8-6
白鯨号のエンジンが徐々に唸りを弱めていく。
ちょうどそのタイミングで、コクピットのディスプレイに外部カメラが捉えた動体が拡大表示された。
そこに映っていたのは、オープントップの軍用車や作業用ボットを従えた軍人然とした一団。
彼らは明らかに「待ちかねていた」という風情で、白鯨号のハッチが開かれるのをじっと待ち受けているかのように見える。
「気の早い奴らだ。もう案内してくれる連中がスタンバイしてるみたいだな」
カイは苦い笑みを浮かべて、フローラとキャロルのほうを振り返る。
「二人とも、ここからだ。……頼むぞ」
「ええ、カイ様。――行きましょう、キャロル」
「じゃ、行って来るわねご主人様。ちゃんと私たちが帰って来るまで待っててね」
フローラが短く息をつき、手のひらをスニーキングスーツの袖に当てて調整を始める。
キャロルも同様に身体のラインがくっきりと浮き出たスーツを身に纏い、皴を伸ばすかのように軽いストレッチを始めていた。
白鯨号のハッチが開き、スロープがゆっくり下りていくのと同時に、外気が一気に船内へと入り込む。
一団がハッチへと意識を集中しているその背後で、フローラとキャロルは、あらかじめ決めていた順番どおりに動いた。
――まずキャロルがハッチとは間反対にあるエアロックから出て、素早く白鯨号の船体後方へ回り込み、続いてフローラが間を置かずに従う。
二人は忍び足のまま白鯨号の船外へと出ると、兵士たちに及ばない間に姿を消す。
カイが降り立つその一瞬が、最も注意が向く場面だからだ。
案の定、兵士や作業ボットの視線はハッチに集中しており、背後から抜け出す二つの影に気づく者はいなかった。
「よし……」
カイは心中で小さくガッツポーズを取りながら、階段状になったスロープを下りる。
空気は乾いていて、午後の澄み切った太陽光がコンクリート一面を照らしている。
降り立つのと同時に、彼を待ち受けていた集団の中から一人の男が進み出た。
短く切り揃えた髪、筋肉質の体躯、帝国軍の礼装をそのまま実用向けにアレンジしたような軍服。躊躇いのない足取りから、相当な歴戦を思わせる雰囲気が漂う。
「降下ご苦労。俺はカール・シュタイナー大佐。クルト伯爵の命により、お前の案内と積み荷の受け取りを仰せつかっている」
男はそう言うが早いか、ピシリと背筋を伸ばして敬礼を示した。
口調は丁寧ともいえないが、最低限の礼儀として簡単な挨拶は欠かさないようだ。
カイが一礼するより先に、大佐は懐から書状を取り出して広げる。
そこにはシューマッハー伯爵家の文様や、伯爵本人のサインに類する筆跡らしきものが刻まれていた。
「……なるほど、承知しました。カイ・アサミと申します。よろしく頼みます、シュタイナー大佐」
カイはそれを一瞥して素直に納得する。
「ではさっそく、積み荷を搬出してしまおう。――コンテナを運び出せ」
大佐が合図するやいなや、背後の作業ボットたちが素早く白鯨号のほうへ向かう。
カイもそちらへ歩み寄り、カーゴのロックを手動で解除する。扉が開くと同時に、作業ボットが忙しない足音を鳴らし、機械アームでコンテナをホールドする。
「さて……では、こちらの車に乗ってもらおうか。クルト伯爵様がお前に用事があるとのことだ」
「……分かりました」
大佐はぐいと顎で示し、車両へ乗り込むよう促してくる。
カイは内心でいよいよかと緊張していたが、それを表に出さないよう気を張って大人しく後部座席へと収まった。
(さて……ここまでは計画どおり。フローラとキャロルが基地内部へ忍び込む余裕も作れた)
カイはシートにもたれかかり、窓から外の光景を一瞥する。
いつの間にか白鯨号の脇にいた作業ボットたちもすでにコンテナの固定を済ませたらしい。基地内部へコンテナを運搬する気なのだろう。
先ほどハッチから飛び出た二つの影――フローラとキャロルの姿は、もちろんどこにも見当たらない。
誰が見ていようと、彼女たちは巧みに姿を消すはずだ。大佐や周囲の作業ボットたちも全く気づいていないようで、カイは胸中で軽く安堵する。
車両のエンジンをかけると、ガクンと揺れて走り始めた。
コンクリートパッドから敷かれた舗装道を進んでいくにつれ、カイは基地の規模を改めて思い知らされる。
――地図に載っていないはずの施設が、こうも大きく整備されているとは。
上空から見たとおり掩体壕が幾つも点在し、それを護るかのように戦闘用四足歩行型ボットが力強い足取りで巡回している。
さらに戦闘用自律人形が複数の小隊を組んで警邏に当たっているようだ。
カイは窓越しにそれを見やり、思わず眉間にしわを寄せた。
これほどの無人兵器と警戒網を敷くなら、人間の兵士が大勢いてもおかしくないが、不思議と目に入るのはロボットばかりだ。
(……随分警備が厳重だな。これじゃあ、フローラとキャロルが動きづらいか……)
カイは心の中でそう思いながらも、一瞬、彼女たちの身を案じる。
今回二人が使っているスニーキングスーツは光学迷彩や無音駆モードを備えているが、防御力は最低限にすぎない。
いくら彼女たちが優れた戦闘兵だろうと、火力差が大きすぎれば危ない場面も多々あるかもしれない。
しかし、ここで動揺を表に出しても仕方ない。車内にはシュタイナー大佐が同乗しており、監視の目を向けている。その視線を感じ取ったカイは、あえて落ち着いた素振りを保つ。
「大佐、この基地には兵士の姿が見えないようですが……もしや、無人基地なのですか?」
カイが穏やかなトーンで訊いてみるが、大佐は鼻を鳴らすように短く答えるだけだ。
「軍事機密上、余計なことは話せない。……基地の目的や成り立ちについても同様だ。気にしないでくれ」
(やっぱり何も教えてくれないか。……しかし、機械と会話してるみたいだな)
まるで無人基地であるかのような錯覚を覚えながらも、カイは車に揺られて移動していった。
シュタイナー大佐はそれ以上何も語らず、淡々と前方を見据えている。
車内の空気はどこか貼り付いたように重く、エンジン音とわずかな振動だけがカイの意識を外へ向けていた。
その頃、白鯨号から密かに飛び出したフローラとキャロルは、基地の境内に延びる搬入口付近で足を止めていた。
乾いた空気にかすかなオイルの臭いが混ざり合い、あちこちで機械が動く微かな音が反響する。
そのほとんどが人間ではなく無人機器や作業用ボットが発する音だというのが、二人の心をざわつかせていた。
「……お姉様、見て。あそこにも人影がないわ」
キャロルが壁際の陰に身を隠してささやく。
フローラもうなずき目を細める。
「ええ、どうにもこの基地は妙ですわ……」
二人はまず、基地の全体図を掌握すべく壁面に備え付けられていたアクセスポートへ近寄る。
周囲の警備ドロイドをやり過ごしながら慎重に足を運び、やや内側へ入ったところで、灰色の金属板に埋め込まれた小さなパネルを発見する。
キャロルが手慣れた動作で外装カバーをこじ開け、ケーブルを端末に繋ぎ込む。
彼女はカイから託されたクラッキングツールを軽快に操作し、施設の情報ネットへ潜ろうとしていた。その間、フローラは音もなく背後に回り通路の左右を警戒する。
「……やっぱり、ほとんど人の気配がありませんわ。ロボットが勝手に動いているだけ……ここまで人を排除する意図はなに?」
フローラが視線を配りながら低く呟くと、キャロルも画面を見つめたまま同意するように唇を結んだ。
「うーん、情報漏洩を恐れているとか? ロボットならそこら辺の情報封鎖は楽だし……っと、来た来た。全体図、ゲットできそう」
彼女が画面をスライドさせると、ドロイド巡回ルートや各種モジュールの位置が次々に映し出される。
連動するステータス項目には地下階層を示唆するフロアデータがあり、そこにはやたら複雑なラボや工場区画が記されていた。
「やはり娯楽用バイオロイドの工場では済まないわね、この広さ。……資材の搬入経路や水処理ラインだけでも相当な規模が必要でしょうし。ここ全体がセイレーンや他のバイオロイドを作る拠点と考えるのが自然かな」
「ええ。しかも見て、ここ……地下空間にドックが二つもあるわ。ひょっとしたら、ここで量産したセイレーンを外へ運び出すためのルートかもしれませんわ」
二人が声を落としながら情報を突き合わせていると、遠くから機械の足音が近づく気配がした。
フローラは素早く端末をキャロルから受け取り、光学迷彩を最適化する。
「キャロル、いったん分かれて動きましょう。この基地の規模ではそうする他ありません」
「そうね。地上だけじゃなく、地下もあるみたいだし、手分けしないと」
そこでフローラは淡々と方針を示す。
「私が中央制御棟で基地全体の稼働状況を確認します。あなたは本部棟内へ潜入し、そこの端末を当たってくださいまし」
「了解。集合時刻は30分後。気をつけてね、お姉様」
そう言うと、キャロルが軽くフローラの手を取って絞るように握り合うと、光学迷彩が二人の輪郭を再び溶かし込む。
瞬く間にそこには誰の姿もなくなった――。
こうして二人は、広大な基地内をそれぞれ別方向へ進み動き始めた。
一方、カイを乗せた車は基地施設の奥へ進んでいた。
やがて建物の前で停車すると、シュタイナー大佐が先に車を下り、カイも続いて外へ足を踏み出した。廊下を幾つか抜ける中でも、やはり人の姿は少ない。作業用ボットやドローンたちが壁際で清掃か何かをしているだけだ。
無言の案内に従って歩いていると、大きな扉の前で大佐が足を止めた。そこには「搬入物 資材検品所」と書かれたプレートがある。
扉を開けた先は、さまざまな物資が積まれたスペースで、カイが持ち込んだセイレーンが封印されたコンテナも、ここに並んでいた。
ふとカイが周囲を見れば、作業員と思われる人々が何かを検分している姿が見える。
しかし、どうにもその姿に違和感が拭えない。
先ほどまで見かけなかった人影だが、その動きはあまりにも整然としている。誰一人言葉を交わすことなく、無表情で黙々と作業をしているのだ。
(……なんだ、この違和感は)
近づいてみると、やはり人間らしい仕草が感じられない。
まるで機械のような精度でコンテナをスキャンし、分類し、移動させている。ほんの微かな違いはあるが、それでも普通の人間には見えない。
カイはそんな彼らの正体について、ふと脳裏によぎる言葉を押し出すように口にした。
「……まさか! 全員バイオロイドなのか」
思わず声を発したカイの疑問を、シュタイナー大佐があっさり肯定する。
「ご明察の通り、ここの作業員は全員バイオロイドだ。機密保持のため、人間よりも彼らを使うほうが管理しやすい」
まさか、これほど多数のバイオロイドを単純作業のために投入しているとは想像を超えていた。
バイオロイドは通常、高価な上に製造や維持にも手間がかかる。そのため工場労働や補助的な役割を担わせるにしてはコスト面で割に合わないはずだ。だが、この基地は明らかにその常識を逸脱している。
だが、もしセイレーン製造の過程でバイオロイド研究がここで進んでいるならば、ある意味使い放題にもなりうる。
(セイレーン製造の応用か……。それなら大量生産も腑に落ちる。つまりここは、ただの遊興用や娯楽用を作るだけの施設じゃない。兵器や他のバイオロイド開発を根こそぎ進めているのか)
そう踏んだカイは、不気味な戦慄を感じながらも口には出さずに表情を抑える。
確かに誰に口外する必要がない人形ばかりなら、内部の秘密が流出するリスクも最小限で済む。工員のように人間同士で会話をすることもなく、疑問を抱く者もいない。
「さて、見学もそこまでだ。さっさと伯爵様のもとへ向かうぞ」
大佐がそう言い、視線を僅かに動かして合図を送る。
カイは彼に促されるまま再び歩み始め、暗がりが続く基地の奥へと進んでいく。
(フローラ、キャロル、今頃どうしてる……)
ふと思わず、いつも頼りにしている二人の姿が隣に無いことに不安がよぎる。
だが二人が潜入に成功していればこそ、こうして大佐の視線はカイに張り付いている。仲間を信じ、今は伯爵との対面に備えるより他に道はないとカイは腹を括るのだった。
カイはシュタイナー大佐に連れられ、広い施設の通路を抜けるたび、無機質な照明だけが地面を照らし出す。
そこには人の声どころか人影すら滅多に見当たらず、カイの胸に不気味な不安が広がっていく。
「……あー、まだ先ですかね?」
わざと気楽な口調を装い、カイが大佐に問いかけてみるが、返ってくるのは必要最低限の言葉か無言だけだ。
彼は多くを語らないらしく、無表情に首を横へ動かすと「すぐそこだ」と短く答えるばかり。
やがて通路の突き当たりに頑丈そうな扉が見えてきた。
その前には小さな卓と士官風の男が待機している。カイが足を止めると、大佐は扉の脇へすっと立ち、扉越しに呼びかけた。
「カイ・アサミ殿をお連れしました」
「……入れ」
数秒の沈黙。すると、扉の奥から返事が響く。
男の声はよく通るわけでもなく、落ち着いた調子に聞こえたが、どうも独特の圧を含んでいるようにも思える。カイは思わず呼吸を整えて背筋を伸ばした。
シュタイナー大佐が扉を開けると、仄暗い室内の一角が姿を表す。
カイは小さく生唾を飲んで、部屋へ足を踏み入れた。
そこはまるで執務室を思わせる空間だった。
落ち着いた艶のある床に、軍の紋章が浮き出るように描かれたカーペットが敷かれている。壁の一面にはシューマッハー伯爵家の紋が大きく掲げられ、デスクの上には書類が整然と積み重なっていた。
そして――デスクの隣に立つ人物が、カイの眼を引く。
小綺麗な軍服に身を包み、赤の裏地が映えるマウントを軽やかに翻しながら、こちらへ向き直る。
小綺麗な顔立ち、端正な金髪。
その相貌には長い歴史を背負う貴族の風格と、どこか冷徹な光が同居しているかのようだ。カイは一瞥で彼がクルト伯爵であると直感し、喉の奥が急激に乾くのを感じた。
「……お前がカイ・アサミか」
男の声音は抑えめだが、聞き手を射すくめるような響きを持っていた。
大佐が軽く敬礼して部屋を辞すると、室内は男とカイの二人きり。微かな照明が二人の影を壁に落とし、静寂がどこまでも深く続いているようにも感じられる。
「私はクルト・フォン・シューマッハー伯爵。セイレーンを無事に運んできたそうだな。それに……アデーレ・フォン・リヒテンベルク殿下の髪も手にしているとか」
その表情には、抑えきれない欲求の色が滲むわけでもなく、むしろ余裕とも言える笑みが浮かんでいた。
カイは淡々と胸で息を整え、かろうじて頭を下げる。
「依頼を受け、セイレーンを運送して参りました。カイ・アサミと申します」
クルト伯爵は笑みを深くするように見えた。しかし目の奥には、冷ややかな光が宿っている。
それに気圧されることのないように、カイは心中で強く自分を鼓舞する。
ここから先、自分が時間を稼ぎ、注意を逸らしつつ情報を探るしかないのだ。いつも自分を支えてくれるフローラとキャロルは、今はいない。
彼女たちが持ち帰る成果をよりよくするためにも、ここで自分が気張る必要があるのだと。
カイの目の前にはついに、長らくその影を追い続けたクルト・フォン・シューマッハー伯爵がいる。
エクリプス・オパール強奪の謎、セイレーンというバイオロイドの存在、そしてアデーレ・フォン・リヒテンベルクの遺伝情報を使った企み――あらゆる糸が、この場所で絡み合いつつある。
カイは伯爵の淡い金髪と裏地の赤を視界に留めたまま、無意識に拳を握りしめる。
伯爵は優雅な仕草でマウントの位置を正し、部屋を一瞥すると、まるで獲物を見定めるかのようにカイへ振り返った。
「さて、ゆっくり話をしようじゃないか。……お前が持ち込んだもの、そしてお前自身のことも含めてな」
ふたりきりの密室で、長い道のりの先にようやく至った対面が静かに幕を開けるのだった。




