7-3
オベリスクのブリッジでは、フォクシアから提供されたクルト・フォン・シューマッハー伯爵に関する膨大な情報が表示されていた。
データはホログラフィックモニターに投影され、文字だけでなく映像や音声記録まで網羅されている。
その情報量は圧倒的で、500万クレジットに相応しい内容だった。
「ここまで細かいとはな……流石に大枚叩いただけのことはある」
カイが感嘆の声を漏らしながら、スクロールを操作する。
伯爵の家系図やシューマッハー家の来歴、さらにクルト伯爵自身の生い立ちから日常生活に至るまで記されている。
好きな食べ物や趣味だけでなく、密かに恋心を抱いている相手の名前まで、全てが克明に書かれていた。
「この情報、かなり深いですわね。まるで伯爵の生活そのものを監視していたかのようです」
フローラが穏やかな口調で述べたが、その青い瞳には警戒の色が浮かんでいる。
「だけど、問題のエクリプス・オパールの情報については何も記載がないわね。巧妙に隠しているのか、それとも伯爵は直接的な関係がないとか?」
キャロルは端末を操作し、提供された情報の中からエクリプス・オパールに関連する情報を精査していた。
しかし、ヘリオスが収集した情報の中には記載がなく、いまだその行方については不明のままだった。
その中で、カイの視線が資料の中で特に目を引いた項目に留まる。
それはクルト伯爵の最近の行動について記録された部分だった。
「うお、動物園との商取引!?」
スクリーンに映し出されたデータには、クルト伯爵が"動物園"と呼ばれる市場で継続的に取引を行っている疑いについて言及されていた。
海賊たちが利用する"市場"とは、彼らが略奪で得た品物を売却するための一時的な闇市を指す。
これらの市場は特定の場所に固定されているわけではなく、海賊の活動が活発化する地域で自然発生的に形成されるものである。
市場の形成は単純だ。
まず海賊が標的となる星系を襲撃し、大量の物資を略奪する。その情報が密売人たちに伝わると、彼らは迅速に現地へと集まっていく。
そうして取引が容易な地理的条件の整った場所、例えば航行が困難な小惑星帯や、無人の衛星軌道上に拠点を築くのだ。
このような環境下で市場が形成されると、海賊たちは略奪品を持ち込むことで即座に現金化することが可能になる。
また、密売人たちにとっても新鮮な略奪品は高値で売りさばけるため、双方にとって利益が大きい。
しかし、この市場が持つ本質的な危険性は、その混沌と無秩序にある。
市場内では法が一切機能しないため、裏切りや強奪が日常茶飯事となっている。
さらに、売買される品物の中には武器や薬物といった違法品だけでなく、希少な異星生物や、さらには人身売買による人間さえも含まれる。
これらの取引が行われる市場の一つが、"動物園"と呼ばれている特殊な市場だ。
"動物園"は、他の市場と比べても独特な性質を持つ。
ここでは異星生物、特に希少種や絶滅危惧種に限定した取引が行われており、それを目当てに銀河中から顧客が集まる。
その中には富裕層のコレクターや貴族も含まれ、違法性を知りながらも珍しい生物を手に入れたいという欲望が、この市場を支えている。
オベリスクのブリッジに集うカイたちの視線は、モニターに映し出された"動物園"の詳細に集中していた。
だが、その説明を読み進める中で、カイの表情には特に驚きは見られなかった。
「うへぇ、動物園……あの闇市あるのか」
カイが語るその声には、過去の経験から来る確かな知識が込められていた。
彼はこの市場がどれほど危険で、そして残酷な場所かをよく理解していた。
「それって、前にも行ったことがあるの、ご主人様?」
キャロルが興味津々といった様子で尋ねる。
「いや、実際に足を踏み入れたことはないな。ただ、情報屋や過去の取引相手から話を聞いただけだが、人工生命体なんかも居るらしい」
動物園の詳細な情報を読み解きながら、カイは次の一手を考え込んでいた。
これまでのところ、クルト伯爵が動物園を利用している目的は不明のままだ。
コレクターとして希少な異星生物を集めているだけなのか、それとも何かもっと深い意図が隠されているのか。その真相を掴むには、動物園のオーナーとの接触が不可欠だった。
「動物園のオーナーは顧客リストを厳重に管理し、大口取引をした者しか信頼しない、か……」
カイはモニターに映る情報を指でなぞりながら呟いた。
「それって、要するに私たちも大口の取引をしないとダメってことよね?」
キャロルが不満げに顔をしかめる。
「その通り。だが、これ以上の情報を得るには、まずはオーナーの信頼を得る必要がある。それが条件なら、やるしかない……ただ」
「お金……あんまり、残っていませんわよ?」
フローラの指摘に、カイは深いため息をついた。
「そうなんだよな……今ある1600万クレジット。十分な額に聞こえるけど、実際のところ自由に使える分は限られてる」
カイは頭を掻きながら、今の財政状況について呟く。
まず大きな出費として、オベリスクの定期点検費用だけで500万クレジットが確実に消える予定だ。
これは小型巡洋母艦の所有者に課せられている義務であり、これを怠ると容赦なく製造元であるアストリス・ダイナミクス社に没収されてしまう。そのため、確実に払う必要があった。
勿論、出費はそれだけではない。
これまで鹵獲してきた品々の整備。これも売却する場合には必要な費用であり、この手間を加える事で倍近い値段で売り捌けるのだから、行わない手はない。
次に白鯨号とナイトフォールのメンテナンス費用も必要だ。
特にナイトフォールは戦闘艦であるため、定期的に補充する弾薬費が莫大で、その出費は決して軽視できるものではなかった。
そんなカイの言葉に、フローラは冷静に頷きながら続けた。
「物資輸送の元手も確保する必要がありますわね。利益を出すためには、初期投資が必要ですし」
「そうなると、動物園での取引に回せる金額は限られてくるってわけね……」
キャロルはモニターに映る異星生物のリストを眺めながら、眉をひそめた。
フォクシアから得た情報によれば、動物園で取引される異星生物の価格帯はさまざまだが、大口の顧客リストに登録されるためには最低でも100万クレジット以上の購入が必要だという。
種類や希少性によっては、それ以上の金額になる可能性もある。
「そんな高額を払ってまで、興味もない正体不明の生物を買うなんて馬鹿げてるわね……」
キャロルが不満げに呟いた。
伯爵の情報を掴むための必要経費。そう言えば聞こえは良いが、実際、特に使い道の予定の無い代物に大金を払うというのは実に馬鹿らしく感じられた。
それについては、カイも同じ気持ちだったようで、深く頷いて見せていた。
「だが、こうする他に手はない。エクリプス・オパールの手掛かりを探す為にも、クルト伯爵が動物園で何をしているかを知る必要がある。そのためにはオーナーに接触するしかない」
カイの言葉には焦燥感がにじんでいた。
それは、エクリプス・オパールがスター・バザールで強奪されてから、すでに半年も経過しているという事情が絡んでいたからだ。
クルト伯爵がエクリプス・オパール強奪に関与しているのか。それを確かめる時間は、あまり残されてはいない。
彼が無関係と分かれば、すぐにでも残る一人のヴィンタークロン星域にいるルドルフ・フォン・ハプスブルク辺境伯の身辺調査を始めなければならない。
しかも、辺境伯のいるヴィンタークロン星域は2つほど星域を挟んだ先にある。移動をするにも短くはない時間を要することになる。
そうした事情から、カイは急ぎ動物園オーナーとの接触を考えていたのだった。
「ご主人様、どうせ取引をするなら、多少でも実用性のある生物を選んだ方がいいんじゃない? それなら、無駄遣い感が少しは減るでしょ?」
キャロルは軽い調子で提案したが、カイは疲れた表情で首を振った。
「実用性のある生物? ……そんなものが闇市場で手に入るかあ?」
カイの問いに、フローラが一冊のデータ端末を手に取り、モニターを操作し始めた。
「例えば、採掘や整備に役立つ生物も存在するようですわ。ただし、それらは希少種に該当するため、さらに高額になる可能性がありますが……」
フローラがデータ端末を操作しながら言葉を続ける。モニターには、いくつかの異星生物の情報が表示されていた。
その中の一つ、『グラビスパイダー』という名前の生物がカイの目を引いた。
体長はおよそ1メートルで、細長い脚が特徴的なこの生物は、特殊な粘着性の糸を吐き出す能力を持つ。
その糸は鉱石の引き上げや機械部品の移動に使えるほどの強度を持ち、採掘や整備作業に重宝されているという。
「うお、キモッ!」
「これはちょっと……蜘蛛の巣まみれになるのイヤよ」
「えぇ、そう? じゃあ次ですわ」
二人の拒否反応に、フローラは淡々と次の生物を映し出す。
「次はこちらの生物ですわね」
次に紹介された生物は、『エコーフィッシュ』と呼ばれる水棲生物だった。
この小型の水棲生物は、超音波を発することで、近くの物体の構造や内部状態を感知できるという特性を持つ。
船体の検査や修理箇所の特定に役立つとされているが、生存に大量の特殊な水分が必要で、維持費が非常に高いというデメリットもあった。
「いや、水棲生物はちょっと……生臭いもん……」
「あ、けどご主人様、これ食べられるらしいよ! どうやら珍味だって」
またも二人の微妙な反応にフローラは溜息をつくばかりだった。
「でもさ、ご主人様。これ、逆に考えればいいんじゃない? 高い金を払って、オーナーの信頼を得られれば、他の有力者の情報も手に入るかもしれないわよ」
キャロルは無邪気な笑顔で話すも、カイはその言葉に少し考え込んだ。
「あー……確かに。オーナーと親しくなれば、予想以上の収穫が期待できるよな!」
キャロルの言葉に、カイの表情が少しだけ明るくなったように見えた。
例え伯爵に関連する情報ではなかったとしても、上手く立ち回れば、支払ったクレジット以上の価値を手にすることができる。
そのことに気付かされたカイは、動物園での取引に対し、前向きに考えることができた。
「ひとまず、動物園に向かうとしましょう。それから、購入する生物については現地で選ぶことにしますわね」
フローラが冷静に締めくくり、カイは頷いた。
「よし、決まりだ。航路を設定しよう。動物園での出費は痛いが、それだけの価値を見出せるかどうか、行って確かめるしかない」
こうして、オベリスクは新たな目的地へと進路を取った。
広大な星海の果てにある闇市"動物園"――そこにクルト伯爵の秘密が隠されていると信じて。
ブクマが50件超えて、大変感謝です!!
やったー!!




