6-14
パワードスーツから降り立ったハヤトは、どこか人形のように動きがぎこちなく、その顔には生気がまったく見られなかった。
目は虚空を彷徨い、まるで自身がどこにいるのかさえ理解していないようだった。
淡々とした声が冷え切った空間に響き渡り、その響きは不自然なほど平坦だった。
「……助けて……くれ……」
カイは自分が知るハヤトの面影が完全に失われている事に、静かに衝撃を受けていた。
ハヤト・ソウマとしての記憶を受け継いでいるとされるその少年は、今やその片鱗は何一つとして残していない。
目の前に立つ彼は、短くとも共に過ごした記憶を持つハヤトではなく、感情も生命の光も消え失せた全くの別人としか映らなかった。
フローラとキャロルも、カイと同じ印象を頂き、一歩も引かず銃を構えたまま、視線を固定していた。
その目には、緊張と疑念が交錯していた。
一時とはいえ仲間だった者が今も友なのか、それとも敵なのか――その答えを見極める時間はほとんど残されていなかった。
「ハヤト……いや、今のお前は一体何者なんだ……」
カイが慎重に問いかけた声は、どこか震えていた。
応じるように少年が口を開いたが、その言葉には温かみは一切ない。
限りなく人に近い機械といったほうが正しいだろう。
「エリーを……助け……くれ……」
カイはその名を聞いた瞬間、背筋が凍りついた。
エリー――その名前はカイが探し求めているエルザ・ミュラーの愛称だ。
当初、ハヤトは確かにエルザの所在について知っているといい、この星系までカイたちを誘った。
だがこの施設の存在理由が明らかになるにつれ、ハヤトの正体についても、脳転写技術によってハヤト・ソウマの記憶を転写された被検体ということが発覚する。
それ故に、施設に居るというエルザの存在についても疑わしいというのが、カイたちが出した結論だった。
しかし、目の前のハヤトだった少年から再びエルザの名を聞いてカイは僅かに目を見開いた。
果たして彼女は本当にこの施設に居るのか。はたまた、思考リーディングによってエルザの名前を知っただけなのか。
カイはその判断が付かずに頭を悩ませていた。
そんな中、キャロルが警戒心をあらわにして口を開く。
「今更、その名前で私たちを釣るつもり? どうせ、ご主人様から情報を読み取っただけでしょ。アンタの目的は何なの? 何のために私たちを誘き寄せたの!?」
猜疑心を露にしてキャロルは少年へ容赦なく銃口を向けていた。
少しでもおかしな動きをすれば容赦なく引き金を引く。その覚悟がにじみ出ている。
だが、そうした状況にも関わらず少年の顔には一切の動揺や緊張はなかった。
そこに人間らしい感情は存在せず、ただ少年は黙って虚ろな瞳でカイを見つめたまま、淡々と答えるだけだった。
「……目的、は……実、験体の……確保」
たどたどしい口調で少年は全てをカイたちに語り始める。
この実験施設を掌握した元帝国軍特別情報局の研究職員エミール・ヴィルツ、彼が全ての始まりだった。
彼は凍結された脳転写技術の研究を密かに続け、海賊と取引して数々の奴隷を仕入れては、忌まわしい実験の生贄としてきた。
脳転写を行う特殊な脳構造とするべく、奴隷たちをESP能力を開花させるために、脳を弄繰り回しては無数の廃人を生み出した。
それに耐えた数少ないESP発現個体も、今度は脳転写実験によって使い潰す。
そうしてエミールは、たった数年で数え切れない奴隷を消費していった。
「帝国の脳転写技術は連邦より遅れているって噂は知ってましたが、あまりに非効率ですわね……」
少年から淡々と語られる真実を前に、フローラは思わす顔を歪めて呟いた。
残るカイとキャロルも同様の思いと言わんばかりに頷き、エミールが行ったという悲惨な研究を聞いて不快感を露にしていた。
「……けど、実験、成功……した。それ……ぼく、B60……1」
「B601……それがお前の名前なのか」
ぎこちない声で少年は再び語り出す。
その中で、被検体B601は脳改造手術に耐え切ってESP能力を開花させた。
さらに、それだけに留まらずハヤト・ソウマの脳情報に適合し、脳転写にも成功した。
数え切れない犠牲の中で、B601はエミールにとって数少ない成功例の一人となった。
だが成功例の中でも新たな問題が出て来た。
成功した幾人かが突如として発狂死したり、記憶の揮発が早く廃人となる等の問題が出て来たのだ。
必ずしも発生するわけではなく、早期にその症状が出る者もいれば、B601のように1年以上経過しても平気な者もいた。
そうした問題を解決する為にも、エミールはさらなる実験を重ねて犠牲者を増やしていった。
だが、ついに奴隷の在庫が尽きてしまう。
頼みの海賊も頻繁な奴隷売買は星系防衛隊や、下手をすればより強力な星域統合艦隊を引き寄せる結果となるため、エミールからの依頼を断るようになっていた。
そうした状況の中、エミールはB601が持つ認識干渉能力に目を付ける。
B601の認識を操る力は圧倒的で、影響下にある人間たちの心を次第に穏やかに、そして従順へと染め上げることが出来た。
その力は、時間が経つほど深まり、まるで静かに毒が回るかのように相手の意思を浸食していく。
エミールはその能力を巧妙に利用したのだ。
彼はB601を海賊に奴隷として売り渡し、あえてその囚われの身を演出したのだ。しかし、その裏には計算があった。
B601の力によって心を奪われた人々は、無意識に彼の指示を仰ぎ始める。そして準備が整ったところで、B601に導かれるように、数多の人間たちが自ら進んで施設へと足を運んで行った。
これは大成功を収め、エミールは多数の実験体を確保する事が出来た。
「つまり、お前が俺たちをここへ導いた本当の理由は、脳転写の実験に使うためだったわけか……」
カイは冷静を装っていたが、その内心は激しく揺れていた。
エミールの名前が出た途端、彼の胸の奥で冷たい感覚が広がる。ハヤトが語るたどたどしい言葉が、実験施設で見た断片を無慈悲に繋げていくように感じるのだった。
ハヤト――B601はその言葉に対して、虚ろな瞳でカイを見つめ続けた。
だが、やがてその瞳に微かに色が戻り始め、声が震えたように聞こえた。
「……エルザは……まだ捕らわれている……。彼女は……最後に残った実験体なんだ……! エミールはキャロルさん達の……活躍を見て、施設を放棄して逃げるつもりだ!」
B601の無機質な口調が徐々に変わり、そこにはかつてのハヤトの面影が現れ始めた。
冷たく、感情の無い声は次第に温かさを取り戻し、必死な響きへと変わっていった。
カイはその変化に驚きを覚えつつ、そこにB601としての本心を感じ取った。
「カイさん、お願いだ! ……エリー、を……助けてくれ! 彼女、を救ってくれッ!」
その言葉がB601としてのものなのか、それともハヤト・ソウマとしての性格から発せられたものなのかは定かではなかった。
しかし、その声には明らかに人間としての意思が宿っていた。
だが、キャロルはその言葉を聞いて、警戒心をさらに強めてB601に鋭い視線を向けた。
「ご主人様、これは罠よ! こうして私たちを都合の良い場所へ誘い込んで捕らえる気よ。不安定な今がチャンス、この場で殺しておくべきだと思うわ!」
キャロルの声には怒りと焦りが入り混じっていた。
その警告は理にかなっており、カイも思わず考え込む。
その一方で、フローラが冷静な口調でカイに話しかけた。
「カイ様、今追うべきはエミールです。たとえこれが罠だとしても、元帝国軍の研究員である彼を捕まえられれば、伯爵にさらなる恩義を売ることができますわ。
あの男が持つ情報は貴重です。幸いにも、起動に成功しているT-45が2体ありますわ。多少の罠であっても、突破することは可能でしょう」
その言葉にカイは迷いながらも頷いた。
エミールを捕らえることの重要性は理解していたし、エルザの救出もまた自身にとって譲れない目的だった。
キャロルとフローラ。それぞれの相反する意見を聞いたカイは、静かに目を瞑り、何が最善であるかを思考する。
一瞬の静寂が訪れた後、カイの目が静かに開かれた。
瞳に決意を宿したカイは、両隣に立つフローラとキャロルを見て静かに告げた。
「……エミールを追う。エルザが本当に居るのかは依然として確証はないが、その場合はエミールだけでも捕獲すればいい。フローラの言うようにT-45がある今、多少の罠は問題にならない」
一瞬の沈黙の後、キャロルは不安を残しつつもカイに従い、B601に向けていた銃口を静かに下げた。
片やフローラは小さく笑みを浮かべると、すぐに次の行動に備えるべく、目の前で停止しているパワードスーツを調べ始める。
「あり……が、とう」
それまで無表情だった少年の顔に、僅かにも人間らしい笑みが宿るのをカイは見逃さなかった。
それを見て、彼の言う言葉に嘘偽りは無いのだろう。そう、カイは密かに確信するのだった。
一行はエミールを追うべく、急ぎ準備を整え始めた。
エミールが逃亡の準備を進めているという緊張の中で、フローラとキャロルはそれぞれのパワードスーツに乗り込んだ。
キャロルが乗ることになったT-45は、カイが立ち上げこそ成功したものの、内部の計器は埃と時間にまみれ、整備状態は劣悪そのものだった。
両腕に内蔵されていたエネルギーブレードは完全に破損し、動作の兆しすらない。
搭載されている燃料は限りなく少なく、推進剤もほとんど空の状態だった。
「ちょっと、ご主人様! このポンコツ、予想以上に最悪なんだけど!? 動くだけだよ、これーー!!」
その埃塗れとなったコクピットを見て、キャロルは悲鳴を上げていた。
予想を遥かに上回る劣悪な状態に、キャロルは戦闘において頼りにできるものがただの質量攻撃――力任せの殴打やタックルしかないことを確認して、険しい表情を浮かべていた。
「文句を言わない。カイ様が折角立ち上げて下さったんですのよ、使える物は使いませんと」
一方で、フローラが乗り込むのは、B601が使っていた機体だった。
こちらも万全とは言えないが、推進剤はわずかに残っており、片腕に備わるエネルギーブレードの展開は可能な状態だった。
至近距離でプラズマグレネードの電磁波攻撃に晒されたにしては、驚くほどシステムエラーは少なく、良好な状態を保っていた。
そうしてフローラはシステムをチェックしながら、心の中で慎重に作戦を練っていた。
二人の準備が進む中、カイはB601のそばに立ち、施設内のマップを指でなぞりながらエミールの逃げた先を確認する。
薄暗い部屋にある古びたコンソールが、行く手を示す光を点滅させている。B601は虚ろな目でそのマップを見つめ、たどたどしい言葉で話し始めた。
「エミールは……第1ドックへ……行っている。そこに……唯一、稼働する……宇宙船、がある……」
「なるほど、第3ドックとは真逆か……」
カイはその言葉を受け、顎を引いて考え込んだ。
第1ドック――そこがエミールの最後の逃げ道であることは明白だった。彼が脱出してしまえば、折角の手がかりと機密情報を失ってしまう。
それは何としても防ぎたい。ここまで来た以上は何かしら有益な代物を持って、この施設を後にしたかった。
「キャロル、フローラ。準備はどうだ?」
カイが振り返って問いかけると、キャロルは戦闘体勢を整えたまま鋭く頷いた。
「問題ないわ。壊れてても、この腕であいつを引きずり出してやるわ!」
フローラも操縦席の奥で柔らかな笑みを浮かべ、カイを見やりながら静かに答えた。
「こちらも準備完了ですわ」
カイは深く息を吸い込み、目の前に広がる廊下の奥に視線を投げた。エミールを捕らえるため、そしてエルザを救うための戦いが、いよいよ始まろうとしていた。
文章が詰まっているという指摘があったので、幾らか改行して見ています。
逆に読みにくいわ!って意見があれば指摘してください。




