第十二話 再び倒れるナスィ
森に足を踏み入れた瞬間、ナスィは辺りを覆う重い空気に違和感を覚えた。濃い霧が地面を這うように漂い、葉の擦れ合う音さえ耳に届かないほど静寂に包まれている。
「この静けさ、気味が悪いな……。」
ナスィは自らの足音を最小限に抑えながら、慎重に歩みを進める。目に入るのは折れた枝や地面に残された何者かの足跡。だが、それは明らかに人間のものではなかった。
(ここを通ったのは、魔物たち……間違いない。)
彼の手にはしっかりと剣が握られている。疲労が残っているはずの体だが、魔物の巣に向かうと決めたその日から、彼の心はひたすらに前を見ていた。
一方、森の別の区域を捜索していたエガワたち勇者の一行も、同じく異様な気配を感じ取っていた。
「なんだこの霧は? 昨日よりも濃くなってないか?」
リエレンが弓を構えながら周囲を警戒する。
「単に天候のせいだといいんだけどな。」
マジアが杖を握り、少しだけ呪文を唱えると、霧の一部が薄れて視界が開けた。
「これは……!」
リエレンの目が驚きに見開かれる。霧が晴れたその先に、地面をえぐったような跡が連続して伸びているのが見えたのだ。
「これは魔物が通った跡ね。でも、待って……。」
リエレンは跡をじっと見つめた後、低い声で続けた。
「この足跡に混ざって、人の靴の跡があるわ。」
「ナスィ……!」
ベチは跡を見て小さく呟いた。しかし、次の瞬間、自らを打ち消すように顔を横に振る。
「いや、そんなはずない。あいつがこんな場所を一人で進めるわけがない。」
「だが事実だ。この靴跡はまだ新しい。少なくとも昨日通ったものだ。」
エガワが冷静に指摘する。
「信じられない……。」
ベチの声は明らかに揺れていた。
その頃、ナスィは森の奥で魔物たちとの激戦を繰り広げていた。複数の魔物が四方八方から襲い掛かり、ナスィはその一匹一匹を相手に次々と剣を振るう。
「こいつら、どこから湧いてくるんだ……!」
鋭い牙を持つ魔物が飛びかかってくるが、ナスィは即座に身を翻し、短剣で喉を突き刺した。
その背後から別の魔物が迫るが、長剣を反転させて背後に突き出し、寸分の狂いもなく急所を貫く。
(まだ終わらない……こんなところで足を止めるわけにはいかない!)
彼は自身の体力が限界に近づいているのを感じながらも、一歩ずつ前進を続けた。
「こんなところに人間がいるなんて……!」
リエレンが森の奥に続く跡を見つけ、声を上げる。
「これだけの魔物を相手にしながら進むなんて、まともな人間の所業じゃないわね。」
彼女の声には半ば呆れと感嘆が混じっている。
「ナスィがこんなことを……。」
ベチは震える声で呟く。彼女の中で否定する気持ちと認めざるを得ない現実がせめぎ合っていた。
「いいから急ぐぞ。この先で奴がどうなっているか分からない。」
エガワの一言で、一行はさらに奥へと進んだ。
ナスィがたどり着いた場所は、大きな空間に開けた洞窟のような場所だった。その中心に、彼の前方を見据える一際巨大な魔物が姿を現した。
「また出やがったな……!」
それは先日倒した死の巣の主によく似ていたが、さらに異様な威圧感を放っている。傷がついている部分は禍々しい瘴気で補われ、何かに操られているようにも見えた。
「これが本命ってわけか。」
ナスィは傷ついた体に再び力を込め、剣を構え直した。
ナスィが魔物との戦いを繰り広げているその時、エガワたちもようやくその場に到着した。
「ナスィ!」
ベチが声を上げるが、ナスィは振り返らず、目の前の敵に集中していた。
「くそっ、なんて戦いだ……あいつ、本当に一人でやっているのか?」
マジアが驚きの声を漏らす。
「ここまでの道のりを考えれば、信じがたいけど事実よ。」
リエレンが弓を握り締めながら答えた。
その時、ナスィが魔物の急所を見極め、一撃を加える瞬間を目撃した。
「すごい……。」
リエレンが思わず息を飲む。その姿は、誰もが目を疑うほど鮮烈だった。
最後の一撃を放ち、魔物の巨体が地面に崩れ落ちる。その瞬間、ナスィは剣を突き立てたまま膝をつき、地面に倒れ込んだ。
「ナスィ!」
駆け寄る一行の中で、誰よりも早く彼の元へ到達したのはリエレンだった。彼女はナスィの体を抱き起こし、その顔をのぞき込む。
「しっかりして! まだ終わってないわ!」