7-16
深遠なる宇宙の闇に浮かぶ二隻の艦――漆黒の小型巡洋母艦「オベリスク」と、群青色の大型航宙艦「デスアダー」。
無言の対話を交わすように、二つの艦はゆっくりと分離していった。結合部が外れる際の微かな振動が、オベリスクの内部に伝わる。
カイは離れていくデスアダーを見て、小さく息を吐いた。
手元のサブモニターには、分離シークエンスが問題なく完了したことを示す表示が映っている。
作業を担当し、補助席に座っていたフローラから軽やかな声でその旨が報告されてくる。
「分離は無事に完了しました。オベリスクのシステムも問題ありませんわ」
分離作業は問題なく完了したことを聞いて、カイは軽く頷いた。
そうして緊張感が少しだけ薄れたのか、艦内に漂う空気も柔らかくなったように思える。
だが、反対側の補助席に座るキャロルはすでに緊張など欠片も感じさせない様子だった。
彼女は笑顔で振り返り、カイに向けて陽気な声を上げた。
「やっと厄介者がいなくなったわね、ご主人様。これで心置きなく動けるわ」
ヴィンセントが厄介者だったのは事実だが、そもそも不注意から余計な接触を招いたのは自分自身だ。
そう考えると、カイはキャロルの言葉には苦笑を禁じ得なかった。
そんな中、カイの手元にあるサブモニターに通信の通知が表示される。
デスアダー――ヴィンセントからの呼び出しだ。
すぐさまカイは手元のコンソールを操作し、通信を接続する。
『よう、先ほど振りだな。これで今回の件は全てチャラだ。俺は何も見ていないことにする。まあ、色々あったが……世話になったよ』
ヴィンセントの軽い口調がオベリスクのブリッジに響く。
大型モニターには彼と、その隣で佇む相棒のクラリスの姿が映し出されていた。
ヴィンセントは口元に余裕を滲ませた笑みを浮かべ、相変わらずの自信に満ちた様子だ。
一方のクラリスは無表情で、人形のようにじっと立ち尽くしている。
だが、初めて出会った時と比べると、どこかその表情が柔らかく感じられるのは気のせいだろうか――あるいは、二人の関係性を知ったからこそ、そう思えるのかもしれない。
カイがそんな思考に耽っていると、不意にヴィンセントの表情が引き締まった。
真剣な眼差しでモニター越しにカイを見つめると、静かに口を開いた。
『……特にクラリスの過去について知ることができたのは、大きな収穫だった。心から感謝している』
突然の感謝の言葉に、カイは一瞬戸惑いを覚えた。
ヴィンセントのようなタイプからこうした素直な言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
だが、すぐに気を取り直し、軽く肩をすくめながら返す。
「そっちも俺たちの違反を見逃してくれたんだ。これでイーブンってとこだよ」
カイの言葉には表面上の軽さがあるが、その内心は複雑だった。
この出会いは、そもそも自分の勘違いから始まったものだ。
だが、結果としてヴィンセントとクラリスの絆を目の当たりにし、双方にとって有意義なものとなったのも事実だった。
ヴィンセントが相棒を通じて思いがけずハンドラーという存在を知り、カイ自身もまた、自分以外のハンドラーと初めて接点を持つことになった。
結果的に、お互いがそれぞれの目的を果たすことができた――ヴィンセントはクラリスの過去を知り、カイは自らのミスを帳消しにする道を得た。
こうして交わされた言葉には、どこか奇妙な縁と互いの感謝が静かに滲んでいた。
『ま、これがクライムハンターと宇宙を渡る者同士の付き合いってやつかもな。……それじゃ、俺たちは行く。またどこかで会おう』
ヴィンセントは再び肩をすくめ、モニター越しに軽く手を振った。
カイは短く頷き、その通信が切れた後もしばらくモニターを見つめていた。
その奥では、ハイパードライブを起動したデスアダーが光の閃光と共に闇の中へと消えていく姿が映っていた。
「さて、俺たちも次の目的地に向かうとするか。」
カイは深く座り直し、視線をフローラへ向ける。
そうして、オベリスクもまた光の中へと飛び込む準備を始めた。
◇◇◇
ヴィンセントとの別れから1時間と少し――オベリスクはついに目的地であるシュバルツベルク伯爵星系の第4惑星、グリューンハイデに到達していた。
漆黒の小型巡洋母艦は惑星の軌道上を静かに周回し、その艦内では膨大な輸送作業が粛々と進行している。
貨物区画では、無数の輸送ボットが忙しなく動き回り、小型航宙艦「白鯨号」の腹部へ次々と貨物を積み込んでいた。
その荷物はすべて、今回の依頼である動物園より託されたゼノレギオンたちだ。
ゴブリン100匹、オーク50匹、さらに関連するユニットや設備一式――総重量4,200トンに達する膨大な量の貨物。
元商船であり小型艦では破格の輸送力を誇る白鯨号をもってしても、一度で運びきることは到底できず、何度も惑星表面と軌道上を往復する必要があった。
貨物区画の喧騒をよそに、カイは白鯨号のコクピットに座り、ディスプレイに映る輸送状況と目の前のチェックリストを交互に確認していた。
その表情にはどこか疲労が漂い、溜息をつきながら端末に指を走らせる。
一連の単調な作業が続く中で、彼の目元にはわずかな苛立ちと倦怠感が見え隠れしていた。
「はぁ……この輸送が終わるまで、10往復以上必要とか地獄だ……」
カイは手元のディスプレイに映る積載状況とスケジュールを改めて確認し、無意識に額を押さえた。
膨大な荷物量と、それに伴う長時間の作業。計算すればするほど、その拘束時間の長さに気が滅入ってくる。
コクピット内には白鯨号のエンジン音が低く響いていた。その一定のリズムすら、今の彼には嫌味なほどにのんびりと聞こえる。
後部の貨物室から時折聞こえてくる、ゼノレギオンたちの檻を運ぶ輸送ボットの稼働音も、どこか遠くの雑音に感じられた。
独り言のように呟きながらカイがディスプレイを見つめていると、突如として通信の通知音が響く。
カイはため息交じりにコンソールを操作し、通信を接続すると、そこに現れたのは不満爆発といったキャロルだった。
「ねえご主人様、本当に納得いかないわ!」
ディスプレイに映し出されたキャロルの顔は、不満そのものだった。
彼女は眉間に皺を寄せ、今にも怒鳴り出しそうな勢いでこちらを睨んでいる。
カイはその日何度目か分からないキャロルからの苦情に、苦笑を浮かべながら頭を掻いた。
もはや主語がなくとも彼女が何に対して不満を抱いているのか理解していた。
「だから、ジャンケンの結果なんだから受け入れろって。それに、文句があるならフローラに言ってくれ」
「それが気に入らないの!」
キャロルは声を荒げて不満を爆発させる。
「どうしてジャンケンなの!? こういうのって適材適所、事務作業に長けたお姉様がオベリスクに残って作業したほうが効率的じゃない! 言いたくないけど、私、そんな頭良くないよ!?」
キャロルの自虐にも等しい沈痛な叫びを耳にしても、カイの隣に座る勝者たるフローラはその優雅な微笑みを崩すことはなかった。
淡々とした様子でモニター越しのキャロルを見つめて、その訴えすらも可愛らしい愚痴にしか思えないかのようだ。
「まあまあ、キャロル。こうした勝負事も、私たちの関係を円滑に保つ一つの手段ですわ。それに、ジャンケンの結果は運命――つまり、誰もが納得せざるを得ない公正な決定手段ではありませんこと?」
「運命とか言わないでよ! それじゃまるで私が運にも見放されたみたいじゃない!」
フローラはその言葉にクスリと小さく笑い、肩を軽くすくめてみせる。
「ごめんなさいね、キャロル。でも、それが事実ですもの。運も実力のうち――あなたもそろそろ受け入れるべきですわ」
「くっ……!」
キャロルは何か反論しようとしたが、言葉を飲み込むように拳を握り締めた。
その悔しそうな表情がディスプレイ越しに映り、カイは苦笑を浮かべる。
「ほら、キャロル。お前がオベリスクに残ってくれたおかげで、俺たちは安心して作業に集中できるんだ。適材適所って言うなら、お前の監視スキルは必要不可欠じゃないか?」
「そ、それは……そうかもしれないけど……」
キャロルは少しだけトーンを落としつつも、なおも不満げな表情を浮かべている。
フローラはそんな彼女に、さらなる追い打ちをかけるように優雅な仕草で髪を整えながら言った。
「それに、キャロル。あなたがオベリスクにいることで、輸送作業中のセキュリティも万全ですわ。カイ様を危険に晒すリスクを避けるためには、あなたの存在が必要不可欠ですもの」
その言葉に、キャロルは言い返すことができなかった。
悔しそうに唇を噛みながらも、モニター越しの彼女の視線は微かに揺れていた。
「……わかったわよ。とりあえず、監視くらいはきっちりやるから」
キャロルはそう言い捨てるように呟くと、通信を切った。
モニターが暗転すると、フローラは小さく微笑みながらカイに視線を向けた。
「ふふ。やはり、キャロルは可愛らしいですわね。負けた時の反応も毎回新鮮で」
「お、お前なあ……」
カイは溜息混じりに呟き、チェックリストに再び目を落とすのだった。
動物園から依頼されていた荷物を積み込み終えた白鯨号は、オベリスクから静かに発艦した。
カイの眼下には、青々とした惑星グリューンハイデが広がっている。
この惑星は、シュバルツベルク伯爵星系で最初にテラフォーミングが完了した地であり、現在はその開拓が着々と進められている。
そして、この惑星の統治を任されているのがゴットフリート・フォン・シュポンハイム子爵――今回の荷物の受取人でもある。
カイは航路を確認し、シュポンハイム子爵家が指定した座標へと向かうため、白鯨号のコクピットで指示を出していた。
「大気圏突入シークエンスを開始するぞ」
カイの沈着な声に補助席に座るフローラが軽く頷き、手元のコンソールに手を置いた。
「了解しましたわ。速度と角度は適正値内です。このまま進入可能です」
白鯨号がゆっくりと大気圏に突入していく。
外部の圧力が艦を包み込む音が微かに響き、コクピット内のディスプレイには軌道や温度変化のデータが次々と表示されていく。
カイはそれらを冷静に見極めながら操作を続けていた。
「フローラ、次の気流ポイントまでのタイムチェックをしてくれ」
「タイムチェック完了しましたわ。気流変動は安定しています。このまま予定通りに降下可能です」
「よし、あとは着陸地点の確認だな……」
カイは目の前に広がるグリューンハイデの景色に目を細めた。
その視線の先には、豊かな森林地帯と広大な平原が交互に広がる緑の大地が見える。
かつては不毛の荒野だったこの地が、人の手によって命を吹き込まれたことを思うと、カイはふと不思議な感慨に襲われた。
「自然豊かな場所ですわね」
隣のフローラが窓越しの景色に目を向けながら静かに言葉を漏らす。
その声音にはどこか郷愁めいた響きがあり、カイは彼女の横顔をちらりと見た。
「……そうだな。ただ、これだけの環境を維持するのも相当な手間になるし、この惑星はどういった用途なんだろうな」
基本的に惑星の経営については、その統治者に一任されるのが帝国の慣例だ。
今回の場合、このグリューンハイデの未来を決定するのは、シュバルツベルク伯爵に任命されたゴットフリート・フォン・シュポンハイム子爵だ。
だが、テラフォーミングが完了しているにも関わらず、子爵家からは惑星の用途について明確な方針が発表されていない。
その中で、今回動物園を通じてそれなりの数のゼノレギオンを発注していたことが、カイの中で少し引っかかっていた。
具体的に何のためにこれらの生体ユニットが必要なのか、子爵が何を目論んでいるのか。
それは単なる貨物輸送を任された自分には関係のない話であるはずだったが、どうしても胸中の疑念を拭い切ることができなかった。
「……ただの運搬仕事で終わればいいんだけどなあ」
独り言のように呟きながら、カイは白鯨号のコンソールに視線を落とし、次の指示を確認した。
外部カメラには降下中の景色が映し出され、眼下には広がる緑の大地とともに、指定座標の施設が徐々にその全貌を現し始めていた。
その施設の異様な静けさと防壁の重厚さに、カイの眉間が自然と寄った。
「子爵がどんな理由でゼノレギオンを欲しがったのか――その答えが、この施設にあるってことか」
静かなコクピットに響いたその言葉は、やがて白鯨号とともに施設の入口へと降下していく。




