8-22
ヴェヒターシルトのブリッジ、その中心に位置するメインスクリーンには氷塊帯に潜む敵艦の影が映し出されていた。
艦長席に腰を下ろしたシュテファン・フォン・ワルツァー准将は、眉間に軽く皺を寄せつつ、管制官たちが次々と上げる報告に静かに耳を傾けていた。
「敵影を補足。氷塊の裏側に姿を隠すように移動しました。1番砲塔、敵指向中!」
「2番砲塔も同一目標指向中!」
落ち着いた声でそう伝えたのは、射撃管制を担当する管制官たちだ。
まるで長年同じことを繰り返してきたかのような、事務的で揺るぎない声色。
ワルツァーはそれを合図に、悠然と頷く。
声に感情を滲ませることはなく、その代わり鋭いまなざしだけがメインスクリーンを注視している。
「よし、撃て」
短く放たれた指令が、ヴェヒターシルトの巨大な艦体を震わせる。
艦内に充満する空気が微かに揺れたのは、艦首側の4門もの大口径ビーム砲へエネルギーが集中され始めたためだ。
700m級という桁外れの体を支える動力炉から、一気に火力が引き出されていく。
すると、艦全体が深く重い唸りとともに微振動し、続く一瞬、眩い閃光がビーム射出口から噴き出した。
それはまるで神話の雷霆のように、白銀の光条を伴いながら氷塊を一直線に貫いていく。
元々、この氷塊帯を逃げ場にしようと考えた敵の意図は決して悪手ではない。
膨大な量の氷塊が漂う宙域なら、視覚やセンサーを誤魔化すこともある程度は期待できた。
しかし、この重巡洋艦の主砲が相手では、厚い氷が何重にも重なろうとも意味を成さない。
巨大な氷塊が蒸気を噴き出しながら熔け崩れる。
一拍置かずに続くビームの熱量が、表面だけでなく内部までを瞬く間に焼き尽くしていく。
氷の壁はまるで障壁の役目を果たすことなく溶解し、そのまま背後で息を潜めていた敵艦に到達した。
「直撃! 敵艦のシールド急激に減少……シールドが飽和しました。装甲が蒸発を始めています!」
管制官が素早く告げる。
スクリーンには、ビームに射抜かれた敵艦の姿が拡大表示されていた。
艦の外殻が剥がれ落ち、内部を防御する装甲も熱で歪みを見せている。
外板の継ぎ目から火花と煙が噴出し、それが一瞬ののち閃光と共に大破、爆散へと至った。
「撃破を確認。沈黙しました!」
淡々とした報告がブリッジに響く。
別の管制官が次の目標の座標を割り出し、即座に射撃班へ伝達する。
この一連の流れが数秒単位で繰り返されるうちに、敵艦隊の戦意はじりじりと削られていった。
氷塊に隠れようが、移動しようが、ヴェヒターシルトの主砲は寸分たがわず正確に捉え撃ち抜く。まさに絶対的な火力による蹂躙だった。
とはいえ、敵もただやられるままではいない。
反撃により複数の艦を瞬時に失ったことで、彼らも決死の覚悟を固めたのか、今度は艦の真正面から接近を試みる艦影が現れ始めた。
如何に大火力の主砲を持つとはいえ、接近戦を仕掛けられれば、ある程度は対処に手間がかかる。
周囲に展開している駆逐艦や無人艦載機を掻い潜ってでも突っ込んでこようというのだろう。
「接近を許すな。間合いを取れ。第一、第二駆逐艦を前衛に配置。各艦には全火器の使用を許可する」
ワルツァーの一声で、ヴェヒターシルトの周囲を固める300m級駆逐艦たちが高速移動を開始する。
サイズこそヴェヒターシルトに及ばないが、ヒュージクラスのビーム砲やレールガンなど重火力を多数搭載しており、格下の艦であれば一瞬で制圧できるだけの攻撃力を持つ。
メインスクリーンには、駆逐艦から発射された雨のようなビームと高速弾が飛び交う映像が映し出された。
「射線上に敵艦! シールドを展開しながら接近を図っていますが、駆逐艦の砲火で足止めしている模様!」
管制官が間断なく報告を続ける。
その声を聞きながらワルツァーは胸中で評価を下す。どうやら敵は数の上で攻めきれず、頼りの氷塊もヴェヒターシルトの主砲の前では無力。
前衛を担う駆逐艦からの砲撃は予想以上に苛烈で、次から次へと襲いかかる砲火と弾幕に神経を奪われ、全く近寄ることが出来ないでいる。
「R-22編隊、敵艦指向。R-24編隊も合流し、波状攻撃を開始しています」
さらに加えて、多数の無人艦載機が一挙に出撃していた。
これらの艦載機は言わば小型の自律兵器であり、3機編隊で火力を補い、これによって一回り以上大きい航宙艦相手でも機動力で翻弄して渡り合っていた。
複数の艦載機が波状的に急接近し攻撃を仕掛けることで、相手のシールドを一気に限界へ追い込み、そのまま多方向からトドメを刺す。
たとえ一隻、二隻の艦載機を撃墜したとしても、次々に沸いてくる無数の機体を押しとどめるのは至難の業だ。
「……爆散を確認!」
スクリーンの隅で、別の管制官がそう叫ぶのが聞こえる。
画面には、逃げようと身を翻したもののビームを受けて大爆発を起こす敵艦の姿が映し出されていた。
先ほどまで自信に満ちていたのかもしれない相手艦が、一瞬で宇宙の塵と化す。
「また1隻撃沈か。いい調子じゃないか、これこそが我が艦隊の正しい姿だ」
ゆったりと装飾の施されたソファに身を預けたまま、クルト・フォン・シューマッハー伯爵が満足そうに笑う。
彼はこの伯爵星系を代々引き継ぎ、祖父の代で建造された“ヴェヒターの瞳”を中心とした防衛網に絶対の自信を持っていた。――ほんの少し前までは。
だが、その自信は氷塊爆撃により砕け散った。
賊による奇襲と星系封鎖で屈辱を味わわされてきたが、今やこうして敵艦を討ち取っている様子は、伯爵にとって痛快の一言だった。
「ワルツァー准将、今ので旗艦が仕留めた数は?」
「……9隻目との報告です。艦隊はすでに撃破数22隻となります」
「フフ、そうか。短時間で22隻も撃沈したのか……あとどれほど残っているかな?」
クルト伯爵の問いかけにワルツァー准将は、管制官と視線を交わし短く答えを返す。
「我々が把握している敵艦隊は、当初43隻と報告されておりました。今の段階で確実撃破が22隻、さらに4隻が中破から大破とのこと。合計16隻がすでに行動不能、あるいは戦列を離脱していると思われます」
「フハハハ、なかなかの戦果じゃないか! よろしい、追撃の手を緩めるなよ。素早く殲滅し、星系に入り込んだ愚か者たちを一掃せねばならん」
伯爵の言葉には怒りというよりは、心地よさすら混じっているようだった。
実際、このまま行けば、危うい初動を挽回して余りあるほどの勝利を収められるはずだ。
だが、その一方でワルツァーだけは微かな懸念を払拭できずにいた。
今回の敵は、氷塊爆撃やガス巨星を使った巧妙なトラップで自分たちを翻弄し、実際に駐留艦隊へ甚大な被害を与えている。
ならば、こうして追い込まれた状況でなお、何らかの隠し手を用意していても不思議ではない。
(……まだ策があるはずだ。このまま単純に蹂躙されるだけの連中ではない)
ワルツァーはそう確信していた。
そして、その予感が的中したのはほんの数秒後のことだった。
「ね、熱源多数捕捉! 数……20、全て大型航宙艦の模様! 方位……我が艦の頭上!? な、何でこのタイミングで……!」
「ふざけるな! 対空監視は何をしていたんだ」
管制官が突如、声を荒らげる。
スクリーンに瞬く警告サインが増大し、敵方と思しき複数の艦影から閃光が降り注いだ。
あまりに不意打ちに近い攻撃だったせいか、ヴェヒターシルトの防御シールドが瞬時に一気へ負荷をかけられる。
「直撃、来ます!」
艦内に衝撃が走る。
ワルツァーは体勢を崩されつつも肘掛にしがみつき、すかさず状態を確認する。
「シールド出力は……60%まで低下! 同方向より第2波攻撃が来ます!」
ブリッジ照明が幾度かちらつく。
この旗艦を中心に、集中的な火力を注ぎ込んでくる相手が現れた証拠だ。
それまで余裕に浸っていたクルト伯爵でさえ、ソファから腰を浮かせてスクリーンを睨み、蒼白な面持ちを見せる。
「な、なぜだ……!? わ、ワルツァー! 早く迎撃しろ!」
伯爵の声には先程までの余裕が消えている。
ワルツァーはそれを聞き流すことなく、即座に指示を飛ばす。
今や目の前の敵勢力はほぼ制圧下にあると踏んでいたが、それでも密集陣形を解かずに警戒体制を敷いていたのが幸いだった。
「駆逐艦3隻、速やかに旗艦と敵影の間に割り込め。全砲門を解放。決して近づかせるな!」
もともと機動性の高さを誇る300m級駆逐艦が、合図と同時にスラスターを最大出力で噴かし、ヴェヒターシルトを狙う攻撃軸を塞ぐ。
シールドを回復させる時間を稼ぎつつ、頭上から降り注ぐビーム砲やミサイル群を相殺する構えだ。
これで一息つけるかとブリッジの空気がわずかに緩んだ、その瞬間――再び警報がけたたましく鳴り響いた。
「た、単艦で急速接近する艦を確認! サイズは300m級!?」
「本艦到達まで僅か! なんて速さだ!」
管制官が画面を拡大すると、黒一色の艦体が白い光の尾を引いて突撃してくる様子が映し出される。
艦種照合が即座に走り、結果がコンソールに浮かぶ。
「アストリス・ダイナミクス社製、ペレグリンMK.VII型です。ヒュージクラスのハイレーザーキャノンを確認――すでに砲撃を開始しています!」
「……あの艦、どこかで……」
次の瞬間、その黒い艦が眩く光を放った。
高出力のハイレーザーキャノンが一気にヴェヒターシルトのシールドに命中する。
衝撃が一拍おいてブリッジを揺さぶり、シールド出力は再び急降下した。
「シールド低下! 50%……いえ、さらに減衰が加速しています! ただのハイレーザキャノンじゃない!?」
「げ、減衰剤が散布されています! 先ほどの攻撃はこの為!?」
叫び声にも似た管制官の報告に、ワルツァーは声を張り上げる。
「焦るな! ありったけの砲火を集中しろ、敵艦は1隻だけだ!」
レーザー砲やレールガン、対艦ミサイルを搭載した重火力がヴェヒターシルトの艦体各所から噴出する。
黒い艦のシールドは瞬時に蒸発し、次々と装甲板が粉砕され、内部機関が剥き出しになっていく。
艦のあちこちから火の手と白煙が上がり、まるで廃墟のように変わり果てていくのがブリッジのスクリーンからも分かるほどだ。
「よし装甲、剥がれている……これで止まるはず――」
そう呟くワルツァーの言葉が終わらぬうちに、スクリーンの黒い艦は速度をまったく衰えさせることなく突っ込んでくる。
激しい損傷を被りながらも、加速を緩める様子は微塵もない。
「馬鹿な……なぜ、止まら――しまった、特攻か!」
その凶行に気づいた瞬間、ワルツァー准将がとっさに回避命令を下す。
だが、700m級の旗艦が方向舵を切るには余りにも時間が足りない。
黒い艦の船首はヴェヒターシルトのシールド面へ激しく衝突した。
閃光が走り、シールドが急速飽和を起こす。
その結果、防御のエネルギーフィールドが突き崩され、艦本体がむき出しの装甲を晒す格好となる。
「し、シールド消失!」
「全員何かに掴まれ! 突っ込んで来るぞ」
管制官が最後の警告を上げた刹那、艦全体を襲う衝撃がブリッジのあちこちで火花を散らせる。
ワルツァーも咄嗟にシートの手すりにしがみ付き、他のクルーたちも手近な機材に必死にしがみつく。
凄まじい衝撃音が聞こえたかと思うと、ヴェヒターシルトの艦首装甲を抉る形でペレグリンMK.VIIが突き刺さってきた。
「う、うわああっ……!」
「ぎゃあああーーッ!」
クルーの悲鳴が入り混じる。
艦内部で警報システムが次々と作動し、制御不能になった区画も出始めていた。
こうして、ヴェヒターシルトは決定的ダメージを負ってしまったのだ。
激しい衝突――オベリスクの自爆攻撃により、ヴェヒターシルトの艦体は悲鳴を上げて軋んだ。
そのブリッジ内、ワルツァーは艦長席から文字通り弾き飛ばされ、床に叩きつけられていた。
「ぐ……っ!」
全身に衝撃が走り、どこかで頭を強く打ったらしく、額からは血が止めどなく流れていた。
床に伏した体をなんとか支え、ワルツァーは痛む腕で近くにあったコンソールに手を伸ばす。
あたりを見渡せば、ブリッジの管制官たちもまた各所で倒れている。
だが、誰一人として叫び声を上げてはいない。
既に何名かは意識を取り戻し、よろめきながらも自分の席へと戻ろうとしていた。
「……艦内報告を。各区画の被害状況、可能な範囲でいい……急げ……」
擦れた声でワルツァーが言う。
しかし、返事は遅かった。ブリッジの要員たちは誰もが負傷していた。
中には椅子ごと床を滑り、意識を失っている者もいる。
唯一、座席にしがみつきながら動ける一人が力を振り絞って報告する。
「主機、稼働率40%……火器管制、反応せず。艦首区画……反応無し。……通信も、旗下艦艇とは……繋がりません……」
応答に微かに頭を振ったワルツァーは、艦橋のスクリーンを見上げた。
だが映し出された映像は不鮮明だった。
破損したセンサーは暗転し、赤いエラーコードを浮かび上がらせている。
そのとき、不意に声が響いた。
「く、くそ……なぜだ! どうして、あの艦がここに……」
怒鳴るような、しかし震える声だった。
ワルツァーが視線を向けると、そこに居たのはクルト・フォン・シューマッハー伯爵――彼の主君だった。
頭部をどこかに強打したのか、額から血を流しながら、それでもなお呆然とスクリーンの方向を見据えていた。
「か、閣下……お怪我を……。誰か、救護班はいないか」
「……あの艦は……オベリスクだ。間違いない、つい数日前に……あの時から……!」
クルト伯爵は激昂した。
ヴェヒターシルトの威光を傷つけ、惑星ヴァルトシュテルンの威信を踏みにじった、あの異邦人――その男の名を、伯爵は怒りと共に叫んだ。
「カイ・アサミィッ!!」
ブリッジにその名が木霊する。
だがワルツァーは、ゆっくりと目を閉じ、虚しい目でその若き伯爵を見つめていた。
(――やはり、実戦には不慣れすぎたか)
老いた准将は内心で呟く。
栄えある帝国の名家に生まれた若者であり、頭脳も非凡、判断力もあると認めていた。
だが戦場において人が本性を曝け出す瞬間、今のクルト伯爵には、それを受け止めるだけの覚悟も経験も足りていなかった。
まして、あのような予想外の特攻を受けた直後であれば、冷静さを保つなど難しいだろう。
――その時、再びブリッジに緊張が走った。
「あ、新たな艦影を確認! 高速接近中、攻撃アプローチへ移行!」
何とか無事だったレーダー通信士の一人が血の気の引いた顔で叫ぶ。
ワルツァーは咄嗟に迎撃命令を出そうとするが、すぐに別の管制官から悲鳴に近い報告が重なる。
「火器制御、残存稼働率……15%未満!?」
ワルツァーの顔が強張る。
艦の主砲は前の特攻によって多くが破損し、応急措置もままならない状態にあった。
残されたわずかな砲座から、散発的にビームが撃たれるものの、まったく命中精度が足りていない。
「くっ……」
散漫な防御砲火をひらりと回避しながら、敵艦がヴェヒターシルトへと肉薄してくる。
その艦から放たれたのは、超高初速のバーストレールガン。
――だが、砲撃の狙いはヴェヒターシルトではなかった。
「っ……あれは……!」
ワルツァーが目を見開く。
バーストレールガンの弾頭は、艦に突き刺さったまま残っていたオベリスクの艦体中央に命中した。
その瞬間、彼は直感した。
――これは、誘爆を狙っているのだ。
「全員、衝撃に備えろッ!!」
ワルツァーの怒鳴り声が響く。
直後、オベリスクの内部で閃光が走った。
それはただの爆発ではない。艦内に残っていた推進剤、反応炉、未使用の弾薬庫が一斉に誘爆を起こし、巨大な火球が艦体内部から膨れ上がっていく。
その爆風は、突き刺さっていたヴェヒターシルトの艦首区画を内側から破壊し、まるで溶鉱炉のように溶かし、裂き、吹き飛ばす。
装甲板はバラバラに弾け飛び、構造体は断裂。
艦橋へと続く複数の隔壁も多数が破壊された。
「うあああああああっ!!」
「あああ、母さん!」
誰かの叫びと共に、ブリッジ全体が激しく傾いた。
重力制御が死に、床面に固定されていた設備がふわりと浮き上がる。
警報が途切れ途切れに鳴り響き、酸素濃度も不安定になる。
電力のほとんどが吹き飛んだらしく、照明は非常灯すら点灯できず、赤黒い非常灯の明滅だけが薄暗く艦内を照らしていた。
ワルツァーは壁へ叩きつけられ、咳き込みながら視界を戻そうとする。
だが、耳鳴りが止まらない。
何かが軋む音、鉄骨が折れ曲がるような音が遠くから響いてくる。
そして彼の視界の中、宙に漂う一つの人影があった。
制服は血に染まり、目を閉じ、ぐったりと動かない。
――それは、クルト・フォン・シューマッハー伯爵だった。
顔面の左側を激しく強打したらしく、骨格ごと歪んでいるようにも見える。
薄暗い非常灯の光の中、血に染まった彼の姿はまるで人形のように宙をたゆたっていた。
その光景を見て、ワルツァーは何も言えなかった。
爆発の轟音だけが、なおも遠くで鳴り響いていた――。