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オベリスクのブリッジに広がる照明は、いつもよりも幾分落とされ、薄明かりの中で重々しい雰囲気を漂わせていた。
各コンソールのディスプレイには、惑星シューマリオンの公転データ、人口統計、さらには宙域の航路情報が次々と表示され、まるでこの先に控える運命を予告するかのように輝いている。
中央部に配置された大型コンソールの周囲には、カイ、フローラ、キャロルの三人が円を描くように立ち、互いの視線と言葉を交わしていた。
「さて――まずは、今回の任務の最優先事項を確認しよう」
カイは淡々と、しかし力強い口調で切り出す。
「今回受けた依頼は、動物園オーナーのアレクサンダーから預かった特殊な荷物と、アデーレ・フォン・リヒテンベルクの毛髪を、クルト伯爵が統治する惑星シューマリオンまで送り届けるというものだ。
これが、俺たちにとっての接点であり、千載一遇のチャンスとなる」
カイの声がブリッジ全体に響き渡る。
すでにノイシュテルン星域で、エクリプス・オパール強奪に関する調査活動を開始してから一ヶ月近くが経過しており、このまま何も成果が得られなければ、時間だけが無情にも過ぎ去ってしまうことを三人は痛感していた。
「ええ、そうですわね。ようやくクルト伯爵に近づくことが出来ましたわ。ここで何とか結論を出しませんと」
フローラの声には、任務の先行きに対する焦燥感と同時に確固たる意志が感じられた。
一方、キャロルはさらに皮肉交じりに提案する。
「私としては、もし伯爵がエクリプス・オパール強奪に関与していないと判断できれば、あの毛髪の受け渡しを取りやめ、即座に逃走するのも一案だと思うわ」
キャロルの言葉に、ブリッジ内は一瞬静まり返る。
確かにクルト伯爵がエクリプス・オパール強奪にほとんど関与していなければ、現状維持も可能だとカイは考えた。
すなわち、その場合アデーレの毛髪を手渡す必要はなく、むしろ即座に撤退して逃走する道を選ぶのが賢明だという結論に至る。
続けて伯爵の陰謀を明らかにするため、アデーレを通じて選帝侯に直訴すれば、クルト伯爵の企みは完全に潰える。
その戦略が成功すれば、帝国の七大選帝侯に対して恩を売ることもでき、アデーレから託された大切な証も守り抜ける。
こうすれば、後の活動において後顧の憂いなく次の局面へと移行できるはずだ。
ただ、カイは冷静に自戒した。
――その道を選ぶ際には、多少の荒事を覚悟せざるを得ない。現実は甘くはなく、どんなに計画を練っても、予期せぬ混乱や衝突は必ず起こるものだと彼は重々承知していた。
カイのそうした考えを肯定するかのように、フローラがキャロルの案について懸念事項を述べる。
「キャロル、あなたの案はあくまで理想論に過ぎませんわ。もし作戦を実行するなら、まず一度クルト伯爵に渡った毛髪を取り戻さなければならない。それがスマートに奪還できれば、事態が露呈する前に惑星を離脱出来る可能性もゼロではありませんわ。
けれど、失敗すれば伯爵の私兵に囲まれるのは火を見るよりも明らか。数の暴力の前では、我々3人という数は到底互角には戦えません」
フローラの声は穏やかだったが、その表情には危機を鋭く見通す冷徹な光が宿っていた。
一方、キャロルは口をとがらせるようにして肩をすくめる。
「動物園で買ったキマイラとパワードスーツがあれば、何とかなると思うけど。少なくとも、私たちの戦闘力なら多少の私兵くらい――」
言いかけたキャロルを横目で見て、カイは呆れたように首を振る。
「そんな物々しい装備で伯爵のもとに乗り込むのか? 却下だよ」
キャロルは反論を噛み殺すように口を閉じ、肩をすぼめた。
それでも諦めきれない気配を漂わせているが、カイとフローラの視線を前に、しばらく黙するしかない。
「ただ、もしクルト伯爵がエクリプス・オパール強奪に関わっていないと判明した場合は、キャロルの案も一概に否定はできませんわ。一旦渡ってしまった毛髪を奪還する必要があることには変わりありませんけれど。まずは伯爵が本当に関与しているのかどうかが重要ですわね」
「要するに、伯爵の関与が低いなら即撤退。関与が強いなら粘って情報を集める。そんなところか」
では逆に関与の疑いが強い場合はどうするのか。
カイがそう考えたのを見計らうかのようにしえ、フローラは薄く微笑んだ。
「その場合、今回のミッションは情報収集に徹することになります。時間の許す限り最大限の情報収集を行い、その後は安全を確保するため一旦惑星を離脱しますわ。そうした後に、きちんと情報を精査するのが得策でしょう。クルト伯爵の関与がどれほどなのか――主犯なのか、実行犯なのか、もしくはただの援助役に過ぎないのか。なぜエクリプス・オパールを強奪する必要があったのか、その背景まで調べなければなりません」
カイは腕を組み、その先を促すように頷く。
「具体的には?」
「まずは伯爵の屋敷に潜入して、私室などから情報を収集する。これはキャロルが適任でしょう……必要があれば、私も加わります。けれど、何より大切なのは“時間”を稼ぐこと。これはカイ様が伯爵との対談をうまく引き延ばして、その間に私たちが動ける余裕を作ってください」
「潜入工作は任せて!」
「いや、対談を引き延ばす……って急に言われても困る。けど、やるしかないんだろうなあ」
カイは困惑気味に唇を曲げるが、フローラはきっぱりと言い放つ。
「ええ。そうしていただきます。クルト伯爵はもともと権威を重んじる性格という話ですし、相手を尊重する態度を取れば、それなりに言葉を交わす時間は得られるはず。カイ様の話術に期待してますわ」
「……はあ、分かったよ」
まるで既定路線であるかのように言われ、カイは小さく肩をすくめる。
こうして、惑星シューマリオンでの活動方針がざっくりと定まったところで、三人は次なる議題に移る。
それは、アデーレの毛髪と共に託された特殊な荷物についてだった。
オベリスク内の広大なカーゴデッキへと足を踏み入れると、目に飛び込んできたのは重厚な専用コンテナだった。
アレクサンダーから惑星シューマリオンまでの輸送を任された品――セイレーンの返却依頼品だ。
強化金属製の装甲板に覆われ、その表面にはいくつもの封印が並んでおり、一目でただの積み荷ではないと分かる。
「……これが動物園が密かに売り込んでいる『セイレーン』か」
カイはコンテナの外装を指先で軽く叩く。すると、鈍い金属音が響き渡った。
どう見ても容易にはこじ開けられない。
その硬質な質感を前に、彼はひそかに息を飲むが、同時にハッキングによる封印解除の段取りを頭の中で組み立て始める。
「じゃあ、早速封印を解きましょうか。問題はセキュリティレベルね……」
キャロルが携帯端末を操作しながら呟く。
その表情は、目の前の厳重さにわずかな警戒を宿しているように見えた。
フローラは周囲に視線を走らせている。カーゴデッキ内の監視システムや警戒モードを常にチェックし、不測の事態に備えているのだ。
「……さて、どんな仕掛けがあるか、やってみますか」
カイが腰のツールポーチからクラッキングデバイスを取り出す。
ディスプレイには電子パルス解析用の画面が映し出され、複雑なコードが次々に流れ始める。彼が軽く舌打ちするように息を漏らした。
「随分、しっかり暗号化されてるな。……ただ、破れないほどでもなさそうだ」
こうした作業についてはそこそこ手練れとなったカイにとっては、時間こそかかるが不可能ではない。
コンテナの側面に小さなパネルを開き、内部の端子へケーブルを接続する。
すると、画面にエラーコードが数行走るが、慣れた手つきでキーを叩き、セキュリティバイパスを試行していく。
「ご主人様、どう?」
キャロルが少し離れた場所から問いかける。
彼女はバックアップとして別の端末を起動し、万一コンテナ側が警報を発し始めた場合に備えていた。
「もう少し……。あ、来るぞ」
カイの呟きと同時に、コンテナの封印パネルが赤い警告を点滅させる。
だが、カイはタイミングを逃さず別のコマンドを打ち込み、警告を強制停止させた。
フローラがちらりと画面を覗き込むと、まだ未知の言語IDが混じる複雑なコードが延々と走っているのが見える。
「さすが動物園……。こんな厄介な暗号化を用意しているなんてね」
キャロルの声にも、どこか感心した様子が含まれていた。
「……破れないレベルじゃない。もうちょっとで完全にバイパスできそうだ。……よし、いける!」
カイが最後のコマンドを入力すると、パネルの赤い警告はすうっと消え、代わりに低い金属音がコンテナ全体に反響した。
カイは汗ばむ手のひらを一度拭いながら、緊張から解放されたように息をつく。
「封印システムが解除されたわね。……開くわよ、準備はいい? お姉様」
キャロルが確認を取ると、フローラは周囲を見回し、異常がないことを確かめてから頷いた。
カイもデバイスを仕舞い込み、「大丈夫だ」と短く答える。
緩んだロックが外れると、コンテナの巨大な扉がゆっくりと開いていく。
内部にはカプセルが複数並び、そのうちの一つには、半身が人、半身が魚のような姿をした、美しいセイレーンが眠っているのが見えた。
しかし、時折彼女の身体がかすかに震え、何かに苦しんでいるのが分かる。
「……こりゃあ、ただの展示品とは思えないわね」
キャロルがスキャナを取り出し、セイレーンの生命反応を読み取る。
カイはやや身を乗り出すようにして、その結果を覗き込んだ。
「キャロル、どうだ?」
「……ご主人様、これ見て。バイオロイド特有の組織パターンが確認できる。しかも、これ……」
表示された解析結果を見て、フローラが小さく息をのむ。
「驚きましたわ……。このセイレーン、私たちと同じ基盤技術を使っているようです。ただし、設計思想はまるで違う。私たちは戦闘用に作られましたが、この子たちは……娯楽用と言ったほうが良いかもしれません」
「娯楽用、ね。確かに、陳列されて鑑賞されるのが前提なら、あの魚のような下半身も“見世物”としての設計だろう。だけど、どうにも不穏な感じがするな」
カイは目を細めながら、カプセルのセイレーンを見つめる。
時折、苦痛に耐えるかのような表情が浮かぶのが気にかかった。
「つまり、私たちの技術がどこかへ流出したってこと?」
キャロルが尋ねると、フローラは深く頷いた。
「ええ、その可能性が高いと思います。しかも、彼女たちの脳構造部分に見覚えがありますわ。以前に脳転写実験施設で確認した物と酷似していますわ。……つまり、おそらくは帝国軍特別情報局が絡んでいるのでしょう」
「つまるところは、このセイレーンは連邦のバイオロイド技術を使った帝国製バイオロイドってところか」
「はい。もしかすれば、この半身半漁の形態についても実験的な意味合いが強いのかもしれませんわ」
その言葉に、カイはわずかに顔をしかめた。
特別情報局――解散させられたはずの帝国軍の諜報局が関与しているとなれば、事態は一層ややこしくなる。
「となると、伯爵が第2息女を模したセイレーンを作ろうとしているのも、ただの道楽や嗜好ってわけじゃなさそうだな。もっと大きな計画が裏にある可能性も……」
カイは独り言のように言いながら、セイレーンの眠るカプセルをもう一度見やる。
薄い液体の向こうで、美しいその姿が、まるで儚い人形のように見えた。
「……もしクルト伯爵や特別情報局がエクリプス・オパール強奪に関わっているなら、動機は何なのか。セイレーン製造とどう繋がるのか。少なくとも、私たちが思っている以上に、この星域の裏で大きな陰謀が動いている可能性がありますわ」
「いずれにせよ、まずはクルト伯爵と会って話をするしかないな。俺ができる限り時間を稼ぐ。その間、お前たちは屋敷で情報を掴む。エクリプス・オパール強奪、特別情報局の影、セイレーンの技術――全部が繋がっているなら、何かしら引っかかるはずだ」
カイの言葉に、フローラもキャロルも黙って頷く。
三人の中には、緊張と覚悟が否応なしに高まっていた。
――特別情報局の影、伯爵の動向、エクリプス・オパール強奪の目的。
交わり合う陰謀の糸を解き明かすべく、彼らは今まさに、新たな局面へと足を踏み入れるのだった。
リアクション、いつも感謝してます。




