7-12 [挿絵アリ]
漆黒の宇宙に、まるで深海を連想させるような群青色の塗装が施された大型航宙艦が静かに浮かんでいた。
だが、その艦から漂う戦意は本物で、少しでも対応を誤れば即交戦に至る――そんな危うい緊張感をカイは肌で感じ取っていた。
カイはブリッジのスクリーン越しに、その艦影をじっと見つめながら小さく唸った。
目の前に佇む艦は、ラプター・ドレイカー社製 重多目的大型航宙艦デスアダー。
あらゆる任務に対応可能な柔軟さを備えており、その巨大な艦体にはクラス8のパワープラントすら搭載可能だ。
それによって齎される豊富な電力を武器に、多数のハードポイントへ武装を積むことができるため、戦闘力は連邦軍の標準コルベット艦にも匹敵すると評される。
さらにカーゴ容量も豊富で、輸送任務や遠隔地への探索任務にも適している。独立パイロットなら、誰もが一度は乗ってみたいと憧れる傑作艦――それがデスアダーだった。
そして、最悪なことに今目の前にしているそのデスアダーは、どうやら純粋な戦闘仕様に特化しているようだ。
それを証明するかのように補助席に座っていたフローラがスキャン結果を読み上げる。
「カイ様、あちらの装備を確認しましたわ。メインにヒュージビームキャノンを搭載、それに小型ミサイルポッドが4基、あとは中型マルチキャノンが2基……中遠距離戦仕様といったところですわね」
「まずいな……本気でやり合うには絶望的な装備だな。こちらにもヒュージクラスが2門あるとはいえ、オベリスクの火力はそれだけだ。キャロルのナイトフォールと連携したとしても――」
カイは額にうっすらと冷や汗を浮かべた。相手の火力がこちらを大きく上回っているのは明らかだ。
ジャンプアウトしてすぐにこの状況とは、あまりに分が悪すぎる。下手に抵抗すれば、オベリスクもろとも撃墜されかねない。
そうして対策を練ろうとしている最中、ブリッジの通信端末が低い電子音を響かせる。
相手艦からの通信要請だ。カイは深く息を吐き、フローラの方を見やって短く指示する。
「フローラ、通信を受けてくれ」
「了解しましたわ」
フローラがコンソールを操作すると、ブリッジ正面の大型スクリーンに、見覚えのある男の姿が映し出される。
緩やかな波を描く黒髪が肩口まで無造作に垂れ、目つきは鋭く、口元には無精ひげが生えている。その男を見た瞬間、カイは思わず息を呑んだ。
(数日前、フォクシアがいるホテルで会った、あの男……!)
ホテルのラウンジで、フォクシアを訪ねようとしたとき、わずかに言葉を交わした相手。
そのときは同業者であろうとは考えていたが、まさかデスアダーを操っているとは想像以上の実力者のようだ。
『よう。随分と困った顔をしているじゃないか。まあいいさ、自己紹介と行こうか。俺の名はヴィンセント、クライムハンターだ』
スクリーン越しに届く声は、男の外見そのままに低く落ち着いた調子でありながら、どこか人を食ったような余裕を感じさせる。
まるで、この重々しい火砲を突きつけていることすら遊びの一環だと言わんばかりだ。
「そりゃ、突然知らない相手に砲を向けられてるんだ、緊張もするさ。俺はカイ、独立パイロットだ。で、何の用だい? クライムハンターさん」
カイは出来る限り虚勢を張っていたが、よもや相手がクライムハンターであるとは思いも寄らず、盛大に顔を顰めて見せていた。
独立パイロットの中でもクライムハンターは少し特殊な立場にある。
彼らは主に星系政府からの委託を受け、犯罪者の追跡、拘束、証拠収集などを主な任務とする謂わば民間の治安維持業者だ。
独立パイロットもそうした側面を有しているが、最も大きな違いとしてクライムハンターは逮捕権を有していることが挙げられる。
これはクライムハンターにのみ与えられる特権とも言え、合法的に犯罪者の追跡や拘束を行う権限を持っており、他の独立パイロットと一線を画している。
そうした優位的立場から、他の独立パイロットより旨味が多いと勘違いされることがあるが決してそうではない。
特に大きな違いとして海賊に対する取扱いがある。
通常、独立パイロットは海賊討伐を果たした際にはパイロット連盟よりその報酬として賞金が支払われる。
これに対してクライムハンターの場合は、原則として連盟からの支払いは無く、警察機関からも特に報酬といった形の手当ては支給されない。
それにも拘らず海賊行為に対しては、他業務よりも優先的に捕縛または殺害が厳命されている。
これはクライムハンターが独立パイロットでありながらも、その立場が法秩序の執行者であるためだ。
カイはやっと目的地へ到着したと言うのに、すぐにクライムハンターに目を付けられたことに疑問を覚えていた。
まるで自分のことを待ち構えていたかのように現れたヴィンセント。一体どこから情報が漏れたのか。
カイの中でそんな疑問が渦巻いていた。
『フフ、そりゃそうだな。なあ……お前さん、カーゴにちょっと違法な物積んでるんじゃないのか? ちょっと教えてくれよ』
カイは、スクリーン越しに届いたヴィセントの言葉に一瞬耳を疑った。
カーゴの中身について問われたその一言に、カイの眉がわずかに動く。なぜ中身について知っているのか――それが即座に疑問として浮かんだ。
仮にデスアダーの高性能なスキャン能力を持ってしても、積荷の内容を特定することは容易ではないはずだった。
ゼノレギオンが入っているケージや冷凍カプセルには、動物園謹製の特殊フィルタリング材が使用されている。これにより、中身を探るスキャンを遮断し、完全な秘匿性を保つ仕様となっているのだ。
(カーゴの中身を見破るのは難しいはずだ。だが、もしこいつが初めから知っているとすれば……?)
画面に映るヴィンセントの表情に目を向ける。群青色の装甲艦と同じ冷ややかな輝きを持つその不遜な笑み――どこか余裕すら漂わせている。
「あっ……」
思わず小さな声を漏らす。その瞬間、全てが繋がった。
この目の前の男はただの通りすがりではなかった。最初からフォクシアを通じて何かを嗅ぎつけ、今こうして自分たちの行動を追ってきたのだ。
カイは深く息を吐き、画面の中の男を睨みつける。
思考を巡らせても今この状況を覆す手立てはない。圧倒的な火力差、そして相手の行動の確信――どれを取っても不利だ。
「ふぅ、降参だ……ご推察の通り、カーゴの中身は人工生命体だよ」
短くそう告げると同時に、カイは両手をゆっくりと挙げ、降参のポーズを取った。
スクリーンの向こうで男が笑みを深める。その声はブリッジ全体に響き渡った。
『お、随分と物分かりがいいじゃないか……そうか、人工生命体か。ま、大した違反じゃないが、帝国法に則り臨検させて貰うぞ』
「……ああ、どうぞ。フローラ、ドッキング準備だ」
カイは仕方ないと小さく顔を顰めながらも、ドッキングを受け入れるのだった。
一方で突然のカイの行動に驚いたのは、フローラだった。
だが、その驚きも一瞬のことで、直ぐに何か考えがあっての事だろうと頭を切り替える。
「了解、ドッキングリクエストを許可します」
そうしてフローラはすぐさまオベリスクが展開していた2門のヒュージマルチキャノンを収納し、武装解除を行うと共に、艦内通信を使ってドックで出撃に備えるキャロルを呼び戻す。
すでにカイが状況を受け入れている以上、ここから先、戦闘に陥る状況にはならないと悟っての行動だった。
先ほどの緊迫した状況から打って変わり、臨検の為のドッキング作業に艦内が慌ただしく動き出す。
そんなフローラの迅速な行動を横目で見ながらも、カイは通信が途切れたスクリーンを見つめ続けていた。
オベリスクのエアロック前に立つカイたち三人。
その場に漂う空気は重く、まるで艦内の重力が増したかのような錯覚さえ覚える。
ドッキング作業は順調に進んでいたものの、冷たい金属音が艦体を震わせるたびに、キャロルは眉をひそめ、フローラは無言でカイの様子を伺っていた。
緊迫感の中、唯一カイだけが静かに視線をエアロックに向けている。
「ねえ、ご主人様。逃げた方がよかったんじゃない?」
キャロルの声が静寂を破った。その語尾には苛立ちがにじんでいる。
カイはゆっくりと彼女に目を向け、苦笑いを浮かべた。
「逃げたところで何の解決にもならないぞ。相手がすでに人工生命体の件を把握していた以上、通報されれば何れは捕まるし、むしろ罪が重くなる。厄介なことになる前に、さっさと清算するのが得策だ」
落ち着いた口調だが、その言葉の裏にはカイなりの慎重さと計算が隠されていた。
だが、キャロルは腕を組んでそっぽを向く。
「それなら戦った方がまだマシだった気がするけどね、デスアダーが相手でも2対1よ? 勝機がなかったわけじゃないもの」
確かにキャロルの話す通り、勝機が完全に無いというわけではなかった。
しかし、それをカイが選択しなかったのは、その結果には必然的に相手艦の完全破壊が必要となるからだ。
目撃者を始末して口封じをする。その選択の結果にはヴィンセントの命を奪う必要がある。
だが、肝心の積み荷がそこまでして守るべき価値あるものとは決して言えなかった。たかが違法な人工生命体数百体でしかない。
罰金もそう大した額ではないし、何よりもカイ自身違法な積み荷を摘発された以上は、素直にそれに従うのが道理とも考えていた――勿論、腹立たしい限りではあるが。
そんな思いを隠しながら、カイはただ不機嫌なキャロルに苦笑いを浮かべ続けるしかなかった。
そこへ見かねたフローラが軽く溜息をつき、キャロルに視線を送る。
「キャロル、今はそういう状況ではありませんわ。カイ様の判断を信じましょう」
そのやり取りの最中、エアロックのインジケーターが緑色に点灯し、艦内に低い機械音が響き渡る。
ドッキングが完了した合図だ。
やがて金属製の扉がゆっくりと開き、その向こうから現れたのは、あの男――ヴィンセントだった。
通信越しでも強烈だったその存在感は、直接目の前に立つとさらに圧倒的だ。無造作に肩まで伸びた黒髪と鋭い目つき。何かを貫くような視線を向けるその姿に、カイは無意識に背筋を正した。
(……ただ者じゃない。さすがクライムハンターか)
一方で、ヴィンセントは威圧的な立ち姿とは裏腹に、軽く片手を挙げながら歩み寄ってきた。
「よう、招待ありがとう。臨検の形式だけ済ませたら、さっさと済ませようぜ。無駄に時間を使いたくはないだろう?」
その低く落ち着いた声には、わずかに油断のない冷たさが含まれていた。
「ああ、そうだな。その前に……ようこそ、オベリスクへ。カイ・アサミだ」
カイは一歩前に出て、手を差し出した。
自分の事を見事に手玉に取った憎らしい相手ではあるが、最低限の礼儀と敬意は払うべきだ。
だからこそ、カイは相手よりも先に自ら悪手を求めたのだった。
ヴィンセントはその手を一瞬見つめた後、笑みを浮かべて握り返した。
「ヴィンセント・ヴィッセルだ。まあ、そう硬くなるな。たかだか人工生命体の所持と輸送、そう大した違反額じゃない」
握手を交わした瞬間、カイはふと後ろにもう一人居ることに気づいた。
ヴィンセントの背後、彼の広い体に隠れるようにしてもう一人の人影があったのだ。
「……誰だ?」
訝しげに目を細めたカイの視線を察し、ヴィンセントは軽く肩をすくめると背後に手を伸ばして引き寄せるように声をかけた。
「そうだ忘れていた、紹介しておこう。モニカだ、俺の相棒をやってくれている」
その言葉とともに現れたのは、驚くほど小柄な女性だった。
淡い緑色のショートボブの髪が光を受けてきらめき、華奢な体格に不釣り合いなほどの豊かな胸元が目を引いた。
端正な顔立ちは美しく、それだけならただの美少女のように思える――だが、どこかが違った。
彼女の瞳には生気がなく、まるで虚空を見つめているかのように焦点が合っていない。
表情は無機質で、そこに感情の影は微塵も見えなかった。
動きは滑らかで整然としていたが、まるで精巧な人形が動いているかのような不気味さが漂っている。
その彼女の姿を一目見た時、フローラとキャロルがほぼ同時に叫んだ。
「クラリス……!」
その名を聞いたカイは驚きに目を見開き、改めて目の前の女性を見つめた。
だが彼女――クラリスは何も言わず、虚ろな瞳でただ静かに立ち尽くしている。
その場に張り詰めた空気が一層冷たくなり、誰もが動けないまま、時間だけが過ぎていった。




