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7-17

 白鯨号はシュポンハイム子爵家のスターポートに降り立った。

 着陸シークエンスが終わり、船体が完全に静止すると、カイはシートに深く座り直しながら視線をディスプレイに移した。

 宇宙の無重力から解放され、久しぶりに地球標準(スタンダード)重力を全身に感じる。

 その重みはどこか心地よく、長い航行の疲れを少しだけ癒してくれるようだった。


 窓の外に目をやると、広々としたスターポートの敷地が視界に広がっている。

 金属の光沢を放つ整然とした着陸場と、その周囲にはシュポンハイム家の紋章を掲げた旗が風になびいている。

 スターポート全体が、この惑星の統治者であるシュポンハイム子爵の権威を示すように堂々とした造りになっているのが印象的だった。


「そういえば、地上に降りるのは久しぶりだな。やっぱりこの重力、妙に落ち着くんだよなあ」


 カイは独り言のように呟き、操作パネルに手を伸ばしてシステムチェックを済ませていく。

 その言葉に応えるように、隣のフローラが穏やかな微笑みを浮かべていた。


「そうですわね。宇宙にいる間は忘れがちになりますけれど、こうした感覚は人間にとって欠かせないものなのかもしれませんわ」


 その声には、どこか懐かしさを感じさせる響きがあり、カイはちらりとフローラを見やった。

 彼女はコクピットの補助席に座りながら、既に地上管制との通信を始めている。


「こちら白鯨号、到着を確認しました。貨物は動物園指定のゼノレギオン関連ユニットですわ」

『こちらシュポンハイム地上管制。白鯨号、了解しました。荷受けの準備を進めますので、少々お待ちください』


 通信の向こうから聞こえてきた管制官の声は、事務的ではあるがきちんとした礼儀を感じさせるものだった。

 惑星統治者の本拠地ということもあってか、当然の様に管制官は人間が担当している。

 

 やがて数分もしないうちに、スターポートの向こう側から、何台もの輸送ボットとトレーラーが滑らかに動きながら接近してくる。

 その動きは機械的ながらも無駄がなく、あらかじめプログラムされた手順に従っているのが一目で分かる。


「よーし、カーゴハッチを開けるぞ。手早く済ませて行こう、何せこれをあと10往復しなくちゃいけないんだからな」


 カイはパネルを操作し、白鯨号の腹部がゆっくりと開き始める。

 中には無数の貨物コンテナが整然と並び、それらはゼノレギオン関連のユニットが詰め込まれたものだった。

 輸送ボットが迷うことなく内部に進入し、コンテナを次々と運び出していく。

 作業は効率的に進み、広大なスターポート内に荷物が丁寧に並べられていった。


「荷運びが終わるのに1時間くらいか? ま、これで一つ()()()()()()()()


 カイは息を吐きながら呟いた。

 だが、その言葉にフローラは口元をわずかに緩めながら軽く肩をすくめた。


「ふふ、お寒いジョークですこと」


 フローラの返しに、カイは苦笑しながら次の確認作業に目を移した。

 だがその時、不意に通信が入る。コクピットのディスプレイに表示されたのは先ほどの地上管制官だった。


『白鯨号――カイ・アサミ殿、シュポンハイム子爵からのご連絡です。子爵が直々に労をねぎらいたいとのこと。後ほど館までお越しいただけますでしょうか?』

「……子爵が直々に?」


 カイは思わず眉をひそめた。

 帝国領で貴族と仕事をすること自体は珍しくないが、一介の運び屋にわざわざ感謝の言葉をかけるなど、そうそうあることではない。

 ――何やら嫌な予感がする。

 カイが少しばかり悩んでいる隣で、やり取りを聞いていたフローラが静かに口を開いた。

 

「カイ様、このような場面では相手の申し出に従ったほうがよろしいかと思いますわ」

「まあ、そうだな」


 カイは少し間を置き、ディスプレイ越しに管制官に応じる。

 

「了解した。折角のお誘い、ありがたく受け取らせて貰うよ」


 通信を終えたカイは席を立ち、窓の外に広がるシュポンハイム子爵の館の方向を見据えた。

 子爵が自分を招く意図――それが単なる礼なのか、それとも別の意味を持つのか。疑念を抱きながらも、カイはゆっくりと準備を始めた。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 カイとフローラが案内されたのは、シュポンハイム子爵家の館の中でも格式高いとされる応接室だった。

 部屋に入ると、柔らかな絨毯が足元を包み込み、壁には重厚な額縁に収められた絵画が幾つか掲げられ、帝国貴族らしい堅実さと威厳を感じさせるものであった。

 

 部屋の中央には艶やかな木製のテーブルが置かれ、その上には精巧な彫刻が施された花瓶が飾られている。

 この空間全体が、シュポンハイム家の伝統と地位を余すところなく物語っているようだった。


 カイはそんな空間の中で背筋を正し、隣のフローラも凛とした姿勢で控えている。

 二人が着ているのはヴァルデック侯爵に謁見した際と同じ正装で、船内で来ていたパイロットスーツとは明らかに趣を異にしていた。

 白鯨号のクローゼットの中には幾つか、こうした礼服が用意されており、今回はその中でも最も上等な物を選んできていた。

 彼らが待つこと数分、扉が音もなく開き、ついにゴットフリート・フォン・シュポンハイム子爵が姿を現した。

 

 子爵は、恰幅の良い身体つきをした中年男性だった。

 柔らかな布を体に巻き付けたトーガ風の礼服をまとっているその姿は、簡素でありながらも流れるようなドレープが優雅さを引き立てていた。

 この服装は帝国貴族の下位貴族がカジュアルな場で着用する礼服の一種で、格式張らずとも品位を保つことを目的としている。

 

 その服装から、今回の場が堅苦しい礼節を要求されるものではないことが明白だった。

 カイはそれを一瞥し、内心で場の雰囲気を察するとともに、ほんの僅かに肩の力を抜いた。


(あまり気張らなくても良さそうか? とはいえ、油断はできないが……)


 一方で、隣のフローラはその視線を柔らかく受け止めつつ、優雅な姿勢を保ったまま控えている。

 彼女から漂う自信と気品が、子爵の視線を釘付けにして離さなかった。

 

「待たせたな。私がこの惑星グリューンハイデの統治を務めているシュポンハイム子爵、ゴットフリート・フォン・シュポンハイムだ。今回は急な申し出に苦労を掛けたな」


 子爵の低い声が部屋に響く。

 その声には特別な威圧感はないものの、帝国貴族としての地位と伝統に裏打ちされた自然な権威が感じられた。


「お前が白鯨号を操縦している独立パイロット、カイ・アサミだな?」


 問われたカイは軽く緊張感を覚えつつも、表情には出さず静かに口を開いた。


「はい、私がカイ・アサミです。この度はご用命いただき、感謝しております」


 シュポンハイム子爵は、カイの挨拶を鷹揚に受け止めると小さく頷いて見せた。

 その仕草には、上位者としての余裕が漂っている。そして、その視線はカイからフローラへと移り変わった瞬間、目に見えて興味の色が濃くなった。


「そ、そちらの淑女は……?」


 柔らかな声色ではあったが、その問いの奥には、露骨な関心が隠されていた。

 フローラはその視線を一切動じることなく受け止めると、優雅に一礼して名乗った。


「フローラ・ベレスと申しますわ。カイ様の副操縦士としてお供しております」


 彼女の洗練された振る舞いと美しい容姿に、シュポンハイム子爵の視線がしばし固定された。

 目は彼女の全身を舐めるように動き、特にその豊満な胸元と滑らかな腰のラインに長く留まる。


(おほぉ……これは、なんとも魅力的な女だ。このような女を連れているとはな、嬉しい誤算というやつか)


 実のところシュポンハイム子爵がカイたちを呼び寄せた理由は明確だった。

 カイがこの惑星に接触する以前より、動物園オーナーであるアレクサンダーから、今回の荷運び人について詳しい情報が届けられていたのだ。


 アレクサンダーの報告には、カイ・アサミという独立パイロットが、上位貴族であるヴァルデック侯爵から星章士の位を授けられた事実が含まれていた。

 独立パイロット風情が高位貴族の信頼を得るなど、通常であれば考えにくい話だ。

 その背景に興味を抱いたシュポンハイム子爵は、カイがただの荷運び人ではないと見抜き、今回の機会を逃さず彼と直接会うことを決めた。

 だがここで子爵の計算にズレが生じた。

 

 最初は、単にヴァルデック侯爵の信任を得た運び屋との縁を作っておこうという打算からだった。

 他星域とはいえ上位貴族と間接的にでも繋がりを持つことは、下位貴族であるシュポンハイム子爵にとって意味のあることだったからだ。

 だが、それはカイの同行者――フローラを一目見た瞬間に、大きく変わった。


 フローラの美しい容姿は、単なる飾り物とは一線を画していた。

 その立ち居振る舞い、話し方、そして穏やかでありながら自信に満ちた笑み。彼女の存在感が、子爵の心を瞬く間に掴んで離さなかった。

 彼の視線は無意識のうちにフローラの豊満な肢体へと引き寄せられ、その美しさに伴う肉欲的な妄想が頭をもたげていた。


(この女、欲しいな……)


 そんな思惑を内に秘めつつ、シュポンハイム子爵はカイに感謝の言葉を述べることから対話を始めた。

 その表情には、貴族らしい余裕と品格が保たれているものの、奥には別の企みが潜んでいた。


「遠路遥々、よくここまで荷を届けてくれたな。アレクサンダーからもお前の仕事ぶりは聞いている。期待以上の働きに、私としても感謝せねばならん。だが――」


 子爵は、内心の思惑をさらに進めるべく、適当な理由を作り出そうと考えを巡らせていた。

 フローラを「問題解決のため」という名目で一時的に引き離すことが可能であれば、自身の欲望を満たす時間を手に入れられると踏んだのだ。


「今回の荷物だが、一部に()()()()()が見受けられると報告が入っている。大事には至らないものの、念のため詳細を確認したいと思う」


 子爵の声には確かな威厳が宿っていたが、その言葉の裏にある意図はカイにとって見え透いたものであった。

 だが、カイはその場で何も突っ込まず、相手の出方を伺うように一歩下がる。


「問題ですか……どの部分にご不満があったのか、具体的に教えていただけますか?」


 カイは穏やかな口調で問い返しながらも、内心では警戒心をさらに高めていた。

 子爵の申し出が唐突であるだけでなく、その裏には何か別の意図が潜んでいると直感していたのだ。


(荷に問題なんてあるわけがない。全部が動物園で厳重に梱包され、運送中も異常は一切なかった。この場で「問題」とやらを持ち出してきた理由は、他にあるはずだ)


 カイは内心で歯を食いしばる。

 シュポンハイム子爵の態度は、威圧感こそ抑えられていたもののその裏にある思惑が透けて見えるようだった。


(どうせロクでもない要求をしてくるに違いない……だが、ここで下手に感情を表に出せば思う壺だ)


 一方、隣で表情を崩すこと無く静かに佇むフローラの姿が、カイの視界に入る。

 その余裕ある振る舞いが、まるでこの場の緊張を和らげてくれるようだった。

 彼女がこの状況をどう見ているのかを知りたいと思いつつも、今は自分が冷静に対応するしかないと判断した。


(まずは、「問題」とやらを最後まで聞き出してからだな。それで、この場をどう切り抜けるかを考えるか)


 そう思いながら、カイはわずかに姿勢を正し、視線を子爵へと向けた。

 相手の出方を見極めるための、冷静な駆け引きが始まろうとしていた。

 対する子爵は一瞬だけ間を置き、巧妙に仕組まれた嘘を紡ぎ出した。


「運送の間に生じた些細なズレだ。一部の貨物の状態が微妙に異なっていると、私の部下が申しておる。もちろん、これは責任を追及するようなことではない。が、念のため、荷物を運んだ者の目で確認してほしい」

「それで、どのようにすればよろしいのでしょう?」


 フローラが穏やかな声で口を挟むと、子爵の視線が再び彼女に注がれた。

 その視線には明らかに不純な意図が見え隠れしている。


「ふむ、フローラ殿。貴殿のように聡明で優雅な方であれば、この問題の確認に力を貸していただけるとありがたい。ほんの半日ほど、私の側近と共に調査を進めてもらえれば十分だ」

「……っ!」


 この時、カイはその言葉に対し内心で眉をひそめた。

 子爵が何を求めているのか。その真意を理解したからだ。

 

 彼は単純明快、フローラを見て肉欲を覚えた。たったそれだけのことだ。

 しかし、ここで貴族相手に不用意に感情を表に出すわけにはいかない。

 カイは今一度気を引き締めながらも、慎重に言葉を絞り出す。


「それはありがたいお言葉ですが、私たちはまだ全ての運送を終えておりません。一旦、全ての荷を運び終えた後、改めて私も同席し調査をすると言うのはどうでしょう」


 カイの冷静な応対に、子爵はわずかに笑みを浮かべた。


「もちろん、急を要する話ではない。ただ、これが我々にとっての礼儀というものだ。お前の連れが()()()()()()()ことで、さらなる信頼を築けると思うが、いかがかな?」

(こいつ、随分と直接的に要求してくるじゃないか……。そこまでして、抱きたいもんかね)


 子爵の提案はあまりに巧妙で、断ることが角を立てる結果になりかねない。

 カイは注意深く言葉を選びつつ対応を続けたが、内心では不快感が募っていた。

 一方、そんなあまりに露骨な提案だったが、フローラは動じるどころか軽やかに微笑んで応じた。


「もちろんですわ。貴方様のご期待に添えるよう努めさせていただきます」

「え、ちょ……フローラ!?」


 フローラの思わぬ返事に、カイは咄嗟に動揺を声に出してしまう。

 ――これは非常にマズイ状況だ。

 

 何しろフローラは目元に微妙な色気を漂わせ、誘惑するかのような雰囲気を醸し出している。

 それは幾度となくカイが見た捕食者として振る舞いだった。

 

 きっと子爵が根を上げても、行為は止まらないだろう――最悪、腹上死さえありえる。

 そんな凄惨な結末を想像したカイは、何とか必死に頭を回転させて、状況を打破する言葉を考えていた。

 

「ほう……さすが、星章士の称号を得るだけの人物だ。優れた随行者を持っている。それではフローラ嬢、私と共に一先ず別室へ参ろうか」


 だがカイの思いとは裏腹に、誘惑するかのように舌なめずりをして見せるフローラを見て、子爵のヤル気は限界に達しようとしていた。

 シュポンハイム子爵は満足げな様子で、フローラを別室へ誘導する準備を進めるよう側近に指示を飛ばした。

 

(あーもう、何なんだこの性欲モンスターたちは! 子爵も子爵だ、見た目に騙されて死ぬ気か!?)

 

 最早、子爵がフローラに()()()()ことは避けられないのかもしれない――。

 カイが内心で冷や汗を流しつつ、諦めかけたその時だった。

 

 応接室の外から微かにだが、人の話し声や足音が聞こえ始めた。

 最初は遠くかすかだったそれが、次第に近づき、やがて騒がしさを伴うざわめきへと変わっていく。


「な、何だ……?」


 カイが眉をひそめた刹那、不意に扉が勢いよく開かれた。

 その音が響く中、部屋の静寂は一瞬にして破られ、視線は一斉に入り口へと向けられた。

 そこに現れたのは――

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