6-9 [挿絵アリ]
カイたちは、退路を断たれた状況に緊張を保ちながら、施設の奥深くへと慎重に進んでいった。
道中でいくつかの警戒システムを発見するたびに、素早く無力化しながらも、複雑に入り組んだ通路を迷うように歩み続ける。
「流石にマップ無しじゃキツ過ぎるな、これは」
「カイ様は後ろから付いてくるだけマシですわ。一番辛いのは先頭の私なんですけれど?」
既に1時間ほどは歩き続けただろうか。
終わりの見えない探索に、ついついカイの口から弱気な言葉が漏れる。
それもそのはず、何せこの施設がある小惑星の直径は10キロメートルほどもあるのだから。
そんな巨大な岩石体の内部をくり貫いて作られた施設を、徒歩で探索するとなれば必然的に時間がかかる。
次々と現れる通路の分岐や、至る場所に存在する警戒システム。
これらに注意深く気を配って進んでいるのだから、どうしたって歩みは遅くなり、時間だけが無情に過ぎ去っていく。
「ったく、ハヤトは何がしたいんだ?」
歩を進めながら、カイは疑念が拭えずにいた。
ハヤトが何らかの罠にかけようとしているのではと最初は考えたが、防衛システムが未だ作動していない点が引っかかる。
もし自分たちを害することが目的であれば、すぐに防衛システムを起動してセントリーボットで制圧するのが手っ取り早いはずだ。
それをしない理由があるのか、それとも彼には別の意図があるのか。カイはその目的を掴みかねていた。
「そうボヤかず、警戒を維持してくださいませ。ほら、何か部屋がありますわよ」
「えぇーどうせ、また外れだじゃないー?」
「まーまー、そう言わず! 頑張って、ご主人様!」
先頭を歩くフローラから、そう告げられたカイが目にしたのは道中で幾つか目にした見慣れた扉だった。
今の所、そのような部屋を見つけては中へ入って物色を続けているが、今のところ成果はゼロ。
どの部屋も長らく放置された機材の保管庫で、制御システムへアクセスできるような端末は見当たらなかった。
――どうせ今回も外れだ。
そんな気がしながらも、カイはキャロルに背中を押されて開錠を試みるのだった。
扉を前に周囲を警戒するフローラとキャロルを横目に、カイは手慣れた手付きで壁面に備え付けられたアクセスポートに端末を繋ぐ。
すると、すぐさまドアロックが解除され、小さく空気の漏れる音が聞こえた。
「はい、開きましたよっと……いい加減、何か出て欲しいもんだが」
「はいはい、一番最初に入るのは私ですから、カイ様は後ですわよ」
「まあ、そろそろ何かしら情報を得たいのは事実よね」
その部屋は、かつて何らかの研究が行われていたことを思わせる異様な静寂と独特の雰囲気に包まれていた。
四方の壁にはむき出しの配線や複雑な機械が張り巡らされ、床には無造作に放置された研究機材や錆びついた端末が散らばっている。
今までとは様子の異なる雰囲気にカイの嗅覚が鋭敏に働く。
そうして見つけたのは、埃を被って鎮座するコンソールパネル。
「お! コンソールパネルがあるぞ!」
ついに制御システムへのアクセスが出来そうな筐体を見つけたカイは、真っ先に向かいログインできるかを試み始める。
一方で、フローラとキャロルは部屋の中央に据えられた大きな機械に目を留め、表情を凍り付かせた。
薄暗い照明の中で、異様に重厚な装置がぼんやりと浮かび上がっており、そのプレートには今となっては禁断の名前が刻まれていた。
「え、これ……脳掘機じゃないの!?」
キャロルが息を呑んで言葉を漏らす。
それは、脳内の神経パターンを量子共鳴スキャンで読み取り、記憶や感情をデータ化する禁忌の装置だった。
深層に眠る体験や感覚まで抽出できるが、その過程で人格の核心を完全に破壊して死に至らしめるため、倫理的問題から直ぐに封印指定となった代物だ。
現在、使用が許可されている後継機「脳削機」ですら、稀に深刻な脳損傷を引き起こすため、その運用は厳しく制限されている。
「こんなものがどうして……」
フローラも驚きの表情を浮かべながらも、動揺を抑えつつキャロルに向かって指示を出した。
「キャロル、この装置のログを確認して。ここが何の目的で使われていた施設か、何か手がかりが見つかるかもしれないですわ」
キャロルは一瞬ためらいながらも、フローラの指示に従って装置のコンソールに手をかけ、慎重に操作を始めた。
緑色の光がわずかにちらつき、スクリーンに過去のデータが次々と浮かび上がってくる。
そうした中、フローラはふと足元に散らばる資料に気付き、丁寧に拾い集め始めた。
封印指定のシールが貼られたものや、警告が記載された封筒がいくつも混じっている。それらのページを慎重にめくりながら、彼女は文字の一つ一つを読み解いていく。
「これ、まさか……!?」
フローラは唾を飲み込み、手に取った書類のページを捲る速度を上げた。
薄暗い室内で活字が浮かび上がり、そこに記されている驚愕の真実が彼女の脳裏に染み込んでいく。
そして、言葉を失った。
それには脳転写技術に関する詳細な研究内容が克明に記されていた。
無限の寿命を目指すための技術として、さらには軍事利用を視野に入れて進められた恐ろしい実験が、まるで密やかな狂気を感じさせるように文字となって並んでいたのだ。
驚きに身を震わせていたフローラに追い打ちをかけるように、キャロルも愕然とした表情でスクリーンを見つめ、つい声を上げた。
「え……嘘、なんで……?」
そんないつもと異なる二人の声を聞きつけたカイが、眉をひそめながら二人の元に歩み寄ってきた。
「なんだよ、二人ともさっきから変な声を出して……。なあ、それよか聞いてくれよ! ついにこの施設の全体マップを手に入れたぞ、さらに正規IDも!」
カイは手に入れた施設のマップを誇らしげに掲げていた。何せそれだけではなく、この施設の正規IDも入手することに成功した。
このIDがあれば、警戒システムを一々無力化することなく堂々と通過出来るようになる。
そうなれば、ほぼ警戒の必要なく施設を探索することが出来るのだから、カイが嬉しがるのも無理はなかった。
しかし、そんな吉報にも関わらず二人の緊迫した表情に、カイの喜びはすぐにかき消され、周囲の空気が一気に重くなるのだった。
「何だ? ど、どうした?」
普段あまり目にしないような二人の緊迫した雰囲気に、カイは思わずたじろいだ。
そうして、最初に口を開いたのはキャロルだった。
彼女は息を整え、小さく息を吐くと、視線をカイに向けた。
「ご主人様、これね……この機械、脳掘機って言うんだけど……これは脳内の記憶を掘り起こすためのもので、極めて危険な代物なの。まず見る事は無い代物で、これがあるという時点でここは異常とも言えるわ」
「聞いたことないが……そんなに危険なものなのか?」
「ええ、だって使えば確実に死ぬ非人道的な機械だもの。当初は脳死患者なんかの蘇生目的で作られた真っ当な代物だったんだけれども……」
脳掘機は、最初は医療と心理学の分野で、神経疾患や記憶喪失などの治療を目的として開発が始まった。
脳内の情報を直接解析し、失われた記憶や認知機能の回復を支援することが期待された。
しかし、その開発プロセスで、装置が持つ記憶の完全抽出能力が浮き彫りとなり、研究は急速に転換していった。
軍事機関や情報機関がその技術に目を付け、スパイ活動や情報収集、尋問のためのツールとしての可能性を探り始めたのだ。
この装置は単に記憶を抽出するだけでなく、感情や感覚までもデータ化できるため、極秘情報を引き出す手段として非常に重宝された。
しかし、これによる人権や倫理の問題が露呈すると、各国政府や人権団体から強い非難を受ける。
結果として、脳掘機――より正確には量子共鳴スキャンは「禁忌技術」として扱われ、世間から姿を消した。
だが、影では非合法組織や一部の政府機関での使用が続けられており、闇市場で取引されることもあると言われていた。
「まあ、そういう代物だからお宝ではあるんだけれど……。一番の問題が、この装置のログに見知った名前があったことなのよ。『ハヤト・ソウマ』……あの少年の名前が、あるのよ」
「え、嘘だろ!?」
その一言でカイの表情が一変した。
施設の異様さはもちろん、ハヤトの存在自体が、この場所と何らかの深い関係を持っている可能性が一気に浮上したのだ。
「ハヤトの名前が……いや、待て。これを使えば確実に死亡するんだよな?」
「うん、そう。だって脳のあらゆる情報を掘削してしまうんですもの。終われば何も残らないわ」
「じゃあ、なんでハヤトは……」
目を見開き、息を呑むカイ。
頭をよぎる不穏な可能性から、この場所が単なる廃施設ではなく、重大な秘密を抱えていることが明らかになっていく。
「それについては、私の方から説明出来ますわ。一言で言えば、『脳転写技術』の賜物ですわね」
フローラは手元の古びた資料を握りしめ、カイとキャロルを見た。
その表情は険しく、どこか影を帯びていた。
施設の過去を語り出す彼女の声は、部屋の中に重苦しい空気をもたらした。
「この施設は……帝国軍特別情報局が運営していた秘密実験施設ですわ。ここで行われていたのは非人道的な実験、それも脳転写技術の研究」
脳の情報を他の体に移し替えるこの技術は、各国が競って研究を進めていた。
その中でも、技術的に優位に立っていたのは連邦だった。
だが、その連邦ですら実験材料――人間の確保には苦心していた。倫理的な制約がその理由だった。
連邦では強力に人権が保障されており、例え死刑囚であっても人体実験となれば多くの問題を孕んでいた。
一方で、帝国は異なる背景を持っていたことから、逆に材料には事欠かか無かった。
奴隷制度が根強く残り、最下級の隷属国民に至っては人権すら認められていない。
その事実が、ここで行われた凄惨な実験を可能にしていたのだ。
「はあー……そういうことか。そら、こんな手の込んだ秘密基地を作るわけだ」
「少なくとも、ニューロ・エクスキャベーターの履歴は100万件以上あったわ。……それだけの数の人間が犠牲になってきたって意味ね」
「うへぇ、そう聞くと帝国の奴隷制度を廃止する動きが出てくるのも理解出来るな。あー……その成功例ってところか?」
カイの質問に、フローラがその通りだと言わんばかりに静かに頷く。
「はい。ここでは、ESP発現個体に限って記憶の転写が成功した記録がありましたわ。貴重な能力者すら実験材料にして、ようやく糸口を見つけたのでしょうね。その成功例の一つが……ハヤト・ソウマですわ」
「となると、俺たちが話していたハヤトは……」
フローラは冷たい視線で資料を見つめ、言葉を絞り出すように続けた。
「オリジナルのハヤト・ソウマは、この装置によって脳を掘削されて……命を失っているのでしょうね。それに代わって、記憶を植え付けられた存在が……今、私たちの知るハヤトですわ」
「……そうか」
カイはハヤトの正体を知り、ようやく彼が施設の厳重な警戒網や、複雑な内部構造を知っていた理由に思い当たった。
文字通り全て知っていたのだろう。何せこの施設は彼が生まれた場所なのだから。
だが、すべての謎が解けたわけではなかった。
「けど、あいつが成功例だって言うのなら、どうして奴隷になってるんだ……? それに、なぜ俺たちをここに引き連れてきた」
貴重なESP発現個体を使い潰すような真似をして、ようやく手に入れた成功例が、どういった経緯で奴隷などに身をやつすことになったのか。
加えて、なぜ自分たちを施設へと引き連れて来たのか。その目的は依然として謎のままだった。
そんなカイの疑問に、フローラは資料を握りしめたまま、瞳を細めて答える。
「奴隷になっている理由は定かではありませんが、ここへ来る理由については仮説がありますわ。……記憶の転写が不完全で、定期的にこの施設で記憶の再焼き付けを行っていたのではないでしょうか?」
その言葉にカイとキャロルは顔を見合わせ、フローラに注目した。
フローラの推測はこうだ。
記憶転写に成功したハヤトではあったが、何らかの理由で記憶が安定せず、定期的にこの施設に来る必要があった。
だが、肝心の施設は放棄され久しく、あろうことか海賊が占拠してしまっていた。
そのことを知ったハヤトは、都合の良い事にカイという独立パイロットと巡り合う。
そうして、カイを巧みに誘導し、ついにこの施設へと戻る事が出来た。
「まさか……エルザの情報を得たのも、そのESP能力で思考を読んだからってこと? 確かに、それなら納得だわ。お姉様」
フローラは静かに頷き、言葉を続けた。
「ええ、恐らくね。カイ様と出会った時点で、彼はその場で計画を組み立てたのでしょうね。異世界人だという話も、適当に説得力を持たせる方便だったと考えるのが妥当ですわ」
カイは、フローラの仮説を聞いて、胸中に渦巻く不安を押し込めるように目を閉じた。
確かに辻褄は合うし、ハヤトの一連の行動もある程度の説明は付く。
しかし、全てはただの仮説でしかない。
何より、カイの中では、まだ何かが足りないように思えてならなかった。
カイは自分の中で葛藤を抱えながら、しばし沈黙を保った。
ハヤトの行動にはいまだ謎が多い。
ここに何の目的で自分たちを連れてきたのか、そしてエルザの存在は確かなのか。疑念が次々と浮かび、頭の中で整理しきれないままでいた。
「このままハヤトの目的を探るべきか……」
カイは小さく呟き、迷いを見せた。その言葉が緊張感のある室内に響く。
その時、キャロルがカイの隣に歩み寄り、低い声で進言した。
「ご主人様、今はハヤトのことよりも、一旦ここを脱出するのが先決じゃない? ハヤトが何らかの目的でこの施設に戻った可能性が高い以上、エルザがこの施設にいるという話も信憑性は低いわ。まずは安全な場所で態勢を整えましょう」
そのキャロルの言葉は、カイの迷いに終止符を打つように響いた。
フローラも同意の意を示し、落ち着いた声で言葉を添える。
「そうですわ、カイ様。これ以上、この場所に留まるのは危険です。まずは白鯨号に戻りましょう」
カイは二人の顔を順に見やり、決意を固めるように小さく息を吐いた。
安全を最優先とし、この場を一旦離れることを選ぶのは賢明だ。
「分かった、マップは手に入れたんだ。これを頼りに、白鯨号まで戻る」
そう言葉に力を込めて指示を出すと、三人は互いの気配を確認しながら部屋を後にした。
廊下に再び足音が響き、彼らは緊張を保ったまま白鯨号へと戻るべく施設内を進み始めた。




