7-19
部屋の中央に据えられた艶やかな木製テーブルを囲むようにして、カイはシュポンハイム子爵と肩を並べてフローラたちを見ていた。
彼らの脇で続く“同好の士”たち――ベルタ夫人とフローラの熱のこもった談義は盛り上がり、一向に止まる気配はない。
(さすが同じ趣味を持つ者同士、盛り上がっているなあ……)
ゴブリンやオークに関する繁殖談義はとどまるところを知らず、もはやカイや子爵が口を挟む余地はほとんどない。
そんな状況に、さすがの子爵も「降参だ」と言わんばかりに肩をすくめて苦笑していた。
「いやはや……夫人があそこまで楽しそうなのは久しぶりだ。お前の副操縦士がまさか、同じ性癖を持つとは……お互い苦労するな」
シュポンハイム子爵は、先ほどまで見せていた卑猥な雰囲気をすっかり拭い去り、どこか晴れ晴れとした面持ちでそう漏らす。
実のところ子爵は、すでにフローラへの性的興味を失っていた――何しろ夫人と同じ性癖を持つと分かったのだから。
夫人が見せる“異種と交わる”という特殊な性癖に子爵は元々辟易していたし、フローラもまたその領域に理解を示す“仲間”だと知った以上、彼の興味は完全に萎えてしまったのだ。
しかし一方で、同じように“特殊な性癖を抱えるパートナー”を持つカイの存在は、子爵に奇妙な共感をもたらしていた。
夫人の趣味をどうにも理解できないまま対処に苦慮している自分と、フローラの自由奔放な性向に振り回されがちなカイ――両者の境遇は、まんざら他人事でもないと感じたのだろう。
その横顔を見て、カイはふと思い出したことがあった。――先ほどまで自分が疑問に思っていた、グリューンハイデにおける大量のゼノレギオン発注の目的。
カイは絨毯の上で軽く姿勢を正すと、子爵の方へ向き直る。
「子爵。実は、以前から少し気になっていることがありまして……」
背筋を伸ばしたカイの声に、子爵は小さく首をかしげる。
フローラたちの話し声が絶えず耳に入ってくるが、それでもこの場は応接室だけあって外からの雑音は届きにくい。問いかけるには都合がよかった。
「なぜ、あれほど大量のゼノレギオンを必要とされたのでしょうか。惑星のテラフォーミングと関係があるのは分かりますが……」
カイが遠慮がちに切り出すと、子爵は微笑しながらも、どこか得意げに唇をゆがめた。
まるで「よくぞ聞いてくれた」とでも言わんばかりの表情である。
「ふむ、聞きたいかね? 本当はまだ公にするつもりはないのだが……。先ほどの非礼を詫びる意味でも、教えてやろう」
子爵はそう言って、まるで大事を語る前触れのように喉を鳴らす。
絵画に切り取られた威厳ある先祖たちの視線が見下ろすこの部屋で、一体どのような計画が語られるのか――。
カイは思わず息を呑んで、子爵の言葉を待った。
「わたしはこのグリューンハイデを観光惑星として大々的に売り出そうと思っている。その名も『エターナル・フロンティア』――いや、まだ正式な名前は決めておらんが、とにかく他にはない独創的な観光地に仕立て上げるのだ」
思いがけない言葉に、カイは思わず首をかしげた。
採掘や農業などの実利を狙うでもなく、単なる行楽地として売り出すことと、ゼノレギオンの関係性が見えなかったからだ。
子爵はそんなカイの反応を楽しむように、さらに続ける。
「ただの観光地にはせんよ。わたしが目指しているのは、まるで小説に出てくる幻想世界のような星だ」
子爵は熱を帯びた眼差しで遠くを見つめながら、カイにその壮大な計画を語る。
子爵の構想は、グリューンハイデをまるで異世界さながらの環境に整え、訪れる者たちに“勇者”としての冒険を体験させるというものだった。
惑星の各地には、古めかしい城や村、そして謎めいた遺跡が点在している。
訪れる客たちは、まるで異世界に召喚された主人公になったかのように、それらの場所を巡り、時には“魔物”との戦闘を体験する。
その“魔物”の役目を果たすのが、人工生命体であるゼノレギオンだった。
通常の生物やロボットでは再現が難しい危険性とコントロールの容易さを両立できる存在が、ゼノレギオンなのである。
「危険な野生生物なんぞ放し飼いにしたら、客が死ぬ。そんなことになれば本末転倒だ。だが、ゼノレギオンなら大丈夫だ。あれは人工生命体ゆえに、事前に人に危害を加えぬよう調整できる。自然繁殖しても、その安全設定は受け継がれる。だから、生き生きと動き回る“魔物”たちを安全に演出できるというわけだ」
ゼノレギオンは遺伝子レベルで攻撃衝動を調整し、致命的な被害を防ぐよう調整が可能だ。
となれば、まるで本物の怪物と戦っているかのようなスリルを演出しつつ、致死的な事故リスクを抑えられる。
こうして訪れた客は、グリューンハイデで長期滞在しながら各地を探検し、危険度をあえて“演出”された領域を踏破していく。
そして食事から宿泊、街並みに至るまで、近代文明から一歩離れたファンタジー的な様式を採用し、時代設定は西暦10世紀前後の世界観を追求する。
必要最小限の機械技術こそ投入するものの、あくまで表向きは剣と魔法の時代を思わせる建築や文化で統一するのだと、子爵は熱っぽく語った。
さらに、この星全体がひとつの舞台装置として機能することで、他貴族や大商人といった高所得層を大々的に呼び込める見込みだという。
現実では味わえない死闘や冒険、世界を救う英雄体験――そうした“子供の頃に誰もが憧れた夢”を、可能な限り安全に提供するのが子爵の狙いだった。
無論、本当の危険を伴う生物を野放しにしては観光どころではなくなるし、かといって単なるショーや仮想演出だけでは客が飽きてしまう。
だからこそ、予め遺伝子を調整できるゼノレギオンが不可欠なのだ。
子爵はこの計画を通じて莫大な利益を得るばかりでなく、帝国において前代未聞の観光惑星を成功させた貴族として名声を得るつもりなのだろう。
「このグリューンハイデの各地には、すでに都市や村をいくつも建造している。客人――勇者たち――にはそこを拠点に生活してもらい、あちこち冒険をしながら、さまざまな体験を味わってもらうつもりだ。飲食にしても文化にしても、全部わたしがイメージする“幻想世界”を模倣してな。帝国中の退屈な貴族や大商人たちが、こぞって訪れること請け合いだよ」
彼が話すうちに、その眼差しには野心と誇りが色濃く宿っていた。
一方でカイは、説明を聞きながら淡々と相槌を打つ。星のテラフォーミングによって数多くの人工的な施設を建設し、さらに調整されたゼノレギオンを放つ――その壮大さと際どさに、正直に言えば圧倒されていた。
カイはその計画に半ば呆れながらも、興味が湧いてきた。そんな大がかりな観光惑星など、自分の知る限りでは聞いたことがない。
しかし、同時に大きな疑問が浮かんだ。
「でも……その世界の住人はどうされるんですか? まさか、すべてロボットやアンドロイドにでも任せるんですか?」
その問いに、子爵は軽く肩を竦めさせながら答える。
「何を言う。ちゃんと人間を住まわせるに決まっているではないか。ただ都市や村を本物らしく見せようとすれば、数千や数万では足りん。そこでわたしは、帝国の隷属国民たちをここへ集めて住まわせているのだ。その数、ざっと10万人規模!」
「はぁ!? もう10万人も、この惑星に移住させたんですか!」
思わず聞き返したカイの表情には、驚愕がありありと浮かんでいた。
10万人もの奴隷が、整備途上の惑星で生活している――しかも意図的に文明レベルを落とした世界で。
それはあまりにも非常識極まる行為だった。
「もちろん、テラフォーミングが完了して間もないからな、植生に関してはまだまだ。そのため食料生産には多少の支援をしているが、基本的には中世レベルの農耕生活を強いている。水道も電気も一部地域だけ、医療だって最低限……そういう条件下で必死に暮らしているからこそ、リアリティーを演出できるわけだ。ふはは、どうだね? ロマンがあるだろう?」
子爵はまるで少年が夢を語るように胸を張る。
だが、その内容はロマンなどという言葉では形容しがたい人権無視もいいところだった。
隷属国民たちは、帝国において最底辺の扱いを受ける人々だ。人権など保障されない存在であり、その多くは祖先が重犯罪者で、その末裔たち。
そんな彼らを大量に買い取り、グリューンハイデに住まわせ、実質的には中世以前の過酷な生活を強いている。
カイはそのあまりに非常識な行いに、思わず口をつぐんだ。
先ほどまでの馬鹿げたファンタジー計画に呆れる自分と、怒りにも似た感情が湧き上がる自分。
(おいおい……遊び半分に人の命を使ってるだけじゃないか)
だが、子爵の声はさらに続く。
「表向きには帝国の労働力を回す慈善事業だと説明している。奴隷たちを受け入れて生活の場を提供しているわけだからな。実際、彼らからの反乱や脱走などもある程度は考慮しているが……さすがに辺境の星から逃げるあてもないだろう。まあ、わたしも別に奴隷を虐げる趣味はないし、大人しく生活をしている分には実質的に自由が保障されている。他の隷属国民たちより、余程人間らしい生活が送れるというものだ」
人間をただのコマとみなすような物言いに、カイはやり切れない思いを抱えた。
帝国の隷属国民の扱いについては度々耳にしたことがあるが――まさかここまで酷いとは。
口を開くことも忘れそうになりながら、カイはかろうじて声を絞り出す。
「……そう、ですか」
喉まで出かかった言葉を思わずカイは飲み込んだ。
子爵の計画を否定すれば、自分たちの安全が危うくなるかもしれない。ここは帝国領の一つ、しかも下位とはいえ貴族の領地だ。あまりに迂闊な言葉は吐けない。
カイがそう考えて言葉を呑み込むと、子爵は無邪気とさえ言える笑みを浮かべて胸を張った。
「いずれは帝国に名だたる観光地となるだろう。そこにいる隷属国民とて、犠牲者というわけでもない。運が良ければ、貴族や大商人に目を掛けられて救われる者も出るかもしれん。それもまた“冒険”の一部。人生という名のな」
あまりに身勝手な理屈。しかし、目の前の子爵が本気でそう考えていることを、カイは痛感する。
ふと横を見ると、フローラはベルタ夫人との“マニアックな談義”を続けたままだ。彼女がこの話をどう聞くのかは分からないが……いずれフローラの耳にも入るだろう。
そのとき、彼女は何を思うのか。
カイは知らず知らずのうちに奥歯を噛みしめていた。
このグリューンハイデで進んでいることは、ただの奇抜な観光計画――では済まされない。命を弄ぶ行為、そのものではないか。
しかし、ここで何か言葉をぶつけたところで、帝国という巨大な仕組みの中ではどうにもならないことも分かっている。
子爵が言葉を切り、カイの様子をうかがうと、その瞳にはどこか期待に似た光が宿っていた。
グリューンハイデでの計画を熱く語り終えたばかりというのに、どうやら彼はまだ飽き足りないらしい。
「……それでな。もう少しリアルな世界観を追求したいのだが、何かいい案はないものか」
子爵は相好を崩しながら、改まった口調で問いかける。
まるで同志や仲間へ意見を求めるような、純粋な好奇心に満ちた態度だった。
一方、カイは内心で苦々しさを感じながらも考える。まさか、そんな大規模かつ人権を踏みにじる計画に対して喜々として提案をする気にはなれない。
が、相手は帝国貴族。下手に異を唱えたところで状況を変えられるわけでもない。
そう判断したカイは、努めて落ち着いた表情をつくり何気なく口にした。
「そうですね。単純に魔物役であるゼノレギオンの種類を増やせば、多様性が出てお客さんも飽きにくいんじゃないですかね。あとは……魔法文明という体で、一部の科学技術を置き換えて演出すれば――ある程度の快適さは自然に提供できますし、ファンタジーっぽさもぐっと増すかと」
あくまで思いつきのまま、半ば適当に述べただけの提案だった。
カイ自身でも驚くほど適当で無責任な案でもあったが、少なくとも子爵の機嫌を損ねるほど露骨に茶化しているわけではない。彼なりの及第点ギリギリの回答のつもりだった。
ところが、その言葉を耳にした子爵は大きく目を見開き、次いで驚嘆の息を漏らす。
「なるほど……魔物の種類を増やすか」
そう呟いた子爵は、カイの言葉を噛みしめるように頷いた。
ゼノレギオンは遺伝子の改変が容易で、亜種やまったく別の外見を生み出すことも造作ない。観光客の興味を引き続けるには、多種多様な“魔物”が必要になるはずだ。
もし見慣れない生物が続々と登場すれば、何度でもこの惑星を訪れようという者も出てくるだろう。
「それに……魔法文明というのも悪くないな」
子爵の声には、はっきりとした熱がこもっていた。
現代の科学技術をそのまま導入してはファンタジーの世界観が損なわれてしまうが、魔法の一種と称して覆い隠せば良い、というアイデアはなかなかに魅力的なものだった。
幾らリアリティの追求とはいえ、一度手にした快適さを手放すことはそう簡単に出来ない。
だが、魔法という形で科学技術を使えば、生活の快適さと“異世界感”を両立できる。
たとえば電灯や空調を“魔導具”と呼んで配置すれば、中世を思わせる町並みと矛盾しないまま利便性を確保できそうだ。
「はは、実に画期的だ! これは大きな可能性を感じるぞ」
そう言う子爵の瞳は、すでに次なるプランを思案する興奮で輝いているようだった。
子爵は唸るように言葉を紡ぎ、目を輝かせている。
そんな子爵にカイのほうは逆に戸惑いを覚える。
だが、かといって子爵が満面の笑みを浮かべている以上、この場で否定するわけにもいかない。むしろ、かえって面倒なことになりそうだと、カイは目を伏せるようにして軽くため息をついた。
「よし、決めたぞ! カイ・アサミ、お前の案を早速採用する。――おい、誰か紙とペンを持ってきてくれ!」
子爵は勢いよく手を叩き、大声で側近を呼びつける。部屋の外から慌ただしい足音が響き、一人の従者が慌てて紙とペンを持ってきた。
テーブルに紙が広げられるや否や、子爵はペンを取るなりしきりにメモを取り始める。
何しろ計画の根幹に関わるアイデアだ。魔物の種類をどれだけ増やすか、どの段階で“魔法文明”を導入するか、その技術的な課題をどう処理するか――浮かんでは消える発想を次々と書き付けているらしく、その筆は休む暇がなかった。
「ふむ、ドラゴン型も面白そうだ。こちらは飛行能力も検討できるか? 空飛ぶ魔物も捨てがたい! あとは小型種の妖精など……客が歩くときにふわふわ飛んでくれば、本物の妖精のように見えるだろうし……」
しばらくの間、子爵は一人で想像を膨らませ、勝手に“幻想世界”の新展開を練り上げていく。
カイはその様子を眺めながら、次第に居心地の悪さを覚えた。まさかこんな調子で企画がどんどん進んでしまうとは……。
しかし、今さら冗談だった、などとは言えない。
背後ではフローラとベルタ夫人が依然として盛り上がっており、現状を変えるきっかけもなさそうだった。
(参ったな……)
カイは内心でぼやきながら、子爵の手元のメモが次々と埋められていくのを見つめる。
そして、最後に子爵は勢いよく紙をひっくり返すと、ちらりとカイの顔をうかがった。
「さて、ここに新たな発注リストをまとめた。ドラゴン型をはじめ、いろいろ試験的に導入したいゼノレギオンが山ほどある。お前の船なら、次の運搬も難なくこなせるな?」
まるで仕上がったばかりの芸術品を披露するように、子爵は誇らしげに書面を掲げる。
その一枚には、子爵の端正な字が乱雑に列挙されていた。そこには数々のゼノレギオンが名を連ねており、その総数は驚くことに500体ほど――今回運んできた荷の優に3倍近い。
カイは自然と次の運搬を指名されたことに思わず言葉に詰まりそうになりながらも、頷くほかなかった。
「……え、ええ。勿論、問題ありません」
そう答えたものの、カイの頭の中では危険と利益の天秤が絶えず揺れていた。
子爵から運び手として指名されることは悪くはない。相手は帝国貴族、金払いの良さは折り紙付きであり、そのコネクションも侮れない。
この星での大規模案件を滞りなく成功させれば、今後はさらに大きな仕事が舞い込む可能性だってある。
しかし、それらを差し引いても500体ものゼノレギオンを運ぶリスクは高い。
(どう考えても、限界ギリギリだ。いくら動物園謹製の隠蔽装置が優秀でも、高度なスキャンを突破できなければ即アウトだ)
カイは無意識に唇を噛む。
今回の自爆に等しい状況を辛うじて丸く収めることができたのは、運が良かっただけに過ぎない。
そもそもシュバルツベルク伯爵星系は目下開拓に沸いており、多くの密輸業者とそれを取り締まるクライムハンターが日夜目を光らせている。
今回は上手く事を収めることができたが次はどうなるかわからない。誰かの密告や、予定外の検問が出るだけで、事態は一変するだろう。
カイが頭を悩ませる一方で、子爵は早くも新たな契約についての段取りを始める。
「よし、すぐ正式な書面を作るぞ。ああ、報酬を心配しているのであろう? 心配するな。わたしは大盤振る舞いを惜しまんぞ!」
そうして取り決められた新契約は、ゼノレギオン追加発注の仲介役として“カイ・アサミ”を起用するというものだった。
これによってカイは子爵の信頼を勝ち取り、その上で動物園のオーナーであるアレクサンダーにとっても大口の注文が入る形となる。結果的に双方に大きな利をもたらす取引だ。
(うげ、トントン拍子に話が進んでいく! これはもう、断れる気配ではないな……。まさか、こんな形で商談が進むとは)
程なくして目の前で子爵が書き上げた書類を手渡されると、カイはそれを眺めながら、己の胸中に複雑な感情を抱いていた。
人権無視もいいところの“観光惑星”計画にどこまで肩入れしていいのかは分からない。それでも、自分の仕事としてはこれ以上ないほどの成果を得たのも事実だ。
思いがけず勝ち取った子爵との新たな契約を胸に、カイは控えめに頭を下げる。
そして、にこやかに笑いながらさらなる構想を並べる子爵を横目に、いつかこの計画が大きな波紋を呼ぶ日が来るのではないかと、薄暗い予感を抱くのだった。




