7-4
静寂に包まれた小惑星の荒涼とした岩肌。
その一角に、巨大な影を潜めるように着陸しているのはカイたちの母艦、オベリスクだった。
宇宙の冷たさを映し出すその艦体は、無機質でありながら威圧的な存在感を放っている。
艦首側にある第1ドックが、低い機械音とともにゆっくりと開いていく。
その暗い内部からせり上がるように現れたのは、カイの愛機、白鯨号だった。
丸みを帯びた滑らかなフォルムが小惑星の微かな光を受けて優雅に浮かび上がる。白鯨号はまるで宇宙に溶け込む一滴の水滴のように、静かで落ち着いた佇まいを見せていた。
白鯨号はゆっくりとスラスターを始動させ、滑るように発艦する。
冷たく青白い小惑星の光景がコクピットの後方へと流れ去る中、カイはオベリスクの動きを注視していた。
発艦してしばらくすると、オベリスクの警戒システムが自動的に作動する。
艦全体を覆うナノジェルが一斉起動し、徐々にオベリスクの姿を覆い隠していく。
やがて巨大な姿が周囲の星空と完全に溶け合っていった。わずかに艦の輪郭が揺らめくのを最後に、ついには肉眼でも見えなくなり、レーダーの反応も消え去る。
カイはその様子を確認すると、小さく息を吐いた。
「光学迷彩、問題なく作動してるな……これならしばらくは大丈夫だろう」
オベリスクに搭載された無人警戒システムは、まさに宇宙を彷徨う幻影だ。
その高度な技術は、たとえ無人であろうとも最適な手段を選び、自己防衛を徹底する。
信頼性の高いシステムではあったが、それでも動作を確認するたび、微かな安堵を覚える。
「ご主人様、これでオベリスクはしばらく安泰ね。それで、私たちの目的地は“例の動物園”で間違いないのよね?」
カイの隣に座っていたキャロルが明るい声で話しかけてくる。
その調子は、この場にそぐわないほど軽やかだった。
「ああ、そうだ。まずは、そこのオーナーと接触を図り、情報を入手する感じだな」
カイの答えに、キャロルはクスクスと笑い声を漏らす。
「動物園……きっとヘンテコな生き物ばかりよ。お姉様が悲鳴を上げたりしないといいけど?」
キャロルはちらりと後ろを振り返り、補助席に座るフローラを挑発するように口元を歪めた。
しかし、フローラは冷静そのものだった。
むしろ、キャロルの軽口を楽しむかのように小さく笑みを浮かべると、わざとらしいほど上品な口調で返す。
「そうね。媚薬成分を分泌する生物なんか素敵ですわ。或いは……そう、あちらが逞しい子が居たならば、思わず喜びの声を上げるかもしれませんわね」
キャロルの表情が一瞬で固まった。
そして、揶揄われたのが自分だと気付くと、静かに悔しさに身悶えするのだった。
「ぐ、ぐぬぬ……!」
キャロルは悔しそうに眉をひそめ、口をつぐんだ。だが、赤く染まった頬が彼女の感情を雄弁に物語っていた。
カイはそんなキャロルの様子を横目で見ながら、軽く肩をすくめた。操縦桿を握る手にはどこか余裕があり、微かに笑みを浮かべている。
「まあ、フローラが満足するような異星生物がいるなら、いっそのこと買ってもいいかもな。そうすれば少しは静かになるかもしれないし」
そう言いながら、カイはちらりと後ろに視線を送る。
補助席に座るフローラは、変わらず冷静な表情で、わずかに口元を緩めていた。
実際の所、カイが言ったことは冗談と本気が半々といったところだった。
何しろ、毎夜二匹の獣に睡眠妨害を受けているのだ。
もし、そのうちの片割れが満足する"お相手"が見つかるのであれば、多少は値が張っても買っておくというのも悪い手ではないと考えていた。
「そうね、それイイかも! お姉様の獣染みた本能を満足させるには、同じ獣が最適解よね!」
カイの何気ない言葉に、キャロルの瞳が輝いた。
勢いよく身を乗り出し、手を叩きながら言葉を重ねる。
その軽口には、どこか本気の色が混じっていた。
キャロルは内心で、これを機にカイを独占できるかもしれないと考えていたのだ。
フローラが別の対象に気を取られてくれれば、自分の動きやすさも格段に増す――そんな思惑が隠されていた。
だが、フローラはそんなキャロルの企みを見透かしたように、冷静な微笑を浮かべながら言葉を返す。
「まあ、それも悪くありませんわね。でも、私が満足する相手となると……単なる異星生物では役不足かもしれませんわね」
その言葉には、どこか余裕が感じられる。
キャロルはその意味を測りかねて、一瞬戸惑った様子を見せる。
「え? ど、どういうこと?」
フローラはゆっくりと首を傾げながら、わざとらしく考える仕草を見せる。
「そうですわね……例えば、その生物があまりにも優れている場合、私たち全員の興味を惹いてしまう可能性もございますわね。そうなれば、キャロル、あなたも眠れなくなるのではなくて?」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ、私はご主人様一筋なんだけど!?」
キャロルは赤面し、慌てて言葉を探したが、フローラの余裕たっぷりな笑顔の前で押し黙るしかなかった。
一方、カイはため息をつきながら操縦桿を握り直す。
「あー俺が悪かった。頼むからこれ以上ややこしい話はやめてくれ。俺の安眠の話だったはずが、なんでこんな方向に進むんだよ」
その言葉に、フローラは控えめに微笑みを浮かべたまま、肩をすくめる。
「うふふ、カイ様。こういうやり取りも私たちの魅力の一部とご理解くださいませ」
キャロルは渋々頷きながら、腕を組んでそっぽを向いた。
白鯨号は静かに宇宙を進む。
目的地の動物園に着くまでの道中、船内はいつものように賑やかで、そしてカイの安眠はまだまだ遠い未来の話のようだった。
◇◇◇
動物園のエントランスを抜けると、そこに広がる光景に思わず足を止めた。
空は雲ひとつない快晴で、澄み切った青空が広がっている。
動物園は露天形式で作られており、広大な平地に無数の檻が点在していた。
それぞれの檻は、異なる生態系を再現した環境で構成されており、湿地や砂漠、密林、さらには極寒の氷雪地帯を模したエリアまでが整然と並んでいる。
周囲には自然のように見えるが、明らかに人工的に整備された岩場や草地が広がっており、どこか異様な雰囲気を醸し出していた。
檻の中では異星生物たちがそれぞれの環境で蠢いている。
雄々しい四足獣が檻の中を悠然と歩き回り、鋭い牙を剥き出しにして低く唸り声を上げる。その隣では、巨大な昆虫のような生物が鮮やかな羽根を広げ、金属的な音を響かせていた。
さらに奥には、一見すると美しい花のように見えるが、花弁の隙間から触手を伸ばし、何かを探るように揺れる奇怪な生物もいた。
広場の中央には、簡易的な露店や情報端末が設置されており、ホログラフィックディスプレイに生物たちの詳細な情報が表示されている。
訪れる者たちはその情報を見ながら、熱心に品定めをしているようだった。
カイは思わず周囲を見渡しながら、息を吐いた。
「これが“動物園”か……なるほどな。確かに名前の通りだ」
その言葉にキャロルは目を輝かせ、すぐ近くの檻へ駆け寄った。
「ご主人様、見て! この子なんてすごい! 牙がこんなに大きいのに、目は可愛い感じじゃない?」
一方、フローラもその光景に驚きを隠せない様子だった。
「これほど多様な生物が露天で展示されるなんて……何か裏がありそうですわね」
彼女の青い瞳は冷静に周囲を観察しつつも、檻の中で蠢く異星生物たちに注意を向けていた。
広大な露天の動物園。
その壮観な光景と異様な空気感は、訪れる者すべてに強烈な印象を残す場所だった。
動物園が所在する惑星オニル2A。
地球類似環境を持つこの惑星は、テラフォーミングが施された人工的な星だった。
カイはその事実を改めて思い返し、動物園という施設の規模とオーナーの資金力に圧倒される。
「ここまで整えられた環境と、これだけの生物を集められるなんて……どれだけの資金力と影響力があるんだか」
カイは静かにそう呟き、檻の向こうにいる異星生物に視線を落とした。
鋭い目つきの獣が、檻越しにこちらを睨んでいる。その瞳には獣特有の野性と共に、どこか異様な冷たさが宿っているように見えた。
作られた環境、人為的に集められた生物――その光景が、カイの中に得体の知れない違和感を生み出す。
動物園のオーナー――この場所を作り上げた人物は、どれほどの資金力を持ち、何を目論んでいるのか。
しかし、今のカイにとってその真意を探ることは後回しだった。彼の頭の中には、別の優先事項が渦巻いている。
(クルト・フォン・シューマッハー伯爵……彼がエクリプス・オパールの強奪に関わっているかどうか、何としてもその手掛かりを掴まないといけない)
半年――あの時スター・バザールでエクリプス・オパールが強奪されてから、既に半年が経とうとしている。
無駄な時間はもう残されていない。もしクルト伯爵が関与しているのならば、その動向を掴み、次の手を打つ必要があった。
だが、伯爵への直接の接触は危険が伴う。ならば――
(彼が取引を行っている動物園のオーナーから情報を手に入れる。この場所を維持し、運営するためには、必然的に貴族や裏社会の大物との繋がりがあるはずだ)
オーナーが持つ顧客リスト――そこには、動物園を利用するクルト伯爵を含む有力者たちの情報が記されている可能性が高い。
表向きには異星生物の取引と装っていても、こういった場所には必ず“裏”の動きが潜んでいる。
カイの中で、慎重な探り合いと強い目的意識がせめぎ合う。
(クルト伯爵についての、さらに深い情報……それを得るためなら、ここで多少のリスクを冒す価値はある)
カイは小さく息を吐きつつも、その黒い瞳には迷いがなかった。
エクリプス・オパールは単に奪われたから取り返すのではない。その幻の鉱石一つに、レオン・フォスターは命を捧げた。
そして、それを追って失われた時間、傷つけられた誇り――全てを取り戻すためにも、動物園のオーナーと会い、真相の糸口を掴まなければならない。
その静かな決意の中、遠くからキャロルの興奮気味な声が聞こえてきた。
「ねえ、ご主人様! この子なんてどうかしら!」
カイは視線を彼女の方に向けると、肩をすくめて歩き出した。
頭の中では、オーナーとの面会に向けての策を組み立てながら――。
それから一時間ほど、カイ達は園内を見て回り品定めを続けていた。
無数に並ぶ檻を見て回りながら、展示されている異星生物の価格を一つずつ確認していく。
しかし、そこで新たな問題が浮上してきた。
「……安いな」
カイが苦い顔をして、近くのホログラフィックディスプレイを操作しながら呟く。
表示されている生物の価格は、希少性が高いとされるものでも1体1000クレジット程度。
地上で暮らす者にとってはそれなりの金額だろうが、宇宙を生きる者にとっては大型ミサイル一発分に過ぎない。
「100万クレジット分を満たそうと思ったら、単純計算で1000体購入しなきゃいけませんわね」
フローラの淡々とした指摘が、さらにカイの頭痛を加速させた。
1000体――いくらオベリスクが巨大な母艦だとしても、そんな膨大な数の異星生物を積み込む余裕はない。ましてや、密猟された生物という特殊な事情を考えれば、売り捌く先を見つけることすら困難だ。
「まったく、これでどうやって100万クレジット以上の買い物すればいいんだ?」
カイが呟くように言うと、キャロルが屈託のない笑顔で提案する。
「なら、数百体ずつ、分けて買っちゃうとか? どうせ他に売りつける気なら、そっちの方が楽かも!」
「いや、売るのは楽でも、そんな大量の生物をオベリスクにどうやって載せるんだよ。却下だよ、却下」
カイは半ば呆れつつ、手を振ってキャロルの戯言を退けた。
しかし、オーナーと接触するには最低でも100万クレジット分の購入が条件――カイたちは、今まさにその壁にぶつかっていた。
その時、不意に背後から声がかかった。
「お客様、少しお困りのようですね?」
柔らかな声が再び響き、カイたちは一斉に振り向いた。
その声に振り向くと、そこには一人の女性が静かに佇んでいた。
緩やかなウェーブのかかった金髪が淡い光を反射し、碧眼が鋭くも穏やかにカイたちを見つめている。
洗練された制服をまとったその姿は、まさに絵に描いたような帝国人女性だった。
突然の声に、カイは一瞬戸惑いながらも表情を引き締め、相手を探るように問いかける。
「……あなたは?」
「申し遅れました。私はこの動物園で営業を担当しております、コーネリアと申します」
彼女は穏やかな笑みを浮かべ、流れるような仕草で一礼する。
その様子には無駄な動きが一切なく、訓練された人物特有の余裕が滲んでいた。
「営業、ですか……」
カイはわずかに目を細め、言葉を探るように返す。
相手の出方を伺うその声音には、自然と警戒の色がにじんでいた。
「ええ。お客様のような独立パイロットの方々には、こちらの一般展示ではなく、特別な商品をご紹介させていただいております」
「独立パイロット……?」
カイの眉がわずかに動く。表情には驚きよりも、探るような疑念が浮かんでいる。
なぜ初対面のはずの自分を独立パイロットであると言い当てたのか。
コーネリアはその反応すらも予想していたかのように、言葉を継いだ。
「ふふ、お客様方の装い、そして動物園に直接、航宙艦でお越しになったこと――それらを見れば、大方の察しはつきますよ」
コーネリアは微笑んだまま、カイたちをゆっくりと見渡す。
彼女の瞳には確かな観察力が宿っており、隠しきれない自信がその佇まいに表れている。
カイはその様子にわずかな警戒心を残しつつも、努めて冷静に言葉を返した。
「……なるほど。それで、その“特別な商品”というのは?」
「詳しくは地下施設にてご覧いただけます。こちらでは一般公開されていない、選ばれたお客様のみが目にすることのできる品々です」
「地下施設、ですか」
フローラが小さく反応し、僅かに眉を寄せる。
しかし、そのフローラの反応も彼女にとっては予想の範疇だったのだろう。
コーネリアはにこやかな顔で、その警戒心を解くように付け加える。
「どうぞご安心ください。この動物園では荒事は固く禁じられております。掟を破った者は一人としておりません」
その言葉に、カイは僅かに目を細めた。
確かに、この場所には異様なまでの秩序と静けさが漂っている。
無政府星系といえば大抵はアウトロー達の巣窟であり、どこであっても混沌とした喧騒の中にあるのが一般的だ。
しかし、この動物園ではそうした騒ぎとは無縁の心地良い静寂さが保たれていた。
その事実が彼女の言葉に妙な説得力を与えていた。
「えーと……」
カイは僅かに間を置き、隣のフローラとキャロルに視線を送る。
フローラは静かにカイの目を見返し、落ち着いた仕草で小さく頷いた。その表情には冷静さと、状況を受け入れる覚悟が見て取れる。
一方のキャロルは、少し眉をひそめながらも、面白くなさそうにため息をついた。
その表情は「逃げ場の少ない閉鎖環境に行くなんて、罠だったらどうするのよ」と言いたげだった。
だが、彼女も内心ではこの先に何か手がかりがあることを感じているのだろう。数秒遅れて、小さく頷いてみせた。
二人の反応を確認してから、カイは息を整え、改めてコーネリアに向き直る。
「……分かりました。案内していただけますか」
今度の声には迷いの色はなかった。
コーネリアは目を細め、穏やかな表情で手を差し出した。
「ありがとうございます。それでは、どうぞこちらへ」
カイたちは彼女の後に続き、離れた一角へと向かう。
重厚な鉄扉が冷たく静かに佇み、その先へと続く暗がりに、わずかな不安と警戒が漂うのだった――。




