8-5 [挿絵アリ]
オベリスクのブリッジには、淡い照明だけがともり、周囲のパネルに浮かぶ数字やグラフが仄白く照らし出されている。
静寂の中、それぞれの持ち場からコンソールを覗き込み、視線を交わすのはこれから降り立つ星――シューマリオンのデータについてだった。
穏やかな気候を表す曲線が画面上を滑るたび、一見すれば観光ポスターのような風景が映し出されるが、三人の表情からは浮ついた様子は感じられない。
「まったく、綺麗な星に限って裏ではろくでもない話が多いよな。クルト伯爵と特別情報局が手を組んでるかもしれないなんて……考えたくもない」
カイが疲れた声で吐き捨てる。
視線の先では、青く輝く海と緑濃い大地がまるで宝石のように映っていた。
だが、その平和的な姿こそが、かえって得体の知れぬ闇を隠しているようにも思えてならない。
「まあ、クルト伯爵の企みを知っている私たちからすれば、この美しさが醜い影の目くらましに思えてしまうのも仕方ありませんわ」
フローラが端正な面持ちを曇らせながら答える。
任務としてはセイレーンの輸送とアデーレの毛髪の受け渡し。
しかし、三人の本当の狙いは、エクリプス・オパール強奪にクルト伯爵がどう関わっているかを探ることにある。それを踏まえると、惑星の美麗な外観など安心材料にはならない。
「とはいえ、まずは惑星に降りなきゃ何も始まらないわ。ほら、もうすぐ接近するって管制から来てるし」
キャロルの明るい声に、カイはわずかに唇をゆがめて笑みをつくりコンソールを叩いた。
帝国軍の防衛拠点リストでも上位に位置づけられるシューマリオンは、軍と深く結びついた歴史を持つ惑星だ。
実際、有事の際には最優先で帝国軍が援軍を送り込む対象となっており、軍事惑星ではないが、それに準ずる扱いを受けているとされる。
そのため、惑星へ降りる際には厳重な監視体制が敷かれており、外部の艦船が簡単に着陸できるわけではない。
「シューマッハー家は、帝国軍に多大な人材を輩出してきた歴史がありますわ。また、その関係で軍需品の生産や研究を星の基幹産業にしてきた結果、領民の大半が軍と仕事で繋がっているようですわね」
フローラは資料を読み上げながら、スクリーンに映る人口統計を眺める。
地図上では大規模な軍事関連施設や工場地帯が点在しているのが確認できる。惑星の経済は特化した軍需インフラで支えられているという。
「そりゃあ簡単に直接降下を許可されないわけだよ。俺たちが乗ってるオベリスクは小型巡洋母艦で300m級だ。防衛上の観点から、そんな艦を地上まで降ろすわけにはいかないってことか」
オベリスクは“ヴェヒターの瞳”と呼ばれる巨大要塞へいったん入港し、そこで小型船に乗り換え、惑星降下が許可される流れになっている。それが惑星シューマリオン側の定めるルールでもあり、クルト伯爵の意向でもあるらしい。
そもそも、シューマリオンのあるシューマッハー伯爵星系は、ノイシュテルン星域内でも指折りの防衛重点星系だ。通常、部外者の立ち入りは許可されていない。
そして、許可証を持つ者であっても、徹底した軍事ネットワークと特有の優先防衛システムで監視され、少しでも怪しい素振りを見せる艦には即座に星系防衛隊が対応する。
だからこそ、今回はアレクサンダーが用意した“裏ルート”を使い、カイたちの星系進入を伯爵の名で黙認させることで解決することが出来た。
「それでも、私たちが怪しまれたら即アウト。仮に何かしらの不備があっても、それは手を回したクルト伯爵の顔に泥を塗ることにもなりかねないですし、ここは大人しく指示通りに従う他ありませんわ」
「どうあれ、ヴェヒターの瞳に入ったら白鯨号へ乗り換えだな」
オベリスクは徐々に速度を落としながら、ヴェヒターの瞳の管制官とやり取りを始めた。
艦内のスクリーンには要塞への進入ルートを示す誘導信号が表示され、整合確認のためのセキュリティコードが途切れることなく送受信されている。万が一でも不審と見なされれば、防衛隊が即応してくるだろう。
しばらくすると、外部モニターの暗黒の宇宙の中に、うっすらと巨大な球体が浮かび上がってきた。
ヴェヒターの瞳――直径20kmという圧倒的なスケールの人工惑星型軍事要塞だ。
流体金属に覆われたその表面が、ゆっくりとした波紋のように揺らめき、不気味な光を映し出していた。
「あれが……ヴェヒターの瞳……」
キャロルが思わず呟いた声は、ブリッジ全体に小さく響いた。
フローラも視線を上げ、瞳にかすかな驚嘆の色を浮かべる。
「……表面を覆う流体金属は質量弾や光学兵器をほぼ無効化すると聞きましたが、造形そのものが生きているみたいに見えますわね」
それだけではない。資料によれば内部には広大な収容空間が確保されており、数多の航宙艦が格納できるうえ、バイオプラントによる自給システムを搭載している。
最大で1000万人を収容できるほどの規模というから恐ろしい。
「これを一星系の貴族が個人保有してるってんだから、冗談みたいな話だよ」
カイは苦笑気味に言葉を飲み込む。
帝国には強力な要塞が幾つも存在するが、ここまで大規模なものを伯爵家の管理として置いているのは極めて稀なケースだ。
やがて、要塞外壁に刻まれたゲートが浮かび上がる様にして開き、オベリスクに対して「ドックA-2035番へ進入せよ」という合図が送られてきた。
慣性制御を微調整しながらカイが操縦桿を動かすと、オベリスクは静かにその球体の内部へ吸い込まれていく。
ゲートをくぐり抜けた途端、視界が大きく開け、内部ドックの明るい照明がオベリスクの装甲を照らし出した。
そこには帝国軍の制式塗装を施された艦艇の数々が所狭しと並んでいる。駆逐艦クラスから巡洋艦までが集う一角は、いかにも威圧的だ。
「……うわ、こんなに艦が詰まってるのね。まさしく要塞自体が一大軍港になってる感じ」
キャロルがモニターの拡大映像を見ながら感嘆する。
広大なスペースを利用して艦艇が整然と係留され、それぞれの脇には整備プラットフォームや補給ユニットが備わっているようだ。
「ここまでの数を私的に保持できる貴族はそうそういませんわ……」
フローラも声を潜める。
ふと目をやった先に映るのは、アイゼンヴァッハト級重巡洋艦ヴェヒターシルト――深紅の艦体を誇ることで有名な700m級の化物だ。
周囲の駆逐艦や巡洋艦を従える様は“血染めのヴェヒターシルト”の異名にふさわしい風格を漂わせている。
「……あれがこの要塞の防衛艦隊旗艦か。重巡洋艦だけあってデカいなあ」
カイは思わず息を呑み、その存在感に圧倒される。
オベリスクは誘導に従って大型ドックの奥へ進み、やや外れた位置にゆっくりと収まる。
これは300m級の艦艇を受け入れる場所であり、通常は防衛艦隊のうち小型の駆逐艦などが利用するスペースのようだった。
民間――しかも独立パイロットとして自由に動いているカイたちが、こうして停泊を許されているのも伯爵家の後ろ盾があるからこそだ。
オベリスクがドックに定置されると、管制から通知があり、それから惑星シューマリオンへの降下に関する通達がカイの手元に届く。
読むまでもなく、それには当初から決まっている小型航宙艦で降りる手順を実施するよう書かれていた。
「いよいよね。ここでオベリスクを残して、白鯨号に乗り換える……。何か変に緊張するわね」
キャロルが小声で漏らすと、フローラは静かに目を伏せる。
「私も同じ気持ちですわ。何しろ、こんなに大勢の武装艦艇がいる環境だもの。でも、逆らわずに従っておけば問題ないはず。クルト伯爵が許可を出している以上、私たちに危害を与える理由はないでしょう」
「まあ、従う他ないさ。フローラ、キャロル。二人とも準備をしたら第1ドックの白鯨号に集合だ」
「了解しました。……キャロル、潜入工作用の準備よ? 間違ってもキマイラは連れていけませんからね」
「わ、分かってるもん! けどパワードスーツくらいは必要よね……え、ダメ?」
カイがそんな二人を見て、静かに息をつく。
――これから向かうは伯爵の住まう惑星シューマリオン。果たしてそこで何が待ち受けているのか。
言い知れない不安を感じていたが、未だ言い合いを続けるフローラとキャロルを見て、カイは少しだけ肩が軽くなった気がした。
白鯨号がゆっくりと要塞内のドックを進む。
周囲の警戒センサーが艦体をスキャンするのが、コンソール画面に表示されるが問題はない。
やがてゲートが開き、金属壁の向こうに宇宙の漆黒が広がった。
メインスラスターを段階的に出力上げしていくと、白鯨号はスムーズに要塞の外へ滑り出る。
管制から降下軌道の指示が届き、確かに大気圏突入を容認する旨が書かれていた。
カイが操縦桿を少しだけ傾けると、白鯨号は迅速に姿勢を変えて惑星に向け一直線に加速する。
ヴェヒターの瞳が背後に遠ざかり、その金属光が霧のようにかき消えていった。
数分後、白鯨号が大気圏へ突入を始める。コンソールにやや乱流の警告が表示されるが、大気制御パネルを調整すれば問題なく抜けられる。スクリーンの先には、青の海と緑の大陸が柔らかく広がり、雲が層を成している。
「やっぱ地球類似型惑星っていいわよねー。地球なんて一度も見たことないけど、こう、癒されるというか……」
「まあ、地球は人類発祥の地として連邦政府が立ち入りを厳しく制限していますから。それでも資料では、こうした惑星と大差無いとか」
フローラとキャロルは息を呑んで、その美観を見つめた。
カイもまた驚嘆こそしないが、こんなにも豊かな自然があることに対して複雑な思いを抱えていた。
(見た目通り美しい星ってだけなら、よかったんだけどなあ……)
雲の合間を縫うように白鯨号が降下を続け、どんどん地表が近づいてくる。
平野部や小さな集落らしきものが見えたが、カイたちが指定された着陸先は“公的マップには何もない”場所だった。何を隠しているのか、想像すると背筋が寒いほどだ。
「さて、行くぞ……!」
白鯨号はエンジン出力を落とし、姿勢を水平に保ったまま高度を微調整する。
そうして指定座標へ接近すると――海や森が切れ、広大なコンクリートパッドが突如姿を現した。
監視塔や装甲車のような車両が点在し、一見して軍事基地のように見えるが、マップ上にはそれら施設は存在しないことになっている。
それを見てカイがわざとらしく息を漏らす。
「やっぱりか……しかも、かなり大きい基地じゃないか。……ここがセイレーン製造の拠点ってところか」
やがてエンジン出力をゼロに近づけ、白鯨号がそっと着地する。
外部カメラの映像には車両を従えた兵士らしい集団が既に待機しているのが映っている。
カイはコンソールをロックし、フローラとキャロルを振り返った。
全員は一瞬だけ熱い視線を交わし、頷き合う。
伯爵の思惑が何であれ、カイが時間を稼ぎ、その隙にフローラとキャロルが基地内部を探る。それが今日の作戦だ。
キャロルは軽く拳を握って見せ、フローラは無言で頷く。
こうして白鯨号のハッチが開くと同時に、三人は新たな局面へと足を踏み入れた―。




