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7-26

 カイは意を決したように足を踏み出した。

 先ほどまで公爵と対面していたときよりも、鼓動が高鳴っているのを自覚している。舞踏会の中心へ近づくほど、上流貴族たちの視線がひしひしと伝わってきた。

 実力や経緯はどうあれ、表面上はただの独立パイロットである彼が、リヒテンベルク選帝侯の娘――“神聖の姫君”アデーレ・フォン・リヒテンベルクへ近づこうとしているのだ。周囲がざわつくのも無理はない。


 しかし、そのざわめきを気にかけている余裕は今のカイにはなかった。

 何度か深呼吸を繰り返し、自分自身を落ち着かせる。わざわざブラウンシュバイク公の後押しがあったのだから、逃げるわけにはいかない。

 周囲を僅かに見回すと、公爵は何事もなかったかのように他の来賓と談笑しているが、その瞳だけはカイの行方を追っていた。

 まるで「さあ行け」と背中を押すかのような視線を送ってくる。

 

(……これで断られたら、俺が笑い者だな)


 軽く唇を噛みながら、カイは進む。

 やがて、メインテーブルに近い場所に用意された特等席が視界に入った。

 そこには真っ白なドレスに身を包んだアデーレが、まるでそこだけ隔離された小宇宙のように凛とした空気を放って座している。

 その姿は周囲の華やぎとは少し違う静謐さを帯び、決して他を寄せつけぬ神聖さを放っていた。だが、どこか心細げでもあった。


 テーブルの脇に立つブラウンシュバイク公の側近と思しき騎士が、カイの接近に気づいて少しだけ動いた。

 しかし、カイが公爵からの許可を得ていることを察したのか、騎士は無言のままアデーレのほうへ視線を投げる。

 

 するとアデーレが、その視線を追ってカイの姿を捉えたらしい。

 徐々に近づいてくる彼の姿に、アデーレはわずかに目を見開いた。まさか、本当にやって来るとは思っていなかったのかもしれない。


 カイは適切な距離を保つと、アデーレを正面から見つめ静かに一礼した。

 見れば、アデーレの瞳は緊張と戸惑いに揺れている。

 だが、彼女はなんとか優雅な微笑を作ろうとしているのがわかった。ドレスの裾を整える彼女の動作がかすかに震えているのが少しだけ微笑ましい。


「お初にお目にかかります、アデーレ様。ブラウンシュバイク公爵様から、光栄にも紹介を受けたカイ・アサミと申します。もしよろしければ……」


 そう口にするとき、カイの胸は鳴り響く心音でいっぱいだった。

 言葉に詰まってはいけない、失礼をしてはいけない――頭ではわかっていても緊張は隠せない。

 何よりも、アデーレの神々しさと同時に、“か弱い小動物”のように身をすくませる雰囲気がカイの保護欲をかき立てていた。


(んーなんだろうな……この感じ)


 ――彼女を前にすると、単に任務だからとか、公爵からの頼みだからという以上の、()()()()()()()()が芽生えてくる。

 思わずその意識に引っ張られてしまいそうになるも、カイは強引に頭を左右に振って、その雑念を振り払った。


「ええっと……もし、差し支えなければ、踊っていただけますか?」


 カイは言葉に詰まりかけながらも丁寧に、できる限り穏やかな口調で問いかけた。

 アデーレがどれだけ苦手だとする舞踏会の場であっても、ここで踊ることは彼女の大切な一歩になるはず。

 実際、彼女の緊張をほぐすには、踊りそのものがちょうど良い手段でもあるだろう。


 アデーレは、さらに緊張した面持ちになりながらも、カイの手元へ視線を落とす。

 見れば、カイが差し出す手はほんの少しだけ震えている。

 だが、その震えはアデーレも同じだ――そのことに気付いた彼女は、ほんの少し微笑みを深くし、か細い声で「はい……」と答えた。

 その瞬間、周囲で二人のやり取りを見守っていた貴族たちの間で、低いざわめきが広がる。

 

「まさか神聖の姫君が、あのような者と……」

「そんな、あり得るのか? せめて、最初に誘うべきは貴族であるべきだろう」

「これだから青い血を持たぬ者は……」


 カイに周囲の視線が突き刺さる。

 だが、その中の何人かが不敬極まりないなどと舌打ちしかけた途端、ブラウンシュバイク公が遠くから咳払いをひとつ。そして、その意図を理解している側近たちが周囲へ鋭い視線を飛ばす。

 すると、それまで少し騒がしかった人々の声が一瞬でかき消された。


 だがアデーレもカイも、公爵のそんな行動までは気付いていない。

 二人はすでに、ワルツの調べに合わせてホール中央へ向かっていたからだ。

 緊張もあって、周囲の動向を気にする余裕がない。


 それでも、見よう見まねで貴族らしい礼を取り合い、自然な流れで手を取り合いながら踊りの輪へと加わっていく。

 カイがまず驚いたのは、アデーレが実に軽やかなステップを踏むことだった。

 

(流石は選帝侯の娘だ……基本的な礼儀作法やステップはしっかり叩き込まれてるんだな)


 フローラとの地獄の特訓で培った自身のダンス技術を活かしつつも、アデーレの動きにあわせて微妙にリードを変えていく。

 アデーレは軽く身を委ねるようにして、カイのステップを受け止めている。

 お互い多少ぎこちないとはいえ、場の雰囲気を乱すほどではない。むしろ、慣れない者同士が互いに気遣い合っている空気が、二人の姿をほんの少し微笑ましく見せているようだった。

 穏やかな旋律の合間、カイはアデーレにそっと声を掛ける。


「実にお上手ですね。俺なんか、顔が引きつってないか心配ですよ」


 そう冗談めかして囁くと、アデーレは一瞬目を丸くし、それから控えめな笑みを浮かべた。


「いえ……幼少の頃から、家庭教師にダンスも習わされていました。でも、こうして人前で踊るのは久しぶりなので……やっぱり緊張します」


 その声は相変わらず小さく、か細い。けれど、先ほどよりも頑なではない。

 

「実は俺も、ここに来る前に仲間から叩き込まれたんです。いや、本当に大変だったんですよ。……フローラの鬼教官ぶりは想像を絶するものがありまして」

「フローラ……先ほどご一緒にいらした方でしょうか? とても聡明そうに見えましたわ」

「はい。彼女ともう一人、キャロルという仲間も一緒で、俺たちは三人でチームを組んでやっているんですよ」

「まあ、そうだったんですね」


 やがて曲がひと段落し、二人はワルツのステップを緩めて再び円を描く。

 カイは自然な流れでアデーレの手を引いたまま、小さく息を整える。すると、アデーレが控えめに口を開いた。


「アサミ様は独立パイロットでいらっしゃいますよね。やはり、色々な冒険譚をお持ちなのでしょうか? ……その、噂になっている“騎士道物語”のような、そんな冒険を重ねてこられたんですか?」

「あー……まあ、無いことも無いって感じですね。実際は運がよかっただけなんです。ほら、海賊相手のときも、あちらが油断してたからこっちが勝てたようなものですし」


 照れくさそうに答えるカイを見て、アデーレは少し顔を上げる。


「……運だけで何度も勝てるわけがありません。きっと、何か大切なものをお持ちだからじゃないでしょうか。是非ともお話が聞きたいですわ」


 ――その瞳からは、ほんのわずかに尊敬と好奇心がうかがえる。

 カイは瞬時にそれを見抜いて、ここで場を和ませるために、いくつかの“冒険譚”を簡単に話してみることにした。


「それじゃあ……とあるステーションで、多数の追跡者から狙われる荷を運んだ時の話をしましょうか。あれはまだフローラと二人組みだった時なんですけど……」


 そう言いながら、カイは踊りつつも出来るだけ簡潔に冒険を語っていく。

 多数の追跡者から狙われながらも荷物を運んだ話や、古い座標信号を追って廃棄された航宙艦を見つけたときのスリル。暗い基地内を探索して出くわした凶悪な防衛システムに冷や汗をかいたこと。

 

 カイの口から語られる回想の一つひとつが、アデーレにとっては刺激的な異世界の出来事のように感じられていた。

 曲のテンポに合わせてくるくるとステップを踏みながら、彼女は表情を生き生きと変え、「すごい……」「怖くはなかったのですか?」と驚きの声を上げる。


(……こうして見ると、案外と普通の女の子なんだよな)


 カイは心の中で微笑む。

 この場にいるのは、確かにリヒテンベルク選帝侯家の姫君だ。

 だが、その実態は少し気弱で、冒険話に夢中になる可憐な少女。おそらく彼女は、ずっと家の格式や周りの期待に縛られ、自分自身の楽しみを追いかける機会が少なかったのだろう。

 だからこそ、こんなにも素直に興味を示すのかもしれない。

 

 一方で、カイもアデーレがどうして今この舞踏会に出ることになったのか、その背景をもう少し探りたいという思いがあった。

 彼女の背景を知ることは、彼女に執着している可能性の高いクルト伯爵の真意を知ることにも繋がる。

 直接本人の口から聞けるチャンスなど、今後再び巡って来るなどとは思えない。ならば、この機会を逃すわけにはいかない。


「アデーレ様は……今回の舞踏会、かなり勇気が必要だったんじゃないですか?」

「……実は私、リヒテンベルク家の末席に近い存在なんです。五人兄姉がいて、皆さん優秀で。私も礼儀作法は教えられましたけど、それは最低限の立ち居振る舞いをするためで……。

本当はもっとたくさんの学問や、政治のやり方なども身につけないといけなかったのに、お兄様やお姉様たちみたいには……うまく、できませんでした」


 そこには、きちんとした言葉遣いながらも、一抹の寂しさがにじんでいた。


「周りは……ある意味、私に期待をかけなかったんです。私が無理をしないように、傷つかないように――って。お兄様やお姉様たちのように表に出て成績を残したり、大きな場で発言をしたり……そんなことは一度もありません。

だから、あの人たちが『神聖の姫君』って呼んでくれるのも……何と言うか、実力が伴わないのにただ有り難がられているようで、恥ずかしくなるんです」


 最後のほうは、声がかすれていた。

 周囲の目をはばかってか、少しうつむきがちに踊る彼女の手が、ほんの少し震えているのがわかる。

 カイはその手を握りなおし、励ますようにわずかに力を込める。


「では、どうして舞踏会に出ることに決めたんですか?」


 そう尋ねると、アデーレは一瞬だけ顔を上げ、照れたように微笑んだ。


「……そろそろ、変わらなくちゃいけないって思ったから。私……いつまでも兄姉の陰に隠れて、何もせずに守られるだけなのは嫌なんです。自信はないし、怖いけど……少しでも自分の意思で社交の場に立ってみたい。それに家族も、それを望んでくれました」


 ――カイはその言葉に、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。

 きっと彼女は、ずっと自分に自信が持てなかったのだろう。

 周囲の過剰なまでの配慮が、むしろ彼女の自己肯定感を削ってきたのかもしれない。だが、今ここで、勇気を出して舞踏会に復帰しているという事実は、まさに彼女自身の第一歩だ。


(こういうのは、他人が軽々しく励ましたりできないかもしれないけど――それでも、応援したいよな)


 そんな風に考えながら、カイは自然と笑みを浮かべ、心からの率直な言葉を紡いだ。


「……素敵だと思います。初めは誰だって怖いし、失敗もあるかもしれません。けど、そうやって前に踏み出そうとするのは大変な勇気です。少なくとも俺は、アデーレ様はもう変わり始めているのだと思いますよ」


 アデーレはその言葉を聞くと、ほんの少し潤んだ瞳で「ありがとうございます」と答えた。

 そのとき、ワルツの最後のフレーズが場内を彩り、曲が終わりを迎える。二人は動きを止め、踊りの輪の中心でそっと手を離し合った。


「……ありがとうございました。アサミ様。とても、素敵な時間でした」


 ほっとしたような笑みを湛えつつ言うアデーレに、カイも丁寧に一礼を返す。


「こちらこそ、光栄でした。もし、また機会があれば……ぜひ」


 そう告げると、周囲の視線が再び二人を取り囲んだ。

 その多くは羨望や驚きの混じった好奇の眼差しだったが、先ほどブラウンシュバイク公が釘を刺したためか、あからさまな侮蔑や誹謗は聞こえてこない。

 何人かが顔を引きつらせているようにも見えたが、そのあたりは公爵の威光に加え、“神聖の姫君”の威厳ゆえ、余計な言葉を飲み込まざるを得ないのだろう。


 舞踏曲が変わり、新たなペアたちがフロアへと移っていく。

 カイはアデーレに一礼してからフロアの脇へ下がった。

 先ほど別々の相手と踊っていたフローラとキャロルも、ちょうどタイミングを合わせるようにしてこちらへ戻ってきた。


「ご主人様、お疲れさま。それで、どうだった?」

「カイ様、成果はありました?」


 二人の問いかけに、カイは苦笑いを浮かべる。


「うーん……成果という点では、正直失敗だな。ダンス自体は問題なくこなせたんだけど、肝心の“毛髪”を手に入れる機会がなかった。あんなに目立つ場では、例え入手に成功しても保存カプセルに入れるのは不自然だし」


 その答えを聞いたフローラは、やはりというようにため息を漏らした。

 上位貴族の遺伝子データ、これは徹底的に防御されている。

 その毛髪一本ですら、入手は困難だ。何しろ毛髪や皮膚片はごく短時間で分子迷彩技術による分解反応によって消失してしまう。

 今回、カイの懐にはそれを防ぐ保存カプセルがあったが、ダンスの最中に毛髪を入手してカプセルに封入するなど流石に衆人環視の状況では不可能だった。


「まあ……そうでしょうね。私も踊りながら周囲の状況を確かめていましたが、誰もがカイ様たちに注目しておりましたわ」

「うん。もし不自然に髪に触れようでもしたら、また別のトラブルになったわよね」


 キャロルも仕方ないと言わんばかりに肩をすくめる。

 彼女たちが言う通り、アデーレは“神聖の姫君”と呼ばれるほど注目される存在。下手に触れて騒ぎになれば、公爵の顔も潰しかねない。

 あの場で余計なことなど出来なかったという点について、全員の意見が一致するところだった。


「とはいえ、任務としては何とかサンプルを入手しなくちゃいけないんだよなあ……」


 カイは頭を抱えかける。

 だが、その悩みも束の間、何やら場内に動きが生じた。

 公爵の側近らしき人物が、カイたちの姿を見つけてまっすぐ歩み寄ってくる。


「カイ・アサミ殿、フローラ嬢、キャロル嬢ですね。アデーレ様が、先ほどの冒険譚をもう少し詳しく聞きたいとおっしゃっております。お時間があれば、別室にてお話を……とのことですが」


 それを聞いて、フローラとキャロルは顔を見合わせる。そして同時に、カイも驚いたように目を瞬かせた。

 普通、舞踏会の最中に主賓が特定のゲストをわざわざ別室へ招くなど、よほどの興味や意図がなければあり得ない。

 しかもアデーレが自ら望んでいるという。つまり先ほどのダンスで、彼女の心がかなりほぐれたか、あるいはもっと深く話したいと思ってくれたのだろう。


(これは……もしかすると、サンプル入手の大チャンスかもしれない。いや、でもどうだ? 意図的に毛髪を採取するような真似をしたらさすがに不自然だし、彼女の気持ちを踏みにじることになる……)


 ちらりとフローラとキャロルの様子を窺うと、彼女たちは内心で同じように考えているのか、微妙な表情を浮かべながら小さく頷いてみせる。

 カイは逡巡するも、依頼を達成する最後の機会と捉え、意を決してアデーレの招きに応じることにした。

 ――こうして、カイたちは予定外の歓談へ呼ばれることになったのだった。

本当はこのエピソードで7話が終わる予定だったのですが

1万文字超えてしまったので分割しました。

明日、更新予定となります。よろしくお願いします。

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