7-8
試験調整中のゼノレギオンが静かに眠るシリンダー群。
カイたちは、異様な静けさに包まれたそのエリアを抜け、奥へと進んでいく。
先頭を歩くのはコーネリアだ。
彼女の足取りは軽く、何事もないかのように廊下を進んでいくが、その背後には先ほど目にしたセイレーンの不気味な余韻がカイの中にまだ微かに残っていた。
廊下の先、ひときわ目立つ重厚な扉が行く手を塞ぐ。
コーネリアが慣れた手つきで扉の端末を操作すると、低い駆動音とともに扉がゆっくりと開いた。
――扉の向こうは、先ほどの実験エリアとは打って変わり、明るい照明が灯る広いスペースが広がっていた。
そこはスタッフたちが行き交い、各所で作業や談笑をする、いわば施設の管理・休憩エリアだ。
無機質な通路から一転して、空間には適度な生活感が漂っている。
モニターを確認する者、備品を整える者、飲み物を手にして談笑する者――忙しそうに動く姿が、カイたちの目に飛び込んだ。
「こちらになります」
コーネリアが先導するまま、カイたちはスタッフエリアの一角に設けられた扉へと向かう。
周囲に比べて一際目立つその扉は、落ち着いた色合いと装飾が施され、ただの作業スペースとは明らかに一線を画していた。
――扉のプレートには「商談室」と刻まれている。
「どうぞ、こちらでお待ちください」
コーネリアが扉を開くと、目の前には豪奢な空間が待ち構えていた。
赤い絨毯が敷かれ、金縁の絵画や重厚な革張りのソファー、天井から下がるシャンデリア――成金趣味を凝縮したかのような空間だ。
「……やけに派手だな」
「目がチカチカするー」
カイは小声で呟きながらソファーに腰を下ろす。
キャロルは大袈裟に目をこすって見せ、フローラは室内を一瞥し、冷ややかな口調で言った。
「これ見よがしの装飾……こういう場所ほど、裏に隠されたものが多いですわね」
その言葉にカイも無言で頷く。これほどの豪奢な空間は、施設の財力と権威を誇示するためのものだろう。
コーネリアは変わらぬ笑みを浮かべ、丁寧に一礼する。
「本日は特別なお取引となりますので、当園のオーナーが直接ご挨拶に参ります。少々お待ちくださいませ」
そう言い残してコーネリアが部屋を後にすると、静寂が訪れた。
カイはソファに体を預け、視線を天井へ向ける。
だが、その瞳には緊張の色が滲んでいた。手元の端末を無意識に撫でながら、彼は微かな笑みを浮かべる。
――面談にこぎつけた。これで大きく動ける。
ふと目をやると、キャロルが無邪気な笑みを浮かべて立ち上がる。
「ご主人様、ここからは任せて!」
彼女の声には軽さがあるが、その目には鋭い集中が宿っていた。
腰元の端末に手を添えると、キャロルの姿が一瞬揺らぎ、次の瞬間には完全に溶け込んで消える。
光学迷彩が作動し、彼女の気配までもが空気に紛れていく。
カイは微かに頷き、短く言葉を漏らす。
「頼んだぞ」
キャロルは答えることなく、無音のまま扉の隙間から廊下へと出ていった。
廊下に出ると、キャロルはさながら影のように軽やかな足取りで進んでいく。
キャロルの瞳にはRPDによりカイが解析した地下施設の大まかな地図とコーネリアの現在地が浮かんでいた。
地上にいる間にこっそりとディープ・アーキトレーサーで施設の構造を把握したおかげで、目的地までの道筋は完璧だ。
何より追跡装置を取り付けたコーネリアが確実に案内してくれる。
――目指すは、オーナーの部屋。
角を曲がり、コーネリアが進んでいる姿を見つけると、キャロルはまるで風に乗るように彼女の背後にピタリと張り付いた。
そのまま足音を殺し、呼吸すら制御する。
やがてコーネリアが、ある扉をノックすると、中から男の声が聞こえてきた。
キャロルはコーネリアの影と同化するようにして、彼女と共に静かに中へと滑り込んだ。
部屋の中は静謐で、外の成金趣味とは一転して、冷たく機能的な空間だった。
中央には重厚なデスクの向こうで一人の初老の男が、熱心にコンソールに向かい入力を続けていた。
白髪交じりの髪と鋭い目つきが、彼の経歴と立場を物語っている。
(奴がオーナー……この部屋で間違いないわね)
キャロルは微かに口角を上げると、壁際に身を寄せて完全に気配を消す。
そして、静かに端末を操作してカイへと合図を送った。
――あとは、カイを信じて合図を待つだけだ。
その一方。
コーネリアは静かに一礼し、オーナーの前に立つと、流れる様に報告を始めた。
「報告いたします、オーナー。本日、規定額を満たす取引がございました。取引額は250万クレジットです。お相手は独立パイロット、カイ・アサミ。軽く調べたところ、どうやら上位貴族と何らかの繋がりを持っている可能性もございます」
オーナーと呼ばれた初老の男の目がわずかに細まる。
それまで動かし続けていた手を止め、確かめる様にコーネリアを見つめる。
「……ほう、独立パイロットがか?」
コーネリアは涼やかな笑みを浮かべ、淡々と続けた。
「はい。優良なお客様かと。今後の関係強化にも期待できるかもしれません」
オーナーにとって、彼女の報告が事実であるとすれば、それは願っても無いチャンスだ。
貴族との繋がりを持つ者というのは何かと使い道が多い。
ビジネスを広げるには、そうした人物と何かしらの縁を結んでおいて損はないからだ。
オーナーはふっと小さく笑い、端末の電源をオフにすると、ゆっくりと立ち上がった。
「面白い。それでは、直接ご挨拶に行くとしよう」
そう話すと、彼は上着を整え、扉の方へと足を向けた。
――その瞬間、キャロルの耳に僅かな振動音が届く。
(流石、ご主人様! 仕事が早い)
それはカイからの通知だった。
キャロルはオーナーの部屋へ侵入した直後にカイへと合図を送っていた。
それを受けて、商談室で待つカイはその部屋の最低限のセキュリティを無効化する作業に取り掛かっていた。
感圧式センサーやサーモスキャン、四隅に配置された監視装置――それらは、普通のオフィスに備わる警戒設備を遥かに超えている。
そのうちカイは危険性の高い一部センサーのみ停止させた。完全に停止させれば逆に異常が察知されるからだ。
あくまで気付かれないよう最小限――それが彼のやり方だった。
キャロルは光学迷彩を解除せず、慎重にデスクへ向かう。
オーナーが残していったコンソールが、まるで彼女を待っていたかのように静かに佇んでいる。
(さて、見せてもらいましょうか――)
キャロルはユーティリティポーチから端末を取り出し、すばやく接続する。
画面が暗闇に浮かび上がり、「データ転送開始」の文字が現れた。
静まり返った部屋に、微かな画面の光だけがキャロルの顔を照らす。
進捗バーが徐々に伸びていく。
(ご主人様が安全を確保してくれているとはいえ、油断は禁物よね)
60%、70%――順調に進むバーを見ながらも、キャロルの耳は僅かな物音も聞き逃さないよう張り詰めていた。
――80%、90%。
わずかな気配に背筋が凍る。
外の廊下で、誰かが足音を忍ばせて近づいている――そう感じた。
(落ち着いて……あと少し!)
心の中で進捗バーを睨みつけると、ついに「転送完了」の文字が浮かび上がる。
キャロルは息を殺しながら端末を引き抜き、素早く痕跡を消去。画面を元の状態へと戻して静かに壁際へと後退する。
扉の向こうの気配は既に遠のいたようだが、彼女は一瞬たりとも気を抜かない。
緊張に汗ばむ手を握り締めながら、キャロルは音もなくオーナー室から出ていくのだった。
カイは、潜入工作中のキャロルからの通知を受け取り、無事に奪取に成功した報告を受けて静かに息を吐いた。
緊張の糸がわずかに緩んだが、それもほんの一瞬――。
扉の向こうから、小さく控えめなノック音が響く。
カイは表情を引き締め、無意識に背筋を伸ばす。
隣に座るフローラがわずかに頷き、二人の間には「準備はいい」という無言の了解が交わされる。
「どうぞ」
重厚な扉が開き、部屋に新たな気配が流れ込む。
最初に姿を現したのはコーネリア、続いて彼女の後ろから堂々とした足取りで現れたのは、白髪交じりの初老の男だった。
男はゆったりとした歩調で部屋の中央へと進み、その品の良い装いと威厳ある立ち姿が、この場を取り仕切る者であることを一目で示していた。
「お待たせいたしました。こちらが当園のオーナーでございます」
紹介の言葉を受け、男は静かに目を細めてカイたちに視線を向けた。
「初めまして、お客様。当園のオーナーを務めているアレクサンダー・オットーと申します。この度は、私どもの施設をお選びいただき、大変光栄に存じます」
その言葉と共に、アレクサンダーは控えめな笑みを浮かべる。
柔和な表情には、余計な高圧さは微塵もない。
「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」
カイは穏やかに返しながら、オーナーの丁寧な態度に軽く驚きつつも、警戒は崩さなかった。
その時、コーネリアがふと室内を見渡し、不審げに首を傾げる。
「あれ……? お連れ様のキャロルさんはどうされました?」
一瞬、室内に緊張が走る。
カイの視線がフローラと交差するが、フローラは何事もなかったかのように品の良い笑みを浮かべたまま静かに頷いた。
「ああ、キャロルなら少しお手洗いに……すぐ、帰って来るかと思います」
カイは何事もないかのように肩をすくめ、軽く言葉を繋ぐ。
落ち着いた態度と自然な口調に、コーネリアは一瞬納得しつつも、どこか腑に落ちない様子で小さく頷いた。
「それでは、お二人でお進めいただく形でよろしいのですね」
「ええ、そういうことです」
カイは場を切り替えるようにアレクサンダーへと視線を向けた。
アレクサンダーはゆったりとした動作で椅子に腰掛け、穏やかな表情で口を開く。
「さて、それでは改めて今回のご購入ありがとうございます。ピクシー1匹とキマイラを1体……ふむ、お客様はたしか独立パイロットであるとか。今回のキマイラ購入は、何か今後そうしたご予定が?」
コーネリアから手渡されたデータパッドに視線を落としながら、確かめる様にアレクサンダーが問う。
カイはその問いかけに軽く頷き、自然な笑みを浮かべながら答えた。
「ええ、今後の活動を見据えて、優秀な戦力を確保しておきたくて。ピクシーはともかく、キマイラの能力には大いに期待していますよ」
一方で、カイの関心は別の場所――セイレーンに向かっていた。
――どうにも、あのゼノレギオンは引っ掛かる。明らかに技術のレベルが違う。
それについて、少しでも情報を得ようと、カイは探りを入ることにした。
「……それにしても、先ほど見せていただいたセイレーン。あれは驚きましたよ! あんな美しい人工生命体は初めて見ました。すでに一部販売もされているとか、是非とも詳細をお聞きしたいですよ」
カイが何気ない風を装いながら言葉を投げると、隣に座るフローラがふんわりと微笑みながら口を挟んだ。
「私も大変興味がございますわ。あの完成度の高さ――どのようにして造られたのか、とても気になります」
フローラの声音はあくまで穏やかだが、その瞳には鋭い光が宿っていた。
カイの意図を察してか、彼女は流れるように会話へと加わり、自然にカイの援護射撃を行う。
アレクサンダーは二人の反応を面白そうに眺め、わずかに口角を上げた。
彼らの意図を見透かしているのか、その反応はどこか愉快げだった。
「ああ、セイレーンに興味を持たれましたか。あれは他のゼノレギオンとは一線を画す存在でしてね」
アレクサンダーはデータパッドを指先でリズミカルに叩く。小気味よい音が豪奢な部屋に静かに響いた。
その仕草には余裕があり、彼の立場と自信を改めて見せつけるようだった。
カイは静かに視線を向けながら、落ち着いた表情を崩さない。
セイレーン――あの異様に完成度の高いゼノレギオンは明らかに不自然だ。
もとより、カイがこの動物園に来た目的はオーナーとの接触だ。
そして、そこからクルト伯爵についての情報を得ること、それが狙いであった。
だが、あのセイレーンを見た瞬間、カイは直感した。
あれには十中八九、クルト伯爵が関わっている――と。
きっかけは単純だった。
エクリプス・オパールを強奪した可能性がある人物――クルト伯爵。彼に繋がる手掛かりを求め、カイはこの動物園に目をつけた。
動物園のオーナーであるアレクサンダー・オットーが、この地で商取引の中心に位置する一角を担っていることは調査済みだ。
この場所が情報の集積地――表向きはゼノレギオンを取り扱う施設に過ぎないが、裏では有力者たちとの隠された商談が行われている可能性が高い。
その中で見つけた、一際異質な存在――セイレーン。
異様なまでの技術力の高さ、他のゼノレギオンを凌駕する造形美、そして他の動物園では再現不可能という特別さ。
これほど高度な技術が関わっている以上、背後にはそれに見合う資金と技術者、そして相応の目的があるはずだ。
(……クルト伯爵か。それとも――)
セイレーンを見て、そう直感したカイは、冷静さを装いながらも内心でその可能性を探っていた。
表には出さないが、このセイレーンに関わる技術や流通経路――それこそが、クルト伯爵へと繋がる糸口かもしれないのだから。
そのためにも、アレクサンダーから少しでも情報を引き出す必要があった。
「とはいえ、まだ試作段階……ふふ、簡単にお教えするわけにはいきません」
そう言いながらも、アレクサンダーの視線はどこか探るようにカイの顔を捉えている。
その言葉が意味するのは、容易に情報は出さないという一線だが、逆にそれが引き出せるかもしれないことを暗に示している。
「……ただ、あれほどの完成度を誇るゼノレギオン、何かしら特別な手が加わっていることはご想像の通り。とだけ、話しておきましょう」
彼は一拍置き、満足げに口元に微かな笑みを浮かべた。言葉の裏には興味を持ち続けろと言わんばかりの意図が見える。
カイは表情を崩さず、それを受け流すように聞いていたが、内心では違和感を覚えていた。
何かしら特別な手――それが何なのか、わざわざ言葉を濁すのは確信犯だ。
「お客様とは、今後も末永いお付き合いをさせていただきたい。そう考えております」
ゆっくりとした口調で続く言葉に、アレクサンダーの真意が滲む。
カイは軽く目を伏せ、その言葉を反芻した。
アレクサンダーは余裕たっぷりの笑みを浮かべ、椅子の背もたれにゆったりと身を預けた。
その態度には、情報の小出しで相手の出方を窺う、老獪な商売人の姿がありありと見て取れる。
(……こちらがどれだけの実績を持つのか、試しているな)
カイは内心でそう判断し、軽く息を吐いた。
――どちらにせよ、ここで自分について情報を開示するのは好都合だ。
そう判断したカイは、大きく息を吸うと力強い目でアレクサンダーを見据えた。
「……分かりました。信頼関係の重要さについては、私も理解しています」
言葉に少し間を置き、カイは自らの立場を明かすことにした。
「すでにお気づきのようですが、私は独立パイロットをしております。帝国領での活動を始めてまだ半年ほどなのですが――アルテンシュタイン星域のヴァルデック侯爵から星章士の称号を賜っています」
「ほぅ……」
その一言に、アレクサンダーの表情が僅かに変わる。
星章士――それは統治星系を持つ貴族からのみ授与される名誉職であり、叙任を受けた者は、叙した貴族からの厚い信頼を示す証でもある。
そして今回、目の前の彼がヴァルデック侯爵から授けられたと語った。それは、アレクサンダーの関心を引くには十分な証だった。
「なるほど、星章士ですか。それは素晴らしい。よろしければ、どんなご活躍をしたのか聞いても?」
カイは一瞬、淡く微笑みながらアレクサンダーを見据えた。
この場で無駄に多くを語る必要はない。
だが、適度な興味と信用を与えられれば、それが次の機会へと繋がる――。
「ご活躍、というほどのものではありませんよ。ただ、ヴァルデック侯爵星系にて、幾つかの問題を解決させていただいたに過ぎません」
アレクサンダーは、データパッドを閉じると手の中で軽く回しながら、カイを見据える。
その視線には、確かな興味と評価の色が浮かんでいた。
「……なるほど、あなたは想像以上に面白い人物のようだ」
その言葉には、明らかな興味が滲んでいた。
「独立パイロットとして、帝国領でそうそう簡単に星章士の称号を得られるものではありません。ヴァルデック侯爵ともなれば、なおさらでしょう。よほどの腕と信頼を示されたのでしょうな」
カイはアレクサンダーの観察するような視線を受け止めながらも、表情一つ変えずに淡々と答えた。
「信頼を得るのは難しいですが、それを保つことのほうが難しいものです」
アレクサンダーが低く笑い声を立てた。
カイの言葉に含まれた意味を理解したのだろう。
「確かに、そうだ。実に興味深い……」
部屋に一瞬の静寂が訪れる。
だが、その空気は緊張ではなく、まるで次の展開を期待するかのような含みを持っていた。
カイは、この場が彼にとって試金石であることを理解していた。
アレクサンダーの興味を繋ぎとめる限り、彼の口は閉ざされることはない。
次に繋がる情報――それを引き出すためにも、ここは焦らず、確実に立ち回る必要があった。
(よし……これで一歩前進、か)
カイは内心で静かにそう呟きながら、アレクサンダーと再び視線を交わす。
相手の興味は引けた。次はどこまで踏み込めるか――カイは機を伺うように、じっとその機会を待ち構えるのだった。
何気にブクマが100件突破していました。
本当にありがとうございます。これからも頑張りますー!




