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7-20

 整然と整えられた室内には、控えめながらも上質な気品が漂っている――そこは動物園オーナーであるアレクサンダー・オットーの個人用仕事部屋だった。

 床には上質なタイルカーペットが敷かれ、壁際には細やかな細工が施されたキャビネット。

 帝国各地から集められた珍品や、異星生物に関する文献がずらりと並んでおり、部屋全体に漂う静謐な空気が彼の厳粛さを物語っていた。


 そんな空間の中心、重厚なデスクに向かうアレクサンダーの表情は険しい。

 彼の手には一通の手紙が握られており、その封蝋には見事な紋章があしらわれている。紋章の意匠は帝国貴族特有の華麗さを宿し、紙の質も一目見て高価と分かる。

 現代ではほとんどの情報のやり取りはギャラクシア・グリッドで済むが、懐古主義の強い貴族たちの間では、あえて紙と封蝋を用いた書簡が格式ある手段として幅を利かせていた。

 

 しかも、この手紙には帝国内でも限られた土地でしか入手できない紙と素材が使われており、一本の木から得られる量も僅かだという。

 手紙一枚で1万クレジットほどの価値があると言われているほどだ。


(まったく……こんなに念を入れた書面を送って催促されてもな)


 この悩ましい手紙の差出人は、アレクサンダーを悩ませる――クルト・フォン・シューマッハー伯爵だった。

 彼からの催促は、今回だけではない。すでにもう何度も同じ要望を押し付けられてはいるが、その実現にはアレクサンダー自身乗る気ではなかった。

 何しろ彼の要求と来たら――彼が軽く息を吐いたその時、部屋の扉が控えめにノックされる。


「失礼します、オーナー」


 緩やかなウェーブのかかった金髪と碧眼の輝きをたたえた女性――コーネリア・メルケルが入室してきた。

 彼女はアレクサンダーがかねてより信頼を置く秘書兼アシスタントであり、動物園の各種取引や調整にも深く関わっている人物だ。

 

 そんな彼女が小さく会釈をすると、すぐにデスクの上の手紙へと目を遣る。

 紙と封蝋を見ただけで、彼女はそれが貴族からの厄介な依頼であると即座に察したのだろう。


「また……伯爵からのお手紙、ですね?」


 低い声で問いかけるコーネリアに、アレクサンダーは静かに肯定の頷きを返す。

 彼は手にした書状をそっとデスクに置き、苦い表情のまま口を開いた。


「ああ、彼の無茶な要求の催促さ。それも、とびきりのリスクを伴うあの計画のな……」


 アレクサンダーの視線が手紙をひと撫でしながら、コーネリアへと向けられる。

 クルト伯爵の要望は、リヒテンベルク選帝侯の第二息女の遺伝子データを入手し、それを使ってセイレーンを製造するという、常識破りにも程がある代物だった。

 リヒテンベルク選帝侯といえば、帝国に七人存在する選帝侯のひとりだ。皇帝に次ぐ絶大な権力を持つうえ、その血筋や面子を害する行為が表沙汰になれば、処罰どころの話では済まないだろう。


「第二息女……あの有名な“神聖の姫君”ですか。確か相当数の忠実な側近や護衛たちに囲まれていると聞きます。どうやってサンプルを入手するおつもりで?」

「ああ、サンプル入手の機会、それ自体は何とか整えたよ。苦労したがな」


 アレクサンダーは、まず初めに買収という安直なプランでの入手を画策した。

 だが、結果は失敗。

 第二息女の側仕えや侍従、さらにその家族にまで網を張ったが、徹底した忠誠心と厳重な護衛の壁に阻まれ、買収は軒並み失敗に終わった。

 

 では、これまた安直に脅迫という手法も試みたが、成果は無かった。

 背後関係を掘り下げてもノイシュテルン星域における星域本星シュテルンハウプトに住む彼らの家族は警護が万全で、手が出せない状況が続いたのだ。

 

 その他、様々な計画を企てては失敗に終わり、その間にもクルト伯爵からの催促は続き、アレクサンダーは胃がキリキリと痛むのを必死に我慢していた。

 最終的には、ありとあらゆる裏ルートに莫大な資金を投じた末、ようやく数週間後に開催予定のパーティーと、その招待状を入手するに至った。


 だが、それは決して安価な代物ではなく、動物園の財務状況を大きく圧迫するものでもあった。

 彼はそんな膨大な出費を思い返すかのように、苦渋の表情で手紙に視線を落とすのだった。

 そしてそれは失った金だけではなく、まだ課題が残っている事に対しての苛立ちも含まれていた。


「サンプルを得る機会は掴んだ。だが、次の問題は貴族のパーティーに参加できる駒が無いということだ」


 アレクサンダーは静かにため息をつく。

 裏社会に精通するアレクサンダーなら、密偵や殺し屋など“裏側”のプロフェッショナルを雇うことは造作もない。

 

 だが、格式高い貴族のパーティーに溶け込み、自然な経歴や礼節をもって接近できるという条件に合致する人物は、そうそう見つけられないのだ。

 アレクサンダーは椅子に深く体を預けながら、大げさに両手を広げる。


「貧乏貴族を買収して肩代わりさせる手もある。だが、その“貧乏貴族”がパーティーに招待されるほどの社交的地位を持っていなければ無意味だろう。なにより、そんな者にこれほど重大な任務を任せて、すぐに寝返られたり失敗されたりしたら目も当てられない……」

「はい。それに、あのような場は、見栄を張る者や保身に走る者も多く、裏切りのリスクも高いでしょうね」


 コーネリアが言葉を継ぐ。彼女自身、情報解析や交渉事にも長けた人物だ。

 アレクサンダーは短く息を吐き、しばし思案の表情を浮かべる。

 

 だが、すぐには名案が浮かんでこない。厄介なのは、クルト伯爵の要求が強制に近い形で突きつけられているという点だ。

 拒めば、事業や裏ルートが大きく揺らぐ可能性が高い。かといって、成功率の低い作戦に踏み切れば、選帝侯を敵に回しかねない。


「本当に、難儀な仕事を背負い込んだものだ……」

 

 アレクサンダーはそう呟いて、苦々しげにため息を吐いた。

 一方で、コーネリアはその表情を伺いながらも視線を逸らすことなく問いを返す。


「何か手立てはないのですか?」

 

 すると、アレクサンダーは短く唸ってから、顎に手をやった。

 まるで何か思いついてはいるようだが、迷いもある――そんな戸惑いが彼の仕草ににじんでいる。


「……ない事もない。コーネリア、シュポンハイム子爵の件はどうなった?」


 アレクサンダーが突如として話題を変えると、コーネリアもすぐに意図を察したらしくタブレットを取り出して画面を操作する。そこには先ほどまとめたばかりの報告書が表示されていた。

 まさにこの報告をするために訪れたことを、今さながらコーネリアは思い出す。


「はい。先日、カイ・アサミが子爵への輸送を完了させた上で、さらに追加発注を持ち帰ってきました。総数500体……これは当園にとっても、相当な収益となりました。そして、その輸送についても、先ほど無事完了したとの報告が上がってきています」


 もともとアレクサンダーは、カイが売り込みをかけてきた際、「彼がどれほど使える人材か」を見極めるため、シュポンハイム子爵への輸送を試しに任せた。

 ところが、カイはその際、子爵から追加発注の話まで取り付けて戻り、更には500体という大量の輸送まで成功させたのだ。

 

 ちょうどこのタイミングで、クルト伯爵の無茶な要望のために、アレクサンダーは莫大な出費を抱えて資金繰りに苦しんでいた。

 しかし、シュポンハイム子爵との大口取引が決まったおかげで、経営が傾くことなく一定の収益さえ見込める。

 まさにカイの働きは起死回生の一手だった。

 

「ふふ、そうか。滞りなく終わらせたか……」


 アレクサンダーは小さく笑みを溢すと、手元の手紙に再び視線を落とした。

 静寂が落ち着くまでの数秒、彼は封蝋を軽くなぞりながら、まるでその重みを計るように一瞬だけ動きを止める。

 やがて、決意を固めたかのように顔を上げた。


「コーネリア、決めたよ。カイ・アサミをパーティーに出席させる」


 その言葉に、コーネリアは一瞬だけ驚きの色を浮かべた。

 確かに、シュポンハイム子爵への輸送でカイは目覚ましい成果を上げた。だが、今度の案件はあまりにもリスクが高すぎる。

 コーネリアはアレクサンダーの思惑が読めず、思わず眉をひそめた。


「カイ・アサミを、ですか……? 確かに彼なら成果を上げてくれるかもしれません。ですが、なぜそこまで?」

「まあ、順を追って説明しよう」


 問いかけるコーネリアに対し、アレクサンダーは静かに回答する。

 まず挙げたのは、カイが持つ肩書きだった。

 元々は一介の独立パイロットに過ぎないはずだが、アルテンシュタイン星域の上位貴族であるヴァルデック侯爵の下で功績を立て、星章士の位を得た。

 星章士――少なくとも帝国貴族社会では、それなりに一目置かれる立場だ。パーティーなどの場でも、その肩書があれば場違いとはならない。


「それに、カイ本人が我々とのコネクションを望んでいる。ここ最近の彼の動きを見れば、安易に裏切るような性分でもなさそうだ。……こちらが分不相応な要求をしない限りは、の話だがね」


 もともとカイはこの動物園に商品を買い付けるという形で接触を図り、面談の席を得た。

 そして今回、シュポンハイム子爵への配送を成功させ、さらなる大口取引までまとめた事実――それこそが、アレクサンダーの疑念を払拭する決定打となった。


「子爵への輸送で彼が見せた度胸と手際は、正直、予想以上だった。まさか一度の取引で終わるどころか、追加の発注までもぎ取るとは……しかも500体もの大量輸送まで何の問題もなく完了させた」


 アレクサンダーはタブレットの端を指先で叩きながら、満足げに口元を歪めた。

 動物園側にとっても、500体のゼノレギオンはまさしく“起死回生”と言えるほどの大口契約。

 クルト伯爵の無茶な要求に対応するためにかさんだ費用も、これで何とか賄える見込みが立ったわけだ。


「確かに、そう考えると……適役と言えるかもしれませんね」


 コーネリアは納得したかのように、一度目を伏せて深く息をつく。

 しかし、彼女の胸の内には依然として不安が拭えない。

 

 何しろ、相手は選帝侯の血族。

 もし遺伝子データの窃盗などという行為が露見すれば、たとえ星章士の位を持つカイであっても、逃れられない報復を招くだろう。

 そこから芋づる式に自分たちのビジネスまで明るみに出れば、一巻の終わりだ。


「……ただ、念のため確認させてください。相手が選帝侯だとバレれば、命の保証などありません。それだけの危険を、彼が背負ってくれるという確証はあるのでしょうか?」


 アレクサンダーは椅子の背もたれに体を預け、静かに視線を上げる。

 コーネリアの言葉に頷くように、彼は軽く唸ってから口を開いた。


「確証はない。だが、あいつが俺たちとの繋がりを求めているのは事実だ。そこに十分な見返りを提示すれば、下手に裏切るより得をする……そう思わせられるはずだよ。とにかく、他に適任者が居ない以上、あいつに賭けるしかない」


 にべもない結論だった。

 アレクサンダー自身、疑いなく悪手だと分かっているわけではない。

 しかし、他に方法がない。クルト伯爵の絶対的な圧力、それを跳ねのける術は今のところこれしか思い当たらないのだ。


「分かりました……。それでは早速、カイ・アサミとの交渉の席を設けます。できるだけ早く、パーティーの計画を説明したほうがいいでしょうね」


 コーネリアはそう言うと、タブレットを閉じて姿勢を正した。

 その瞳には、不安と期待が入り混じった複雑な光が宿っている。

 彼女がそこまでしてサポートを約束するのは、他ならぬアレクサンダーへの忠義と、この動物園を守りたいという思いからだろう。


「助かるよ。……いくら計画を立てたところで、実行できる人間がいなければ意味がない。あとは彼がどう応えてくれるか……楽しみだな」


 軽く口角を上げるアレクサンダーとは対照的に、コーネリアは一礼した後も、どこか表情を曇らせていた。

 何しろ、この依頼は“パーティーに紛れ込んで選帝侯の第二息女に接近し、遺伝子サンプルを入手する”という危険極まりない仕事。

 失敗すれば、カイはもとより自分たちも帝国の逆鱗に触れるのは必至――その重圧が、コーネリアの心に暗い影を落としているのだ。


 しかし、今はそうした憂いを言葉にするよりも、まずは準備を進めるしかない。コーネリアはタブレットを小脇に抱え込み、部屋を出ていく。

 残されたアレクサンダーは、再び書類を見下ろしながら、決断を下した自分の胸中を落ち着かせるかのように、そっと深呼吸をした。


「頼むぞ、カイ・アサミ……。俺もやれるだけの手は打つ。互いに、上手くやってみせようじゃないか」


 その独白は、動物園オーナーとしての立場を懸けた“賭け”を決めた男の、不退転の意志を映していた。

 薄暗い仕事部屋の中には、もはや誰もいない。

 

 それでもなお、クルト伯爵の封書がデスクの上で威圧的な存在感を放ち、アレクサンダーの神経を逆撫でするかのように鎮座している。

 彼は一度だけそれに目を向け、まるで「俺は逃げない」と宣言するように目を逸らさなかった。

 こうして、危険な挑戦に向けて、物語の新たな一歩が刻まれようとしていた。

首都星:その星系(System)における中枢を担う惑星。

星域本星:星域(Sector)における中枢を担う惑星。

帝都星:帝国における中枢を担う惑星。

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