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7-25

 ブラウンシュバイク公爵の軽妙なスピーチが、静まりかえったホールに鮮やかに響き渡る。

 そして彼が最後の言葉を告げたその瞬間――待機していた楽団が一斉に演奏を始め、場内を華やかな調べで満たした。

 貴族たちはその合図を得たかのように、各々の思惑を胸に行動を開始する。

 

 まるで一斉に舞い落ちる花びらのように、幾つもの視線や会話が散り、自然と複数の輪が生まれては移ろう。

 中央では早くも何組かのペアがダンスを始め、床に描かれた模様の上を優雅に流れるようにステップを踏んでいる。


 けれど、その輪の中心に“神聖の姫君”の姿はまだ見られなかった。

 アデーレは中央に近い主賓席の一角で、すぐそばに控えるブラウンシュバイク公爵や数名の側近とともに静かに腰を下ろしていた。

 ときおり他の高位貴族が挨拶に訪れ、公爵と軽く言葉を交わす。

 

 その隣で、アデーレは穏やかな微笑を浮かべてはいるものの、積極的に口を開く様子はない。

 むしろその美貌は、近寄り難いほどの清廉さを帯びており、広いホールのどの位置から見ても一種の聖域のような雰囲気を放っていた。


 そんな彼女を遠目に捉えながら、カイはどうやってアデーレに近づくか思案している。

 ひとまず、目立った動きを避けつつ彼女の様子を観察していたが、案の定、誰も彼女にダンスの誘いをかけようとはしない。

 舞踏会が始まったばかりとはいえ、高位貴族の令息ですら、あの公爵の隣に座す“聖域”へ挑みかかる度胸は持ち合わせていないらしい。


「やれやれ、やっぱり誰も誘わないわね」


 キャロルが小さくため息交じりに言うと、フローラが苦笑混じりに応じる。


「そうでしょうとも。あのお姿に加えて、立場も背景も格が違いますわ。下手に誘って断られたら、その一件だけで派閥争いの種にまでなりかねない。誰だって尻込みしますわよ」

「私は、むしろ見てみたいけれどね。意気揚々と突撃して玉砕するどこかの令息(命知らず)の姿を」


 キャロルが口の端を軽くつり上げる。

 そんな彼女に、フローラは小声で窘めるものの、その言葉にもどこか愉快そうな響きが混じっていた。

 カイはそのやりとりを苦笑しながら聞きつつ、視線だけはアデーレのもとへ注ぎ続ける。

 やはり、現状では彼女の元へまっすぐ向かうのは愚策だ。公爵も控えているうえ、仮に話しかけたとしても礼儀から問われるだろうし、最悪の場合は“下品な成り上がり者”の烙印を押されて終わりかねない。


(誰かが先に誘ってくれれば、後でこっそりタイミングを作れるんだけどなあ……やはり、ダンスに誘うか? いやけど、他の貴族たちの睨みキツいんだよなあ……)


 カイは心中で大きく息を吐く。

 舞踏会が始まってから、アデーレとの接触の機会を窺い続けていたが、今だにその機会に恵まれていない。

 その間にキャロルから「ダンスに誘え」という案が出たが、実の所、これは悪い手段ではない。

 

 実際、貴族の舞踏会で相手に近づく最も自然な手段はダンスであり、貴族同士であれば踊りながら会話を交わすのは日常的だ。

 とはいえ、あまりに位の差があると、誘うこと自体が非礼になるのがこの世界の厄介なところ。

 しかも相手はリヒテンベルク選帝侯の娘で、複数の星系を治める連星領主(シュテルネンヘル)である公爵と連れ立っている身分だ。

 とてもじゃないが、自分が真っ先に声を掛けていい相手ではない。というところで、カイは様子見に徹せざるを得なかった。


 こうしてカイたちはホールの壁際で小声の作戦会議を続けていた。

 目的はあくまで“アデーレとの接触”――だが、現状ではなかなか好機が巡ってこない。

 舞踏会の注目の中心にいるのは間違いなくブラウンシュバイク公爵とアデーレの二人。にもかかわらず、彼女にダンスの誘いをかける者が一人もいないという状況が続いている。


「いずれ、時間が経てば誰かが思い切って行くでしょうし、その後なら私たちにもチャンスが――」

 

 フローラがそう言いかけた、そのときだった。

 ふと、にこやかな談笑が聞こえ始めたと思うと、先ほどまで主賓席にいたはずのブラウンシュバイク公爵が、数名の側近を率いてゆったりとホールの一角を回り始めたのだ。

 主催者である公爵が、各所に挨拶をして回るのは当然といえば当然。けれど、驚くことに彼の足取りはまっすぐこちらへと向かってくるではないか。


「……まさか……」


 その姿に気づいたカイは、思わず息を呑む。

 まるで他の来賓を差し置いて、まっすぐ自分たちを目指して歩いてくるように見えるのだ。

 いや、そんなことがあるはずがない。公爵のような大物が、たかが独立パイロットに言葉をかけに来るなど、普通に考えればあり得ない。

 ところが、公爵は迷いのない足取りでまっすぐカイたちの目の前に立ち止まり、柔らかな笑みを湛えて声をかけた。


「おや、これはこれは……先ほどから拝見しておりましたが、あなたがカイ・アサミ殿で間違いありませんかな?」


 その問いかけに、カイは驚きと緊張で固まりそうになる。横でフローラとキャロルも軽く息を詰まらせているのがわかるほどだ。

 だが、公爵はカイの強張った様子を気にも留めないように、人当たりの良い笑顔で続ける。

 

「いや、緊張なさることはない。貴方の功績の噂は、私も耳にしておりますぞ。なんでもヴィッテルスバッハ選帝侯が収めるアルテンシュタイン星域、そのヴァルデック侯爵家に星章士として迎えられたとか。海賊を撃退し、侯爵家の危機を救った英雄だと」

「は、はい……その、恐れ多い限りで……」


 何とか返事を絞り出すカイの声は、情けなく震えていた。まさか公爵本人から直接“英雄”扱いされるなど、カイの想像を超えた展開だった。

 だが、そんなカイの困惑などお構いなしに公爵は続ける。


「ほう、まったく傑物がおられたものだ。……ああ、こんなところで恐縮だが、わたしはエルンスト・アウグスト・フォン・ブラウンシュバイク公爵。今回の舞踏会を開いた張本人でね。よろしく頼む」


 言うが早いか、公爵は朗らかに笑って手を差し出す。

 カイは慌てて頭を下げ、手を取って軽く握手の形をとる。まるで旧知の間柄にでも接するようなくだけた態度に、カイの緊張は少しずつ解かれていく。


「独立パイロットの方がここまで活躍してくださるのは大変心強い。ふだん、騎士爵を持つのは大きな貴族に連なる者が多い。しかし、わたしはそうした常識を打ち破る話が大好きでしてな」

 

 にこにこと語る公爵の言葉に、カイは少しだけ眉を上げる。

 どうも彼はその政治的権力にふさわしい余裕を持ちながらも、どこか気さくな一面を見せているらしい。


 一方、フローラとキャロルはというと、公爵の近侍たち――いかにも騎士の出身とわかる風格の男性ら――の視線を意識しながら慎重に言葉を選んでいた。

 だが、公爵本人がこれほどまでに穏やかで、かつ積極的に対話を求めてくれるとは思っていなかったようで、二人とも戸惑いを隠せない。

 しばらく穏やかな雑談が続いたあと、やがて公爵が一度手を叩き、「そうそう」と言わんばかりに声を上げた。


「貴殿ほどの人物が、こんなところで隅に追いやられているのはいただけないな。……星章士というのは、言うなれば“任命した者(ヴァルデック侯爵)の代行”のようなもの。正々堂々と振る舞い、場を盛り上げるのもまた、時には役目ではないかね?」

「は、はあ……確かに、そうした面もあると聞き及んでおります。その、私は貴族社会に疎いところがあるのですが、本当にそのような役目があるのでしょうか?」

 

 思わず自身で口にしてみたものの、何とも言えない違和感がある。

 しかし、公爵はまるでそれが真理であるかのように頷いてみせた。


「そうとも、そうとも。実のところ、わたしには一つお願いがあるのだよ、カイ殿」


 そこで公爵は、ちらりと主賓席のほうを振り返る。

 言うまでもなく、そこには未だに姿勢を崩さず座っているアデーレの姿があった。


「見てのとおり、アデーレは先ほどから踊りの輪に入らないでいる。まあ、あの子は小さい頃から内気で、こうした華やかな場が苦手なのだ。だが、いつまでも“神聖の姫君”などと持て(はや)され、遠巻きにされるばかりでは社交の場になじめない。

わたしとしても、リヒテンベルク選帝侯としても、そろそろ慣れさせてやりたいところなのだ……」


 言葉を選ぶようにしながら続ける公爵の声は、気の置けない老人が孫娘を案じるかのように優しい。

 とはいえ、その内容は貴族社会にとっては極めて重要な問題だった。

 現実は彼の話の通り、あのアデーレに誰も声をかけられないでいる。相手が選帝侯の娘であるがゆえに、もし誘って断られたら面子を失うし、かといって公爵が相手を指名すれば関係を邪推される恐れもある。


「そこで、貴殿に白羽の矢を立てた。……あえて貴族でもない、と言っては失礼かもしれんが、そういう枠にとらわれない立場で“最初の一歩”を踏んでもらいたいのだ」


 公爵はにこりと微笑む。


「もちろん、こちらから誰かに命じてもよいが、それでは()()()()()()()()()()()などとまた余計な憶測を呼んでしまう。だからこそ、星章士たる貴殿が適任なのだよ」


 突然の重大任務に、カイは目を見開いた。

 まさか彼の口からアデーレを踊りに誘うよう促されるとは。


「で、ですが……そんな、身分も何もかも違いすぎますよ。もし嫌がられたら……」

「ははは、アデーレはそんな子ではない。わたしが保証する」


 カイの弱気を、公爵は穏やかながらも有無を言わせない笑みで遮る。

 さらに声を落として、打ち明け話をするようにカイの耳元へ囁いた。


「アデーレは確かに内気だが、心優しく、まっすぐな子だ。わたしが見込んだ星章士殿ならば、彼女も断るようなことはしないだろう。第一、わたしも彼女の父君も、こうして社交界へ出るのは必要だと思っているのだ。

どうか、彼女に舞踏会の楽しさを教えてやってくれんか」


 公爵の言葉には、隠しようのない温かさがにじんでいる。政治的思惑が絡んでいるとはいえ、アデーレを大切に思い、彼女の未来を案じている気持ちは確かに本物だろう。

 一息ついて、カイは公爵の顔をまともに見やった。


「ふぅ……わかりました。不肖の身ながらもやってみます」

「何、貴殿ならば大丈夫だ。わたしはそう確信しているよ」


 ブラウンシュバイク公爵の朗らかな声が、周囲の空気を柔らかく変える。いつの間にか、周囲にいた貴族の何人かが興味深そうにこちらの様子を窺っていた。

 その様子を目にしたカイは、逃げ道が断たれたような気持ちと同時に、不思議な決意が湧き上がってくるのを感じる。

 ――アデーレに近づく最大の理由は自分の任務だ。けれど、この公爵の想いを知ってしまった以上、単なる偽りの踊りでは済ませられない気がしていた。


「では、わたしは戻るとしよう。アデーレに貴殿が訪ねることは、それとなく伝えておく。あの子もきっと、最初の誘い手が現れるのを待っているはずだ」


 そう言い残し、公爵はさほど多くを語ることもなく、側近たちを伴って人混みの向こうへと去っていった。

 彼が通り過ぎたあとには、えもいわれぬ余韻のようなものが残る。

 カイは呆然としたまま立ち尽くし、フローラとキャロルもその場で息を呑んでいた。


「ま、まさか、公爵ご自身が……」

「こんなにあっさりと、しかも直々にお願いされるなんて……」


 二人がそんな言葉を零しているうちに、舞踏会に参列していた他の貴族たちがじわりとこちらに注目を寄せ始めた。

 といっても、今のカイを取り囲むのは好奇の視線だけではない。あのブラウンシュバイク公爵がわざわざあいさつに来て、何やら話し込んでいた――それだけで、人々の興味は嫌でもかき立てられるからだ。


「……ご主人様? せっかくの話だし、受けないわけにはいかないわよね?」


 キャロルが不服そうな顔を浮かべながら言う。


「公爵の後押しまであって、断れるわけありませんもの。ほら、カイ様、頑張ってくださいな」

 

 フローラもそう言いはするものの、その瞳にはどこか複雑な感情が宿っていた。


(うわぁ、露骨に二人とも嫉妬しているな……)


 カイが胸の内で複雑に呟いていると、再びワルツが始まる合図が聞こえてきた。

 ちょうど貴族たちも曲の変わり目にあわせてペアを探し始めており、そんな中、待ってましたと言わんばかりに何人もの若い貴族がフローラとキャロルに声をかけてくる。

 

 どの男も舞踏会用に精一杯着飾った華やかな衣装を纏っており、彼らにとっては二人の美女と踊る絶好の機会だった。

 元よりフローラもキャロルも、会場に入った瞬間から男たちの注目を浴びていたのだ。

 にもかかわらず、二人がカイの近くから離れないものだから、声をかけそびれていた男も多かったらしい。

 そのカイが別の女性と踊ることは半ば確定したわけなのだから、男たちがその機会を逃すはずが無かった。


「フローラ嬢、よろしければわたくしと一曲踊っていただけませんか?」

「キャロル嬢、あなたの艶やかな装いにひと目惚れしました。この曲が終わるまで、どうかご一緒を――」


 立て続けにかかる誘いに、フローラとキャロルは思わず顔を見合わせる。

 もちろん、二人の本音としてはカイのフォローを優先したいところだが、彼が今から誘わなくてはならない相手は“姫君”アデーレだ。

 彼がダンスフロアで踊るその間、フローラとキャロルが壁際で待機している姿は目立ちすぎる上に、むしろ不自然にもなってしまう。

 二人は瞬時に同じ答えに辿り着き、静かに頷き合う。


「――そうね、少しだけお付き合いしましょうか」

 

 キャロルが軽やかな声で応じると、待ち構えていた青年の顔がパッと明るくなった。その後ろでは他の男たちが悔しそうに口をつぐんでいるのが見てとれる。

 また、一方のフローラも「わたくしでよろしければ」と言外に“無礼のないように”という釘を刺すように優雅に返事をする。


 すると、即座に二人の腕に貴族たちの手が伸び、一瞬のうちにダンスフロアへと連れ出された。

 そんな言葉を交わし、フローラは一人の騎士然とした男性の腕を取り、キャロルは愛嬌のある令息とペアになってステップの輪に加わっていく。

 その際、キャロルは振り返りざまにカイへ軽くウインクを飛ばす。そしてフローラも同じく、小さく微笑むようにしてから彼の姿を後方に残していった。

 

 残されたカイは一人、静かに息を整え、アデーレのほうへ視線を向けた。

 少し離れた場所からでも、彼女が心細げにじっと公爵の去り際を見つめているのがわかる。


「公爵の計らいとはいえ、さて、どう声をかけるか……」


 まだ曲が始まったばかり。アデーレのもとに行くなら、今がまさにそのタイミングだ。

 拒絶されるかもしれない――そうした不安は当然あるが、公爵が背中を押してくれた以上、ここで退くわけにはいかない。

 そしてなにより、自分には本来の任務という大義がある。これ以上チャンスを逃してはならないだろう。


 心なしか大きく鼓動する胸を自覚しながら、カイは決意を固める。

 独立パイロットであり星章士である自分が、ほんの一瞬だけでも“姫君の騎士”として振る舞う――それが、今宵与えられた役目なのだと。


「ま、悩んでいても仕方ない。行くか!」


 カイはそっと歩み出した。

 きらびやかな衣装の人波を縫って、ゆっくりとアデーレの座する主賓席へ向かう。彼女を取り巻く空気は相変わらず静かな結界を張っているように思えるが、公爵からの信任を得た以上、突破は不可能ではないはずだ。

 ホールを満たすワルツの旋律が一際美しく響き、カイの背中を押すように流れ続けていた。

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