6-15
T-45パワードスーツを装着したフローラは、片方の主腕と副腕を使いB601を抱えながら、施設内を駆け抜けていた。
金属の重い足音が冷たい廊下に響き、警報の不快な音が周囲にこだましていた。
B601は虚ろな目で前方を見据えながら、たどたどしい声で道案内を続けていた。
「……まっすぐ、進ん、で……次……分岐を左……」
「了解」
フローラは即座に指示を受け入れ、冷徹なまでの集中力を保ちながら動いた。
薄明りが続く廊下を駆けていくと、T-45の早期警戒システムが前方から複数の熱源を感知したことをフローラに告げる。
その警告通り、数秒後に無数のドローン部隊がフローラ達を目指して飛来してきた。
フローラは即座に右主腕に備わったエネルギーブレードを展開し、同じく右副腕に装備したアサルトレールガンのトリガーを引いてドローンを迎撃していく。
アサルトレールガンが激しく火を噴き、次々と飛来するドローンを正確に撃ち落としていった。
閃光とともに弾丸が敵機に命中し、火花を散らせて床に落ちる。だが、その一方で数機のドローンが隙を突いて銃火を掻い潜り接近してきた。
鋭い電子音と共にドローンが飛びかかろうとした瞬間、T-45の右主腕に備わるエネルギーブレードが輝きを放った。
一瞬の動きで、T-45は腕を振り抜き、ドローンの金属の体が音を立てて真っ二つに切り裂かれる。
高温の刃によって溶断されたドローンは、火花を散らしながら鉄屑と化し、床に無惨に転がった。断末魔のような電子音が響く中で、フローラは速度を落とすことなく進撃を続けた。
ドローン部隊は容易く撃破され、フローラの進行を妨げることは叶わなかった。
彼女の動きには一切の迷いがなく、パワードスーツの重量感をものともせずに軽やかに廊下を駆け抜けた。抱えられていたB601は、空洞のような瞳のまま、その唇を再び動かした。
「……もうすぐ……そ、こ……」
フローラはその声に短く頷き、前方に目を凝らした。
彼女の視界に広がる第1ドックの扉が徐々に近づいてきていた。
単純な駆け足であっても、パワードスーツの脚は驚異的な速さで地面を蹴り、フローラの疾走は生身の人間を遥かに凌駕していた。
速度計は時速80kmを超え、そのまま第1ドックを目指し、止まることなく扉を突き破って進入を果たす。
やがて、巨大な格納庫が視界に入った。
だが、第1ドックの大型隔壁は開閉を始めており、その向こうにはエミールが乗り込んでいるであろう宇宙船が、静かに輝きを放ちながら発進準備を整えていた。
「くっ! もう隔壁が……!」
フローラはその光景に焦りを感じ、額に汗を浮かべながら急ぎカイへと通信をつなげた。
「カイ様、たった今、第1ドックへ到着。けれど隔壁が開閉を始めていますわ……船が発進しそうです!」
通信越しにその報告を聞いたカイは、緊張を隠し切れない声で指示を出した。
『くそ、一歩遅かったか……。よし、フローラ、すぐに戻れ。無理をするな、合流を優先だ』
そのカイの判断にフローラとしては異議はなかった。
ドックで停泊しているならまだしも、すでに動き出している宇宙船を押し留める方法などないのだから。
だがそこに異を唱える者がいた。
フローラに抱えられていたB601が、頼りなく口を開いた。
彼の声は淡々としていたが、その言葉には一縷の決意が込められていた。
「ま、だ……方法……ある……」
フローラはその言葉に一瞬驚き、眉をひそめたまま彼の顔を覗き込んだ。
冷たく無表情なB601の瞳に、かすかな光が宿る気がした。
心臓の鼓動が早まる中、緊迫した静寂が一瞬だけ訪れ、次の動きへの期待と不安が空間を満たしていた。
「推進、剤……ある。スーツ……で、飛び……乗る」
B601が口にした方法。
それはフローラが今着込んでいるT-45に装着されているジェットパックを使って、エミールの乗る宇宙船へ飛び移るという荒業だった。
T-45パワードスーツは旧式ながら、列記とした軍用モデルだ。
装甲機動ユニットとしての要件である、短時間飛翔能力の基準を満たす為、噴射推進器が標準装備されている。
そして、フローラが着込むT-45には推進剤が僅かながらにも残されていた。
『冗談を言うな、そんな無茶な方法は論外だ。フローラ、B601と共に第1ドックで合流だ。白鯨号で追う』
だがカイはB601の提案を良しとはしない。
B601が示した方法は、確かに乗り移ることは出来るかもしれないが、一歩間違えれば宇宙の彼方へ放り投げられる危険性が高い。
途中でジェットパックに何らかの不具合が起こる可能性も高く、それは致命的な結末を招く。
そんな事でフローラを喪うなど、決して許されない。
しかし、そこへフローラが口を挟む。
「お待ちを、カイ様。B601の提案、やってみる価値はありますわ。今、このタイミングであれば確実に乗り移れます。
カイ様は急ぎキャロルと一緒に白鯨号の出航を急いでくださいまし。その間に、私がB601と共に内部を制圧してエミールを捕縛。
最悪は、人質だけでも救出してご覧に見せますわ。時間がありません、行動開始します!」
「え、おい! ……ッ」
突然のフローラの対応に困惑するカイ。
しかし時間が無いという事もあり、フローラは通信を一方的に切ると、急いでT-45で駆け出していく。
既にドックから離れ、宇宙の深淵に飛び立とうとする船目掛けて加速を続けていく。
コクピットの速度表示は時速120kmを超え、間もなくドックの桟橋も終わろうとしていた。
「いきますわよ、B601。しっかり捕まっていて下さいまし」
「……わ、かった」
そうしてフローラはその勢いのまま、大きく跳躍して宙へと舞い上がる。
そこで噴射推進器を起動し、T-45がさらなる加速力を得て飛翔を始めた。
速度計は勢いよく数値を上げていき、同時にフローラが操るT-45と宇宙船との距離は見る見るうちに縮まっていった。
ここで宇宙船が冷静に隕石迎撃用レーザーでも起動して、フローラを狙い撃てば簡単に終わった。
しかし、操縦しているのが素人なのか、その気配は無く。一直線にT-45は宇宙船へと肉迫する。
そしてついに、フローラとB601は、宙空で宇宙船に飛び乗ることに成功した。
フローラは、T-45の重い動作を全く乱さず、素早くエネルギーブレードを起動すると、宇宙船の一部を鋭く溶断し始める。
高熱により金属が焦げる音と共に、溶かされた外装が徐々に開いていく。船内へ無理やり作られた侵入路は、即座に急激な減圧を引き起こし、甲高いアラート音が船内に響き渡った。
十分な大きさまで切り開いたところで、フローラはT-45で力任せに内部へと侵入を果たした。
アラートの音とともに、船内の照明が赤く点滅し、緊急事態を知らせる警告音が響く。
急激な気圧の低下によって、船内の資料や機器が乱雑に舞い上がり、一時的な混乱が広がっていた。
『緊急事態発生。A5ブロックにて船体に亀裂が発生。応急修復プロトコルを実施します』
しかし、直ぐに船体に備わっていた緊急修復システムが作動し、こじ開けられた侵入路はゴム状の膜で瞬時に塞がれていった。
そうして空気の漏出が止まり、気圧が徐々に安定を取り戻す。
「よし侵入完了。次は内部制圧ですわね」
すぐさまフローラはT-45――パワードスーツのセンサーを最大にし、船内の構造をスキャンした。
船体の大きさは全長60mほど、小型船に分類される大きさだった。
だが分かったのはそこまで、何十年も整備されていないパワードスーツのセンサー出力では船の内部構造を把握することは叶わなかった。
ほかに分かった事と言えば船員は存在しないらしく、反応があったのは、たった二人だけだった。
それがエミールとエルザと思しき人物であるということは、簡単に想像が付いた。
同時に重大な事実にも気が付く。
『この船、思ったより通路が狭い……! もしかして、民間仕様!?』
ここでフローラは大きな誤算に頭痛を覚える。
帝国軍の秘密基地にあった宇宙船ということで、軍用規格かと思い込んでいたのだ。
だが、それは大きな誤りで、実際には民間仕様の船だった。
そのため、通路の高さはT-45がギリギリ立ち上がれるほどしかなく、身動きが取れない程に狭い。
フローラはパワードスーツの強靭な装甲とパワーによっての制圧を想定していた。
だがそれが出来ない以上は、生身でそれを行うことになる。
勿論、それが通常時のフローラであれば何ら問題は無いのだが、今は多少の問題があった。
それはパワードスーツに乗り込む為に、今はインナーのみしか纏っていないことだ。
いつもフローラが装備するアストロテック製バトルスーツは2段構成となっている。1つは最も強靭で装甲を担うアウタースーツ。残る1つが生命維持や保湿保温機能を内包するインナースーツ。
このインナースーツの状態では、戦闘を補助する機能はほぼ無く、生身の状態とさほど変わらない。
だが、泣き言を吐いている場合ではなかった。
フローラはすぐにT-45のコクピットハッチを展開して、インナースーツの状態で制圧を開始する事を決める。
副腕にセットされていたアサルトレールガンを手に取り、残弾を確認すると、すぐにでも捜索を始めようと動く。
だが予想外なことが、更に1つ加わる。
船内に響くアラート音に続き、無機質なアナウンスが流れ始めた。低く機械的な声が、フローラの耳に冷たく刺さる。
『注意。ハイパードライブの起動まで、残り10分です。全乗員は準備を開始してください』
その言葉にフローラの心臓が跳ね上がった。
一度ハイパードライブが起動すれば、宇宙船は数十光年先まで一瞬で跳躍することになる。もしそうなれば、カイたちと離れ離れになり、この船内で孤立することは避けられない。
焦りが胸中を駆け巡る中、彼女はアサルトレールガンを握りしめ、鋭い目で周囲を見回した。
「時間がない……急ぎませんと」
フローラは冷や汗を感じながら、狭い通路を慎重に進む準備を整えた。
その時、後ろにいたB601がか細い声で口を開いた。たどたどしいものの、その声には明確な意図が込められていた。
「ぼく、も……行く」
なんとB601も捜索に加わると言ってきたのだ。
すぐにフローラは首を横に振って断ろうとするも、B601がそれよりも先に口を開いた。
「エリー……場所、分か、る。案内……で、きる」
その言葉を聞いて、フローラはB601が強力なESP発現個体であることを思い出した。
恐らくB601は持ち前の能力によって、エルザが監禁されている場所をすでに特定しているのだろう。
それであれば、案内役として申し分ない。
フローラはB601の瞳に強い意思が宿っているのを見て、静かに頷いて見せた。
緊迫する状況の中、エルザの命を救うことは、何よりも優先されるべき使命だった。彼女は深呼吸し、冷静さを保ちながらアサルトレールガンを構え直した。
「案内して、B601。迷っている暇はありませんわ」
言葉を交わす間にも、船内のアラートは無情に響き続け、時間が確実に減っていった。
フローラはB601の動きに合わせ、緊張を胸に抱えながら駆け出した。
◇◇◇
「おい、フローラ!? ……って、アイツ通信切っちゃったよ」
白鯨号のコクピットで出港準備に取り掛かっていたカイだったが、一方的にフローラからの通信が切断されたことに軽い困惑を覚えていた。
その様子に、隣で座って各システムチェックを行っていたキャロルが怪訝そうな顔で覗き込む。
「どうしたの、ご主人様。その様子だと、何かまたお姉様が突っ走った感じ?」
カイは眉をひそめながら、コンソールに視線を戻した。
「まあ、そうなんだけども……何かいつもと様子が違う気がするんだよなあ」
確かに、フローラが独断で動くことはこれまでにも何度かあった。
だが、その行動はたいていカイの身を案じるが故であり、思いやりからくるものだった。
一見すると無秩序に見える行動でも、その裏には綿密な計算が隠されている。彼女は常に、強かな論理に基づいた行動しか取らないのだ。
カイは以前、脳転写技術に成功させた特殊な犬を預かった事があった。
その話を聞いた時、フローラはその真偽を確かめるべく、密かに身体を張って調査した。
初め、カイは彼女の行動を理解できず、単なるストレス発散や趣味だと考えていた。
しかし、依頼を無事に完遂した後、フローラから手渡された情報を見てカイは戦慄を覚えた。
そこには、犬の脳波や思考テスト、薬物反応といった詳細なデータが事細かに並べられていた。
カイはその瞬間、ようやくフローラの真意を悟ったのだった。
それがカイの相棒のフローラという女だ。
しかし、今回のフローラの行動には、カイの胸中に微かな違和感が残っていた。
カイは少し黙り込み、その考えを巡らせた。
B601――あの少年が持つ認識干渉能力のことが頭をよぎる。あれは単なる情報伝達だけでなく、人間の認識や意志に影響を及ぼす、非常に強力なESP能力だ。
「まさか……」
カイは心の中で不安が膨らむのを感じた。
フローラは通常、この手の精神操作系のESP能力を防ぐ特殊な装置を肌身離さず持っている。だが、全てに限界はある。
もしB601の能力がそれを上回るほど強力であれば、微弱ながらも影響を受けてしまう可能性は否定できない。
キャロルがコンソールのチェックを終え、カイを見つめていた。
彼の表情に不安の影がよぎっていることに気付き、小さく息をついた。
「……心配しても仕方ないわ、ご主人様。今は白鯨号を動かすことが先。お姉様がダメだった場合、私たちがエミールを逃さないようにしなくちゃね」
カイはキャロルの言葉に小さく頷いた。そう、今は行動するしかない。
彼らが二手に分かれることを決めたのは、フローラとB601がエルザの確保を目指して第1ドックへ向かい、カイとキャロルが白鯨号を出航させ、第3ドックから追跡態勢を整えるためだった。
だが、カイの胸中には依然として疑念が残っていた。
フローラが本当に自分の意志で動いているのか、それともB601の干渉によって判断を狂わされているのか――その真実が明らかになるのは、そう遠くない未来だった。
◇◇◇
フローラとB601は、息を切らしながら船内を駆けていた。
先行するのはフローラ、その後ろからB601が付くというフォーメーションで素早く進んでいく。
「ここ……」
B601がかすれた声で告げると、フローラは鋭く頷いた。
目の前には頑丈な金属製の船室のドアがあり、内部には監禁されているエルザがいるはずだった。
「中に誰か居ります? 助けに来ましたわ、扉から離れて!」
フローラが声を掛けると、船室の中からかすかな少女の声が聞こえてきた。
その声は震えてはいたが、確かに人の気配が感じられた。
「……誰、なの……?」
その声を聞いて、フローラは息を整える。
「オラァーッ!!」
そして、力を込めて金属製のドアを一気に蹴り破った。衝撃とともにドアが吹き飛び、船室内が開放される。
薄暗い中に、痩せこけた少女――エルザ・ミュラーがうずくまっていた。
写真で見た姿と変わらぬその顔に、フローラは安堵の表情を浮かべた。B601の案内が間違っていなかったことに心から安堵したのだった。
エルザは、開いた扉から現れたフローラを見つめ、警戒心を隠さなかった。
目に不安と恐怖が入り混じり、言葉を失っているようだった。その姿に、フローラは緊張感を解くかのように落ち着いた声で告げた。
「大丈夫、助けに来ましたわ。もう心配しないで」
その言葉を聞いたエルザは動揺した。
助けが本当であるならこの上なく喜ばしいことだと理解しながらも、目の前の二人をまだ信用しきれずにいたのだ。
それは短くは無い監禁生活の中でエルザが見出した、心を護る方法の弊害ともいえた。
しかし、フローラの後ろからゆっくりとB601が姿を現したとき、彼女の瞳が驚きに見開かれた。
「……あなた……ハヤト……?」
「助け、に、来た……よ」
「ああ、ハヤト! 待ってた、ずっと待ってたんだよ!!」
一瞬の静寂の後、エルザは立ち上がり、涙を浮かべながらB601――ハヤトに抱きついた。
かつて自分を励まし、希望を与えてくれた少年との再会に、彼女の顔には初めて光が差したようだった。
フローラはその光景を微笑ましく見守りたかったが、胸の奥で時計の針が刻む音が聞こえるように、ハイパードライブの起動までの時間が迫っている現実を思い出した。
残り5分を切っている――急がなければならない。
「感動の再開を邪魔するようだけれど、急いで。ここから脱出しますわよ!」
フローラの声が緊張を帯び、指示を下した。
エルザは涙を拭って、赤い瞳で首を縦に振ると、B601の手を取って部屋を後にする。
そうして3人は足早にT-45パワードスーツの元へと戻ろうと駆け出した。
だが、その時、船内の奥から鋭い金属音と共に一団が現れた。
戦闘用自律人形を引き連れたエミールが、不敵な笑みを浮かべて立ち塞がっていた。
「アレだけ派手に侵入しておきながら、逃がすと思うのか? お前たちは、ここで終わりだ……!」
エミールの冷たい声が船内に響くと、空気が凍りついたように静まり返った。
揺れる緊張感は一気に最高潮へと達し、その場に立つ全員の動きが一瞬止まったかのようだった。
6話は残り2エピソードで終わる予定です




