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7-22

 濃厚な紅の絨毯が敷き詰められた室内。

 壁には金糸で刺繍されたタペストリーがうっすらと浮かび上がり、高価なアンティークの調度品が控えめな照明に照らされている。

 ほんのわずかな灯りだけが、この部屋の妖しい空気を際立たせていた。


 そんな紅の間の奥で、一人の男がホログラフィック・ポートレイトを凝視していた。

 ポートレイトに映るのは、一人の少女。黄金の髪をたなびかせ、純白のドレスを纏い、まるで天上の花を愛でるような姿を収めたものだ。

 

 彼女の名は、アデーレ・フォン・リヒテンベルク。

 七大選帝侯の一人、リヒテンベルク選帝侯の第二息女であり、その可憐な美貌と滅多に公の場に姿を見せない神秘性から、“神聖の姫君”と称えられている。

 そもそも公には彼女の写真など存在しない。にもかかわらず、どこかで隠し撮りされた写真が密かに流通し、多くの熱狂的なファンを生み出していた。


 しかし、男が手にしている写真は、そうした闇ルートで出回る粗い隠し撮りなどとは一線を画している。

 少女の姿は鮮明であり、しかもプライベートの瞬間を抜き取ったかのように自然な表情で収められている。

 ――無論、それは男が自らの立場を利用して極秘に入手した、いわば禁断の一枚だった。


「……アディ……君はなんて美しいんだ」


 男は心の底から愛おしむような声で呟く。

 ゆっくりとソファから立ち上がった彼は、ホログラムに浮かぶ少女の頬に指を伸ばし、まるでそこに実体があるかのようにそっと撫でる仕草を見せる。

 部屋の隅に置かれたカラフェには、真紅のワインが満ちている。血のような色合いの液体が、室内のわずかな光を反射して鈍く輝きを放つ。


 男の瞳には偏愛とも言える熱がこもっていた。やがて彼はホログラムへ唇を寄せ、優しくキスを捧げる。

 その動作はまるで聖女への祈りであり、あるいは邪神への供物のようにも映る。


 だが、静かな狂気をたたえた時間は唐突に鳴り響いた通知音によって破られた。

 男は不快そうに顔をしかめ、荒々しく手を宙で切るようにしてARデバイスを操作する。


「このわたしの愉悦のときを邪魔するとは……」


 仕方なくメッセージを開いた彼は、その内容に目を走らせるうちに、徐々に頬を上気させていく。

 差出人はよく利用してやっている商人の一人。

 そして次の瞬間、まるで感情を爆発させるかのごとく朗々とした笑い声が部屋に響き渡った。


「……は、はは……はははははっ!」


 笑い声を押し殺そうとするも、止められない。

 ついにその声は狂騒のごとく弾け出し、部屋の赤い調度品を震わせるほど響き渡る。


「やっと、やっとか……! アディ……ああ、愛しの君! わたしの望みが今こそ叶う!」


 興奮した面持ちで男はARデバイスを素早く切り替え、どこかに通信を繋げる。

 数秒後、ホログラフィックの画面上に別の男の顔が映し出された。そちらの男は不意の呼び出しに眉を(しか)めながらも、低い声で尋ねる。


「……何のご用でしょう、クルト伯爵」


 クルト伯爵は昂ぶった息を整えるどころか、さらに熱を帯びた口調でまくし立てた。


「ラングよ、聞け! わたしが待ち焦がれた品が、ついに届くらしいぞ。あの計画が始動する……はははっ!」


 ラングと呼ばれた男は一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに相槌を打つ。


「……そうですか。それは何より。となれば、わたしも準備を急ぎましょう。サンプルが届きさえすれば、伯爵のご要望を形にする段取りが整いますので」

「うむ、楽しみだ! アディ……このわたしのアディを……」


 狂おしいまでの想いが言葉にこもり、伯爵は再びホログラムに映る少女へと視線をやる。

 ラングは画面越しに薄く溜息をついたようだが、すぐに従順な態度を装う。


「では、サンプル入手次第、すぐご連絡を。製造所のほうも、万全にしておきますよ」

「頼むぞ、ラング。わたしはこの日のために、どれほど金と手間をお前に注ぎ込んだことか……。ふふ、アディ……わたしが迎えに行くぞ……」


 伯爵が再度笑い出すと、ラングは大きく目を伏せて通信を切った。

 部屋には再びクルト伯爵と赤い装飾品だけが残される。深紅のカーペットに伯爵の足音が沈み込み、ボトルが淡く揺れる。


「アディ……もう少しだけ、待っていてくれ」


 クルト伯爵はホログラムを愛おしそうに撫でると、薄闇の中で軽く踊るようにステップを踏む。

 まるで、その日が来るまでの余興に酔いしれているかのようだ。

 こうして、クルト伯爵の偏愛と野望は再び動き出し、深い紅の部屋には狂喜に満ちた笑いがこだまするのであった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 オベリスクのブリッジには、張り詰めた静寂と緊張感が漂っていた。

 カイは慎重に操縦桿を握り、視線を前方に固定している。補助席に座るフローラは流れるように対気速度や地表との距離を読み上げ、もう一方の席に陣取るキャロルもスラスター出力や電力供給を監視しつつ、必要があれば的確に数値を報告している。

 普段ならキャロルの軽口やフローラの静かな冷ややかさが交じり合い、どこか賑やかなブリッジなのだが、今ばかりは全員が無言だった。


(流石に厳重だな……)


 カイは心の中でそう呟く。

 なにしろ、これから降り立とうとしているのは、ブラウンシュバイク公爵星系の首都星ブラウヴァルト。帝国の中でも特別な地位をもつ星系であり、選帝侯や上位貴族の影響力が色濃く及ぶ領域だ。

 警備レベルは桁違いで、特権階級にある下位貴族であっても事前許可がなければ着陸はおろか、大気圏内に進入することすら認められない。

 しかもカイたちは、「さらに特別な場所」への着陸が許されているというのだから、普段とは比較にならない緊張感が走るのも当然だった。

 なにしろ降下時に使える空路は極めて限定され、誤差ひとつで撃墜すらあり得るからだ。


「高度4,500……徐々に速度を落としますわよ」


 フローラが読み上げる声に、カイは小さく頷き、スラスター制御を微調整する。キャロルも瞬時に電力供給値を再チェックし、問題なしのサインを送った。

 そんな三人の息の合った操作の中、オベリスクはまるで糸を手繰るようにきわめて丁寧に降下していく。


「……見えた。あれがノイエ・ヴァルトルーエか」


 カイが思わず小さく呟き、視界に映る光景を見つめる。

 そこには、白色の巨大な人工建造物――まるで山岳のようにそびえ立つ超構造体(メガストラクチャー)が姿を現していた。まだ数百キロはあるというのに、その圧倒的なスケールが見て取れる。

 中央部には軌道エレベーターが吊るされるようにそびえ、南北約400キロ、東西約390キロという巨大な構造を誇る。聞けば、10億人もの人々が住むとのことで、帝国技術の粋を結集した場所といえた。

 

 ノイエ・ヴァルトルーエは、この星の地形を大規模に改造し、さらに人工構造物を何世代にもわたって継ぎ足し続けた末に形成された超構造体(メガストラクチャー)だ。

 最初は自然の山岳地帯をベースにして防衛区画を設け、やがて高所に軌道エレベーターを設置するための台座を増築。

 その周囲に文化や産業を集約できるよう都市機能を拡張し……いつしか“ひとつの都市”を超えた“ひとつの国”に匹敵する規模へと膨れ上がっていった。


「……すごい。さすがは帝国が誇る超構造体(メガストラクチャー)ですわね」


 フローラが静かに目を見開き、同調するかのようにキャロルもモニター画面に映し出されるデータを見て唸る。


「連邦にも巨大構造体はあるけれど、帝国のはまた違った雰囲気……優雅な感じがするわね。……初めて見ると圧巻だわ」


 華麗なデザインが目を奪う。

 武骨さよりも、壮麗さと芸術性を兼ね備えた造形――“帝国の美学”を体現しているようにさえ思える。

 カイもこのノイエ・ヴァルトルーエを間近に見るのは初めてであり、思わず言葉を失ったまま視線を奪われていた。


 だが、そうした感慨に浸る間もなく、ブリッジには通信を知らせる通知音が高く鳴り響く。

 フローラが慌てず操作パネルにアクセスすると、相手はノイエ・ヴァルトルーエの管制官からだった。


『こちらノイエ・ヴァルトルーエ管制局。オベリスク、どうぞ』

「こちらオベリスク。管制局、どうぞ」


 双方とも定型のやり取りを交わしつつ、管制官が行先や着陸手順を通達してくる。

 すぐさまディスプレイにコースデータとポート番号が表示され、フローラはその内容をひと通り確認する。

 

 こうした超構造体(メガストラクチャー)の発着ポートは無数にあり、空路も複雑だ。

 自動航行システムを使わない手動操縦では、衝突事故を起こしかねないほどの密集度だという。


「了解しました。指定コースに進入し、着陸ポートはナンバー746……オベリスクは自動航行に切り替えます」


 フローラの通達を受け、カイは操縦桿のスイッチを切り替える。

 一気に操縦アシストが入ると、艦の動きが滑らかになり、ディスプレイには「AUTO NAVIGATION」の表示が点灯。後はコースデータ通りに降下を続けるだけとなった。


「ふわあぁー……終わったー! さすがに手動でここまで降ろせって言われたら泣くよ」


 カイは肩の力を抜くように大きく伸びをする。キャロルもモニタリングの負荷が軽くなり、深く息を吐き出した。

 弛緩した空気がブリッジに流れ始めると、フローラも安堵するように小さく伸びる。


「でもこれで、ひとまず無事に首都星まで来られましたわね」

「ああ、何はともあれ第一段階はクリアかな」

「あーあ、折角ならご主人様とデートとかしたいのになあー」


 呑気にするキャロルとは対照的にカイの顔は再び緊張感に包まれていた。

 この星に来たのは気楽な観光ではなく、アレクサンダーの依頼、そして“選帝侯の第二息女に接近”という危険なミッションを果たすため。

 こうして無事に着陸できそうだとはいえ、ここから先はさらなる緊張を伴う場面が待ち受けているのは必至だ。


 カイは小さく意を固めるように頷き、目の前のディスプレイを見やる。

 優雅さと圧倒的な大きさでそびえるノイエ・ヴァルトルーエの着陸ポートが近づくにつれ、徐々にそのディテールを鮮明に映し出し始めていた。

 この場所でどんな思惑が待ち受けるのか――その緊張が、ゆっくりとオベリスクのブリッジを満たし始めていた。

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