6-17
惑星ヴァルデシアの柔らかな日光が応接間の高い天窓から降り注ぎ、格式の高い室内を暖かく包み込んでいた。
重厚な調度品に囲まれたその空間で、カイたちはヴァルデック侯爵星系の統治者であるルートヴィヒ・フォン・ヴァルデック侯爵と対面していた。
侯爵は整えられた髭を軽く撫でながら、手元に置かれたティーカップを片手に、今回の事件に関する詳細が記された報告書に目を通していた。
その鋭い目が文面を追うたびに、時計の秒針が刻む音が室内に響き渡り、カイの胸に緊張が走った。フローラとキャロルは控えめに背筋を伸ばし、カイの傍に静かに座っていた。
しばらくの沈黙が続いた後、侯爵の口から重厚な声が漏れた。
「……実に見事だ」
その一言が、室内の空気を一変させた。カイは息をつきつつも、侯爵の次の言葉を待った。
「カイ・アサミ、君とその仲間たちの功績は、まさに称賛に値する。短期間でエルザ・ミュラーを救出しただけでなく、忌まわしき情報局が残した秘密基地の存在をも暴いた。この事実は、大きな意義を持つものだ」
侯爵の言葉には、確かな驚きと賞賛が含まれていた。
彼の統治する星系の至近に、そのような恐ろしい施設が存在していたことに、彼自身も背筋が凍る思いだった。
この基地の存在は、ヴィッテルスバッハ選帝侯ですら、その存在を把握していなかった可能性が高い。
それほどまでに巧妙に隠匿された秘密が明らかにされたことは、統治者として見過ごすわけにはいかない重大事だった。
侯爵は手にした資料を机に静かに置くと、指先で軽く額を押さえた。
「脳転写技術……これまで噂程度にしか耳にしたことがなかったが、それがこんなにも身近で、しかも凄惨な実験のもとに進められていたとは……。
知識としてはともかく、実際の報告を目にした今、言葉にしがたい思いだ」
その声には、明らかな不快感と憤りがにじんでいた。
「君たちがこの情報を公になる前に、私へ持ち込んでくれたことに感謝する。もしこの件が混乱を伴い広がっていれば、我が星系は元よりアルテンシュタイン星域全体が動揺し、治安も揺らいでいたことだろう。
それを未然に防いだのは、他でもない君たちの働きだ」
侯爵は軽く咳払いをしながら、再び顔を上げた。
その目には深い思慮が浮かんでいる。
「勿体ないお言葉です。我々が見つけたのは本当に偶然です。この存在が第三者の手で明るみに出る前に発見し、こうして侯爵にお伝えする事が出来たのは幸運でした」
カイは侯爵からの言葉を受け、深々と頭を垂れる。
事実として、この脳転写技術の秘密基地の発覚は、単にヴァルデック侯爵星系だけの問題ではなかった。
星系を越えてアルテンシュタイン星域全体を揺るがす重大な事態であることは明白だろう。
カイはそう考えると、頭を下げつつも、その口元には小さな笑みが漏れ出していた。侯爵の口からも出たように、これは単なる放棄された旧軍事施設の発見という単純な話ではない。
事態はヴィッテルスバッハ選帝侯の統治能力が問われる局面になるかもしれないのだから。
「幸運……まさにその通りだ」
侯爵は自らが使える選帝侯に対し、絶対の忠誠を誓っていた。
故に、今回の出来事が表沙汰になる前に掌握出来たことに強い安堵を覚えていた。
仮にこの秘密基地の存在が第三者の手で発覚すれば、選帝侯が星域全体を完全に掌握できていないという印象を他の選帝侯たちへ与えることになるだろう。そうすれば勿論、彼らから横槍が入る可能性が高い。
彼らは、この機会にアルテンシュタイン星域の影響力を削ぎ、自らの勢力を拡大しようと動くに違いない。
さらに、統治の乱れを口実に外部勢力が介入する恐れもある。最悪な事態は、人権を口実に隣の大国である太陽系統合連邦からの介入に繋がることだろう。
それでなくとも、今回の出来事で多数の犠牲者として名を連ねている名誉国民や奉仕国民といった弱者層が反乱を起こすかもしれない。星域全体が混乱に巻き込まれ、長く築いてきた秩序が瓦解しかねないのだ。
侯爵はこの事態を未然に防ぐべく、慎重かつ迅速な対応を迫られていた。
そんな危険な未来が考えられる中で、危機の芽を摘む助力をしたカイたちの働きは、侯爵にとってまさに救いだった。
侯爵の沈黙が続く中、カイは無意識に背筋を伸ばしていた。
その場に漂う重い空気は、彼らが担った役割の大きさと、事態の深刻さを改めて痛感させるものだった。
「君たちへの報酬についてだが、当初想定していたものを遥かに超える貢献だ。したがって、それ相応の待遇をもって応えさせてもらう必要があるだろう」
その言葉を聞き、カイは内心の緊張を少しだけ和らげる。
何せ待ちに待った報酬。今回はその上乗せが期待できるというのだから、カイにとってはまごうこと無きご褒美タイムといえた。
事前の取り決めでは、三ヶ月以内にエルザを見つけることが出来れば報酬は1000万クレジットと言う破格の額だった。
今回はこれに加えて、特別な手当が入って来ることになる。
そのことにカイは胸を期待で膨らませていた。
侯爵は静かに微笑みを浮かべ、カイに向けて深くうなずいた。そして、わずかに間を置いてから重々しい声で告げた。
「君たちへの報酬として、星章士の地位を授けたいと思う」
その言葉に、カイは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。まるで思考が一瞬停止したように、彼の顔には疑問符が浮かんでいる。
「星章士……ですか? それは一体……?」
不意に間の抜けた声を上げるカイに、フローラとキャロルが肩をすくめて小さく笑う。侯爵はそれを見て声を上げて笑いながらも、誇らしげな眼差しをカイに向けた。
「なるほど、連邦出身者では星章士という言葉に馴染みがないか。無理もない。……星章士というのは、星系を象徴する名誉職だ。だが、単なる名誉だけではない。その役割と権限は大いに重みを持つ」
侯爵は丁寧に言葉を紡ぎながら、説明を始めた。
星章士の存在意義は、星系の象徴としての役割にある。
星系や領主の紋章を掲げ、その名を外部に知らしめることで、星系全体の誇りと威厳を示すのがその役目だ。星章士は外交や儀礼の場で、星系を代表する存在として認知される。
さらに、特定の場面では領主の代理として振る舞う権限すら持つ。
たとえば、他星系との交渉や、領主自身が出席できない式典などでは、星章士が星系の意志を代弁する。星章士がその場にいるだけで、星系全体の信用や統治力が示されるのだ。
ただし、この地位はあくまで名誉職であり、統治の実務に直接関与することはない。
それでも、その象徴的な存在は星系にとって計り知れない影響力を持つ。星章士に任命されることは、領主からの絶大な信頼の証であり、星系内外での高い評価を約束されるということでもある。
「今回の君の働きは、この地位を授けるに値する。是非、受け取って貰いたい」
侯爵の言葉を受け、カイはその地位が持つ重責をようやく理解しつつあった。
星章士とは、単なる名誉ではなく、星系そのものを象徴する存在。自分がその地位を任されたことに、戸惑いと誇りが入り交じった思いが胸に浮かんでいた。
「……ありがとうございます。その信頼に恥じぬよう努めます」
その言葉に、侯爵は満足げに頷いた。応接間には、どこか柔らかな緊張感が漂い始めていた。
だが、一方でフローラは少し違った見方をしていた。侯爵の説明を受けながらも、心中では冷静にその役職の裏側を考え込んでいた。
表向き、星章士は名誉職であり、政治的実務には関与しない。その一方で、ヴァルデック侯爵の信用をそのまま借り入れることのできる都合の良い役職のように映る。
それ自体に悪い意図があるわけではないにせよ、フローラにはもう一つの可能性が思い浮かんでいた。
星章士という立場は、同時にヴァルデック侯爵への忠誠を要求するものであるのではないか、と。
自由業が基本の独立パイロットたちの中には、貴族と深い繋がりを持ち、領地を分け与えられている者も少なくない。
しかし、そうしたパイロットの多くは、実質的にその貴族の私兵として振る舞うことを余儀なくされている。表向きは自由な身分であっても、実際には行動に大きな制約を伴い、事実上の束縛下に置かれる。
フローラは、カイが今後そのような柵に囚われる可能性について思案していた。
侯爵が今回の件で示した信頼と報酬がどれほど魅力的であろうとも、そこに潜むリスクを見逃すわけにはいかなかった。自由を重んじる独立パイロット、その枠からカイが外れてしまうことは、彼女にとっては重要な問題だった。
一方で、カイの顔には不安や疑念はなく、純粋な感謝と信頼の色が浮かんでいた。
フローラはそんな彼の横顔を見つめながら、小さく息を吐いた。
「本当に、それだけで済みますの……?」
フローラは自分にしか聞こえない声でそう囁くと、再び静かに口を閉じた。その目はどこか遠くを見つめているようだった。
一方、星章士という名誉職を授けられたカイは、侯爵の説明を聞きながらも、内心では少しだけ複雑な気持ちを抱いていた。
確かに、その地位は侯爵からの信頼の証であり、外部から見れば名誉ある称号に違いない。
だが、実利を求めるカイにとって、もう少し現実的な利益が伴う報酬の方が嬉しいと思う自分がいるのも確かだった。
そんなカイの考えを見透かしたかのように、侯爵が口を開いた。
「ふふ、君がこの地位に感じる疑問は無理もない。しかし、星章士という地位には、単なる名誉以上の価値があることを理解して欲しい」
侯爵の言葉に、カイは少しだけ身を乗り出し、その続きを待った。
「星章士は、実質的には騎士爵よりも上の立場だ。何せ、星系の顔役として振る舞うだけでなく、場合によっては統治者である私の代理を務める権限すら持つ。その責任の重さが、地位の格を物語っているのだ。
そして、この地位を得ることで、君には新たな権限が与えられる」
「……なるほど?」
カイは眉を上げ、わずかに興味を示した。
「たとえば、帝国内でその保有が制限されている艦船の購入権限も含まれる。星章士は、領主の代理として動ける立場にあるからこそ、それに相応しい武装や設備が認められるというわけだ」
その言葉を聞いた瞬間、真っ先に反応したのはキャロルだった。
彼女の目が一気に輝きを帯び、カイの腕を勢いよく掴んだ。
「やったわ! ご主人様、これで新しい戦闘艦が手に入るじゃない! ほら、あの重武装高速艦とか、それから――」
興奮した様子でキャロルは次々と夢を語り始めた。
カイは困惑しながらも、彼女の手を振りほどくことができず、ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。その様子を見たフローラは微笑ましそうに肩をすくめ、一歩引いて静かに眺めていた。
侯爵はそんな彼らのやり取りを見て、朗らかに笑い声を上げた。
「実に頼もしい仲間を持っているな。彼女のような者がいれば、この新たな地位も大いに活用できるだろう。星章士はただの名誉職ではない。君の自由な活動を保証しつつ、その力を最大限に活かすためのものだ」
侯爵の言葉には温かな響きがあり、その場の雰囲気は和やかなものへと変わっていった。
カイも少し肩の力を抜きながら、目の前の侯爵に感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます。いただいた地位とその信頼に、しっかりと応えてみせます」
その言葉に侯爵は満足げに頷き、再びティーカップを手に取った。
応接間には穏やかな緊張感が漂い、これからの新たな可能性を示唆するような明るさが満ちていた。
◇◇◇
カイはオベリスクのブリッジでコンソールに向かい、次の目的地となる航路のルート設定を進めていた。
緻密な計算を要求される作業にもかかわらず、彼の表情はどこか穏やかだった。
あれからヴァルデック侯爵との謁見は何事もなく終わり、カイの手元には多くの報酬が残った。
約束通りの1000万クレジットに加え、星章士という名誉職と、それを示すヴァルデック侯爵家の紋章がオベリスクの側面に小さく刻まれた。
新たな肩書は艦とカイの名声を象徴するものとなり、少なからず彼の胸を満たしていた。
しかし、カイが心のどこかで最も期待していた報酬――エクリプス・オパールを奪った犯人の足跡についての情報――それだけはまだ届いていなかった。
ヴァルデック侯爵はその調査を進めているものの、まだ結果が出るまでに1か月はかかるという。
だが侯爵の自信に満ちた言葉を信じ、カイは待つことにした。
手持ちの時間を無駄にしないため、カイは輸送業に戻ることを決めた。
隣接する星系を巡り、依頼をこなして高額なオベリスクの維持費を稼ぐ日々に戻る。それが彼にとって最も自然な選択だった。
カイがコンソールに入力を続ける中、隣で座っていたフローラがふと口を開いた。
その声はどこか躊躇いを帯びており、彼女にしては珍しく、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「……ねえ、カイ様。ハヤトのこと、どうお考えになっているのかしら?」
その名前がカイの手を止めた。
ハヤト・ソウマ――脳転写技術の実験体でありながら、謎に満ちた行動を見せた少年の名。彼の姿が、フローラの言葉と共にカイの脳裏に浮かぶ。
「ハヤト、か……。結局、アイツは何だったんだろうな」
カイは小さく息を吐き、モニターから視線を外して天井を見上げた。
ハヤト・ソウマ。思えば全ての始まりは彼との出会いからだった。
そして、彼に纏わる情報について調べた所、驚くべき事実が発覚した。
エルザを無事に救出したカイたちは、その後、ヴァルデック侯爵星系へ赴き引き渡した。
その際、報告書と共にそこには中心人物としてハヤト・ソウマの名があった。
報告を受けた侯爵は、すぐさまハヤト・ソウマに関する調査を指示する。
だが、結果は奇妙なものだった。
まず初めに、エルザが出会った少年――後にB601と名付けられる彼は、自らをハヤト・ソウマと名乗っていたことが分かった。
エミールによってESP能力開花手術や、脳転写実験を受ける前から、彼は自らをそう名乗っていたのだ。
しかしその名前と、彼の風貌に該当する人物については、帝国のどのデータベースにも存在しないことが判明した。
これが単なる偽装だと考えるのは容易い。
だが、脳転写実験施設に残されていた「脳掘機」の履歴が、新たな謎を浮き彫りにした。
そこには、少年と同姓同名のハヤト・ソウマという名前が残されていた上に、記録された時期が問題だった。それは今から数十年も前のものだった。
脳掘機は脳情報を摘出する装置であり、その使用は確実に対象を死に至らしめる。
つまり、その時点でハヤト・ソウマという人物は命を落としたはずだった。しかし、エルザやカイたちが接した彼の存在は、明らかに人間そのものだった。時系列がどうにも辻褄が合わない。
さらに問題を複雑にしたのは、エミールの宇宙船とともに消えた後のハヤトの行方だった。
星系防衛隊と星域統合艦隊による合同捜索で、かの実験施設は完全に掌握され、消え去ったエミールの宇宙船の追跡も行われた。
やがて、無人星系の小惑星帯でエミールの船が発見されたものの、船内に残されていたのは、肉塊と化したエミールと思われる残骸のみ。ハヤトは、完全に姿を消していた。
まるで彼の存在そのものが幻影だったかのような消失。
それは単なる偶然や別人の可能性だけでは説明できない奇妙な一致の連続であり、カイたちの心に消えない疑問を残していた。
船内に散らばっていた痕跡は、まるで暴力的な力が働いた痕のようだった。
だが、調査のどこにもハヤトに繋がる証拠は残されていない。その静寂に包まれた空間に彼の存在を示すものは何もなく、彼は謎のまま、その影すら掴めない存在となっていた。
「……ハヤトについては現在、行方不明。その存在についても誰も知らなかった、か」
カイが小さく呟くと、隣に座っていたキャロルが軽快な声で話を切り出した。
「……本当にある日突然、異世界からやってきたのかもね!」
キャロルの陽気な声が、静かなブリッジの中に軽やかに響いた。
その言葉に、カイとフローラは互いに顔を見合わせ、微かに苦笑する。
「いや、それはないだろう」
「ありえませんわね」
カイが頭を振って否定すると、フローラも小さく微笑みながら頷いた。
ブリッジの窓からは、星々が無数に輝き、宇宙の闇を静かに照らしている。
次の目的地のルートが確定し、航行システムが低く振動音を発した。
カイはシートに深く座り直し、ハンドルを軽く握ると視線を遠くへ向けた。
「さあ、次だ」
軽く息を吐きながらそう呟くと、コントロールパネルに手を置き、ハイパードライブを起動した。
光が一瞬にして収束し、次の星系へと続く航路が目の前に開ける。
エンジンの振動が心地よく身体に伝わり、ブリッジの窓外に映る星々が流星のように軌跡を描き始めた。
新たな冒険への期待と、どこか過去を振り返る感傷が交錯する中、オベリスクは次の目的地へ向けて跳躍した。
長らく続いた第6話はこれにて終わりとなります。
ここまで読んで頂きまして、ありがとうございます。
第7話の開始は12月1日からを予定しております。
毎度のお願いで恐縮ですが
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かなり励みになりますので。




