気にした様子を見せず、むしろ肩の力を抜いた笑みを浮かべていた。
(それでいい。俺が何をしたかなんて、誰にもわからなくていいんだ。)
ギルドで依頼を受けたナスィは、その後も淡々と仕事をこなし続けた。しかし以前と違うのは、彼の表情だった。どのような依頼を受けても、かつてのような影は見えず、むしろ前向きに挑む姿が目立っていた。
そんなナスィを見ているうちに、レサーの心はさらに彼への想いで満たされていった。
ある日、ナスィがギルドから戻るタイミングを見計らい、レサーが声をかけた。
「ナスィさん、ちょっとお時間いいですか?」
「どうしたんだ?」
「最近、とても表情が明るくなりましたね。なんだか、私まで嬉しくなってしまいます。」
そう言うレサーに、ナスィは少し驚いた様子を見せたが、やがて微笑んだ。
「そう見えるなら、俺も少しは変われたのかもしれないな。」
「何かあったんですか?」
「……そうだな。自分でもよくわからないんだ。ただ、あの死の巣での出来事を経て、自分がどうあるべきか、少しだけ見えた気がしている。」
ナスィの穏やかな語り口に、レサーは彼の成長を感じた。そしてその夜、二人は村外れの丘でしばらく話を続けた。
一方、勇者エガワのパーティーはその後も村に滞在していた。彼らもまた死の巣の出来事について話題にされており、村人たちから英雄として扱われていた。
「結局、あの魔物を倒したのはエガワ様たちなんですよね?」
ある村人の問いに、エガワは言葉を濁しながらも微笑んで答えた。
「俺たちは、現場を見ただけさ。」
その曖昧な答えに、村人たちは逆に確信を持ったようだった。
(ナスィ、お前はそれで本当にいいのか?)
エガワは心の中でそう呟きながらも、あえて何も言わなかった。
ナスィとレサーは、これまで以上に親しい関係になっていった。
ギルドの受付で顔を合わせるたび、ナスィは自然とレサーの存在を意識するようになり、レサーもまた彼との会話を楽しむようになっていた。
ある日、レサーが思い切ってこう切り出した。
「ナスィさん、これからどんな道を進むつもりなんですか?」
「……それはまだわからない。でも、今はこの村でやるべきことがあると思っている。」
「それなら、私もずっとそばで応援します。」
その真っ直ぐな言葉に、ナスィは少し戸惑いながらも頷いた。
その日の夜、ナスィは再び丘に立ち、星空を見上げていた。レサーもその隣に立ち、静かに空を見つめる。
「この空を見ていると、不思議と心が落ち着くよな。」
「ええ、そうですね。ナスィさんがここでこうして笑っていられることが、私にとって一番の幸せです。」
二人はその後も、静かに語り合いながら夜を過ごした。
(俺がこれからどんな道を進むにしても……この人だけは、きっとずっと隣にいてくれる。)
ナスィの胸に湧き上がる新たな感情。それは、これまで彼が持つことのできなかった、未来への小さな希望だった――。