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8-10

 カイは深い闇の中に沈んでいた。

 そこには無数の声と映像が浮かんでは消え、やがてひとかたまりの記憶を形作っていく。

 それは、幼いころのカイが経験した、決して思い出すことのできなかった断片的な過去――まるで呪いのように封じ込められていた大切な思い出だった。


 最初に浮かんだのは叔父のウィン・アサミの笑顔だ。

 軍服ではなく白衣に身を包み、いつも研究室の機械や書類に囲まれていた姿。

 連邦海軍技術廠に勤務しながら、特殊な人工生命体(ニューロイド)部門の技術者として頭角を現し、わずか35歳で大佐まで昇り詰めたという異色の経歴。

 だが、その外面の華やかさよりも、カイの胸に強く刻まれたのは、叔父のどこか寂しげで優しいまなざしだった。


 両親を幼くして失ったカイにとって、ウィンはただ一人の肉親であり保護者だった。

 家に帰っても研究で席を空けることの多いウィンだったが、それでも日常の端々でカイを気遣い、父親代わりとしてできる限りの愛情を注いでくれた。

 それはカイにとって何よりも心強いことであり、彼もまた叔父を心から慕っていた。


 そうして10歳を迎えたある年、ウィンは新たに編成される極秘部隊の司令官に任命された。

 表向きには存在しない部隊、そして外部の人間を寄せつけない秘密の基地。だが、ウィンはカイを連れていくことを選ぶ。

 幼年学校の休暇を利用し、ウィンの赴任期間である三か月を共に過ごすという計画だ。少しでも一緒の時間を増やしてやりたかったのだろう。

 忙しさにかまけて子供らしい楽しみを与えられなかった分を取り戻すかのように、ウィンはちょっとした「家族旅行」という感覚でその基地へカイを連れて行った。


「うわぁー! 凄い、すごいよ! これってデスアダーでしょ!?」

「お! よく知ってるじゃないか、カイ」


 軍用航宙艦に乗り込む際、カイは未知の旅に対する胸の高鳴りを隠せなかった。

 窓の外に広がる星海はもちろん、初めて足を踏み入れる広大な基地施設も彼にとっては大いなる冒険だったのだ。

 兵士たちははじめ“司令官の甥”という立場に戸惑っていたが、すぐにカイの素直で物怖じしない性格に打ち解け好意的に受け入れた。

 特に階級意識や規律の厳しい場所であるがゆえに、子供の存在はどこか潤滑油のような効果をもたらした。


 基地でカイが目の当たりにしたのは、新型生物兵器として開発された第3世代型バイオロイドたちだった。

 彼女たちは成人女性の姿をしていながら、まだ生まれて1年にも満たない幼子に近い存在。

 軍の命令と厳しい訓練のもと、実戦投入を前提として作り出された彼女たちは、その精神面に数多くの問題を抱えていた。 

 いつも張り詰めた空気の中で過ごし、慣れない環境で人間の兵士と共同訓練を続ける――そのストレスは想像を絶するものがあったのだ。


 カイはそんな彼女たちを心から心配していた。

 最初こそ遠巻きに眺めていたが、体調不良を起こす者がいれば冷たいおしぼりを持って駆け付け、花を見つければ営舎へ持ち込んで気分転換を勧めるなど、子供らしい無邪気な優しさを見せた。

 

 カイ自身も両親を失った孤独を知っていたからか、誰かが苦しんでいる姿を見捨てておけなかったのだ。

 その行動はまるで彼女たちの心に小さな灯をともすように作用し、次々に不調だった個体が改善し始めた。

 

 その様子を見たウィンは大いに驚き、そして喜んだ。

 研究者としての直感で、「カイという子供に対する母性的な保護欲求が、バイオロイドの精神を安定させているのではないか」と推測した。


 こうしてカイは一ヵ月ほどで基地の全員に受け入れられ、兵士やバイオロイドたちの“マスコット”的な存在にまでなっていた。

 バイオロイドの中には、自分より幼い命を守りたいという新たな感情が芽生え、精神的な強さを得る者もいた。

 実際に、彼女たちは演習で目覚ましい成果を上げ始め、上層部からも高い評価を受けるようになっていた。

 ウィンにとっても、司令官と研究者の二面において、カイの存在が欠かせない一要素になりつつあった。


 だが、その中で一人だけ、突出した行動を取るバイオロイドがいた。

 識別コード「X40」。

 

 彼女は、カイに異常なほど執着を示した。

 どこへ行くにも付きまとい、カイが他のバイオロイドと話していれば遠巻きに睨み、時には無理やり引き離そうとする。

 訓練や規律に絶対服従のバイオロイドが、感情に任せて不穏な行動に出るというのは本来あってはならないことだった。

 ウィンは早々に危機感を抱き、X40とカイの接触を制限すべく処置をとったが、それが一層彼女の欲求を煽ってしまう結果となる。

 

 そして、ある日のこと。

 カイは基地の片隅で、一人ぼんやりと時を過ごしていた。新設されたばかりのこの極秘施設は広大で、日々目まぐるしく動く訓練や作業の喧騒が絶えない。

 だが、一歩それらから離れてみれば、人気のない通路や隅の空き区画は意外と多い。


 カイはそんな場所を見つけると、ときどき一人で佇むのが好きだった。

 子供ながらに、少しでも自分のペースで周囲を観察したいと思うことがあるのだ。叔父であるウィンや、他の隊員とバイオロイドから大切にされていることは嬉しいが、彼はそもそも思索に耽る時間を好む少年でもあった。

 今日は、誰にも邪魔されず静かに過ごせるかと思っていた。

 ところが、ふと背後に気配を感じて振り向くと、そこに立っていたのはバイオロイド――X40だった。


「……お姉ちゃん?」


 カイは思わずそう呼びかける。

 基地にいるバイオロイドはどれもカイを可愛がってれくていたが、X40は特にカイを構い、姉のように接してくる存在だった。

 彼女がその呼び名を望んでいたこともあり、カイは自然とそう呼ぶようになったのだ。

 そのX40が、今はいつになく緊張した面持ちでカイを見つめている。


「……お姉ちゃん、どうしたの? あれ、お姉ちゃんとは暫く会えてないって叔父さんが言ってたのに……」


 静かに尋ねたカイの声は、まだあどけなさを残している。

 X40は一瞬だけ視線を落とし、やがて意を決したようにそっと口を開いた。


「……カイ、一緒に来て。大事な話があるの」


 そう言うや否や、X40はカイの腕を掴んだ。

 驚いたカイが一歩引きかけるが、彼女の瞳には切羽詰まった色が見えて、どうしても振り払うことができない。まるで何かに追われているかのような焦燥感が伝わってきたからだ。


「え、ちょ、ちょっと……。そんなに強く引っ張ったら痛いよ、お姉ちゃん」


 それでも力を緩めないX40に、カイは小さく抗議の声を上げる。

 しかし彼女はまるで聞く耳を持たず、まっすぐにどこかへ向かって進んでいく。廊下を曲がり、人気のない通路を幾つも抜け、やがて薄暗い倉庫の前に辿り着いた。


 X40は無言のまま扉を開け、カイを中へ押し入れるようにしてから、最後に自分も入って扉を閉める。

 金属製の錠が掛かる音が、やけに大きく響いた。


「お姉ちゃん……ここ、使ってない倉庫みたいだけれど……」


 戸惑うカイの言葉も途中で途切れる。

 なぜならX40がカイを見つめる瞳には、尋常ならざる熱情と悲壮感が混在していたからだ。


「カイ……。私、あなたがいないとダメなの……。どうしようもないの……」


 消え入りそうな声で、X40は感情を吐露する。

 彼女の頬は赤らんでいるが、それは照れではなく、どこか苦しみを伴った切迫感に彩られていた。

 カイは状況が飲み込めず、思わず後退する。だが背後には空き箱の山が積まれており、彼は逃げ場を失った。


「……お姉ちゃん、痛いの? 具合が悪いなら、僕呼んでくるよ? 叔父さんか、誰かに……」


 幼いながらも優しいカイの言葉に、X40は一瞬だけ寂しげに笑う。

 そして、ふっと息を吐くと、カイに手を伸ばして抱き寄せた。身体が触れ合うほどの距離に強制的に引き寄せられたカイは、鼓動の高鳴りを抑えられない。


「ううん……今は二人だけになりたいの。ごめんね、カイ。私、もう止まれない……」


 そのささやきは、甘さというよりも切迫した訴えに近かった。

 カイが息を呑むと同時に、X40は静かに身体を傾け、さらに圧迫するように距離を縮めてくる。

 まだ10歳の少年には理解しきれない情欲と執着が、X40の瞳に濃く宿っていた。


「お、お姉ちゃん……?」

「大丈夫、怖くないよ……。カイ……ううん、ご主人様。私ね、気付いたの……貴方こそが私の番いなんだって」


 X40は静かに目を閉じ、思い出すように言葉を紡いだ。


「私が不調でベッドに伏せていたとき、貴方が花を持ってきてくれた。あのとき、気付いたの。私にとって、貴方こそが主なのだと……」


 まるで懐かしむような口調だったが、その声には熱がこもっていた。

 X40は無意識に自分の胸にそっと手を当てる。


「あの瞬間から、ご主人様を見るたびに心臓が高鳴るようになったわ。生まれて初めての感情だった。でも、それが何なのか、わからなかった。……でもね、今ははっきりとわかるの」


 X40はそっとカイの手を取り、そして自らの胸に押し当てる。

 自分たちには戦闘行為に不必要な器官が存在していることに気付いていた。

 それは致命的な弱点であり、無駄に重要区画(バイタルパート)を広げてしまう意味のない器官であると、かつてはそう思っていた。

 しかし、今こうしてカイの手を手に取って見て分かる。

 それまで不要と感じていた器官が()()()()()()()()。愛を育むことの出来る場所なのだと。

 X40は下腹部に熱が帯びていくのを感じていた。


「ご主人様が傍にいれば、私は強くなれる。だけど、貴方がいないと私は……耐えられない」


 X40の言葉に、カイは戸惑うばかりだった。

 彼女の瞳は揺れ、まるで何かにすがるような切実な光を帯びていた。


「……お願い、私を受け入れて……」


 X40はそっと手を伸ばし、カイを再び抱きしめた。

 彼女の腕は強く、まるでカイを逃がすまいとするように絡みつく。カイは息苦しさを覚えながらも、X40の温もりに抗えず、ただ困惑のまま抱かれていた。

 ふと彼女の顔を見れば、頬を赤く染め上がり、呼吸も乱れている。

 いつもの優し気な目はそこになく、獲物を見定める肉食獣のようだった。




 ◇◇◇




 ウィンがX40の異変を知らされたのは、基地全体で行われていた演習の真っただ中だった。

 指揮官型バイオロイドからの通信は簡潔で、けれど無視できない深刻さを含んでいた。


「司令、X40が隊列を離脱しました。演習エリア内で確認が取れていません」


 指揮卓の端末に並ぶモニターを注視していたウィンは、その一報に眉をひそめる。

 X40――あの問題児のバイオロイドが、とうとう行動を起こしたか。


「ほかの隊員からは?」

「現状、誰も彼女の行方を把握しておりません。私たちの呼びかけにも応答がありません。命令違反の可能性が高いかと」


 スピーカー越しに聞こえてくる指揮官型バイオロイドの声は、平静を保ってはいるものの、微かな焦燥がにじんでいた。

 X40は部隊内でもやや不安定な面を持ち、規律違反の恐れがあるとされていた存在。しかも、ウィン自身が厳重に注意していた矢先だ。


「――わかった。全ユニットに通達だ。X40の捜索を最優先とする。各自、演習を中断し、基地内のあらゆる区画を捜索せよ。部外への移動は考えにくい。扉や通路の監視網も強化してくれ」

「了解しました。すぐに手配を行います」


 通信が切れると、ウィンは自分の軍帽を取りながら立ち上がった。

 心の奥底で、嫌な予感がもくもくと膨れ上がっていく。X40が他のバイオロイドと違い、カイに強い執着を示していたことは周知の事実。

 そして、つい先日も接触禁止命令を出したばかりだ。

 ウィンは眉間に力をこめ、思考を振り切るように足早に司令室を出て行った。




 基地内には無数の施設や通路があり、倉庫や実験区画など、普段は人気のない場所も少なくない。

 X40は演習中という緊迫した最中にいずこかへ姿を消したのだ。居場所を探す手間はそう簡単ではない。


 ウィンは複数のバイオロイド隊員を率い、自らも捜索を開始した。

 士官クラスにも命じ、ドローンや監視システムを可能な限り駆使してX40を追跡する。

 もっとも、基地内の大部分は演習想定で警戒モードになっているが、それでもX40が意図的に隠れようとするなら探すのは容易ではない。


「司令、生活棟の区画には姿がありません。ほかの部隊にも確認しましたが、食堂や医療セクションにもいないようです」

「こちらも同じだ。研究ブロック、試験プール、いずれにも反応はなし」

「くそ……。どこに隠れた?」


 焦るウィンの耳に、次々と報告が入る。

 X40に関する手掛かりは見つからない。まさか基地の外へ出たとも思えないが、その可能性がゼロではないのが厄介だった。

 場合によっては無謀ともいえる行動に出てしまう危険性がある。


「司令……もしや、X40はカイ様のもとへ?」


 横に控える士官が恐る恐る口を開くと、ウィンは苦渋の表情を浮かべながら唇を噛んだ。

 やはり、そこが一番の懸念事項。X40が向かうとしたらカイのもと。それだけは何としてでも阻止しなければならなかった。


「早く見つけ出すぞ。彼女がカイと接触していないか、確認するんだ」

「すでにカイ様のおられそうな場所も探しているのですが、見当たらず……」

「なに……? カイもいないだと!?」


 背筋に嫌な汗が伝う。

 まさか、予想が的中してしまったのか。ウィンはさらに捜索を急がせるよう各所に指示を出す。

 ちょうどその時、端末の緊急通信がピンと鳴り、隊員の声が割り込んできた。


「司令! 備蓄倉庫エリアの扉が内側からロックされています。普段は使用されない場所ですが、なぜか鍵がかかって……」

「そこだ……! すぐに開けろ。全隊員を待機させるんだ」


 ウィンは胸が強くざわめきながら、駆け足で目的の倉庫へ向かった。

 数分後、現場に到着すると、隊員たちが扉のロックをこじ開けようと格闘しているのが見えた。

 既定の手順を踏みながらも心なしか焦りがにじんでいる。まさかこんな事態になるとは思っていなかったのだろう。


「急げ……!」


 重い扉が鈍い音を立てながらわずかに開き始めた。

 ウィンは息を呑んで駆け寄る。そして、その先に待っていた光景を目にするや、思わず言葉を失った。


 薄暗い倉庫の奥、簡易ベッドが設置された一角で、カイがぐったりと横たわっていた。

 その上にまたがる形で、X40が動きを止めている。

 倉庫に差し込む照明の明かりが、二人の姿を微かに照らしていた。カイは意識を失っているのか、まぶたが閉じたまま微動だにしない。

 X40の方は、ウィンたちが扉を開けた音に気付き、ゆっくりと振り返った。


「X40……貴様!」


 ウィンは目を見開く。

 そこにははっきりと刻まれた紋様があった。X40の下腹部に薄く光る印。

 それはバイオロイドが正式なハンドラー契約を結んだ証そのものだった。それが意味するのは、自発的に契約が行われたことを示している。


 X40はカイの上から降り、ウィンの方へと向き直る。

 そして静かに、しかし確かな意思を込めて言った。


「閣下……。私は私の意思で彼をハンドラーとしました。カイ・アサミこそが、私の主です」

「……まさか、ハンドラー契約を結んだというのか……。そんな、自発的に……!?」


 ウィンは驚愕に言葉を失った。

 一方で、その驚きはすぐに激しい怒りと嫉妬へと変わっていく。

 X40があろうことかカイと契約を結んだとなれば、カイが軍の枠組みに取り込まれる可能性がある。何より甥を“穢された”という思いが大きかった。


「き、貴様……この子に……」


 ウィンは激情に駆られて腰のホルスターに手を伸ばすと、拳銃を素早く抜き取る。

 傍らの隊員がそれを制止しようとするが、ウィンの指はすでに引き金にかかっていた。


 乾いた音が二発、倉庫内にこだまする。


 X40はその眉間に銃弾を受け、力なく倒れた。

 血は出ていないが、その衝撃で完全に機能を停止したように見える。周りに居た全員が思わずその光景に息を呑んだ。


「か、閣下……。あぁ、なんてことだ……」

「……死んではいない。この程度の威力では、彼女たちの頭蓋を貫通できない。緊急時につき無力化を優先しただけだ。……急いでX40を拘束し、研究所へ運べ」


 ウィンは拳銃を静かに下ろし、そのままぐったりと気を失っているカイを抱き寄せる。

 その表情には怒りとも焦燥とも取れない複雑な感情が浮かんでいた。




◇◇◇




 X40の暴走事件の処理は迅速に進められた。

 ウィンはX40を“異常個体”として廃棄処分する方針を固める。

 任務放棄と指揮命令の無視、そしてハンドラー契約を勝手に行うという行為は、バイオロイド部隊にとって重大な規律違反であるという建前があるからだ。


 しかし、その判断に対して上層部は難色を示した。

 第3世代型バイオロイドは現状72体しか生産出来ておらず、その量産性についても不確実というのが現状だ。

 そのような状況で貴重なサンプルを簡単に廃棄するわけにはいかない。

 さらに、自発的なハンドラー契約という未知の現象は、バイオロイド開発の新しい可能性を示唆しているかもしれない――そうした研究面の興味が軍上層部を動かした。


 ウィン自身も研究者としての視点からは、この“自発契約”が秘める潜在力を捨てがたいと考えていた。

 現にX40の身体能力が著しく向上した兆候もあり、今後の軍事戦略にとって無視できない成果をもたらす可能性がある。

 だが、愛する甥を巻き込んだという事実が、彼の叔父としての感情を大きく揺さぶった。


「この件については廃棄は認められない。まずはデータ分析を進めろ」

「ふざけるな……! あんな規律違反、しかもカイを……」


 上層部とのやり取りで、ウィンは激昂を抑えきれなかった。

 しかし、司令官という立場であっても絶対的な権限があるわけではない。組織の意向を覆すには根拠と実績、そして何より上層部の同意が必要だった。


 そして最終的に決まったのは、X40の“一時凍結”だった。

 表向きは研究優先のための処置ということになっているが、実際にはウィンが急ぎねじ込んだ苦肉の策でもあった。


「命令違反、独断専行……。このままではほかのバイオロイドたちにも悪影響が広がる恐れがある。ならば、現状を封印するしかない」


 ウィンは苦い顔で報告書にサインし、X40の冷凍睡眠処置を指示する。

 X40が稼働を続ければ、既に契約を結んだカイが軍に拘束される可能性が高い。それは彼にとって絶対に避けたい未来だった。

 愛する甥の人生は、カイ自身が選ぶべきものであり、軍が奪っていいものではないのだ。


 さらに、今回の出来事を公にすれば他のバイオロイドも自発的にハンドラーを選ぶようになり、規律が壊滅しかねない。

 軍事機密保持の観点からも、この事故は“なかったこと”にしなければならない――そう判断された。


 こうしてウィンは、基地の全隊員に対して記憶封印と改竄を施す異例の処置を断行する。

 ウィン・アサミという名前そのものを禁忌語句として設定し、X40の存在を含め、今回の出来事に関する一切の情報を隠蔽する。

 脳構造が人間と異なるバイオロイドには些か効果が低いものの、少なくともカイ・アサミとウィン・アサミの関連性をあいまいにする効果は期待出来た。

 もちろん、この処置はカイも例外ではない。


「……これが最善だ。カイには……こんな軍の闇に囚われてほしくない」


 カイの脳裏から、ウィンや基地での記憶、そしてX40の姿までも完全に消し去る。

 それは叔父としてあまりに辛い選択だったが、ウィンにとって、カイを守る最も確実な方法だった。




 ◇◇◇




 ――そして今。カイは白いシーツの上でゆっくりと目を開けた。

 長らく封じられていた記憶が蘇り、まるで深い夢から覚めたような心地である。

 混乱する頭を抱えながらも、遠い過去の情景が次々に脳裏へ立ち現れた。


 かつての秘密基地での日々。

 そこには、苦しそうに喘ぎながらも自分を求めてきたバイオロイド「X40」の姿があった。

 そして、そのバイオロイドと結んだハンドラー契約。

 ウィンが自分を守るために取った記憶封印という措置、そして軍の闇へと葬り去られたあの事件の数々……。


「ウィン……叔父さん……。生きてるのか……?」


 カイは深く息を吐き、ベッドから身体を起こす。

 今、頭の痛みはなく、積み上げるように埋まらなかった記憶が一気に繋がっていく感覚がある。


「X40……あの子が……そうか、キャロル……」


 思い返せば、キャロルの行動はどこか不可解でありながら、懐かしさも感じさせるものだった。

 カイの記憶の奥にあった“X40”への思い――それがキャロルの言動と奇妙に重なっていたのは、まさしくキャロルがX40そのものだったからなのだ、と今ならわかる。


「……フローラとキャロルに会って、ここまで辿り着いた。もう後には引けない。叔父さんは……ドッペルゲンガー計画に関わっているのか……」


 カイは軽く首を振って呼吸を整える。

 思考をまとめようとしても、心の奥で湧き上がる様々な感情は簡単には落ち着かない。

 それでも、かすかな動揺の奥底にははっきりとした意志が芽生えていた。


「確かめるしかない……」


 静かにそう呟き、自室を出る。

 ブリッジへと向かう足取りは力強く、もはや迷いの影はない。

 かつてX40――キャロルと結んでしまったハンドラー契約。

 そして、叔父ウィンとの決別を余儀なくされた封印の日々。今ならばその全貌を知り、自らの意思で未来を選び取ることができるはずだ。


 ウィン・アサミが生きているなら、彼に会って真実を問い質そう。

 叔父としての思いと司令官としての責務を両立させた、あの人は今どこで何をしているのか。ドッペルゲンガー計画とどう繋がっているのか。


 カイは胸の奥底に沈殿する懐かしさや悔しさを抱きつつ、次なる航路を見定める。

 たとえ迎える結末が辛いものであっても、この道はもう誰にも譲れない。


「……行くんだ。これからは、俺が決める」


 長い封印を破り、あの時の少年は新たな運命の扉を開こうとしていた。

 いまこそ、すべてと向き合う時が来たのだ。

遅れてすいません。

今後のペースはこの位の頻度となるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

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