7-23
オベリスクの内部、エアロックへと続く狭い通路は今、異様な熱気に包まれていた。
白い壁面に淡く反射する照明が、二人の女性の身に纏うドレスを際立たせる。
フローラは純白を基調とした優雅な装いで、その胸元を大きく開けたデザインが際立つ。
対してキャロルは青紫の地に金糸が走る豪華な刺繍を配したドレスを着こみ、互いにいつもとはまるで別人のような姿をしている。
ところが、その美しい二人は、激しい言い争いの真っ最中だった。
通路の天井はそう高くもなく、わずかに響く通風の音だけが耳をかすめる。そんな静寂を切り裂くかのように、フローラが声を張り上げる。
「キャロル、今回は非常に重要かつ高度なミッションになりますわ。経験豊富な私こそが最適解よ」
フローラの叩きつけるような口調に、キャロルは頬を膨らませながら即座に返す。
その長い巻き髪を翻し、どこか挑戦的にその瞳を細めた。
「いーえ、違うわ! 潜入工作ならお姉様より私の方が経験値は上よ! いっつもお姉様は後方で指示してただけだったじゃない!」
姉と妹という呼称に宿る微妙な上下関係が、さらに二人の衝突を加速させる。
言葉の刃を交わし合うような二人の姿を目の当たりにしながら、カイは頭を抱えて立ち尽くすしかなかった。
(ああぁー……なんで先に決めてなかったんだよ! こうなるのは目に見えてじゃないか……!)
カイが自責の念を噛み締めていると、視線の端に見えるのは、自分たちを迎えに来た使者の姿だ。
ブラウンシュバイク公爵家の紋章が控えめに飾られた制服を身に纏い、どこか重々しい雰囲気を湛えているが、今は明らかに居心地悪そうに立っている。
何しろ二人の口論は熱を増すばかりで、一向に収まる気配を見せない。
「す、すいません……こんな光景を見せることになって……」
カイが苦笑しながら声をかけると、使者は柔らかく首を横に振る。
謝罪に対して「よくあることだ」と言わんばかりの表情だが、やはり双方のドレス姿が際立つのか、どうしても視線が彼女たちに引かれがちだ。
「実際、こういう場面は稀ではありません。多くの場合、さまざまな事情でパートナーが重なるということは……ええ、しばしばあります」
言い争いを一向にやめる気配のないフローラとキャロルを横目に、カイはふと思いついて使者に問いかける。
「そ、その場合は普段はどうやって決着をつけるのでしょう? ……こうなると普通は、片方を選ぶしかないのではないかなと思うのですが……」
その質問に、使者は苦笑まじりの乾いた笑い声を漏らしつつ答える。
「ええ、そうですね。大抵は話し合いで折り合いをつけ、一人に絞る形になります。しかし中には、稀に……二人同時に参加を認めてしまう猛者もいらっしゃいます。実のところ、規定上は問題なく、パートナーが複数名でも構わないのですよ」
使者が言い終えるか否かのうちに、激しく言い争っていたフローラとキャロルがぴたりと口をつぐんだ。
まるであらかじめ示し合わせたかのように同時に沈黙し、使者のほうへと振り向く。あまりの変化に、使者は思わず身を引いてしまうほどだ。
「……女性二人が同時に参加しても問題ない、というのは間違いないのですか?」
「男性のパートナー枠が一つじゃなくて、二つ、三つ……要するに複数でもいいわけ?」
二人の迫真の表情に、使者はぎこちなく苦笑しながら頷く。
制服の襟元を引っ張り、軽く汗をかいているようにも見えた。
「は、はい。いわゆる正式なパートナーの数に制限はありませんから……。複数人で参加される例も、稀ですが確かにあります」
即座にフローラとキャロルは互いの目を見交わし、言葉なく頷き合った。
つい先ほどまで殺気立つほど言い争っていた二人が、いきなり共通の妥協点を見つけたのだ。
カイはその光景に戦慄すら覚え、逃げ道を模索するように辺りを見回す。
「ま、待てよ……二人同時って。前例があるからって、絶対変な目で見られるって! 目立っちゃうって!」
情けない声を漏らすカイを尻目に、フローラが美しく整えた髪を揺らしながら言い放つ。
「いいじゃありませんか。これでカイ様はどちらかを選ぶ罪悪感からも解放される。わたくしたちは両方、パートナーとして動けますわ」
「そうよ。お姉様とわたしとで、ダブルパートナー! 1+1は2じゃないわ、200よ! 10倍よ10倍!」
「違いますわよ、キャロル」
興奮気味に素っ頓狂なことを言うキャロルの瞳はどこか輝いており、フローラも含めてすでにこの案に満足しているらしい。
カイは天を仰ぎ、見るからに憔悴した様子で小さく嘆息する。
「誰か……代わってくれぇ……」
先ほどまでの火花は収まったものの、今度はカイが目立つ形で奇異の視線を集めるのが確定した。
――一体どうなるのか、想像するだけで頭が痛い。
一方、使者は困惑気味にそれらを見守りながらも、さっと出口のエアロックへ視線を送る。
そろそろパーティーへ向かわねばならない時刻が近いのだろう。
「では……ご案内を。遅れるといけませんので、くれぐれも……」
恭しく言葉を選ぶ使者に対し、フローラとキャロルは同時に「承知しております」「もちろんよ」と答え、絶妙なタイミングで言葉を被せ合う。
まるで急遽結成された同盟のように、互いが互いを認め合う沈黙がそこにあった。
そして、茫然自失のカイだけが、その光景を唖然と見つめたまま動けない。
(あー……終わった。持つか……俺のメンタル。頑張れ、俺!)
そんな諦観を胸に、カイは無言でエアロックの扉を見据える。その先には、帝国貴族たちが集まる舞踏会が待ち受けている。
このまま二人と連れ立って会場入りしてしまうしかないという事実に、彼はただただ沈んだ思いを抱くのだった。
ブラウンシュバイク公爵家の紋章をあしらったフロートカーが、磁気浮揚で路面を滑るように進んでいく。
乗り込んでいるのは、案内役の使者、そしてカイと、その左右にフローラとキャロルの4人。
車内にはほんのわずかな緊張感が残っているが、それはこの特別な舞踏会へ向かうための心構えからくるものだろう。何しろ、ノイシュテルン星域における上流階級が集う場なのだから。
カイはフローラとキャロルそれぞれが優雅なドレス姿で隣に座っている様を、少し気まずそうに横目で見ていた。
思わぬ形で「二人同時のパートナー」が成立したことをまだ飲み込み切れていない。
とはいえ、先ほどまでの険悪な雰囲気が嘘のように消え、今のフローラとキャロルには穏やかな笑みさえ浮かんでいた。
フロートカーは順調に、ノイエ・ヴァルトルーエの内部を進んでいく。
帝国でも指折りの規模を誇るこの超構造体は、南北約400キロ、東西約390キロ、高さ10キロ近いというから驚くほかない。
さらに内部は無数の階層に区切られており、巨大な多層空間には、無数の居住ブロックや産業区画が組み込まれている。使者が言うには、移動支援システムがなければ目的地までたどり着くことは非常に難しいとのことだ。
カイたちはこれほどの人工空間が広がっている事実に、ただ驚くばかりだった。
多層構造になった内部は、ところどころで大きな通路やアトリウムが展開され、重層的に連なる居住区画や研究施設が互いに絡み合うように配置されている。
それを見ているだけでもカイたちは十二分に楽しめていたが、使者は少しだけ余裕があるという理由からルート設定を変更すると言い、フロートカーをやや遠回りの通路へ誘導した。
「せっかくですから、下層の農業プラント区画を通りましょう。滅多に外部の方々にお見せする機会もありませんので」
淡々とした案内に従い、フロートカーは薄暗いトンネルをくぐる。
続いて地形も何もない無機質な通路を走り続けるかと思いきや、突如、眼前がぱっと明るく開けた。
そこは地平線までもが確認できるほどの大平原。
見渡す限りの草地に、緩やかな起伏、遠くには木々の並木が見える。
まるで本物の大地と空があるかのように広大な平原が広がり、小川までもが流れている光景が一気に飛び込んできた。
「え、嘘! 閉鎖空間よね、ここ!?」
「キャロル、落ち着いて……けれど、確かにこれは凄いですわね」
カイは思わず息を飲む。
先ほどまでの人工的な空間とは打って変わり、ここには空と大地がある。
もちろん、完全に人造物のはずだが、その現実感は地表と何ら遜色ないように思える。
使者は満足げに微笑みつつ、フロートカーの速度を落としてゆったりと走行させる。
見渡すと、農業ボットやドローンが一面に展開し、各種の農作物をメンテナンスしているのが分かる。
こんな広大な内部空間にもかかわらず、太陽光を模倣した照明が常に整備され、温度や湿度に加えて土壌の成分までも完全に統制されているのだからカイは驚くばかりだった。
「ここで作られた食糧は、ノイエ・ヴァルトルーエ内の需要を賄うだけでなく、外部星系へも出荷されています。とりわけブランド化された食肉や果物は人気が高く、注文が絶えないとか。海洋プラントや畜産用プラントも似た規模で展開されていて、完全な自給自足が可能なんですよ」
説明を受けながら、カイたちはまるで地表を走っているような錯覚に陥る。
小川のせせらぎや草の香り、耳と鼻がまるで自然の大地にいるかのように錯覚するほどだ。
カイはふと自分が知る連邦の光景を思い浮かべる。
連邦にも超構造体は存在するものの、効率を最優先した水耕栽培や人工肉の工場がメインで、こうした余計な自然の再現にこだわる発想はほとんどない。
その違いに改めて感銘を受けながら、窓の外を見つめていた。
そうしてフロートカーが小一時間ほど下層の広大な農業プラント区画を縦断し、ふたたび人工の大通りに合流すると、今度は上層階を目指すルートへ入る。
上層区画へ進むにつれ、周囲には厳重な警戒態勢が敷かれているのが伺えた。
ゲートや検問がいくつも設けられ、最新装備で身を固めた警護兵が威圧感を纏って警戒に当たっている。
そのたびに使者が手際よく通行手続きをこなし、フロートカーはスムーズに内部へ誘われていく。
やがて幾重ものゲートを抜け、トンネルを通り抜けたときだった。
車窓の外には、全く想像していなかった光景が広がっていた。
白い雪がしんしんと降り積もり、寒々しい渓谷が視界一面に広がっている。厳冬の静謐がそこにあったのだ。
「ここも、ノイエ・ヴァルトルーエの内部……なのか?」
カイはそのまま呟きを漏らし、思わず小さく息を飲む。
フローラとキャロルも、窓の外に夢中になっている。
雪化粧をまとった渓谷の両側には、重厚な石造りの古城が点在し、厳かにそびえ立っていた。
尖塔の先端には積もった雪がほんのりと青白い光を反射し、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「こちらはノイエ・ヴァルトルーエ内でもとりわけ特別な区画です。貴族の皆様が所有する古城が点在し、式典や祭事の際にはここで行事を執り行うのが通例ですね」
使者の言葉に、車内の全員が遠くに見える古城をじっと見つめる。 そのどれもが趣のある造形を持ち、雪景色に溶け込むように佇んでいた。
その中でひときわ巨大な城が見えてくる。重厚な城壁とそびえ立つ塔を、距離があるというのに、その威容だけで感じさせてくれるようだ。
「ご覧いただいているのがブラウンシュバイク公爵家の城郭です。この区画内でも最大規模を誇り、時として選帝侯閣下が訪れることもあると聞き及んでいます。本日の舞踏会はここが会場となります」
あまりの大きさに、思わずカイはゴクリと唾を飲む。
無数の雪の結晶を身にまとったようなその城は、まさしく公爵の地位の高さを象徴するかのようで、まるで要塞のようでもあった。
車内の空気が微妙に張り詰め、カイもまた、この場の重みを実感せずにはいられない。
そのとき、使者が振り返り、静かに問いかけた。
「まもなく到着いたします。正式なご案内をする前に、何かご質問はありますか?」
カイは一瞬戸惑うも、悩んでても仕方ないと考え軽く息をつく。
しかし、ここで何も答えずに頷くだけでは妙だと思い、少し考えてから口を開いた。
「……ありがとうございます。とりあえず、今のところ質問はありません。ですが、初めての場所で勝手が分からず、失礼を犯さないか心配ですね。もし何か注意点があれば教えていただきたいんですが……」
その言葉に使者は穏やかに微笑み、淡々とした口調で答える。
「ハハッ、ご安心を。パーティーの流れや作法については会場の案内担当が詳細をお伝えします。それに、本日の舞踏会では礼儀作法はそこまで求められませんので、どうぞ気後れなさらずに」
少なくとも、舞踏会の主宰者であるブラウンシュバイク公が完全形式を求めていないことが、使者の口振りから伝わってくる。
カイはそれを聞いて少し安堵するが、依然として両隣にいるフローラとキャロルの“ダブルパートナー”という状況を思い出し、視線を落とす。
案の定、二人は無言のまま手袋越しの柔らかな感触をカイの腕へ伝え、まるで自分の存在を示しているかのように主張していた。
「……わかりました。それなら、なんとかやれそうです。お世話になります」
カイがそう言って軽く頭を下げると、使者は律儀に首を縦に振り、前方の雪に覆われた道へハンドルを戻す。
これ以上の質問がないと見て、フロートカーは緩やかに速度を上げ、城門へ向かって最終アプローチをかけるようだ。
堂々たる城壁は、雪化粧をまとって輝いている。
門の前にはリヒテンベルク選帝侯の紋章に加えて、公爵家の象徴が掲げられ、衛兵が整列していた。
カイはその荘厳な光景に圧倒されながらも、ふと左右の手が握りしめられているのに気づく。見ると、フローラとキャロルが同時にカイの腕を支えるようにしていた。
二人からの沈黙の応援。
そう思うと、わずかに心強さが沸き起こる一方で、奇異の目を向けられるだろう予感も拭えない。
何も言わずに自分を見つめる二人に一瞥をくれ、カイは腹を括るように息を飲んだ。
「到着いたしました。車を下りていただきましたら、あちらの案内係が中庭を経由してホールへご案内いたします」
フロートカーが静かに停止し、扉が自動で開く。
雪の冷気がほんの少し車内へ流れ込み、カイは思わず身震いを覚えるが、それでもこの場を逃れるわけにはいかない。
二人の手の温もりを感じながら、カイは意を決し、足を外へ踏み出す。
純白の雪と荘厳なる城へ――いよいよ、舞踏会が幕を開けようとしていた。




