8-27
突如回復した通信は、確かに希望の兆しだった。
けれど、それに縋るだけで勝てるほど、この状況は甘くない。
(奴のシールド……それをどうにかしない限り撃破は難しいわね)
アラフノイートのシールドは、常識では考えられないほどの防御力を誇っていた。
真面にぶつかっても、時間を稼がれるだけだ。手持ちの火器で飽和させるには火力も数も足りない。
だが――
(けど、ミサイルポッドは破壊できたわよね。あの時、あいつは――)
思い返す。
先ほどのキマイラとの連携。キマイラが空中から陽動し、自分がレーザーを撃ち込んだあの瞬間。アラフノイートは攻撃に気を取られていた。
防御に割く余裕が無かったのか、それとも――出来なかったのか。
(あの機体、攻撃中は……シールドを展開していないわ。もしかして、出力を攻撃系統に全振りしてる? いいえ、恐らく攻撃とシールド展開は同時に行えないんだわ)
ならば、策はひとつ。
誰かが囮となって攻撃を引き受け、その隙に接近。
インパクト・サーチでシールドジェネレータの位置を特定し、これを破壊する。
キャロルはパワードスーツの装甲を軋ませながら立ち上がった。
言葉にするのは簡単だが、この策がどれほど絶望的な行為かも理解している。
けれど――やるしかない。
「全員、スモーク再展開! 踏ん張りなさいよ、アンタ達! 生き残ったら、お姉様からご褒美が貰えるわよ!」
その言葉を耳にした瞬間――ゴブリンたちの耳がピクリと動く。
顔を見合わせ、わずかに目を見開いたその表情には、明らかに“理解”の色が宿っていた。
直後、彼らの動きが変わる。
どこか緩慢だった指先が素早くなり、腰のグレネードを手早く取り出す。
歯を剥くような獰猛な表情。
明らかに、あの蠱惑的な肉体を持つ金髪の女性――フローラの姿と、快楽の記憶が脳裏をよぎっている。
鼻を鳴らし、獣のように足を踏み鳴らす一体。
口元に涎を浮かべ、興奮気味に呼吸を荒げる一体。
キャロルはそれを見て、ふっと笑った。
「ふふ……単純で助かるわ」
ゴブリンたちは一斉にグレネードを投擲した。
放出弁が開き、濃密な白煙が地面を這うように広がっていく。
再び、視界は濃い煙で覆われていった。
その中を、キマイラが滑るように動いた。
先ほどとは違う――今度は真っ直ぐアラフノイートを狙わない。
音もなく、煙をすり抜けたキマイラは、天井へと跳躍した。
そのまま――壁から天井へ。まるで重力など存在しないかのように、天井を這い回る。
鋭利な四本の触腕が、鉄骨の合間を縫いながらアラフノイートに斜めから襲いかかる。
高所からの奇襲に、アラフノイートの主腕が反応する。
30mmガトリングが旋回し、すぐさま掃射を開始した。
『……また同じ手か。学ばんな』
カール・シュタイナー大佐の音に呆れが帯びる。
だが、その刹那。その表情は曇ったはずだ。
――当たらない。
キマイラは触腕を使い、壁を蹴り、梁を滑り、真上から回り込むようにして徹底して回避行動を続けていた。
あちこちに弾痕が広がり、天井には無数の穴が開いていく。
『……チッ、鬱陶しい……!』
苛立ちを隠さず、アラフノイートに残されたもう一基のマルチミサイルポッドが開かれる。
カチリ、と何かが解除されたような重い音のあと、小型のマイクロミサイルが内側から次々と飛び出した。
鋭い尾翼を震わせながら、噴射炎を残し、倉庫内を網のように覆う弾道が描かれる。
ミサイル群が天井へと殺到した――。
次いで、鈍くも重々しい破砕音が倉庫全体を震わせた。
数えきれないほどの支柱が軋みを上げ、腐食しかけた鉄骨が断裂する。
ひと呼吸の間を置いて、倉庫の天井が崩れた。
巨大なパネルが剥がれ落ち、鋼材が束となって叩きつけられる。
断熱材と粉塵が空気を包み、目の前の世界が灰色に沈む。
天井の崩壊と共にキマイラも落下し、その上に瓦礫が降り注いで動きを止める。
それを見て、アラフノイートの尾部が、静かに向きを変えた。
120mmハイレーザーキャノンの砲口が、地に伏すキマイラへとゆっくりと向けられる。
光束の充填音が、倉庫全体を軋ませるように震わせていく。
カール・シュタイナー大佐は、モニター越しにその標的を見下ろしていた。
『終わりだ……』
だが――
その瞬間、警告アラートが鳴り響いた。
直後、複数の振動が機体に走る。
『なに!?』
カールの表情が歪む。
反射的にモニターを切り替えると、そこには――
アラフノイートの後部装甲に取りついた、小型の影がいくつも映っていた。
――キャロル。そして、生き残った四体のゴブリンたち。
白煙の帳に紛れ、静かに、的確に接近していたのだ。
だがそのわずか数秒後、アラフノイートは即座に反応を見せた。
『舐めるな!』
機体各所に仕込まれた近接防御ユニットが、突起状にせり出す。
それらは小型の円柱状の兵装――散弾を吐き出すための専用砲だった。警告もなく、一斉に火を噴き撃退する。
衝撃が空気を震わせ、金属片をばら撒くように四方へと放たれる散弾群。
その容赦ない鉄の嵐が、取りついたゴブリンたちに直撃した。
取り付いていた四体のゴブリンのうち、二体は装甲の曲面部に位置していたため、反射的に弾を受けやすかった。
その二体は至近から叩き込まれた金属弾によって、全身を粉砕されるように吹き飛ばされた。
もう一体は咄嗟に態勢を変えたが、右腕を肩口から持っていかれ、その衝撃で機体表面を滑落する。
残る一体は辛うじて装甲の隙間にしがみつき、キャロルの背をかばうようにしてなおも位置を維持していた。
キャロルのT-45にも、弾丸が叩き込まれた。
胸部のセラミック装甲にヒビが走り、内側のセンサーモジュールが警告音を上げる。
それでもキャロルは止まらなかった。
「やらせないわよ!」
彼女は瞬時に姿勢を切り替え、背部補助アームを展開。
装甲に密着したまま、機体内部をスキャンするための光学サーチャーを起動した。
《インパクト・サーチ:最大出力で走査開始》
赤と白のパルス波形がHUDを走り、内部構造を解析していく。
その一点――尾部の接合部、装甲の奥深くに埋め込まれた箇所に反応が現れる。
「……見つけたッ! 届けえぇーー!!」
迷わず、キャロルはT-45の主腕に格納されていた超高周波ブレードを展開する。
震える光の刃が、装甲の接合部に突き立てられる。
火花が飛び、重金属を断ち割る高周波の咆哮が響いた。
そして――
刃は内部のユニットに届き、閃光と爆発が走った。
アラフノイートのシールドジェネレーターが、今、破壊されたのだった。
爆発の中心に最も近かったキャロルは、T-45ごと激しく弾き飛ばされた。
装甲の隙間に熱が入り込み、視界が一瞬、白く染まる。
スーツ内に警告音が鳴り響いていたが、それを気にする余裕はない。
身体を引きずるようにして起き上がり、歯を食いしばりながらキャロルが顔を上げると、目に映ったのは、まだ健在なアラフノイートの巨体だった。
煙と残骸の向こうで、尾の砲塔がゆっくりと動き、自分に向かって指向していた。
砲口の発光が増し、再チャージはすでに完了している。
次に放たれるハイレーザーは、確実に自分を仕留めるだろう。
だがキャロルの顔に、怯えはない。逆に、僅かに笑みさえ浮かんでいた。
彼女は静かに、その名を呼んだ。
「やっちゃえ、ナイトフォール!」
それは、彼女にとって祈りでもあり、約束の言葉でもあった。
直後、崩れた倉庫の天井――その開いた空の向こう側から、空気の振動が伝わってくる。
空を満たす振るえの奥に、確かにキャロルは感じ取っていた。
この呼び声に応えるようにして、何かが近づいてきている。
キャロルの愛機が、再び彼女の元へ帰ってきたのだ。
◇◇◇
撃墜された小型戦闘艦ナイトフォールは、アーセナルベース近郊の森林地帯に沈んでいた。
アーセナルベースの対空砲群によって、激しい対空射撃を受け、郊外の森に墜落した。
艦体の外殻には数十箇所の被弾痕が刻まれ、黒煙と熱気を残したまま、折れた樹々の中で横たわっている。
機能の大半を喪失し、メインブリッジは応答を停止。補助動力すらも限界を迎えようとしていた。
右舷スラスターは基部から破損し、艦底部のスタビライザーも動作不能。
装甲板の接合部からは焼けた冷却材が滲み出し、シールド発生装置は再起動の見込みすらなかった。
モジュールは一つまた一つと沈黙し、まるで艦そのものが眠りにつこうとしているかのようだった。
だがそのとき、艦内の通信インターフェースが、断続的な入力を検知した。
《リンクコード:再接続――識別信号……一致》
《パイロット認証完了――キャロル・ラウム》
リンクが成立した瞬間、艦内に残された微量のエネルギーが自己復旧システムを強制的に駆動させた。
休眠中のサブシステムが次々と起動シーケンスを走らせ、反応炉が低出力での再稼働を始める。
それは、奇跡に等しい反応だった。
重力下における艦体再浮上。姿勢制御を限界まで使い、艦底のバーニアを無理やり吹かす。
左舷スラスターの一基だけを動力源に、黒煙を上げながらも――ナイトフォールはゆっくりと浮上を始めた。
森を越え、空へと向かう。
尾部に焼け焦げた葉を巻き上げながら、ナイトフォールは迷いなく進路をとった。
たとえ一度墜ちたとしても、再び飛ぶことはできる。
全ては――キャロルの元へ辿り着くために。
ナイトフォールは、そうして再び空へと舞い上がる。
◇◇◇
空の向こうから、黒く焦げた艦影が姿を現した。
それはキャロルの愛機――ナイトフォール。
ボロボロの艦体は、そのまま砕けかけた翼を引きずるようにして高度を上げ、一直線に降下してくる。
見る者がいれば、きっと信じなかっただろう。
あれほどの損傷を負い、もはや戦える状態にないはずの艦が、今まさに敵のど真ん中へと突撃しようとしているとは。
キャロルの口元に、静かな微笑が浮かぶ。
その姿を、あの艦影を、誰よりも信じているのは――彼女自身だった。
ナイトフォールはキャロルの呼び声に応えるように、艦首をさらに下げて加速する。
機体各所から火花を散らしながら、残されたスラスター一基に全出力を集中し、アラフノイートへ向かって一直線に。
アラフノイートはその異常を即座に察知した。
近距離レーダーが未確認機の接近を感知すると、すぐさま戦闘アルゴリズムがそれを高脅威度対象と指定する。
主腕の30mmガトリングを振り上げ、ナイトフォール目掛けて掃射を開始する。
弾丸の雨がナイトフォールの装甲を剥離させていく。
右舷外殻が吹き飛び、センサー群の一部が焼き切れる。
だが、それでもナイトフォールは回避を選ばなかった。
そのまま、正面から、ただ真っ直ぐに向かってくる。
アラフノイートはさらに追撃を重ね、砲塔の先端でエネルギーを収束し始めた。
120mmハイレーザーキャノンが、最大出力で照準を定める。
まさにその一瞬――キャロルのHUDに、通信ウィンドウが開く。
そこに映るのは、無人艦であるはずのナイトフォールから送信された、たったひとつのメッセージ。
《Cmd,CAROLE GOOD LUCK》
それを見た瞬間、キャロルの胸に熱いものが込み上げた。
何かが締めつけられるような感情。それは感謝であり、別れであり――誇りだった。
「……ありがとう。またね」
その直後、空が白く染まった。
アラフノイートのハイレーザーキャノンが、容赦なくナイトフォールを撃ち抜く。
艦体は空中で砕け散り、爆裂と熱が渦を巻く。
しかし、ナイトフォールの艦首から放たれた閃光――
それは、アラフノイートの胴体中央へと、寸分違わず突き刺さっていた。
バーストレールガン――ナイトフォールに搭載されたそれは、艦載兵器の規格の中でも極めて強力な、破城槌にも似た一撃。
シールドを失ったアラフノイートの装甲を、まるで紙のように貫き、内部構造を粉砕していく。
破壊は瞬間的だった。
直撃を受けたアラフノイートの胴体中央から、まるで内部から喰い破られるようにして爆光が噴き上がる。
火花が機体全体に走り、反応炉の暴走を示すアラートが間断なく鳴り響いた。
だが、カールがそれに応答することはなかった。
装甲がひしゃげ、脚部の関節が次々と崩れ落ちていく。
機体の姿勢を維持できず、アラフノイートはそのまま前方へ――崩れるように倒れ込んだ。
次の瞬間。
機体内部のエネルギーラインが臨界を迎え、アラフノイートは巨大な火球となって爆ぜた。
爆風と共に残骸が飛び散り、倉庫の天井をさらに破壊する。
熱と衝撃が空間を満たし、キャロルたちは咄嗟に遮蔽物の影へと飛び込んだ。
それでも圧力に押され、彼女のT-45パワードスーツは床を滑り、重たい音を立てて横倒しに転がる。
耳鳴り。震える地面。焼けつくような空気。
だが、全てが過ぎ去った後――そこには、アラフノイートの姿は無かった。
ただ、焦げた残骸と黒煙だけが、戦場にその存在の痕跡を示していた。
「勝った、のよね……?」
息を詰めたような静寂の中、キャロルが呟いた。
返事の代わりに、瓦礫の下から小さな咳き込みと、キマイラのかすれた唸り声が聞こえてくる。
全身に傷を負い、四本ある触腕のうち三本を失い、左目も見えていないキマイラ。
だが、確かに生きていた。
ゴブリン小隊も二体――辛うじて生き延びていた者が、よろよろと立ち上がってくる。
キャロルのT-45も深刻なダメージを受けていた。
アクチュエーターは遅延し、装甲の一部は熱変形を起こし、警告灯が明滅している。
それでもキャロルはゆっくりと立ち上がり、瓦礫の中からキマイラを引きずり出す。
もう――やるべきことは一つしかない。
「……司令室に向かうわよ」
彼女のその言葉に、残った仲間たちは誰ひとり異を唱えなかった。
その頃、中央制御棟司令室――。
沈黙が落ちていた。
静かなモニターの中で、アラフノイートの識別コードが赤い印で塗り潰されていく。
通信回線は沈黙し、最後の心電図のようなシグナルが、短い音を鳴らして止まった。
――それはカール・シュタイナー大佐の戦死を意味していた。
司令席に立つミュラー准尉は、老練な目に怒りも悲しみも見せず、ただ無言で事態を受け止めていた。
やがて彼は、小さく、しかし確かな声で口を開く。
「……放棄する」
少年のような若い兵士が椅子から半身を起こす。
顔色の悪い女性兵が、手元の端末を握りしめたまま、押し黙る。
「いいか、ここを放棄する。シュタイナー大佐を倒した連中を前に、司令室で籠城したところで、焼け石に水だ」
「と、投降という道は……?」
若い兵士がつぶやいた声は、震えていた。
ミュラーは首を横に振る。
「連中の目的はこの基地の掌握だ。投降しても、口を割らされる拷問が待っているぞ。ならばこちらから選ぶまでだ――“敵に渡さない”ことをな」
それが、この戦いにおいて唯一選べる、敗北の形だった。
「全自律人形を、スタンドアローンモードに移行させろ。コントロール権限は絶対に敵に渡すわけにはいかん」
「了解しました!」
女性兵士が素早く端末を操作し、コマンドを一斉送信する。
スタンドアローンモード――これにより各自律機は、それぞれが内蔵されたAIによって、独立して行動を開始する。
味方識別の精度を著しく下げ、敵味方問わず、状況に応じて自動で攻撃・防御行動を取るだけの存在となり果てる。
だが、制圧されるより遥かに良い。これが最善だとミュラーは確信していた。
「全ユニット、スタンドアローンモードへ移行しました」
「よし、あとは……」
ミュラーは背後の隔壁を開き、コンクリートに覆われたパネルへと手を伸ばす。
それは、司令室自爆装置の制御端末だった。
彼は時限装置を起動し、300秒のカウントが赤く点滅を始める。
脱出ルートの緊急ロックが解除され、床下のシャフトが開かれる。
「よし、行くぞ。お前たちも、よくやった」
「准尉……!」
「大佐の意志は、ここまでだ。死なせるな、自分まで」
ミュラーは迷いなくそのシャフトに降下し、女性兵士、そして最後に若い兵士がそれに続いた。
地下に隠されていた小型シャトルが、脱出命令を受けて緊急発進する。
薄暗い非常口の天井が閉じていく音を、誰も振り返らなかった。
それから、程なくしてキャロルたちはようやく司令室の入り口にたどり着いた。
扉は装甲で強化されており、内側からのロックが掛かっている様子だった。
「こじ開けるわよ、援護して!」
キャロルがレバーに手をかける。
T-45の補助アームが警告を鳴らし、ギリギリの出力で稼働を続ける中――
次の瞬間。司令室内部で、光が爆ぜた。
「――ッ!?」
扉の隙間から、爆炎が噴き上がる。
凄まじい衝撃波が通路を駆け抜け、キャロルたちの身体を吹き飛ばした。
ゴブリンの一体が壁に叩きつけられ、キマイラは瓦礫の影に引き込まれるように倒れ込む。
キャロル自身も一瞬、視界が白に染まり、何が起きたのか分からないまま、床に転がった。
コンクリートの粉塵が降り注ぎ、警報の残響が廊下にこだました。
司令室の扉は、爆破の衝撃で半ば吹き飛び、砕け散っていた。
――その奥には、すでに誰の姿もなかった。