8-31
製造プラントの外周部に近い通路。
翡翠色の培養液が揺れる中、フローラのフュージョンライフルが閃光を放つ。
高周波に震える空気を切り裂き、白熱のエネルギーが一直線に敵機の胴体を貫かんと迫る。
命中――だが、戦闘用自律人形は微動だにしなかった。
爆発も、焼損もない。まるで何事もなかったかのように、立っている。
「効いてない……!? なんてシールド出力なの」
フローラが苦い顔をする。
「それより移動だ! フローラ!」
即座にカイが指示を飛ばし、フローラはカイを抱え込み、培養槽の列へと跳び込むように移動した。
だが、敵はすぐさま追いすがる。
その瞬間、不意に真横からビームが奔り、フローラの顔のすぐ脇を掠めて爆散する。
反射的に身を翻したその刹那。
「くっ……!」
視界の端に、もう1体の戦闘用自律人形が迫っていた。
背後から、ビームサーベルを構え接近してくる。
フローラはカイを放り投げ、即座に腰部からヒートアックスを引き抜く。
刃と刃が激突し、蒼と橙の光が飛び散る。
同時に、カイもただ黙って放り投げられたわけではない。
着地と同時にレーザーマシンガンを構え、鍔迫り合いの真っ最中の戦闘用自律人形の横腹目掛けて撃ち込む。
近接戦中であれば、敵はシールドは展開出来ない。
――常識的には、そうだった。
しかし、マシンガンの閃光は敵の外装へ届くことなく、空間に弾かれるように消失した。
「なに……!?」
目の前の戦闘用自律人形は、あろうことか、攻撃を受ける箇所のみにシールドを展開していた。
その直後、戦闘用自律人形のスピーカーからラングの嗤う声が響く。
「ハッハッハッハ! 驚いたか? それが“ピンポイント・シールド”だよ! このフェアニヒターには、座標指定型の防御フィールドが搭載されている。全方位展開など、もはや古い!」
「ふざけるな……ッ!」
カイは射角を変えて再び射撃するが、すべてそのピンポイント・シールドに弾かれ、火花すら立たない。
だがその隙に、鍔迫り合いを続けていたフローラが踏み込む。
スーツの出力を上昇させ、踏み込みからの膝を入れた全力の前蹴り。
「これは防げませんわよ、ねえッ!!」
重低音とともに、フェアニヒターが背後の培養槽に激突する。
液体が飛び散り、槽の壁がひび割れる。
だが、それでも奴は立ち上がる。まるで無傷とでも言いたげに、関節を鳴らしながら。
そしてその瞬間、高所からの閃光が再びフローラを襲った。
もう1体のフェアニヒターがビーム狙撃を開始したのだ。
砲撃がフローラの右肩を直撃し、防御性能に優れたDefender2の装甲がただの一撃で裂けた。
「……ぅぐ!」
歯を食いしばりながらも、フローラは再びカイを抱え跳び退いた。
背後では無慈悲なビームが降り注ぎ、次々と培養槽が破壊されていく。
――撃つ手がない。
だが、ふとカイの脳裏に閃光が走った。
――何故だ? なぜあの二体の自律人形は、同時に襲いかかってこない?
あの性能なら二体同時に襲われれば、ひとたまりもない。
だが現実には一体が前衛で、もう一体は後方からの狙撃に徹している。
まるで、何かに制約されているかのように。
その時、脳裏に蘇ったのは、あの嗤い声――ラングの声だ。
「そうか……あれは、ラングが遠隔で操作しているのか!」
「なるほど、道理で非効率な役割分担をしていたわけですわね」
カイは確信した。
フェアニヒターは完全な自律制御で動いているわけではない。ラング自身が操っているのだと。
ラングは帝国軍に所属していたが科学者だ。兵士のような冷静な戦術判断はできない。
だからこそ、感情に任せて自らの手で“復讐”を遂げようとしている。
そして、恐らく戦闘用自律人形の二体同時に操作できないのだろう。
だからこそ、交互にしか攻撃できていない。
林立する培養槽の隙間、その奥に立つ一つの影が視界に入った。
ラングだ。
両手を宙にかざし、まるで見えない何かを操作しているかのように、指先が空を切っていた。
――拡張視界。
カイは即座に合点がいった。
あれは網膜AR。ラングの視界にだけ重ねられた制御インターフェースだ。
つまり、奴は現地で手動操作している。あそこが操縦席だ。
「……やっぱりそうか。お前が自分の手でやりたいだけなんだな」
カイは息を詰めた。
ならば、狙うべきは――あそこだ。
「フローラ、中央のラングを狙う!」
「承知しましたわ!」
製造プラントの中央区画へ向かって、フローラはカイを抱えながら疾走する。
破損したパワードスーツの装甲が火花を散らし、彼女の足取りも決して安定しているとは言えない。
それでも、カイの指示に応じて、彼女はラングの居場所へと突き進んでいた。
背後からは金属の爪が床を掻くような音が響く。
フェアニヒターの一体が追撃を開始していた。高速駆動の脚部から振動が伝わり、振り返らずとも間合いが詰められていることが分かる。
加えて、もう一体のフェアニヒターが上部構造から照準を合わせてくる。
冷徹な演算に従って放たれる高出力のビームが、幾筋もフローラの行く手に降り注いだ。
「くっ……!」
培養槽のひとつが、砲撃を受けて粉々に砕け散る。
その破片が周囲に飛び散り、スーツのセンサーが警告音を上げる。
「ルート、遮断されつつあります!」
「それでも最短で行く! 奴に時間を与えるな!」
カイの声に、フローラは頷く。
行く手を阻まれる度に跳び、滑り、破壊された施設内の間隙を縫うようにして突き進んでいく。
しかし、それを阻止せんとばかりにビームが連続して炸裂し、周囲の培養槽が次々と破壊されていく。
あらゆる方向から火線が交錯し、強い意志を持っているかのような妨害の連続が二人を阻む。
しかし、それでも二人の軌道は逸れない。
ラングはその様子をモニター越しに見つめていた。
初めは笑っていた彼の口元から、次第に笑みが消える。
「……まっすぐ、こっちに向かって来るだと?」
恐る恐る視線を上げると、破壊された培養槽の隙間から、まさに自分のいる中央制御区画へと突き進んでくるフローラとカイの姿があった。
「くそっ……狙いは、俺か!」
ラングは動揺を露わにし、網膜ARの制御インターフェースを介して指示を下す。
「戻れ、俺を守れ! 今すぐだッ!」
ラングの命令に応じ、カイたちを執拗に狙撃していた機体が攻撃をやめ、重々しい足音を立てて中央制御ユニットの方へと移動を開始した。
その挙動に、カイはすぐに気付いた。
「……やはりそっちを使ったか。なら、後ろの奴からだ!」
カイの言葉に、フローラも即座に反応する。
「了解!」
ラングの制御が別の機体に集中したことで、背後から迫るフェアニヒターは完全に制御から外れていた。
一瞬、硬直したかのような間を見せたその敵機に、カイがEMPグレネードを放り投げる。
金属の床に転がったそれが、瞬時に作動。
低周波の衝撃波が広がり、フェアニヒターの関節が軋むように止まった。
「よし、撃て!」
「照準、固定――リミッター、解除……!」
フローラの声が響き、フュージョンライフルが最大出力モードへと切り替わる。
警告灯が点滅し、エネルギーラインが赤熱する。
「これでッ!!」
銃身から放たれた光束は、雷のような轟音と共に空間を切り裂き、フェアニヒターの正面装甲へと突き刺さった。
EMPの影響で反応が遅れたシールドはすぐに飽和し、光の奔流が内部装甲へと焼き付き始める。
装甲が波打ち、焼け焦げ、赤熱しながら崩れ、内蔵機構から煙が立ち上る。
だがフローラは撃ち続けた。
照射は止まず、照準はわずかに横へ滑りを始める。
それは焼け爛れたフェアニヒターの脇を抜けて、ラングの元へと駆けるもう一体のフェアニヒターの側面へと移る。
灼熱の光が地下施設の床を焦がし、熱痕を残しながら、そのままフェアニヒターにも直撃した。
「沈めッ!!」
フローラの叫びと共に、フュージョンライフルの砲身が赤熱し、内部の冷却管が次々と破裂音を上げる。
制御装置が限界を迎え、警告音が閃光と共に鳴り響く。
そうして、ついにフュージョンライフルは限界を迎え、光の奔流が消えた。
照射が途切れた次の瞬間、二体のフェアニヒターはその場で硬直したまま沈黙した。
だが、次の瞬間。目の前のフェアニヒターの関節部がピクリと動いた。
装甲の隙間から、わずかに駆動音が漏れる――まだ、生きている。
フローラはそれを見てすかさず、焼き尽くされたライフルを無造作に放り捨てると、腰にマウントされたヒートアックスを引き抜いた。
「これで……終わりですわッ!」
煙を上げる眼前のフェアニヒターへと跳躍し、赤熱したアックスをその胸部装甲に突き立てた。
刃がめり込み、機体内部から火花が飛び散る。
フェアニヒターは断末魔のような電子音を残して沈黙した。
その間、カイはフローラの突撃と同時に走り出していた。
焼け焦げた地面を踏みしめながら、カイは中央区画の前へと駆け込んだ。
視界の先には、蒼白な顔で立ち尽くすラングの姿があった。
その表情は、もはや操作中の冷静さとは程遠いものだった。
「……違う……こんなはずじゃ……」
唇がわななき、手が震える。
カイと目が合った瞬間、ラングの顔に怒気とも悲嘆ともつかない歪みが走った。
「貴様は……! 貴様がここへ来なければ!!」
ラングは荒々しくARコンソールを叩き、最後の指令を入力しようとする。
だがその動作は、すでに限界を迎えたシステムにとっては“ただのノイズ”でしかなかった。
警告ウィンドウが次々と重なり、制御系はブラックアウトしかけていた。
「やめろ、やめろやめろやめろやめろ……! 俺の、俺の未来を、これ以上……ッ!」
ラングの叫びは次第に息が詰まり、言葉にならなくなっていく。
だがその視線が、ふと宙を彷徨うように横に流れる。
網膜の奥、ノイズだらけのARインターフェースに、 一瞬だけ何かが点滅した。
崩れかけていた顔に、ふと違和感のある静けさが宿る。
そして――ゆっくりと、笑った。
その間に、カイはゆっくりと近づいて来ていた。
制御ユニットの前に立ち、手にしたレーザーマシンガンの銃口をラングに向けた。
「終わりだ、ラング」
カイの宣告に、ラングは蒼白な顔を伏せたまま黙っていた。
だが、肩が震えたその直後——口元がわずかに吊り上がる。
その笑みに、カイはわずかな違和感を覚えた。
何かがおかしい――そう思った瞬間。
「カイ様、避けてッ!!」
フローラの叫びが、鋭く空気を裂いた。
刹那、カイの持っていたレーザーマシンガンの銃身が、音もなく中空で断ち切られる。
「なっ──!?」
反射的に後退しつつ、カイはその“何か”の正体を確認する。
ラングを庇うようにして立ち塞がるのは、焼け焦げたままの戦闘用自律人形――フェアニヒター。
だが、見るからに機能を停止していたはずのその機体が、再び両腕を動かしていた。
左腕には、赤熱したビームサーベル。
右肩部の装甲からは微かに蒸気が立ち昇り、自己修復中であることを示していた。
「再起動……だと!? あの出力の直撃を受けて、まだ……」
カイが驚愕の声を漏らすより早く、ラングの笑い声が跳ねるように響く。
「くく……ククク! どうだ、見たか!? これが俺のフェアニヒターだッ!」
ラングの叫びに応じて、フェアニヒターの背部ラックがわずかに動いた。
斜め上を向いていた長砲身が、機械音と共にゆっくりと前傾姿勢を取る。
重厚な砲口が水平に降り、カイを正確に捉えた。
次の瞬間、コアユニットが高周波音を放ち、砲身の内部が赤熱する。
「撃てッ!」
ラングの怒声が引き金となり、光の奔流が閃光となって解き放たれた。
――直撃する。
カイが全身を強張らせ動けない中、不意に視界が黒い影で染まる。
覆いかぶさるように飛び込んできたのは、フローラだった。
その身が盾となった次の瞬間、ビームが直撃した。
轟音と閃光。世界が白く焼き尽くされる。
「フローラ!!」
叫んだつもりの声は、自分の耳には届かなかった。
ただ、爆発にも似た衝撃音と共にフローラの体が弾き飛び、無造作に床へ叩きつけられるのが見えた。
慌てて駆け寄ろうとしたカイの動きが止まる。
床に転がった彼女の右脚が――無かった。
パワードスーツごと、関節から下が跡形もなく消えていた。
シールドごと焼き尽くされたのだ。
装甲が解け落ち、剥き出しになった内部フレームが、煙を上げて赤く光っている。
「……ぁ……っ、ぐ……」
フローラは呻きながら、震える左手で床を掴もうとした。
表情には強烈な痛みと混乱、それでもなお主を守ろうとする意思が刻まれていた。
「動くな、フローラ。……大丈夫、あとは任せろ」
カイはフローラを庇うように身をかがめながら、制御ユニットの脇へ視線を向ける。
そこにはアクセスポートがひとつ、剥き出しのまま残されていた。
左手で懐から端末を取り出すと、周囲の様子を確認しながら無言でケーブルを接続する。
カチリと端末がロックされ、微かに表面に淡い光のラインが一筋、走った。
ラングの狂気に満ちた声が響いたのは、その直後だった。
カイは破損したレーザーマシンガンを捨て、ハンドガンをホルスターから引き抜きながら立ち上がる。
だが、こんな拳銃などでは勝算は無い。
立ちはだかるのは、依然として凶悪なフェアニヒター。そして、狂気の声を上げるラング。
「ハッ、素晴らしい! 実に見事だ、あの指揮官型の片足を一撃で吹き飛ばすとはな……大戦時にコイツがあれば苦労はしなかっただろうに」
ラングの高笑いを遮るように、カイが口を開いた。
「……なあ、ラング。お前、ここまでして……何を手に入れたかったんだ?」
唐突な問いに、ラングの笑みが一瞬だけ止まる。
だが、すぐにその口元は再び吊り上がった。
「ふん、死ぬ前に答えが欲しいか……いいだろう、せめてもの手向けだ」
ラングはフェアニヒターを静止させたまま、わざとゆっくりとした口調で語り出す。
「お前はドッペルゲンガー計画をどう捉えていた? 肝心なのは――置き換えだよ」
「置き換え……?」
「ああ。このノイシュテルン星域に蔓延る馬鹿な貴族どもは、理想のダッチワイフ――セイレーンに夢中だ。性的欲求はどんな人間であれ逆らえない。俺はそこに漬け込んだ。
セイレーンを渡す代わりに、遺伝データを手に入れた。本人のものか、後継ぎのものかは問わない。それでドッペルゲンガーを造る。精密に、誰にも気づかれないようにな」
ラングの声には酔いしれたような熱が宿る。
「すり替えるんだ、カイ。本物を消して、偽物で塗り潰す。誰も気づかないうちに、俺の意志がこの星域の隅々まで浸透していく。そうして、最終的には選帝侯一族も――全てな」
その名が出た瞬間、カイの眉が僅かに動いた。
「選帝侯を……? アデーレの遺伝情報を入手したのも、そのためか!」
カイの問いに、ラングは顔を上げる。
狂気を孕んだ目が細められ、その口元にゆっくりと笑みが戻る。
「ふふ、その通りだ。アデーレ殿下は貴族たちにとって夢のような存在だ。クルト伯爵だけじゃない。名のある家門の若手連中は、こぞって殿下の熱心な信奉者さ」
そこに込められた揶揄は、露骨で、あまりに残酷だった。
「殿下はリヒテンベルク家の血筋を受け継ぐ方でもある。だからこそ、俺にとっては実に都合がよかった。容姿も、血統も、影響力も、全て揃っていた」
ラングは一度だけ息をつき、首を軽く傾ける。
「繰り返すがドッペルゲンガー計画の本質は、再現でも模倣でもない――置き換えだ。静かに、確実に、本物を消していく。やがて、選帝侯一族も俺の造った影にすり替わる」
言い終えたその声には、隠すそぶりも、ためらいもなかった。
それどころか、自らの計画に酔い痴れるような、危うい高揚が滲んでいる。
「そこまで辿り着けば、俺は神聖修道院に志願できる。知っているだろう? この帝国において皇帝の座は女系継承。つまり、女でなければなれない」
カイがわずかに身じろぎした気配を感じ取りながら、ラングはゆっくりと両腕を広げる。
「――だからこそ、俺は第4世代バイオロイドを必要とした」
しかし、そこでラングの語調が変わった。
先ほどまでの余裕は影を潜め、代わりにぎらついた執念が滲み出る。
「この1号機は試験用だ。ウィンの意識データを使い、プロセスの安定性を検証するためのモデルだ。……順調だったよ。理論も、転写プロセスも、全て完璧に機能していた。
次は俺の番だった。第2号機は、俺自身のために――俺の新たな器として用意されるはずだった」
ラングの手が震える。
それは怒りか、あるいは喪失の余熱か。
「だというのに……!」
声が突如、鋭く跳ねた。
「エクリプス・オパールを破壊した貴様のせいで! 全てが崩れたんだ!!」
ラングは虚空に向かって手を振り下ろした。
網膜ARの操作系が乱れ、視界に重なった多数のウィンドウがノイズ混じりに揺れる。
「あと一歩だった! あと半日もあれば、脳転写は完了し、安全性の確認は出来ていた!」
フェアニヒターが唸る。
ラングの瞳には血走った光が浮かび、唇は怒りに引きつっていた。
「俺は理想の肉体を得て、女帝の座に就くはずだった。選帝侯をすり替え、罷免権を操作し、自らを推戴させる――その全てが、整っていたんだッ!」
叫びと共に、ラングの視界上のAR空間に異常が生じ、投影されていた制御UIがノイズまみれの残像となって崩れていく。
怒りと狂信、そのすべてが言葉に乗って空間を揺らしていた。
「貴様が壊したんだ、カイ・アサミ……!! 俺の神への昇華を……!!」
ラングの怒声が空間に轟いた。
「フェアニヒター、奴の右腕を切断しろ!」
それまで置物の様に動作を停止していたフェアニヒターのサーベルが閃く。
僅かに残っていた静寂が、裂けるような唸りと共に消し飛んだ。
カイがハンドガンを構えたまま踏み出そうとした、その瞬間だった。
鋼の光が音速で彼に迫り――次の瞬間、視界が赤に染まる。
「……ッぐあああああッ!!」
閃光と共に、カイの右腕――肘からその先が消失した。
返り血が舞い、床に散った金属片と共に、崩れ落ちる。
地に膝をつき、口元を噛み締めながらカイは必死に耐えた。
だがその顔は、明らかに蒼白を通り越し、血の気を失っている。
「カイ様ッ!! 貴様あぁぁーーッ!!」
フローラの叫びが、反射的に漏れる。
パワードスーツごと片脚を失った彼女は、動けない。
それでも、両手を突いて這いながら、必死にその姿を追おうとする。
怒り、悲嘆、焦燥――全てが交錯した彼女の双眸が、ラングを睨み据える。
鬼の形相だった。
だが、その視線だけでは、何も守れなかった。
「ハハッ、ハハハハハッ! どうだ、苦しかろうっ!! だが、俺の苦しみはそれ以上だ!!」
ラングは肩を震わせて笑い続ける。
だがそれは勝者の笑いではなかった。
喉の奥からほとばしるような、痛みの裏返しでしかない狂気の笑いだった。
右腕を失い、地に崩れ落ちるカイ。
動けぬまま、それでも睨み返すフローラ。
血と焦げた空気と静電気の混じる空間で、ただ一人、ラングだけが嗤っていた。
笑い声が少しずつ静まり、代わりに深く息を吐く。
「ふぅ……もういい」
ラングの表情から、もはや余裕の色は消えていた。
残っているのは、すべてを終わらせる者の決意――あるいは絶望に近い諦念だった。
「余興はここまでだ。吹き飛ばせ、フェアニヒター」
静かな声音だったが、そこには怒りと断罪の意志が滲んでいた。
「最大出力だ――!」
ラングが網膜ARに視線を送り、指先で虚空をなぞる。
フェアニヒターの背部ラックが反応し、砲身が重く、沈むように前傾していく。
光が集まり始め、空気が震え、足元の影が揺らぐ。
死が、今まさに形を成しつつあった。
――だがその時、異変が起こる。
突如として鈍くも異質な音がラングの背後で鳴る。
「……なに?」
背後の空間――中央培養槽のひとつ。巨大な円筒状のタンクが、ゆっくりと沈んだのだ。
透明な強化ガラスを通して、内部に封じられていた無数の液体が急激に排出されていく。
その最中、ラングの網膜ARに警告ウィンドウが幾つも重なり始める。
【中枢バイオキャニスター No.1 / 排水処理進行中】
【セキュリティロック、強制解除】
【対象:第4世代バイオロイド - 01】
「……馬鹿な」
ラングの顔から、笑みが崩れた。
その代わりに浮かんだのは、かつて見せたことのない――恐怖だった。
恐らく次で8話は終わりです。