6-11 [挿絵アリ]
相変わらず暗く湿った空気に包まれる実験施設の通路を、カイたちは慎重に歩みを進めていた。
だが今はそんな通路でも違って見える。何しろカイのRPDには施設全体のマップが表示され、進むべき道を明確に示していたからだ。
――それでも気を抜いてはいけない。
何せこの施設は放棄されて随分と経過している。床の亀裂や崩れかけた天井といった天然のトラップが、そこかしこに存在している。
それは単に経年劣化なのか、それともかつて行われていた脳転写実験の傷痕かは定かではない。
耳を澄ませば、金属が微かに軋む音が遠くから響き、不気味な共鳴を生んでおり、施設全体が悍ましい実験を物語っているかのようだった。
とは言え足取りが順調なことに、カイはそうした不気味さとは無縁の精神状態にあった。
「ここまで順調だな! やっぱマップがあれば楽だわ、あと10分もしないで出られそうだ」
カイが陽気に呟いた言葉は、薄暗い空間に吸い込まれるように消えていく。
そんなカイに対し、フローラが口元を緩め、小さな笑みを浮かべて僅かに視線を向ける。
確かにカイの言う通り、一行の足取りは順調であり、先頭を歩くフローラですら警戒レベルを一段階引き下げていた。
何しろ今まで注視して早期に見つけなければならなかった警戒システムを、正規IDを入手した今では完全に無視できるというのが大きい。
無力化する作業や、迂回路を探すといった手間もなくなった今、一行全体に弛緩した空気が広がっていた。
「カイ様。それ、フラグですわよ。黙って付いて来てくださいまし」
「まあ、そう言っても今更警戒システムに引っ掛かるはずもないだろ? 余裕余裕」
通路の照明は長らく放置されているため、ほとんどが機能していなかったが、彼らが進むたびに赤い警告灯が薄暗い闇の中に小さく瞬きしている。
そんな中、一番後ろを歩くキャロルがカイの様子にくすっと笑いを漏らした刹那、突如として耳をつんざくアラート音が響き渡った。
無機質な音声が、施設全体に侵入者の存在を告げる。
『侵入者を検知。防衛システム、起動』
キャロルの笑みが固まり、その顔に驚愕の色が浮かぶ。
「って本当に現実になっちゃったわね……ご主人様」
「おいおい、嘘だろ!?」
カイは反射的に拳を握り締め、周囲に鋭い視線を投げかけた。
一瞬で呑気な空気は霧散し、緊張感に包まれる。
急ぎマップを見れば、白鯨号が停泊している第3ドックまでは僅かな距離となっていた。
心臓が高鳴るのを感じながら、カイは焦りを隠せない声で二人に命じる。
「急げ、第3ドックまで走るぞ!」
フローラは言葉を待たずして走り出していた。
錆びた鉄の床が足音を鈍く響かせ、通路の中に反響していく。しかし、その先には無情にも隔壁がゆっくりと降りていく音が響いていた。
重厚な金属の板が、最短ルートを封鎖していく。
「隔壁の起動を確認! 間に合いませんわ」
「くそ、まずい……!」
カイの額には緊張の汗が浮かび、RPDに映し出されるマップに目を走らせた。
周囲の地形や分岐点が目の前で次々と表示され、カイは一瞬も躊躇せずに次の最短ルートを検索した。
「こっちだ、次のルートを転送した!」
彼の指示に従い、フローラとキャロルは迅速に動き出した。
だが、再び立ちはだかったのは古びたドローンの部隊だった。暗闇の中で青白い光を放ちながら、不気味に浮遊している。
「……前方より多数のドローンを確認! キャロル、援護して!」
「了解!」
「あれは……バインド・レイダー! 電磁ワイヤーを内蔵してる鎮圧型ドローンだ。捕まると、どんな馬鹿力でも動けないぞ、注意しろ!」
カイの声は空間に鋭く響き、緊張がその場を支配した。
フローラとキャロルは即座に反応し、息を殺して迫り来るドローンを見据えた。
彼女たちの視線は冷たく鋭く、ドローンの機械的な目と対峙しているかのようだった。
二人はまるで息を合わせた舞踏のように動き、瞬く間に攻撃を繰り出して一機ずつ丁寧に撃破していく。
銃声と金属の破砕音が響き渡り、散り散りに飛び散る火花が薄暗い通路を不規則に照らし出す。
だが、後方からはまるで生き物の群れのようにドローンが押し寄せ、無限に湧き出すかのように追加されていく。
じわじわとプレッシャーが迫り、一行は次第に後退を余儀なくされていった。汗がこめかみを伝い、息苦しさが増していく。
「くっ……数が多いですわね」
フローラがつぶやいた声は、わずかな余裕さえも許されない状況を物語っていた。
目の前のドローンが無表情に迫る様子は、不気味なまでの沈黙を伴い、戦場の空気を冷たく支配した。
「これじゃ埒が明かないわ……ご主人様、次のルートを探して!」
キャロルの焦燥のこもった声がその緊迫感に拍車をかけ、カイは急ぎマップに目を落とした。
デジタルの地図が網膜に投影され、その細かいラインを追う。鼓動が耳の奥で高鳴り、時間が妙に引き延ばされたように感じられた。
思考の迷宮を駆け巡りながら、新たなルートを見つけたカイは短く告げた。
「よし、こっちへ撤退だ!」
無機質なドローンの赤い光が通路を照らし出し、その光が一行の影を複雑に絡ませる。
カイたちは瞬時に動き出し、鋭い息遣いとともに新たな道を駆け抜けていく。
背後でドローンのモーター音が唸りを上げ、冷たい金属音が重なる度に彼らの背中を押し付けるように追い立てていた。
カイは息を切らしながら、急いで脇道の通路へと飛び込んだ。
フローラとキャロルもすかさずその後を追いかけ、暗く狭い通路を一気に駆け抜ける。足音が重く響き、壁に反響して耳に痛い。
だが、後方ではドローン部隊のモーター音が執拗に追いかけてくる。
追跡を振り切ることは容易ではなかった。
カイの脳裏に焦燥が広がり、呼吸がさらに荒くなる。
「追ってきている……振り切るのは無理ですわ」
フローラが鋭い目つきで言い放つと、サイドアーマーに備え付けられていたプラズマグレネードを手に取った。
その小型の武器は通常のグレネードとは異なり、強力なプラズマフィールドを発生させる。
膨大な熱量を生み、特に機械に対して効果的な代物だ。
「これで、少し時間を稼ぎますわ」
彼女は短くそう言い、素早く目盛りを弄って起爆モードを変更した。
逃げる一行に対して、フローラは振り向きざまにプラズマグレネードを後方へと投げ込む。その動作は流れるように滑らかで、躊躇いがなかった。
投擲されたグレネードはわずかな時間を置いて起爆し、眩い青白い光を放つ。
途端に辺りは閃光に包まれ、耳をつんざくような爆音が響き渡る。
プラズマエネルギーが爆発し、迫っていたドローンの群れを瞬く間に吹き飛ばした。
その一撃は、ただドローンを破壊しただけではなかった。
プラズマフィールドはその場にとどまり、静かに青白く輝きながら後続のドローン部隊を完全に足止めしていた。
熱と電磁波の強力なバリアが、一瞬たりとも突破させまいと警告するかのように、音を立てて空間を振動させていた。
「よし、これで時間が稼げた! 次の扉を抜けた先、そこから一気に第3ドックまで辿り着けるはずだ」
カイは振り返らずに声を張り上げ、一行は再び走り出した。
扉を抜け、一行が足を踏み入れた先に広がっていたのは、想像を超えた広々とした空間だった。
薄明かりに照らされたその場所は、静寂と共に過去の活気を失った整備工場だった。
天井の高いホールには古びた金属の匂いが漂い、埃が積もった工業機械が無数に鎮座していた。
壁面には整然と並ぶハンガーが続き、そこには数々の分解整備中と思われるセントリーボットが並び、放置されていた。
「ここは……?」
フローラが小さく呟いた。その声は反響し、空間に奇妙な共鳴を生んだ。
カイは眉をひそめ、RPDに表示されたマップを再確認した。
だが、表示された地図は今いる場所が本来のルートとは異なることを示していた。ここは第3ドックではなかった。
「くそ……誘導されていた!」
カイは冷や汗を感じながら、すぐにそこから出ようとするも入口の扉は既に遠隔操作によりロックされていた。
目先の事態に捉われ、重要な事を見落としていた事に今さらになって気付いた。
自分たちを襲っていたのはドローン部隊だけでなく、施設各所に存在するホログラフィック干渉装置も起動されていたのだ。
苛立ちを覚えながらも、カイはすぐさまフローラとキャロルに指示を出す。
「周囲を警戒。間違いなく、罠だ!」
二人は頷き、視線を鋭く周囲に走らせた。
空間全体に漂う不気味な静けさが、彼らの緊張を一層高めた。
カイはその中で急ぎ使えそうなものを探し始める。時間は限られている。
ドローン部隊が再び押し寄せてくる前に、この場所から脱出する手段を見つけなくてはならなかった。
そんな中、カイの目が壁際の古びたハンガーに据えられた幾つかの大きな機械に留まった。
埃にまみれ、無機質な灰色の塗装が剥がれかけているそれは、旧式の帝国軍製パワードスーツだった。
使われなくなって久しいものだが、その外観はまだしっかりしており、起動させる価値はありそうだ。
「あれは……T-45! パワードスーツがあるぞ!」
それは正式名称Type-3245アーリウス・モデルK1と呼ばれる旧式のパワードスーツだった。
すでに運用が終了されており、実戦ではあまり見かける事の無い型式だったが、その機能は生身と比べれば雲泥の差だ。
性能面では同世代の連邦製パワードスーツと比較して見劣りするが、量産性と整備性に優れ、堅牢な作りをしており今だ使用者も多い。
そんなパワードスーツを前に、カイは息を飲むようにしてその機体へと駆け寄ると、備え付けられていたコンソールパネルに手を伸ばした。
幸いなことに電力が通っており、急いでスーツの状態を確認して立ち上げることが可能なのかを確かめていく。
しかし、その時、低いエンジン音がハンガー内に響き渡る。
その音は不気味であり、冷たい機械音が全体を震わせた。
ハンガーに鎮座していたセントリーボットが、ゆっくりと赤い視線をこちらへ向けて起動したのだ。
「嘘でしょ、あのポンコツ動き出したわ!」
「外部センサーを徹底的に狙って! 私たちの装備では装甲は貫けないッ!」
カイたちの前に立ちはだかった全長5mほどあるセントリーボットは、明らかに分解整備中の機体であった。
その外観は通常のものよりも荒々しく、幾つかメンテナンスハッチが開かれたままの状態で、内部のメカニズムが剥き出しになっていた。
左右にあるはずの対物速射腕は取り外され、露出した機械部分がむき出しで光を反射している。
さらに、その肩部に装備されているロケットポッドも左右対称ではなかった。
片方は弾薬が尽きて空になっており、使用できる状態ではなかった。それでも残る対人機銃ともう一方のロケットポッドはまだ稼働可能で、分解途中にもかかわらず威圧感は損なわれていなかった。
無骨な四肢から放たれる鋼鉄の音が通路に響き、重厚な機体がゆっくりと動き出す様は、分解状態にありながらも充分な脅威を感じさせた。
セントリーボットの鋭い視覚センサーが光を放ち、カイたちを一瞥すると、そのまま戦闘体勢へと移行していった。
鈍く動き出したセントリーボットを見て、フローラとキャロルは示し合わせて共に先制攻撃を開始した。
彼女たちの射撃は正確にセントリーボットの外装にある各センサーを狙うも、幾つかは装甲に拒まれてしまう。
フローラが予測した通り、超高速で撃ち出されたアサルトレールガンのナノカーボン合金弾ですら、そのぶ厚い装甲を貫くことは出来なかった。
それよりも物理的な貫通力に乏しいキャロルのパルスマシンガンは、殆ど効果はない。
高強度チタニウム合金の外殻が火花を散らしながらも、セントリーボットはびくともせずに迫ってきた。
「くそっ……装甲が硬すぎるわ!」
「危ないッ!」
キャロルは歯を食いしばりながら呟いたと同時に、フローラが叫ぶ。
セントリーボットの対人用機銃がゆっくりと指向するのを見て、二人は瞬時に反応し、左右に散って近くのコンテナへと飛び込むように身を隠した。
次の瞬間。
激しい轟音が辺りを支配し、無数の弾丸が二人がいた場所を容赦なく撃ち抜いた。
金属片が飛び散り、銃弾の音が反響して耳をつんざく。
「ちょっと、機銃でこの威力なの!?」
「さらにヤバイのが来ますわよ!」
続けてセントリーボットは肩部のロケットポッドを持ち上げ、二人が身を隠していたコンテナを標的に定めた。
閃光と共にロケットが発射され、轟音と共に爆風がコンテナを粉々に吹き飛ばした。
土煙が立ち込め視界を覆い隠す中、セントリーボットの赤く光るメインカメラは咄嗟にサーモセンサーに切り替え、煙の中を見抜く。
そこに映し出されていたのは、今まさに反撃しようとする二人の影。
フローラとキャロルが無傷で飛び出し、反撃の射撃を開始した。
連射する銃口から放たれる無数の弾丸がセントリーボットに命中するものの、重厚な装甲は依然として彼女たちの攻撃を受け流していた。
「くそ……このままじゃジリ貧だわ! パルスマシンガンじゃ出力が低すぎて、歯が立たない!!」
「カイ様、早く!! このままでは本当にマズイですわ!」
キャロルとフローラが焦りの声を上げる中、カイは必死にコンソールの操作を続けていた。
何しろ目の前のパワードスーツが最後に起動したのは、今から20年も前。
しかも、何かしらの不具合がある状況だったようで、様々なモジュールが機能を停止していた。
だがカイはこの最悪な状況を打破するために、目の前の鉄屑に命を吹き込むべく起動準備を急いでいた。
彼の額に汗が浮かび、背中から聞こえる激しい戦闘音に身体をビクつかせながらも、作業に集中していた。
「えっ……」
「これは……!?」
その最中、フローラとキャロルの目の前で、セントリーボットの攻撃が不自然に止まった。
工場内に響き渡っていた轟音が消え、代わりに耳鳴りのような静寂が場を包む。
その静寂を破るように、スピーカーから不気味な男の声が響いた。
『……抵抗は無意味だ。私はこの施設の管理者、エミール』




