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7-14

 オベリスクの艦内にある一室。普段は滅多に使われることのない会議室が、今はクライムハンター――ヴィンセント・ヴェッセルの臨検対応の場として使われていた。

 カイはテーブル越しにヴィンセントを見据えながら、自らの軽率さに苦々しい思いを抱いていた。


「はあー……早とちりもいいところだ」


 小さく漏らした言葉と共に、天井を仰ぐカイ。

 ヴィンセントの行動が単なる偶然の産物であり、特に悪意があったわけではないと分かったものの、その過程で自分から違法な荷物の存在を告白してしまったことを悔いていた。


 しかし、ヴィンセントの視線はカイだけではなく、その隣に座るフローラとキャロルにも向けられていた。

 特にフローラの顔に一瞬だけ目を留め、興味を隠さない表情を浮かべる。その仕草は、相棒モニカ――いや、クラリスに反応した時から始まっていた。

 

「それで、そこの二人はモニカ――いや、クラリスか? 彼女のことを知っているようだが、是非とも詳しい話が聞きたいな」


 ヴィンセントの視線は、フローラとキャロルに据えられたままだった。

 その鋭い眼差しには、長年探し求めてきた答えに辿り着けるかもしれないという期待がありありと浮かんでいた。

 

 しかし、二人の態度は彼を突き放すように冷たかった。

 フローラは控えめな微笑を浮かべながら、その真意を悟らせないように静かに佇み、キャロルは露骨に不機嫌そうに腕を組み、沈黙を貫いている。

 押し黙る二人を前に、ヴィンセントは息を吐き、硬く結んだ口をわずかに緩めた。


「警戒するのも無理はない……。まず、俺から話そう」


 語り始めた声には、かすかな疲労と、過去に封じ込めた感情の重みが滲んでいた。

 

 かつてヴィンセントが連邦領の外縁に位置する荒廃した星系を訪れたときのこと。

 その片隅に、小さな前哨基地(アウトポスト)型ステーションが存在していた。

 内紛により無政府状態に陥っていたその星系では、無数の海賊たちが利用する温床となっており、闇市場が栄える一方で罪なき者たちの苦しみが溢れる場所と化していた。


 ヴィンセントはクライムハンターの仲間と共にそのステーションを強襲した。

 標的は違法取引の現場、そして犯罪者の巣窟そのもの。

 銃声と怒号が入り乱れる中、彼は自身の担当区域である違法な売春宿へと足を踏み入れた。


 そこは、正視するのもためらわれるような場所だった。

 暗い室内には不衛生な臭いが漂い、閉じ込められた女性たちの目には生気がなかった。そして、その中に居たのが――モニカだ。


 ヴィンセントはそのときの光景を今でも忘れられない。

 モニカの体には無数の痣と傷が刻まれ、酷使された痩せ細った身体はかすかに震えていた。

 その目は焦点を失い、そこに生きる意思は微塵も見受けられなかった。

 さらに、薬物汚染の兆候も顕著で、このまま放置すれば命は半年も持たないだろうと瞬時に理解できた。


「……不思議なことだった」


 ヴィンセントはつぶやくように言った。

 彼はクライムハンターという立場上、数々の凄惨な現場を経験していた。どんな悲惨な光景にも耐え、冷静さを保つことが仕事の一部だった。

 それにも拘らず、モニカを一目見たとき、彼女のことを放っておくことができなかった。


 モニカを保護するという判断は、ヴィンセントの中でも衝動的なものだった。彼は犯罪者の追跡を一時中断し、彼女を安全な場所へ運び出した。

 そして、治療とリハビリに必要な費用を工面するため、それまでに築いてきた財産の大半を失った。それでもヴィンセントは後悔しなかった。

 彼女の体は奇跡的に回復し、目に見える傷はほぼ完全に癒えた。しかし、どうしても取り戻せなかったものがあった――彼女の心だ。


 保護した当初のモニカは、まるで壊れた人形のようだった。彼女は感情を全く見せず、指示されなければ何一つ行動しない。

 食事を摂ることすら命令が必要で、どれだけ身体が汚れても気にすることはなかった。彼女の目には、ただ空虚な闇が広がっているだけだった。


 そんな彼女の世話を焼くのは、予想以上に苦労を伴った。それでもヴィンセントは不思議と、その役割を放棄する気になれなかった。

 むしろ、彼女のために動くことがどこか心地よくさえあった。それは、初めて彼女を目にしたときから既に、彼の中で彼女に対する何らかの好意が芽生えていたからなのかもしれない。


 彼はモニカに少しずつ「日常」というものを教えていった。食事を摂ることの必要性、身体を清潔に保つことの意味、そして、ただ何もせずリラックスする時間の大切さ。

 それらを根気強く伝える中で、モニカも少しずつそれに応えるようになった。

 感情を露わにすることはなかったが、命令されなくても自分から動くようになる。自ら箸を手に取り、身の回りを整え、時折ヴィンセントの行動をじっと観察するようになった。


 そんな小さな変化を見るたび、ヴィンセントは心の中に温かな感情が広がるのを感じた。

 そして、彼女の中にわずかでも芽生えた「人間らしさ」を見届けるたび、彼はますます彼女のことを知りたくなっていった。

 

「だから、俺は彼女の素性を知るために動いたんだ」


 しかし、モニカの心は最後まで彼に開かれることはなかった。彼女の過去を探るため、ヴィンセントはクライムハンターとしての仕事の傍ら、手がかりを求めて各地を渡り歩いた。

 それでも、彼女がどこで、誰に囚われていたのか、そしてどのようにしてあのステーションにたどり着いたのか――その真相には未だ辿り着けていない。

 やがてヴィンセントは星々を渡り歩き、その足を遠く帝国領へと伸ばしていった。

 それでもなお、彼の中に燃える執着は消えることなく、彼女に隠された真実を求め続けていた。

 

 ヴィンセントの鋭い視線がフローラとキャロルに注がれる。

 その瞳には、長年果たせなかった問いに、ようやく答えが見つかるかもしれないという期待が宿っていた。

 彼の動きには迷いがなく、静かに頭を下げる姿は、誇り高いクライムハンターとしての威厳を一瞬だけ脇に置いたようにも見えた。


「お願いだ」

 

 低く押し殺した声には、ヴィンセントの中に積もった年月の重みが込められていた。


「彼女のこと――モニカ、いやクラリスについて、何か知っているのなら教えて欲しい」


 彼のその一言が、室内の緊張感をさらに高めた。

 フローラはヴィンセントを正面から見据えながら、その心の内を静かに探っていた。

 彼が語った過去の話は嘘ではない。救っただけでなく、その後も諦めることなく彼女を支え続けた姿勢。その真摯な態度に、フローラは彼のクラリスへの想いが本物であると確信した。


 一方、キャロルは腕を組みながら、どこか不機嫌そうに睨んでいるようにも見えた。

 しかし、フローラが目配せをすると、その瞳に微かに理解の色が浮かび、渋々ながらも小さく頷いてみせた。


 フローラは静かにテーブルに手を置き、意を決した様子でカイの方を振り返った。

 彼女が心の内に抱える考え――クラリスについての情報が、今この瞬間において価値ある交渉材料に変わりつつあることに、カイも気づいているはずだ。


「カイ様……」


 低く落ち着いた声で話しかけるフローラ。その瞳には、ヴィンセントに情報を渡すべきかどうかの判断を求める意図が込められていた。

 期せずして、フローラが持つクラリスの情報が自分たちの抱える問題――ゼノレギオンの持ち込みという違反を帳消しにするための交渉材料となった。

 フローラは慎重にその価値を見極めつつ、最終的な決定をカイに委ねた。


 カイはしばらく無言で考え込むように目を閉じた。

 テーブル越しのヴィンセントの真剣な眼差しと、フローラの期待を湛えた視線が交差する中、彼は静かに目を開けた。そして、フローラに向かって短く頷く。

 その小さな仕草に、フローラは理解の色を浮かべる。カイが「話せ」と許可を与えたのだ。


 フローラは再びヴィンセントに向き直り口を開いた。

 

「ヴィンセント様、あなたがどれほど彼女を大切に思っているか、よく分かりました。そして、私たちが持つ情報は、間違いなくあなたにとって価値あるものです。ただし――」


 言葉を一度切り、彼女は鋭い視線をヴィンセントに向ける。


「その情報をお渡しする代わりに、今回の件――ゼノレギオンの持ち込みに関する違反については、見逃していただけませんか?」


 ヴィンセントはその提案に一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにその顔に理解の色が広がる。

 そして、真剣な面持ちで静かに頷いた。


「ああ、それで構わない。今回の違反の件について俺は何も見ていない。その代わり、あんた達が知る全てを教えて欲しい」


 フローラはその返答を確認すると、ほっとしたように表情を緩めた。

 そして、カイに再度目を向け、小さく礼をするように頷くと、ついにクラリスの――自分たちの過去について語り始めた。

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