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8-30

 戦闘用自律人形(アサルト・ドロイド)の眼が、カイたちを捕捉した。

 警告灯のように閃く視覚センサーが、翡翠色に輝く空間の中心で不穏に瞬いている。


「くっ……!」


 カイは腰のホルダーからスモークグレネードを抜き取り、足元へと叩きつけた。

 間髪入れずに、左手でプラズマグレネードを投擲。煙の展開を待つことなく、照準無しで“空間そのもの”を罠に変える。


 鈍い破裂音とともに、白濁したスモークが爆発的に広がり、視界を埋め尽くしていく。

 その内層で微かにうねるような紫電と高周波が走り、プラズマフィールドが形成される。

 強烈な熱量と瞬間的なEMPの脈動。機械にとっては死の霧ともいえる不可視のトラップゾーンが、一帯に広がっていた。


 だが、それもせいぜい十数秒。

 相手は 戦闘用自律人形(アサルト・ドロイド)――それも見た事のない型。恐らくこの程度のトラップなど簡単に突破してくるだろうとカイは予測していた。

 しかし、それでも今は時間が欲しい。

 その一瞬の遅滞が何よりも必要だった。

 

「フローラ、オーバーライドするぞ!」


 カイは手元のデバイスからDefendar2パワードスーツを制御端末と接続し、緊急権限でスーツのアクチュエータを支配下に置いた。

 その瞬間、放心状態のフローラの意思とは別に、彼女の身体が自動的に屈み、カイをその両腕に抱き上げる。

 脚部のモーターが唸りを上げ、煙幕の中心を突き抜けて動き出した。


 ――激しい爆音が後方から追ってくる。


 光弾が培養槽を貫き、翡翠の海を容赦なく掻き乱していく。

 幾体もの未成熟なバイオロイドが、中身ごと液体と共に砕けて床へ落ちていく。赤と緑が混ざる、悪夢のような光景だった。

 その中を、カイは懸命に呼びかけ続けた。


「おい、フローラ!」


 だがフローラの顔に生気はなかった。

 その瞳はまるで硝子玉のように曇り、焦点はどこにも結ばれていない。

 唇は固く閉ざされ、彼女の全身からは“意思”の痕跡が欠け落ちていた。


(くそ、このままじゃ……戦えないどころか、逃げ切ることも無理だ……!)


 カイは奥歯を噛みしめる。

 その場で戦闘継続など不可能。いや、それどころかフローラがこのままの状態ならば、自分一人でこの場を生き延びることさえ難しい。


 施設を貫く銃声が、それを実感させるように激しく響いた。

 背後では、ドロイドの重い足音と共に、四方から殺到する高エネルギー兵装の炸裂音。


 照準など必要ないとでも言うように、無差別に叩き込まれるビームが、次々に培養槽を破壊していく。

 頭上を掠めた熱線が、すぐ傍の強化ガラスを弾けさせ、液体と未完成のバイオロイドが床へと崩れ落ちる。


「滅茶苦茶だな……どこかで体勢を立て直さないと……!」


 カイは、フローラのパワードスーツを操作して近くの暗がりへ滑り込ませた。

 もはや逃げ場など無いかもしれない。だが今は、何よりフローラを“呼び戻す”ことが先決だった。

 

 カイは息を詰めながら、フローラの頬に軽く手を当てる。

 彼女の目はわずかに動いた。けれど、そこにあったのは“焦点”ではなかった。

 視界を通して現実を認識しているはずなのに、何も捉えていない。

 まるで記憶と現実の境界に取り残されたかのような、空虚な視線。


「聞こえるか……戻ってこい……!」


 焦燥を押し殺しながら、カイは再び声をかけた。

 フローラの表情は、依然として凍りついたままだった。無数の情報が押し寄せたように、彼女の脳は過負荷を起こし、思考の回路を完全に閉ざしていた。


 カイは小さく息を吐くと、腰の装備ポーチから予備のグレネードをひとつ外し、静かに安全装置を外しておいた。

 追っ手の影は今は見えないが、そう長くはもたない。

 奴らは執拗だ。手を緩めることなど、最初から想定していないだろう。


 フローラの方へと視線を戻す。

 顔色は普段通り。外傷もない。だが、その体の芯はどこか遠くに行ってしまったようだった。


「……ウィン……司令……」


 その呟きを聞いた時、カイは息を呑んだ。

 何故、ウィンの名がフローラの口から出たのか。

 ウィンの存在が、フローラにとってそれほどまでに大きな意味を持っていたとしたら――そして、彼が彼女の“最初のハンドラー”だったとしたら。


「まさか……」


 カイの喉がわずかに鳴った。

 脳裏に、忘れかけていた過去の記憶がわずかに蘇る。

 あの頃、まだ幼い自分の側に、よく一緒にいた女性型のバイオロイド。常にウィン叔父さんと共にいた、冷静で、無表情で、けれどどこか自分に優しかった存在――。


(もしかして、あれが……)


 疑念が確信へと変わる。


「……フローラ、お前……ウィン叔父さんと……?」


 問いかけに返事はない。だが、目の奥で何かが微かに震えた気がした。

 目の前で、初めてのハンドラーが命を落とした。

 

 そして、今の自分は第二のハンドラーとして彼女のすぐ隣にいる。

 その二つの“事実”が、彼女の精神を挟み込むように支配している。


 ――バイオロイドは、原則的に一人のハンドラーとしか契約できない。

 それが成り立たなくなった時、彼女たちの精神は……。


 ここまで思考が至った時、カイの中で氷のような直感が走った。


(フローラは、()()()()()()()に陥っているのか……!)


 それは単なる“混乱”ではない。

 本来唯一無二の存在が二つ抱えてしまったという、構造的な矛盾だ。

 単なる仮説だ。けれど、それ以外に説明がつかない。


 フローラの脳は今、二人の“ハンドラー”の存在に引き裂かれていた。

 ……まるで、二つの声が同時に叫んでいて、どちらにも応えようとして――何もできなくなってしまったような。


「フローラ……!」


 もう一度、名を呼んだ。反応はない。

 カイは身を屈め、フローラの顔を正面から覗き込む。相変わらずその目はどこも見ていなかった。ただ、沈黙のまま――存在の核を失った人形のように、揺るぎなく沈んでいた。


 振り返れば、ウィンの死を受けて自らの過去と現在が衝突したのだ。

 彼に与えられた命令、与えられた役割。どれもが、今のカイとの絆とは別の意味を持っていた。


 ――だが、それでも。

 カイは彼女の頬に手を添えた。手のひらから伝わる感触は、変わらず、ぬくもりを宿していた。


「なあ、フローラ……。お前の中には、今ふたりの“声”が響いてるのかもしれない」


 彼女は反応を示さなかった。ただ、虚空を見つめ続けていた。


「ウィン叔父さん。お前の最初のハンドラーだ。俺も思い出したよ、昔の基地で、あの人の隣にいたお前の姿を……」


 言葉を継ぐカイの声が震える。  

 だが、それは怒りでも疑念でもない。心からの理解と、赦しの声だった。


「でも今のお前には、俺がいる。()()()()()()()()()()()()! お前は誰かに操られてるわけじゃない。お前の意思で、俺を選んでくれたんだろ!?」


 その瞬間、フローラの瞳が――微かに揺れた。

 たったそれだけ。だが、それは確かに生きた反応だった。


「お前の過去がどんなでも構わない。何があったって、俺はお前を見捨てたりしない」


 カイは自分でも驚くほど、冷静だった。怒りも、焦りも、全てが内側に沈んでいった。

 ただ、その言葉を――伝えることだけが、今の自分の使命だと感じていた。


「迷っても、苦しんでも、何度だって呼ぶ。……フローラ、俺にはお前が必要だ! だから、戻ってこい……!」


 長い沈黙が訪れた。  

 培養槽の爆発音、破裂する液体音、迫る機械の足音――そのすべてを遮断したように、ふたりだけの時間がそこにあった。


 そして――


 フローラの瞳に、わずかな焦点が戻った。

 視界を捉えた彼女の目が、ほんの一瞬、カイの顔を――捉えた。


「……カ……イ……?」


 か細く、揺れる声。

 それでも、確かに彼女の口が、彼の名を呼んだ。

 カイは小さく頷き、笑った。


「おかえり、フローラ」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 空気が震えていた。

 それは爆発の余韻でも、戦闘による振動でもない。

 もっと内側――ラング自身の中で生じている破滅的な鼓動の震えだった。


 足元に転がるのは、紫紺の輝きを宿していたはずの結晶。

 今はただの黒ずんだガラス片となり、細かく砕けて四散していた。

 無数のヒビは光を反射することもなく、床に薄く染みのような影を落としている。


 エクリプス・オパール――。


 幻想と伝説に語られた幻晶。

 生成されるには特定の環境下における極端な重力勾配、さらに数万年以上にわたる自然圧縮が必要とされる。


 それを手に入れた時、ラングは確信したのだ。

 自分は選ばれた存在なのだと。

 帝国のあり方そのものを、根底から変革できる運命を担った者なのだと。


 ――それが、終わった。


「……くッ」


 押し殺すような呻きが喉奥から漏れる。

 握り締めた拳が震え、爪が掌に食い込む。

 理知的な科学者の仮面が崩れ、純粋な怒りと絶望が、かつてない熱量で心臓を焼いていた。


 終わったのだ。

 この結晶はもう再生成できない。

 採取には環境も、運も、何より“誰にも見つからずに”動く時間が必要だった。

 あの一度きりの幸運は、もう二度と巡ってこない。


 ――全ては、奴らのせいだ。


 カイ・アサミ。

 そして、彼と行動を共にする金髪の女、フローラ。


「許さん……絶対に、許さんぞ……!」


 狂気じみた目でラングは制御卓に向かい、 戦闘用自律人形(アサルト・ドロイド)へ命令を叩きつける。


「目標:プラント中枢、敵性存在二名。命令優先度・最上級……殲滅だッ!!」


 即座に、ラングの隣にいた二体の自律人形(ドロイド)が駆け出す。

 無音のステップ。駆動音すら極限まで抑えられたその滑らかな動作は、人ではない“何か”のそれだった。


 ラングの設計による試作型――《フェアニヒター》。

 従来型を遥かに凌駕する性能を誇り、その根幹を支えるのが“プリズマティック・ルミナス・ジェネレーター”である。


 あらゆる兵装に際限ない出力を供給し、常時展開されるシールドリアクターが防御を担う。

 さらに表面はナノテック自己修復装甲。軽微な損傷ならば数十秒で自己再生し、戦場での継戦能力は文字通り無尽蔵。

 主兵装も全て光学兵装で弾薬の補給は不要。


 たった二体――だが、それは“たった”ではない。

 むしろ、これ以上ない切り札だった。


「旧式の同盟製パワードスーツと、アサルトスーツを着た人間ひとり……敵ではないわ!」


 笑える。

 いや、笑うしかなかった。

 この戦力差、勝敗は最初から決しているのだ。


「炙り出せ……撃てるだけ撃ち込んで、這いつくばる暇も与えるな……」


 視界が切り替わる。

 ラングの網膜には、複数の戦術ビューがAR――拡張空間インターフェースが重ねて表示されていた。

 フェアニヒターたちが送信してくる視覚データが、仮想ウィンドウとして空中に浮かび上がる。

 赤外・可視・レーザーセンサによる多層解析画像が、培養槽の林立する空間を網のように編んで表示される。


 ラングは指先を軽く払う。

 空中の戦術レイヤが滑るように動き、フォーカスが攻撃視点へとズームインする。

 彼のARコンソールは、目線・指先・脳波認識によって全ての戦術指示を可能としていた。


 次の瞬間、閃光が1体のフェアニヒターβに直撃する。

 ラングの投影ビューに一瞬だけ警告アイコンが点滅するが――損傷評価はゼロ。

 シールドが正常に稼働し、熱線を完全に遮断していた。


 彼は画面をスワイプしてズームを切り替え、射線の発射源を確認する。

 網膜の端に浮かぶ視界内で、赤枠が強調された対象が二つ表示された。


 ――いた。


 女。金色の髪。表情は、怒りと……憎しみにも似た決意に染まっている。

 隣には、あの男。カイ・アサミ。


 ラングの顔がゆっくりと歪む。

 唇が吊り上がり、歯が剥き出しになる。


「……見つけたぞ。貴様ら……!」


 手元に浮かぶARコンソールに指を走らせ、目線でコマンドを指定する。


「戦術オーバーライド――俺自らが相手をしてやる!」


 その瞬間、戦場の指揮権は機械から人へと戻り、復讐の意志を宿した殺意がプラント全域へと放たれた。

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素人の指揮よりAIの方が強そう笑 なう(2025/06/28 00:19:16)
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