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7-27

 カイたちが案内された先は、ホールから少し離れたサロンだった。

 壁にはブラウンシュバイク公爵家の由緒ある紋章や、過去の戦勝を描いた油絵がかかり、ソファやテーブルには上質な装飾が施されている。

 そんな部屋の中央に据えられたソファで、アデーレが座って待っていた。

 部屋の中には護衛と侍女が一人ずつと、さすがに舞踏会のメインホールほど視線が多いわけではなく、ここなら多少気兼ねなく話ができそうに思えた。


「お待ちしておりました、アサミ様。そして、お連れの方々。先ほどのダンスの間だけでは十分にお話が聞けませんでしたので……」


 アデーレはそう言いながら、申し訳なさそうに微笑む。

 その姿は先ほどのダンスのときよりも、ずいぶんリラックスしているようにカイの目に映る。

 そうして彼女に促されるようにして、カイは向かいのソファへ腰かけると、その左右にフローラとキャロルが腰を下ろす。

 護衛の目は依然として厳しいが、その姿はアデーレの警護としての職務を全うしているという感じだ。


「それでは、早速先ほどの……“辺境で見つけた航宙艦”の話を聞かせてください! 私、気になってしまって……そもそも廃棄されていた船とは、どんなものだったのでしょう!?」


 その姿は純真そのもので、さながら子供が絵本をねだるような素直さで問いかけてくる。

 先ほどで心を許したのか、今のアデーレの姿はそれまで見せていた静謐さは鳴りを潜めて、明るく活発的な印象をカイに与えていた。

 カイはそんな彼女を前に苦笑いを浮かべながら、フローラがときおりフォローする形で、当時の状況を解説していく。

 

 艦の構造がどれほど古く、何の用途で使われていたか、内部に残されていた記録がどれだけ朽ちていたか。

 途中、キャロルが「そろそろ私と合流した話もして」と頬を膨らませてカイに催促すると、アデーレはくすりと笑い声を立てる。その様子に護衛と侍女が、他人には見せたことの無い親愛の笑顔を向ける彼女の姿に驚いていた。


(よし……悪くない雰囲気だな。しかし、チャンスは相変わらずない……か。フローラとキャロルに周りを何とか引き離してしてもらうか……?)


 ただ、カイとしてはかえってアデーレの純真さに胸がチクリと痛む思いだった。

 任務のために彼女に近づいているという事実が、なにやら()()()()()()を呼び起こす。

 

 ここで毛髪の一本でも入手できれば、自分たちの仕事としては成功だ。だが、そのために彼女との素直な交流を利用しているのだと考えると心が晴れない。

 とはいえ、今の状況では護衛がいつ何を疑うか分からず、まさか無理やり毛髪を抜くような暴挙はできようはずもない。

 カイは虎視眈々と機会を窺いつつも、アデーレの笑顔を前に複雑な思いを抱いていた。

 

 それはフローラとキャロルも似た思いがあるのだろう。

 彼女たちは終始笑顔を保ちながらも、少しばかり緊張しているのがカイの目からも窺い知れる。

 それでも、アデーレの天真爛漫とも言える反応に対し、二人は優しくうなずいて話を続けた。


「……そんなわけで、スターバザールは巨大な航宙艦だったわけです」


 カイが一旦は締めくくると、アデーレは「凄い、凄いです! いいなあ……」と声を上げ、瞳を輝かせた。

 だが、やがてその瞳が時計の方向へふと向く。

 侍女が、そろそろ時間ですと控えめに声をかけたのだ。アデーレはそれに対し寂しそうに微笑み、頷いた。


「ふふ……楽しい時間というのは、どうしてすぐに過ぎてしまうのかしら。もう少し、皆さんのお話を聞いてみたかったのに」


 アデーレは名残惜しそうに呟く。

 もちろん、このあとの舞踏会の進行もあったし、アデーレ自身が顔を出さねばならない場面もある。

 立場上、これ以上ここに閉じこもってはいられないのだ。


(くそ、もう時間か。だが、ここを逃せばもうチャンスはない……どうする……!?)


 カイが焦りながらも思考を回転させる中、頭の隅で()()という二文字が浮かんだ。

 フローラやキャロルも同じことを考えていたらしく、二人とも「どう動く?」という視線をカイに向けてくる。

 だが、護衛の視線がきつい中で不審な行動を起こせば、すべてが台無しになってしまう。今回ばかりは任務を諦めるしかなさそうだ――そんな予感が、カイの胸を重くした。


 しかし、そんな空気を一変させる出来事が起こる。

 アデーレがふっと何かを思い立ったような顔をして、ドレスの脇に隠れるように携えていた小さな短剣を引き抜いたのだ。

 その一瞬の動作に、護衛や侍女たちが一斉に息を呑んだ。

 同時にフローラとキャロルも即座に反応し、腰を落としてカイの左右にピタリと張り付き警戒態勢を取る。

 

「ッ!?」

「ア、アデーレ様、いけません!」

「一体、どうなさったのですか――」


 その場にいた全員が騒然とする中で、アデーレだけは冷静に、そして決意に満ちた瞳で自分の髪の一房をスッと切り落としてしまう。

 まさかの行動に、カイはもちろん、フローラとキャロルも言葉を失った。

 護衛と侍女は彼女の行動に小さな悲鳴を上げていた。

 だが当人はそんなことなど気にする様子も無く、切り落とした髪を軽く束ねると、震える手でカイのほうへ差し出してくる。


「アサミ様……いえ、カイ様。帝国古来の言い伝えでは、戦場に赴く勇士に髪を持たせるのは、その無事を祈る証とされます……。私はお話を伺って、カイ様がどんな危険な冒険をしてきたのか、改めて思い知らされました。

だから……どうか、これを受け取ってください。再会を願う気持ちを込めました……」


 その表情は穏やかで、けれど少し上気しているように見える。

 護衛や侍女たちは驚愕のあまりアデーレを止めようとするが、彼女の意思は固い。

 カイからしてみれば、あくまで髪を切っただけなのだが、周囲の者達の反応を見るに、彼女の取った行動は()()()()()()であることは明白だった。


「え……いや、そんな……」


 カイは混乱し、思わず尻込みしかけるが、アデーレは首を横に振って微笑む。


「これは私の意思です。私だって、ずっと守られるだけじゃなくて、自分がしたいことを選んでいいはず……カイ様のお陰でそう思えるようになりました! そして、そんなカイ様がまた危険な航海をされるかもしれないと考えたら、いてもたってもいられなくて……。

突然、こんなものを渡すなんておかしく見えるかもしれません。けれども私は……」


 その眼差しは純粋で、まっすぐな少女のものだった。

 カイは胸が痛む。これこそが――任務で求めていた“遺伝子サンプル”そのものだ。

 だが、それ以上に、アデーレの想いのこもった贈り物でもある。

 

 だからこそカイは、真正面から彼女の気持ちを受け止めるべきだと思った。

 カイは静かにソファーから立ち上がると、ひざまずいて手を伸ばし、恭しくその髪束を両手で受け取る。

 誰に教えられたのでもなく、ごく自然に、()()()()()()なのだと感じての行動だった。


「……ありがとうございます。大切に預からせていただきます」


 顔を上げると、アデーレは安心したように小さく笑みを浮かべていた。

 護衛と侍女はその様子にあたふたしながらも、その場でアデーレを責められない。なにしろカイが正式な所作で受け取った以上、契約はなされてしまったのだから。

 そして何より、それがアデーレ本人の意思ということは、誰の目にも明らかだった。


 一方で、そんな姫と騎士を彷彿とさせる二人の姿を見て、傍らにいたフローラとキャロルは目に見えぬようにして拳を握りしめている。その意味するところは複雑だ。

 任務達成の喜び、安堵……そして激しい嫉妬が入り交じっている。

 だがそれらを決して表に出すことはしない。燃え(たぎ)るような感情を抑え込み、努めて冷静にその場を静観していた。

 

 だからこそ、フローラはある異変に気付く。

 それはカイが受け取ったアデーレの一房の髪――それは、()()していなかった。


(髪が分解されない……?)


 通常では考えられない現象だった。

 貴族の毛髪は、体から離れれば短時間で分解・消失する。それがこの帝国では常識ともいえるルールだ。

 にも関わらず、カイの手の中にある一房は、まるで何事もなかったかのように形を保っている。


 その秘密の鍵――それは先ほどの短剣に何か秘密があるのかもしれない。

 恐らく、あれが分解を抑える役割を果たしたのだろう。


 フローラは胸の内でそう推測しつつも、無粋な詮索は慎むように黙したまま、かすかに視線を逸らした。

 アデーレの純粋な想いが込められた証を前に、今は問いただすべき時ではない。

 ともかく、これで髪は消えることなくカイの手元に残る。フローラはその事実に胸をざわつかせながら、一方で任務上の成功を確信する自分自身を、どこか後ろめたく感じていた。


「次にお会いするとき……そのときもカイ様はきっと、いろんなお話を聞かせてくださるのでしょう? 楽しみにしています」


 アデーレは微笑みを浮かべてカイを見つめている。

 そこにあるのは、リヒテンベルク家の威光ではなく、一人の少女としての純粋な期待。

 カイはその眼差しにやわらかな笑みを返し、深く頭を下げた。それから一歩遅れる様にして、フローラとキャロルも礼を取る。


 こうして、思いがけない形でアデーレの髪を受け取ったカイたちは、短い別室での会合を終えた。

 アデーレは護衛や侍女たちに囲まれて再び舞踏会の表舞台へ戻っていき、カイたちはその背中を見送りながらサロンを後にする。




 舞踏会の後半もある程度顔を出したものの、カイたちはさほど長居をせず会場を後にした。

 公爵も特に引き留める様子はなく、「何か困ったことがあれば連絡を」と穏やかにカイたちを送り出した。


 三人はオベリスクが待つスターポートまで、無人のフロートカーに乗り無機質な道路を移動している。

 窓の外を見やると、華やかなライトアップが遠ざかっていき、街灯の少ない区画に差し掛かった。


 車内での会話は、しばらく沈黙が続いた。

 特にカイは、手の中にある小さな布袋――アデーレが渡してくれた髪束を丁寧に包んだものを眺め、複雑な表情を浮かべている。


「……やったわね、ご主人様。任務としては完璧すぎる成果じゃない?」


 最初に口を開いたのはキャロルだったが、どこか浮かない声色だ。

 彼女の言葉通り、本来の目的はアデーレの遺伝子サンプルを入手することにあった。それがこんな形で手に入るとは、カイ自身考えてもいなかったが、結果だけ見れば大成功だ。

 フローラも同じ思いであるらしく、重々しく頷く。


「そう……ですわね。ごく自然な形でサンプル入手に成功した。依頼主もこの報告には大喜びするでしょう」


 それでも、語尾に含まれる苦さは隠せない。

 カイは小さく息を吐き、手のひらの中の髪束を見つめたまま口を開いた。


「……正直、抵抗があるよ。これはアデーレ……彼女の祈りだ。俺たちの無事を願って、それから次の再会を願って、そう言って渡してくれたものだろう? それを、ロクでもない計画に使われると知っていて提出するなんて……」


 カイは決して甘い人間ではない。

 だが、あのアデーレが見せた純粋な気持ちを踏みにじるような行為は避けたかった。

 少なくとも、これがただの一房の髪という認識では済まされないという強い思いがある。


 フローラはそんなカイの感情を察して何か言いかけるも、すぐに唇をかんで口を閉ざした。

 キャロルもまた、あえてカイから顔を背ける様にして窓の外に視線をやりながら首を振った。


「ま、すぐに結論を出さなくてもいいんじゃない? 依頼主に連絡するまで、多少の猶予はあるもの。しっかり考えて、答えを出しましょ」


 車内には再び静けさが降りる。

 その中で、カイの頭には今夜の出来事が次々と去来していた。

 舞踏会で出会ったアデーレの笑顔、彼女の不安、そしてあの場で見せてくれた勇気――どれもが、カイの胸の奥に鮮烈に刻まれている。


(俺は、アデーレの信頼にどう応えればいいんだ?)


 ――アデーレと踊った、ほんの短い時間。けれど、その時間が、今後の彼とアデーレの運命を大きく左右するのかもしれない。

 カイはそっと髪束を胸元に引き寄せ、苦笑まじりにもう一度小さく息を吐いた。


「……本当に、どうすりゃいいんだか」


 行き場のない問いかけが宙に溶けるなか、フローラとキャロルは特に言葉を返さなかった。

 フロートカーは暗い街路を滑るように進む。

 遠くに見える光が揺れて、まるで異国の星にでも向かっているかのような錯覚を起こさせる。

 舞踏会の煌びやかな音楽はもう聞こえないが、カイの耳には今もワルツの残響がかすかに蘇っていた。

過去最長となってしまった第7話は、ここまでとなります。

ここまで読んで頂きまして、ありがとうございます。

第8話の開始は1月27日からを予定しております。


また、毎度のお願いで恐縮です。

よろしければ、評価のほど。どうぞ、よろしくお願い致します。

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