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8-28

 警告もなく、熱線が壁をえぐった。

 戦闘用自律人形(アサルト・ドロイド)が三体。その黒光りする鋼鉄の肢体が、交差点の影から這い出るように姿を現す。

 脚部の油圧駆動音が重々しく反響し、周囲の金属壁を震わせた。


 既にこの施設での遭遇戦は、これが四度目だった。

 いずれも小規模な迎撃で、いまだ本格的な部隊とは交戦していない。

 しかし、それが地上で暴れているキャロルたちのおかげだというのは、カイもフローラも言葉に出さずとも理解していた。


「三体とも装備は標準型だ。問題ない、このまま切り抜けよう」

「承知しましたわ。シールドリアクター起動」


 カイはフローラの腕に抱えられた状態のまま、右手のレーザーマシンガンを前に突き出す。

 トリガーに指をかけ、親指でモードスイッチを押し込んだ。


 銃口から淡く揺らめく粒子が凝縮されていく。

 レーザーマシンガンは収束モードへと変化し、発振器が高周波の唸りを上げ始める。


「まずは脚部の関節を潰して、バランスを崩させるぞ」


 その言葉と同時に、第一射が放たれた。

 絞り込まれたレーザーがドロイドの左膝を正確に射抜き、内部の制動軸を貫いた。


 一体目がバランスを崩し、膝から崩れ落ちる。


「よし、続けて……」


 二射目、三射目。

 狙いは正確だった。二体目の右脚が爆ぜ、三体目も転倒こそ免れたが、動きに僅かな乱れを見せた。


「お見事……あとはお任せを」


 フローラは手早く彼を床に預け、背中からフュージョンライフルを抜き放った。

 転倒した二体へと、粒子の奔流が一気に迸る。

 爆音と共に光が弾け、装甲が膨張して破裂するように吹き飛んだ。

 さらに――


「ふんっ」


 フローラはライフルをマウントへ戻し、腰部のヒートアックスを抜き放つと、マシンガンを構えかけた最後のドロイドへと一気に肉薄した。

 その一閃は、反応を許さない速さで敵機の胴体を断ち、火花と共に地面へ崩れ落とさせた。


 一拍置いて戦場の空気が沈黙する。

 フローラは機体の発光が完全に消えたのを確認してから、振り返ってカイへと駆け寄る。


「お待たせしましたわ。行きましょう」

「ああ……助かるよ」


 再びフローラの腕に身を預けると、彼女のパワードスーツが推進を再起動し、前進を再開した。

 

 キャロルの残した経路情報を頼りに、二人は施設の奥へと進む。

 だが数分も経たないうちに、突如として通路の中央に厚い隔壁が降りており、行く手を阻んでいた。


「……非常時用の遮断壁、か」


 フローラが眉をひそめながら壁の表面を調べ、背中のフュージョンライフルに手をかける。


「最大出力で焼き切りますわ。爆発反応にも耐えられる構造でしょうが、このライフルであれば無理では――」

「いや、それはちょっと待て」

 

 意気込むフローラに対し、カイが即座に遮った。


「仮に突破出来たとしても、フュージョンライフルは短くはない時間使えなくなる。もし、向こう側に敵がいたらどうする。それにこの遮断の仕方……明らかに計画的だ。待ち伏せを疑うべきじゃないか?」

「そう、ですわね……私としたことが、少し焦りすぎておりましたわ。しかし、そうすると迂回を?」

「うーん……」


 カイは周囲を見渡すと、隔壁近くの壁面に設けられていたポートが目に入る。


「こういう時こそ、俺の出番ってわけ」


 カイはフローラの腕の中から飛び降りると、すぐさまポートへと駆け寄る。

 端末を接続し、即座にクラックを開始。

 

 ――だが数十秒もしないうちに眉をひそめる結果となってしまう。


「くそ、暗号階層が深すぎる……このままじゃ時間を食いすぎる。十分……いや、下手すれば三十分か?」

「やはり別のルートを?」

「うーん……あ、待ってくれ。この施設のマップは手に入りそう」


 カイは端末から接続ケーブルを抜き、静かに息を吐いた。

 収穫がなかったわけではない。隔壁のクラックは一時保留としたものの、代わりに施設全体のマップデータを引き出すことには成功していた。


「仕方ない……別ルートを探すしかないな」


 フローラが視線を送るだけで、判断を委ねる意志を示す。


「この居住区エリアを経由しよう。マップを見る限り、中央のプラントへ繋がっているみたいだ」

「承知しました。それでは、案内よろしくお願いしますわ」


 再びフローラの腕に身を預けると、彼女のパワードスーツが静かに駆動を始めた。

 音を抑えた軽やかな足取りで、二人は通路を折れ、薄暗い側道へと足を踏み入れる。

 

 通路の構造が、やがて微かに変化し始めた。

 並ぶ扉、変わった照明、そして異様なまでに整然とした気配。

 

 床の素材は硬質な滑走材からわずかに弾性のある合成パネルへと切り替わり、両側の壁面には扉が等間隔で並んでいた。

 天井の照明も青白く色を変え、以前の工業的な殺風景とは明らかに異なる雰囲気を醸し出している。


 それでも、そこに“人の生活”を感じさせるような温度はなかった。


 通路は整然と保たれ、扉には名札も貼り紙もなく、装飾すら存在しない。

 音も気配も一切がなく、整いすぎている。まるで誰かが意図的に“痕跡を消したかのように”思えるほどに。


「……ここが居住区?」


 フローラの声が、わずかに響く。

 カイは端末のマップを見やり、わずかに頷いた。


「分類上はな。でも、実際には誰かが住んでいたという感じは全く無いな。短期滞在用の仮設施設か……或いは、最初から誰も使ってなかったのかもな」


 フローラは扉の一つを横目に流しながら、速度を緩めることなく進む。

 そんな無機質な通路の先――


 突き当たりには、既に分厚い隔壁が降ろされていた。

 金属の冷たい質感が空間を塞ぎ、侵入者を拒むように沈黙を保っている。


「……封鎖、されていますわね」

「おいおい、嫌がらせみたいだなあ。この調子じゃ、全然先に進めないぞ……仕方ない……」


 カイはため息交じりに前へ進み、壁面のポートを探し当ててアクセスを開始する。

 ほんの十数秒。手の動きは無駄なく、しかし結果は明白だった。


「はぁー……くそ、やっぱりクラックには時間が掛かるな。最初の隔壁と同じセキュリティレベルだ」

 

 舌打ち混じりにケーブルを抜くこともできた。だが、カイはそうしなかった。

 彼の指は、端末上でほんのわずかにコースを変える。

 目指す先は、ロック解除ではなく――情報の検索。


「いや、待てよ……権限を持つ端末から正規にアクセスすれば話は早いんじゃないか?」


 視線の先、端末の内部マップが再び展開される。

 接続されたネットワーク内から、周辺に存在する高権限端末の存在を調べるためのスキャンを走らせた。


 数秒と経たずに、マップ上の一角が淡く点滅を始める。


「……お! すぐ近くに管理端末があるな。アクセス権限も……よし、生きてる。これなら隔壁も開けられるはずだ」

「距離は?」

「三十メートル。通路を折れてすぐ、角の部屋」


 カイがポートから手を離すより早く、フローラは動き出していた。

 静かに彼を抱き上げると、床を蹴って再び走り出す。

 

 無人の居住区をまっすぐ駆け抜けていく。両脇には均質な扉が並び、照明の青白い光だけが、彼女の動きを淡く照らしていた。

 やがてカイが指を上げた。


「ここだ。間違いない、マップの座標と一致してる」


 フローラはすぐに扉の前に立ち、パネルに手をかざす。

 だが、反応はなかった。ロックが掛かっている。


「アクセスできません。通常の開錠コマンドも通っていませんわ」

「電源は生きてるのに……内部セキュリティで閉じられてるか」


 カイが眉をひそめるのを見て、フローラは一歩下がり、右腕の関節をわずかに鳴らした。

 その動きは、躊躇のない予備動作だった。


「……強行突破します」

「え、ちょ」

「ふんぬっ!」


 返事を待たずに、フローラは両足で床を踏み込み、瞬時に扉の中央へと掌を叩きつけた。

 鋼鉄製の扉が、悲鳴のような金属音を立てて勢いよく吹き飛ぶ。

 そのデタラメな光景に、カイは思わず唖然としていた。


「よし、開きましたわね!」

「いや、お前……もうちょっと、スマートにやれない? まあ、開いたからいいけど……」


 部屋の中は薄暗かったが、非常照明が自動で点灯し、全体を淡く照らし出す。

 床は清潔に保たれ、棚には実験器具が整然と並んでいる。

 隅には折り畳み式の簡易ベッド。壁には白衣が掛けられていた。


「……私室、か。研究用の個室ってところかな。さて、端末は……お、アレだな!」

 

 カイは部屋の奥に設置されていた端末の前へ向かうと、そのまま椅子へ腰を下ろした。

 モニターはすでに起動状態にあったが、ログイン画面が表示されたまま凍りついている。

 アクセスを試みるも、当然のようにパスワード入力を要求され、次の瞬間には端末自体が完全にロックされていることが分かった。


「……まあ、そう簡単にはいかないか」


 カイは小さくため息をつきながら、腰のホルダーから個人用の情報端末を取り出し、端末とケーブルで直結する。

 接続の確認が取れると、すぐにクラッキング用のインターフェースが立ち上がった。


「ローカルログインのバイパスをかける。しばらく掛かるけど、こっちからなら入れる」


 指先がキーボードを叩き始めた。カイの表情は真剣そのもので、周囲に意識を割く余裕はなかった。


 その横で、手持無沙汰となったフローラはふと室内へ目を向ける。

 壁の白衣、整然とした器具棚、隅に折り畳まれた簡易ベッド。どれも無機質な印象が強く、個人の色が薄い。


 しかし、その中でただひとつ、異質なものが目に入った。


 テーブルの上に、細長い黒い棒状の記録デバイス――データロガーが置かれていた。

 ただの記録用モジュール。見慣れた、よくあるモデルだ。


「……これは」


 フローラは特に深い意図もなく、それを手に取る。

 重量感と形状から、音声とテキストの両記録に対応した中容量モデルだと察する。


 腕部の接続端子からデータリンクアームを伸ばし、デバイスをスーツ経由で読み込みにかける。

 すぐにHUDにフォルダ構成が表示され、最上段には単純な音声とテキストログが並んでいた。


「これは……日記……?」


 思わず呟いた声に、カイは反応を見せなかった。完全に作業に没頭している。


 フローラは視線を戻し、データの最初のページを開く。

 そこに記されていた筆者名を見て、彼女の目がわずかに見開かれる。


 唖然としたまま、フローラはデータを読み進める。

 そこに綴られていたのは、科学的な観察記録ではない。

 日々の葛藤、秘密裏に進められる実験の記録、そして帝国への忠誠と裏切りの境界で揺れる思考の断片。

 それらは明らかに、ひとりの人間が重圧の中で書き残した“生の声”だった。


 やがて彼女の表情が、ただの驚きから確信へと変わっていく。

 この部屋は、カイの叔父――ウィン・アサミの私室だったのだ。

 

 

 

 ◆ データログ再生開始

 記録者:ウィン・アサミ

 形式:個人記録ログ(自動音声転写)


 私は、ウィン・アサミ。

 科学者であり、技術士官であり、そして……かつて、ひとりの少年の“叔父”であった。


 カイを引き取ったのは、彼がまだ六歳の時だった。

 実の姉が事故で他界し、血の繋がった親族は私しかいなかった。

 最初は義務感だった。そう、あれは義務だったはずなのだ。

 けれど……カイは、私の心に、静かに入り込んできた。


 あの子は聡明だった。いや、あまりに聡明すぎた。

 私が与えたツールを見てすぐに仕組みを理解し、回路を開いては新たな発想を見せた。

 会話の節々に、幼さの裏に隠された論理の芽が覗くたび、私は彼を見るのが楽しくて仕方なかった。


 そう、楽しかった。

 私の世界に、あの子がいてくれることが。


 だが、いつからだろう。

 あの子を“甥”と見ることに、抵抗を覚えるようになったのは。

 罪悪感? 違う。ただ、理解していたのだ。

 私の中にあるこの感情が、常軌を逸していると。


 それでも、私は一線を越えなかった。越えるつもりもなかった。

 カイはあくまでカイだ。私は彼の保護者であり、教育者であり、そして……この世界のどこよりも彼を理解できる唯一の人間だった。


 それだけでよかった。

 それだけで――よかった、はずだったのに。


 あの事件が起きたのは、彼が十の頃だったか。


 私は機密指定の新型バイオロイド基地を監督していた。

 自律戦術行動能力を持つ第3世代型バイオロイド、試験の最終段階。

 私は連れて行ってしまった。いつものように。あの子に“本物”を見せてやりたいと思った。

 でも……間違いだった。


 X40――あの忌まわしいバイオロイド。

 指示されていた訓練プログラムを勝手に抜け出し、カイと接触し、意志を示してハンドラー契約を結んだ。

 暴走と認識されたが、違う。奴は“選んだ”のだ。

 

 私は激怒した。

 彼は……カイは、穢されたも同然だ。

 あの子に触れていいのは、私だけだった。


 私は即刻、X40の廃棄を求めた。

 だが軍部は却下した。X40のパフォーマンスは圧倒的だったからだ。

 他のハンドラー契約を結んでいた仲間たちを凌駕し、ハンドラーを“自ら選ぶ”ことで初めて真価を発揮するという事実が判明したからだ。


 皮肉なことだった。

 理論としては正しい。だが、私は科学者である前に――あの子の、唯一の保護者だった。


 それがもう叶わなくなったと悟った日、私は決意した。

 X40の凍結処理、関係者記憶の封印、そして……カイ自身の記憶封印処置。

 私が彼の中から消えることで、彼を護る。それが最善だった。


 ……最善だったはずだ。


 けれど。

 けれど、私は思う。

 私は、彼の隣に居たかった。

 どんな形でもいい、彼の心の中に存在していたかった。


 私は軍を呪った。

 連邦を、体制を、命令を、すべてを。


 第3世代型バイオロイド――あれは、欠陥品だ。

 最初は夢だった。未知の文明、ゼノス遺跡から発掘された遺伝子情報と、人類のDNAを掛け合わせて誕生した奇跡。

 高い知能、圧倒的な身体能力、そして人間を遥かに超える寿命。

 まるで神話から抜け出た存在のようだった。


 だが、現実は違った。

 なぜか、男が生まれなかった。

 試行錯誤を重ねても、胚の成長段階で死滅する。

 どれだけ条件を変えても、結果は変わらない。女しか、存在できない。


 それでも当初は許容された。兵器としてなら、性別は問題ではないと。

 だが次に見えてきたのは、もっと深い絶望だった。


 ――繁殖ができない。

 機能としての生殖器官は存在する。構造的には、何一つ問題がない。

 しかし、人間との間に生命を宿すことができなかった。

 理論上は可能でも、現象としては常に失敗した。


 そして、極めつけが精神構造だった。

 彼女たちは“ハンドラー”――自らが精神的に依存できる相手を必要とした。

 いわば、精神の寄る辺となる存在。

 それがなければ、彼女たちは安定しない。

 情緒が乱れ、判断が鈍り、戦術行動に支障をきたし、やがては精神崩壊する。


 初期段階では、多数の特殊部隊員をハンドラー要員としてあてがい、共同生活を送らせた。

 それで何とか安定運用できると考えていた。

 だが――皮肉にも、X40の事件がそれを根底から崩した。


 彼女たちは、あてがわれた相手では真価を発揮できない。

 “自ら選んだ”相手でなければ、その能力は引き出されない。

 そして一旦契約が結ばれれば、挿げ替えは不可能に近い。

 その絆は強固で、引き剥がせば精神崩壊を引き起こす危険すらある。


 結果として、初期契約時の選択を誤った個体は、能力を抑えられたまま、ただ命令に従うだけの存在となる。

 兵器として期待されたはずの彼女たちは、感情と依存を抱えた“繊細すぎる試作品”に成り果てた。


 私は、心の底から絶望した。


 これは兵器ではない。道具ですらない。

 感情に支配され、自己選択を許された“失敗作”だ。

 こんな兵器を作ったのは、誰だ?

 ――私だ。


 私は、自らの設計したバイオロイドたちに、急速に興味を失った。

 もう、あれは“人間もどき”にしか見えなかった。

 私は契約した指揮官型すら興味を失い、繁殖実験のモルモットとして扱った。

 それが当然だ。あれは失敗作だ。失敗作のくせに、私のカイを汚した。


 あれは、許されざる存在だった。


 やがて帝国の特別情報局が接触してきた。私は迷わなかった。

 自分が忌み嫌ったバイオロイド部隊を引き渡す代わりに、私は創造の自由を手に入れる。 

 帝国の技術、そして……長らく噂にすぎなかった『脳転写技術』――この二つは、私の前に横たわる障壁を打ち砕くために必要な鍵だった。


 第3世代型が抱えていた、あの致命的な欠陥の数々。

 男児が生まれない不安定な遺伝、受胎不能、精神の依存性――それらを解決するには、まったく新しい発想と環境が必要だった。


 私は科学者としての限界を超えようとしていた。そして、愛のために裏切った。

 ……だがその過程で、帝国へ向けた亡命計画は、連邦に察知されていた。

 連邦軍は、私の研究基地を包囲し、隕石爆撃を強行した。バイオロイド部隊ごと、私ごと、基地を抹消した。


 私は奇跡的に生き延びた。

 研究成果はほとんど失われ、手元に残ったのはわずかな第3世代の遺伝サンプルだけだった。


 それでも私は諦めなかった。再びラングと手を結び、資金と実験環境を手に入れるため奔走した。

 やがてクルト伯爵という資金源を確保し、私はついに第3世代を超える第4世代を造り上げた。


 身体能力は若干下がったが、それでも人間を遥かに超越する強さを持ち、不老。繁殖も、指定された遺伝子構造の相手ならば成立する。

 そして、ESP適用型人工培養脳。これが、脳転写を現実のものとした。


 私は、自らの精神をこの器に移す。

 そうすれば、あの子と“同じ未来”を歩むことができる。

 

 あとは、最後の段階――脳転写の実行。

 この計画が成功すれば、私はついにカイと……真に、()()()()()()()となる。

 私の未来は、目の前にある。

 

 ◆ ログ再生終了

 

 

 

 ログの再生が終わり、HUDに流れていた文字列が静かにフェードアウトしていく。

 だが、フローラはその場に立ち尽くしていた。

 音が止んでもなお、フローラの耳にはあの声が、あの語りが、鮮明にこびりついて離れなかった。


 それは怒りよりも、驚愕だった。

 記憶の奥に眠っていた断片が、冷たく、確かな輪郭を持って甦っていく。

 あの基地での日々。X40が引き起こした事件。そして、自分自身。


 全身の関節がわずかに強張っていた。

 たった今まで自分が立っていたこの部屋、それすらも――いまや忌まわしき過去の断面のように思えた。


「……フローラ?」


 唐突に、彼の声が現実へ引き戻す。

 振り返れば、カイが端末から顔を上げていた。緊張感を含んだ顔には、疲労と達成感が交錯している。


「隔壁の解除が終わったよ。あとは先に進むだけだ」


 一瞬、言葉が喉の奥に引っかかる。

 だがフローラはすぐに、無表情を装ったまま静かに頷いた。


「了解しました。すぐに、向かいましょう」


 そう言って、彼の隣まで歩き、静かに身体を屈めて両腕を差し出す。

 いつものように、何事もなかったかのように。


 だがその内心では、幾重にも絡まった感情が渦巻いていた。


 ウィンがカイに抱いていた“感情”。

 自分たち第3世代に向けられていた“失望”。

 そして何より、仲間たちを裏切り、帝国に売ろうとしたウィン。

 その彼を止めるために、仲間ごと隕石爆撃を強行したのが、味方であるはずの連邦軍だったという現実。


 そのすべてを、カイに伝えるつもりはなかった。

 少なくとも、この場で明かすべきではないと、フローラは感じていた。

 

(――今、彼に告げても混乱を招くだけ)


 ただでさえ戦況は予断を許さず、目指す先には敵の中枢が待ち構えている。

 その最中に、過去の亡霊を呼び起こす意味はない。

 そう、今はまだ――。


 フローラはカイを静かに抱え上げた。

 パワードスーツの駆動音が低く唸り、室内に反響する。


 彼女はもう一度だけ、部屋の中を振り返った。

 そこには何の変哲もない、整然とした科学者の私室。だが今や、その全てが一つの記録のように思えた。


 そしてフローラは、何も言わず、その場を後にした。

 データロガーは彼女のスーツ内部に格納されたまま、ひっそりと沈黙している。


 二人は再び通路を進む。

 照明の落ちた長い廊下を抜け、隔壁の向こうへ。


 そこに、重厚な扉がそびえていた。

 製造プラント――その心臓部への扉だ。


 カイが操作パネルに手を伸ばすと、扉の縁に微かな振動が走る。

 機械仕掛けのうねりと共に、扉が、静かに開かれていく――。

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― 新着の感想 ―
エグいエグいエグいエグい(°д°))))) 驚愕の事実過ぎてエグいしか言えない笑 なう(2025/06/27 23:44:11)
まさかの展開過ぎる…こんな時、どんな顔すればいいかわからない… 当人は純愛なんだろうけど…
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