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6-10

 薄明りがかろうじて部屋の輪郭を浮かび上がらせ、男の顔に陰影を与えていた。

 長身だが痩せており、やや猫背のその男は、気難しそうな表情を浮かべて作業に勤しんでいる。

 長髪は後ろでひとまとめにされているが、所々白髪が混じり、年齢を感じさせた。白衣を着たその姿は、一見すると医師のようだが、その目にはどこか狂気が宿っていた。

 男はモニターの数値に目を凝らし、薄く汗ばんだ額を一度手の甲で拭う。

 

「くそッ……このパターンもダメか。やはり脳同士の相性問題を解決しなくては進めないか?」

 

 その部屋はまさに禁断の研究が行われる場であった。

 床を這うコードはまるで生き物のように絡み合い、光を受けて微かに揺らめく。

 酸素の薄さを感じさせる空間は、どこか生命の存在を拒んでいるかのように冷たかった。


 そのとき、重いドアが機械仕掛けの音を立てて開いた。

 訪れたのは年若い少年で、ゆっくりとした足取りで入室する。

 その動きは無機質で、どこか生気が感じられない。彼の顔に浮かぶ無表情は、まるで魂を削ぎ落とされたかのようだった。


「エミール様……素材、連れて……ました」


 その言葉は抑揚なく響き、部屋の重苦しさを一層際立たせた。

 エミールと呼ばれた男はその声に反応し、ゆっくりと背を伸ばして振り返った。

 薄暗い部屋に不意に笑みが広がる。喜びと期待がその顔に現れ、乾いた声で少年を褒めた。


「おぉ、やっと材料が届いたか……よくやったぞ、B601。おっと、今はハヤトだったな」


 その少年は、カイたちが知るハヤトその人だった。

 エミールの声には、焦燥から解放された安堵と、長らく抑えていた狂気が滲んでいた。

 彼の視線はそのままハヤトの無表情な顔へと移る。

 長きに渡って失敗を繰り返してきた実験、失われた無数の命。それでもなお、彼が追い求める目標のためには犠牲は惜しまなかった。

 今や数少ない生きた成功例のB601。これと同じものを量産することが、エミールの唯一の願いだ。

 

 被検体B601、彼は元々ただの隷属国民(スレール)だった。

 記憶転写実験の過程において、記憶の定着には特別な脳構造をしている必要があると判明した。

 それは所謂、ESP発現個体と呼ばれる人種であり、極めて稀に発見される彼らが持つ脳が該当する。

 そこまで分かったは良いが、今度は新たな問題が出てきてしまう。

 

 単純にESP発現個体が非常に稀な存在だということだ。

 100万人に一人の確率とも言われ、幾ら帝国広しといえども、ESP発現個体の数は非常に少ない。

 そもそもESP能力を隠して暮らす者も多く、その確保は困難を極めた。


 その為、そのような希少な存在を使った実験は試行回数は限られてしまい、うまく結果に結びつかない。

 そこで今度は人為的にESP発現個体を作り出すという実験が新たにスタートした。

 (おびただ)しい量の奴隷を消費して、脳に手を加えて人為的にESP能力を発現させる忌まわしい実験。

 その狂気の中で生まれた数少ない成功例が、被検体B601だった。

 

 そういった事情から、記憶転写実験は非常に多くの人間が必要となっていた。

 しかし、残念な事にこの施設の供給源は枯渇しかけていた。

 今では残る実験材料はただ一人の少女。

 その絶望的な状況下、彼はハヤトに新たな命を求める任務を与えていた。

 

「全く、材料を確保するのも一苦労だ。で、何人だ?」

「……3人……です」

 

 エミールはハヤトからの返答を聞き、額に皺を寄せて驚きを隠せなかった。


「たった……3人だと? この役立たずが、何のための能力だ! こんなにも時間を掛けたというのに……!」


 エミールの声は失望と怒りで震えていた。

 彼の中で、崇高と信じる研究のための“材料”を集めることが至上命題だった。

 激しい怒りが抑えきれなくなり、エミールは瞬時にハヤトへと向かい、その小さな身体を蹴り飛ばした。

 重い音を立てハヤトが倒れ込む。

 だが、エミールの怒りは収まるどころか、さらに激しくなり、何度もその体を踏みつけた。

 

「お前の能力なら! もっと、連れて来れただろう!! 無能が!」

 

 鈍い音が部屋に響き、そのたびにハヤトの体はわずかに揺れたが、彼は一言も声を上げなかった。

 無表情のまま痛みに耐える様子は、逆に異様な静けさを漂わせていた。

 エミールがようやく手を止め、肩で息をしながらふと冷静さを取り戻すと、その表情は一転して優しい笑みを浮かべた。


「ふぅ……すまないな、ハヤト。君が頑張ってくれたのは分かっている。少し感情的になってしまっただけだ……許してくれ」


 言葉とは裏腹に、その声は冷たく、意識が常に実験に囚われた狂気を孕んでいた。

 ハヤトはゆっくりと上体を起こし、傷の痛みも感じさせずに再び無表情に戻った。


「さて……それで、構成は?」

「男女……男一人、女……二人」


 エミールの瞳が光り、その内容に一瞬の間、思考を巡らせた。

 施設内に残されている在庫を思い出し、それもまた若い雌であることに気付いた。


「ふむ。在庫は雄一匹、雌が三匹になるか……。となれば、急速成長薬を使えば半年もあれば繁殖させて十分な数まで増やせるか?」


 実験のための材料確保を目的とした繁殖計画を独り言のように呟くエミール。

 人を人として見ていない発想は、この部屋に漂う狂気そのものだった。


 だがその言葉に、ハヤトの無機質な表情が僅かに動いた。微かに眉が動くようなほんの僅かな反応だった。

 それ故に、微細な変化をエミールが気付くことはなかった。

 彼が既に次の実験のことに思考を巡らせていたというのもあったが。

 

「いや、ダメだ。質に問題が出てくる……それに近親交配も懸念だな。けれど、二世代位までは平気かもしれんし……うーむ」


 エミールが考えに沈んでいる間、ハヤトが一歩前に出て追加の報告をした。


「女……は……思考……読めません」

「なんだと!?」


 その言葉を聞いた瞬間、エミールの瞳が異様な光を帯び、驚愕と興奮が一気に表情を変えた。

 身体が小刻みに震え、歓喜の笑みが口元に広がる。


「思考が読めなかった……? おいおい、それはつまり、ESP能力者……いや、()()()()()だということじゃないか!」


 エミールの頭の中で計算が巡る。

 PI(認識干渉)系能力者であるハヤトのリーディング能力は非常に強力であり、通常の人間であればその力に抗うことはできない。

 もともとハヤトは常時垂れ流しの汚染型ESP能力であり、その範囲内にいる人間は無意識のうちにハヤトに好意を抱いてしまう。


 さらに、その効果は暴露時間に応じて増強され、範囲を離れた後も消えることなく持続する。最終的には完全な支配下に置かれ、指示に無条件で従うようになるほどの凶悪な能力だった。

 この能力を利用し、エミールは海賊にハヤトを定期的に奴隷として売り払い、汚染が完了した人間たちをハヤトに引き連れて戻らせるという手法を取っていた。


 普通の人間ならば誰もがハヤトの影響下に陥り、反抗などあり得ない。

 だからこそ、今回はその中でも特別な存在が現れたのだ。

 エミールの心臓が高鳴り、呼吸が荒くなる。


「たった二人、だが……特別だ。いいぞ! 今回の釣果は価値がある!! 早速確認したい、牢獄にいるな?」


 エミールは、興奮を抑えきれないまま、ハヤトにその3人が今どこにいるのかを尋ねた。

 しかし、返ってきた答えは、彼の心臓を凍りつかせた。


「まだ……牢獄……入れてない。報告、先……」

「なんだと!? ……しまった! お前、最後に受けた記憶転写はいつだ!?」

「……7か月前……」


 その言葉にエミールは目を見開き、思わず息を呑んだ。

 通常であれば、ハヤトは被検体を確保し次第、すぐに所定の場所へ連れて行くはずだった。だが、今回に限ってはそれがなされていない。

 エミールはその異変の正体を瞬時に理解した。

 ハヤトの記憶が揮発し始めているのだ。そのため、命令の優先順位が混乱してしまったのだと。


「くっ、何てことだ……! こんな凡ミスをするなど」


 焦燥感に駆られたエミールはすぐさま監視端末を起動し、施設内部の映像を確認し始めた。数秒が永遠にも思える時間の中、彼の目は鋭くスクリーンを見つめる。

 やがて、施設内を歩く3人の影が映し出され、エミールの目に映ったのはカイたちの姿だった。


「いた! ……これは……軍用の装備か?」


 エミールの顔は青ざめ、冷や汗が額を伝った。

 カイたちは明らかに一般の者ではなく、整然とした軍用の装備をまとっていた。経験豊かな兵士のように動く姿に、エミールは自分の軽率さを呪った。


「……追加で、報告……ます。彼ら……独立パイロット……。……海賊……撃破……です」


 たどたどしいハヤトの声が部屋に響く。

 エミールはその言葉に耳を疑い、動揺の色を隠し切れなかった。

 独立パイロット――それは組織に属さず自由に動く者たちで、時には海賊以上に厄介な存在であることもある。


 事実、つい先日ここから出て行った海賊も撃破された可能性をハヤトは口にしている。

 つまり連中は対艦戦闘が行える手段を持つパイロットだということだ。これは極めて不味い状況だった。

 何しろこの施設は放棄されて久しい。

 数年前から密かに復旧作業を続けているが、根本的に人手が足りないため防衛設備は殆ど手付かずのままだった。

 そんな状況下で軍用装備で身を包んでいる独立パイロットを相手にするのは、非常に骨が折れると言えた。


「なんてことだ……よりにもよって、独立パイロットを引き連れてきてしまったのか! クソ! 折角、ここまで出来たと言うのに……」


 エミールは叫ぶように声を上げ、血走った目でモニターに映るカイたちを睨みつけた。

 焦りと恐怖が混じり合った表情は、彼の精神が限界に近づいていることを物語っていた。

 

 エミールは元々、帝国軍特別情報局に所属していた。

 かつては、この施設の主任研究者として数々の非人道的な実験を監督してきたが、帝国内の政治的圧力や倫理的問題が原因で施設が放棄された際、彼はその中でも実験への執念を捨てきれなかった。


 やがて軍から逃れた彼は、再びこの施設へと舞い戻って密かに復旧作業を続けていた。軍が諦めた研究を一人で続けることを選んだのだ。

 誰にも知られず、闇に閉ざされたこの場所で、彼は狂気に近い情熱を抱き続けていた。


 目の前でモニターに映るカイたちを睨みつけるエミールの表情は、焦りと恐怖、そして彼自身の研究への執着が入り混じっていた。

 彼の手は無意識に震えていたが、それでもその瞳はまだ光を失ってはいなかった。


「……まだ終わりではない。幸いまだ時間がある。……あの3人を必ず捕らえ、この施設の秘密を守り、そして実験を完成させる!」


 エミールは冷たい汗が滲む額を拭いもせず、コンソールパネルを忙しなく操作し始めた。

 彼が触れるたびに、古びた制御装置は低い機械音を響かせ、薄暗い部屋を赤色の警報灯が揺らめかせた。半ば錆びついたパネルは、時折静電気をまとって微かに火花を散らしていたが、エミールは気にする素振りも見せなかった。


「これで……これで、奴らを逃がしはしない……!」


 エミールが立ち上げようとしている防衛システムは、施設が持つ限られたエネルギーを無理やり供給し、旧式のドローン部隊とホログラフィック干渉装置を同時に起動するものだった。

 ドローンは電磁バインダーを備えており、敵の動きを縦横無尽に封じ込めることができる。

 ホログラフィック干渉装置は、侵入者の視覚を惑わせ、正確な位置情報を失わせる機能を持っていた。


「セントリーボットは……ダメか! だが、一部のドローン部隊と妨害機能はオンラインになった……これで、行けるか!?」


 システムが古いためか、起動には通常より時間がかかっていた。

 エミールは焦燥感に駆られながらも、スクリーン上で点滅するシステムの状態を見つめ続けた。幾つかの表示が「起動準備完了」の緑色のランプに変わり、彼は薄笑いを浮かべた。

 しかし、彼はその瞬間、自身の背後で僅かに空気が動いたことに気づかなかった。

 操作に夢中になっているエミールの影が、薄暗い光の中で揺れ動いていたが、その不自然な動きの正体に彼はまだ気づいていなかった。

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