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8-19

 シューマッハー伯爵星系の主星へジャンプアウトした瞬間、カイはすぐさま外の状況を一望した。

 暗黒に近い星間空間の中、微かな恒星光だけが星系の輪郭を照らし出している。

 だが、そんな閑静な印象とは裏腹に、これからの行動は一刻を争うものだ。オベリスクの直後、同じ座標に次々とジャンプを終えた船団が飛来するのを、カイはメインモニターで視認していた。


 モニターにはまず大柄な艦影が映し出される。

 メインエンジン部分に特徴的なフォルムを備えたデスアダー級大型航宙艦“リベリオン”だ。ヴィンセントが駆るその艦は、まるで先導を買って出るかのように静々と姿を表す。

 そして、続いてリカルド率いる傭兵団“ラッキー・ストライカーズ”の中型・小型船群が高密度でジャンプアウトしてくる。

 同時に艦隊通信が一斉に立ち上がり、その音がオベリスクのブリッジスピーカーを通じて重なり合った。


「よし、全艦無事だな。大きなジャンプ事故もなさそうだ」


 カイは短く確認を取りつつ周囲を見回した。

 その声を合図にしたかのように、フローラが次々と届く報告をまとめて告げる。


「艦隊からの被害報告はゼロ。続行可能とのことですわ、カイ様」

「さて、これからが正念場ね」


 キャロルが緊張感を滲ませつつ続け、カイも安堵に浸る間もなく指示を飛ばした。


「――全艦、次の段階へ移行。SWSIを射出する準備を急げ。搭載艦は所定のポイントへ移動開始」


 艦隊通信を通じてそれが伝えられるや、即座にSWSIを載せている艦艇が一斉にスラスターを噴射して散開を始める。

 オベリスクがブリッジのメインカメラをズームすると、何隻かの大型艦が滑るようにコースを変え、特定の座標へ進んでいく様子が映し出された。

 その位置こそあらかじめ決めておいた“SWSI敷設地点”――恒星近傍とまではいかないが、干渉の効果を最大限に発揮できる、危険だが重要なエリアだ。


「私たちは予定通り、最短経路を取ります」

「プロット任せた」


 相手側の艦からの返答を聞きつつ、カイは視線を移動させ、オベリスクが通常航行モードで回避できるようにフローラへ指示を出した。

 まだ敵の防衛艦がどこから来るか分からない状況では、むやみに速度を上げて隊列を崩すわけにはいかないが、SWSI敷設艦には先んじて動いてもらわなければならない。

 

 続いて、ブリッジ右側に座るキャロルがコンソール画面を切り替え、SWSIそれ自体のステータスをモニタリングする。

 すでにSWSIを積んだ艦はコンテナ開放手順に入るらしく、貨物室の巨大ドアを開き始めていた。


「……射出、始まってるわ。問題なさそう」


 キャロルが報告した瞬間、艦隊通信から「SWSIコンテナ解放完了」の連絡が届く。

 オベリスクの外部カメラには、黒々とした金属塊のような機材がいくつも映り始めた。

 ぐるりと回転しながらゆっくり膨張していくコンテナ。

 続いて、内部で折り畳まれていた大型のフィンが開き始め、まるで花が咲くように大きく広がっていく。短時間ではあるが、この優美とも言える変形シーンはSWSI最大の特徴と言えるだろう。


「……やっぱりインパクトあるわね、これ」

「まあ、滅多に見れる物じゃないのは確かだな。一度起動すれば、恒星からのエネルギーで半永久的に稼働できるわけだし」


 キャロルが興味深そうにつぶやく一方、フローラが端末を操作してSWSIユニット個々の稼働チェックを行う。


「各基とも自己展開完了。稼働率……80%……90%……出力安定域に入りました。SWSIが正常に動いています。これで主星全体を覆う形で歪曲フィールドが形成出来ましたわ。以降、外部からのジャンプは不可能になります」

「あ、超空間通信ビーコンの一部も掌握が完了したみたい。ラッキー・ストライカーズも案外仕事早いじゃない。これで私たちだけタイムラグ無しで通信が行えるわね」


 フローラとキャロルからの報告に、カイは大きく頷いた。


「これで外から救援がジャンプしてこれない――と言いたいところだが、油断は禁物だ。SWSIが1基でも破壊されれば、その穴からジャンプアウトが可能になってしまう」

「はい、護衛の為に数隻を残すことは止むを得ません」

「数隻だけとはいえ、戦力が割かれるのは痛いけれどね」


 ブリッジの空気が僅かに緊張感を増すのを感じながら、カイは周囲を見回す。

 戦力は決して潤沢ではないが、SWSI敷設によってシューマッハー伯爵星系を孤立させることには成功した。

 つまりこれから先は、いよいよ防衛艦隊との直接交戦か、あるいは相手をどうやって外へ誘き出すかが鍵になる。

 すると、ちょうどフローラが振り返り、そっと声を掛けてくる。


「カイ様、先ほどヴィンセント様から通信が入っておりました。多忙と判断して転送を保留していましたが、今すぐお繋ぎいたしましょうか?」

「頼む。すぐに出るよ」


 フローラが端末を切り替え、ブリッジ正面の小さなホログラムスクリーンにヴィンセントの顔が映し出される。


「ヴィンセント、状況はどうだ?」


 カイが問うと、ヴィンセントは短く息をついてから答える。

 口調は端的で、周囲の音がやや騒々しいのが分かる。


『こちらリベリオン。ラッキー・ストライカーズからSWSI敷設を終えた工作艦2隻と合流した。今から指定の宙域へ向かい、作業準備に入る。派手にブチかましてやるから期待して待っててくれ』

「ああ、頼むよ。スケジュール通りに動けそうか?」

『恐らく問題ない。まあ、実際に手頃な塊を見つけるには相応の手間が掛かるかもしれんが、設置作業自体は素早いと思うぞ? 何せこいつら、連携は雑だがやる気だけは十分あるらしい。適切な数を揃えたらまた連絡する……じゃあな」


 そう呟くと、ヴィンセントはブリッジの喧騒に遮られるように通信を切った。

 画面から彼の姿が消え、代わりにラッキー・ストライカーズの工作艦2隻、そしてリベリオンの外観が表示される。

 いずれもハイパードライブの超巡行モードを起動したらしく、一瞬で消え去って行く。

 

 ヴィンセントとの通信が切れたタイミングを見計らうように、キャロルがぶっきらぼうに言った。


「ねぇご主人様、本当に大丈夫なの? ……要は艦隊を誘き寄せるために、仕掛けるんでしょ?」


 キャロルの問いは尤もだった。

 基本的に、こちらは火力が圧倒的に不足しているのが現実だ。

 もしヴェヒター艦隊が要塞内に籠もりっぱなしなら、カイたちは正面突破に膨大な犠牲を出しかねない。

 特に敵要塞“ヴェヒターの瞳”は連邦にも噂が届くほどの人工惑星型軍事要塞であり、強固な流体金属装甲を持つ。駆逐艦はおろかフリゲートすら戦力にないカイ達では、正攻法で陥落させるのは厳しい。


「ヴィンセント達がやろうとしてるのは、言ってみれば囮作戦の一部だよ。要塞に閉じこもった相手を引きずり出すために、一種の揺さぶりをかける。それが決まれば、少なくとも艦隊の一部は外へ出て来ざるを得ない」


 カイは自信ありげに言うが、その顔には微かな緊張も見える。

 キャロルはそこを見逃さなかった。


「だけど……こういう寄せ集め艦隊で、本当にできるの?」

「大丈夫とは言いきれないが、他に方法がないんだ。火力が足りない以上、こちらは策を活かすしかない。首都星シューマリオンへ降下する為には、敵の機動部隊は要塞外に釘付けにしなければならないんだ……。とにかく、敵を誘い出すことが急務だ。その最初の“仕掛け”がヴィンセントの役割だよ」


 キャロルは苦笑しつつも、納得したように肩をすくめる。

 フローラも横で控えめに口を開いた。


「カイ様、SWSI関連の護衛配置が完了しました。いつでも移動出来ますわ。……それとリカルド様から連絡がありました」

「……何か問題が?」

「あ、いえ問題ではなく、それを解決した形です。1隻だけ偵察艇のような船が確認出来たため、それを撃墜したとか。……相変わらず幸運付いてる人たちですわね」


 フローラはやや呆れ顔で言うが、カイも小さく頷いた。

 もし偵察艇が逃げ延びていたら、こちらの規模を正確に把握される恐れがあり、それだけ敵の対応が速まる可能性があった。それを回避できたのは大きい。


「幸運だなあ……一歩間違えば俺たちの軍勢が筒抜けだったんだ。助かるよ」


 気を取り直して、カイは通信端末を操作し、艦隊全体に向けて指示を伝える。

 SWSIの護衛として数隻だけを残し、残りの大半はヴェヒターの瞳へ進撃を開始するのだ。


「――全艦へ。今から所定宙域へ移動を開始する。介入制圧に注意しつつ前進!」

『了解!』


 一斉に返事が返り、ついにカイが率いる寄せ集め艦隊の進軍が始まった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「……すでに帰還予定を30分も過ぎている、か」


 防衛管制官エーリヒ・ヴォルツァー少佐は、腕時計をちらりと見やりながら、“ヴェヒターの瞳”の指揮所に流れる妙な空気を感じ取っていた。

 まだ本格的な警報こそ鳴っていないが、じわじわと張り詰める嫌な重圧が表情を曇らせている。

 

 出撃していた高速艇が、予定を過ぎても戻らない。

 さらに、星系各惑星との通信もタイムラグが増大し、もはや普通ではない。

 だのに“非常時宣言”を下さず、この要塞は沈黙したまま時間だけが経過しているのだ。


(このままでは良いはずがない。何が起きてもおかしくないというのに――)


 エーリヒは胃のあたりに鈍い痛みを抱えながら、中央卓に置かれたコンソールを睨む。

 彼の隣では司令官コンラート・フォン・クルーゲ少将が、落ち着きのない様子で司令官席に座し、書類を指先で弄んでいる。

 その奥にある急遽誂えたソファーでは、この星系の統治者クルト・フォン・シューマッハー伯爵が、けだるい姿勢で腰掛けていた。


「コンラート少将。失礼ながら、やはり正式に警戒段階を引き上げるべきではないですか。外部との通信が途絶しかけているんですよ」


 エーリヒは努めて冷静な声色を保ち、司令官へ進言する。

 要塞防衛の現場責任者として、この状況を見過ごすわけにはいかない。ほんの数十分前にも同じような提案をしたが、コンラートは渋面をつくって首を横に振った。


「大袈裟すぎる。まだ高速艇が帰還していないだけで、敵の攻撃と決まったわけではない。……他貴族星系へ援軍を仰ぐなど、以ての外だ」


 こう言うと、クルト伯爵が肩をすくめ、控えめに眼を伏せた。

 伯爵自身も何か思うところがあるのだろうが、今は司令官の判断を尊重するかのように口を挟まない。するとエーリヒは、今度こそ声を潜めて詰め寄る。


「しかし、少将。通信途絶がこれほど大規模に起こるのは珍しいかと――仮に事故ならば尚更、早めに対策を打つべきです。最悪、星系封鎖が始まっている可能性だって……」

「星系封鎖? そんな……まさか。エーリヒ少佐、君はまだ若い……それ故に焦りすぎだ」


 コンラートは苛立ちを抑えきれない様子で言い返す。

 わずか数十分に過ぎない遅れで騒ぎ立てるのは時機尚早と考えているし、貴族出身の彼としては、外へ応援を求めること自体が“恥”に等しい行為だ。

 政治的な面でも面子を潰す行為となりかねない。

 

 エーリヒは唇を噛んだが、どうにも強く言い切れない。

 伯爵が暗黙のうちにコンラートを立てる雰囲気を醸し出しているのもまた、少佐の動きを封じているからだ。

 そのとき、レーダー席のオペレーターが声を上げる。


「複数の質量反応が急速に要塞へ接近中……数……、お、およそ1000!」


 オペレーターの一人が叫ぶように報告を上げる。

 指揮卓の画面に目を落としたコンラートの顔から血の気が引き、その隣にいたエーリヒも息を呑む。


「着弾まで……1分!?」


 オペレーターがさらに声を張り上げて続ける。

 すぐにエーリヒは司令官へ、大声にならない程度に強く言った。


「司令官、これはもう疑う余地がありません! 非常時宣言を! 全隔壁の閉鎖を――」

「わ、わかった……非常時だ! すぐやれ!」


 コンラートは混乱を隠せずにエーリヒに下命する。

 わずか数分前までは考えもしなかった“攻撃”の可能性を、いきなり突きつけられたわけだ。

 クルト伯爵も眉間に皺を寄せ、腕組みをするようにしてレーダー画面を睨んだまま口を結んでいる。

 すぐさま防衛指揮所から非常時宣言が発令され、要塞各所には緊急時を告げる警報が流れ、兵士たちが慌ただしく走り回る。


「何者かによる攻撃の可能性が高い――恐らく、質量兵器の一種だ!」


 エーリヒがメインディスプレイを操作しながら声を張り上げる。

 周囲のスタッフもそれに応じてシャッター閉鎖を始めているが、何しろ時間がない。その中で彼は素早く指令を送る。


「砲台を浮上させろ! 弾幕を形成して接近物体を少しでも撃ち落とせ!」


 コンラートは驚いた様子で振り返る。


「浮遊砲台だと……あれを使うのか?」

「はい、司令官。この要塞は流体金属層に多数の砲台を潜ませています。射程距離こそ短いですが、要塞全体を覆う砲台の数は多い、これで弾幕を張って防御します。惜しむらくは、他から砲台を移動させる時間が無いことですが……」


 少し前まで渋っていたコンラートもエーリヒの案には焦燥を滲ませながら同意の頷きを返す。

 伯爵は何も言わず視線を落とし、地図を睨んでいる。

 その中でオペレーターが新たな報告を上げる。


「接近する物体の解析が完了……氷塊です!」

「な、氷塊!?」


 オペレーターの一人が報告を上げると、指揮所に息をのむ気配が走る。

 ビームや砲撃ならまだしも、氷塊を亜光速で撃ち込むなど常軌を逸した発想だ。

 一方で、エーリヒは唇を引き結び、コンラートに視線を投げかける。


「これほど大規模な質量攻撃を仕掛ける相手だとすれば、やはり侵攻であることに疑いようはありません! ……艦隊の出撃についてもご検討を」

「浮遊砲台、迎撃を開始します!」


 指示が通達されると同時に、流体金属の表面がうねるようにして砲台を浮き上がらせる。

 百数機の自動制御型ユニットが要塞を覆う流体金属から浮上し、同時に多方向へ弾幕を放ち始めた。

 

 指揮所の画面には、紫がかった閃光や火線が走る様子が映し出される。

 どうにか氷塊の一部を破砕できているらしく、光学カメラが白い破片を砕けさせる様を捉えていた。


「一部撃墜! ……ですが、数が多すぎます!」

「それでも撃つしかないだろう! 他の浮遊砲台の移動を急がせろ、手数を増やせ!」


 指揮所の誰かがそう声を荒げる中、エーリヒも檄を飛ばす。

 だが、亜光速近い速度で飛んでくる無数の氷塊に対して、短時間の弾幕だけですべてを防ぎきるのは到底無理がある。

 指揮所のモニター上で砲台の攻撃が続くものの、徐々に次々と氷塊が防御ラインを突破しはじめる。


「くっ……全部は止められない……!」


 エーリヒが呻き声をあげたその瞬間、要塞が大きく鳴動しはじめた。

 轟音と共に衝撃が床を伝わってくる。


「氷塊が砲台に衝突……破壊された模様!」


 オペレーターの報告に重なるように、別の場所からも「流体層に衝突確認!」という報告が飛び込む。

 続々と耳を刺すような通信が発生し、指揮所全体が揺れ動く感覚に包まれる。


 周囲の兵たちが其々の端末で火災状況や艦の被害を割り出している。

 コンラートは司令官席で身を震わせ、クルト伯爵は立ち上がったまま唇を引き結んだ。


 数分にも満たない衝撃のあと、指揮所が落ち着きを取り戻しかけると、エーリヒが速やかにオペレーターへ被害報告を上げさせる。


「被害報告!」

「砲台42基が破壊……修復不能です。外部にいた艦も氷塊の衝突で被害続出……救助要請が多数。要塞そのものの貫通被害はありませんが、衝撃で一部区画がパニック状態です!」


 エーリヒは思わず拳を握りしめる。

 確かに要塞自体は厚い装甲で守られているが、砲台を失ったのは大きい。

 これでは何度も同じ攻撃を受ければ守りきれないだろう。コンラートが狼狽えた声を漏らす。


「なぜだ……誰がこの星系を……こんな手段を……」


 それを聞いたエーリヒは歯を噛みしめながら、声をさらに張る。


「司令官! 砲台が一部残存しているとはいえ、同じ規模の攻撃が繰り返されれば、この要塞とてどうなるか分かりません。やはり外へ艦隊を出して、発射源を叩かなければ!」


 コンラートは目を伏せ、迷うように口を開きかけた。

 そのとき、再びオペレーターが悲鳴を上げた。


「第2波感知! ……推定500ほど!」

「クソ、早い!」


 絶句の空気が指揮所を覆い尽くす。

 浮遊砲台はすでに数十基を失っているし、移動による補充も間に合っていない。

 加えて先ほどの迎撃で、装填や角度調整に追われて完全な弾幕を張れない状態だ。

 

 結局、また氷塊の多くが砲台の攻撃を掻い潜り、同じように激しい轟音と衝撃を要塞にもたらした。

 短い間隔で連続攻撃をされた結果、外部の艦は更なる被害を受け、それを救出しようと発艦した艦艇も破損するという連鎖的な二次被害が相次ぐ。


 騒々しいアラートの群れが鳴り止まない中、コンラートが椅子から立ち上がり、無い髪を搔きむしるようにして叫んだ。


「ええい! 艦隊の出撃を許可する! この攻撃を止めろ!」

「了解! 直ちに出撃させます」


 エーリヒが答える声に苛立ちと焦りが混ざる。

 司令官が踏ん切りをつけたのは幸いだが、時既に遅しという感は拭えない。たった1時間足らずの間に被害を許し、砲台も一部破壊されてしまったのだから。

 要塞内外で、パニック状態に陥ったままの人々がいる。

 混乱を制御するだけでも大変だが、氷塊発射源へ駐留艦隊を送って止めない限り、被害はさらに広がるのは明白だ。


 そうしてエーリヒが駐留艦隊の出撃命令を出そうと動き出した矢先――これまで黙していたクルト伯爵が、じっと冷えた目でモニターを見つめながら立ち上がった。

 先ほどまで淡々としていたのが嘘のように、背筋には揺るぎない意志を感じさせる。


「……私も行こう」


 クルト伯爵が出撃の意思を示す。それは、コンラートやエーリヒにとってある意味で想定外の決断だった。

 すぐさまコンラートが止めようと声を上げるが、伯爵は首を振る。


「か、閣下!? 危険です、どうか御身はここに……」

「引き下がれ、コンラート少将。旗艦ヴェヒターシルトと共に、私も出撃する!」


 クルト・フォン・シューマッハー伯爵の声は、冷えきった氷のように低い。

 しかし、その眼差しには煮えたぎる憤怒がありありと宿っていた。

 祖父の代から続いてきた“不敗神話”を、自分の代に崩されたわけにはいかない。知らぬ者の卑劣な襲撃ゆえに、わずかな時間でこの要塞がここまで追い詰められた屈辱――それを許容するなど、到底できはしない。


「我が伯爵家に泥を塗った者の顔を見ずに済ませるわけにはいかん。だからこそ私が行く。留まって取り繕うほど、私は弱腰でもなければ、名を汚されて黙っていられるほど柔ではない」


 伯爵は凛とした足取りで指揮所を後にし、扉が閉じる。

 コンラートは肩を落として舌打ちするように俯いたが、止められぬ以上、できるのは伯爵の無事を祈りつつ要塞を守ることだけだ。


 伝説的な“無敗”を自らの代で失いかけた怒りが、伯爵を陣頭指揮へと駆り立てる。

 彼の激情は敵の正体さえわからぬまま、旗艦を率いて出撃するという結末を呼び寄せた。


 こうしてクルト・フォン・シューマッハー伯爵は、砲台の残骸が浮かぶ要塞を背に、祖父の代から紡がれてきた誇りを守るため、自ら最前線へ赴く。

 数十分足らずで崩れ去った“不敗神話”を、新たな伝説で塗り替えるには、星系統治者自らが敵と相対し、その首を討ち取る以外に道は残されていなかったのだ。

 ――それこそが、煮えたぎる怒りを胸に宿したクルト伯爵の、揺るぎなき覚悟であった。

今週末は出張のため、投稿が遅れるかもしれません。

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