8-17
惑星シューマリオン――それは青い海と緑豊かな大地に恵まれた、美しい地球類似型惑星であり、シューマッハー伯爵星系の首都星でもある。
その名はノイシュテルン星域内でも比較的知られたものであり、軍需品の生産や研究を基盤産業とするこの星系の中心地でもある。
軍属との関係が深いこの星系において、シューマリオンは単なる首都星以上の意味を持っていた。
人口はおよそ1000万人。
その殆どがクルト伯爵の統治する首都に住み、星系の経済活動や軍事研究の中心を担っている。しかし、この星のすべてが公的な地図に記されているわけではない。
公的な地図には何も記されていない、荒涼とした大地の一角。そこに大地を穿つようにして築かれた軍事基地がある。
そこに隠された軍事施設があることを知る者は、ごく限られた存在にすぎない。
――アーセナル・ベース。
それが、この軍事施設に与えられた名称だ。
公には存在しないとされるこの施設は、完全無人化を目指した実証実験基地であり、そのほぼすべてが自律型の警戒ドローン、警備ボット、そして戦闘用アサルトドロイドによって制御されている。
人間の関与は最小限に抑えられ、実際にここに駐在する指揮官クラスの人間はごく少数となっている。
通常の軍事基地とは異なり、ここでは人間の兵士の代わりに機械の兵士たちが駐屯していた。
帝国軍が次の戦いに備えて、シューマッハー伯爵家の肝いりで進められた“無人戦争構想”。その最前線に位置するのが、このアーセナル・ベースだった。
しかし、それはあくまで表向きの理由であり、この基地に人間を配置しない都合の良い言い訳だ。
この基地が持つ真の役割は、「ドッペルゲンガー計画」の中核となる研究開発施設であることだった。
地下区画には広大な空間が存在し、その存在を知る者はごく限られている。
半ば暗幕さながらの通路を抜けると、やがて巨大な空洞を埋め尽くすように並べられた円柱型の容器群が視界に飛び込んでくる。
その数は優に数百を超え、どれもが緑がかった怪しげな光を放っていた。
だが、その中央付近に鎮座する一際大きな円柱型の容器は、他のものとは明らかに異なっていた。
透き通る強化ガラスの内側には、他と同じエメラルドグリーンの液体が満たされている。
しかし、その中に封じられた存在は、他のものとは一線を画していた。
容器の台座には、一つの宝石が厳重な防護機構のもとで格納されている。
それは手のひらほどの大きさを持つ、紫色の輝きを放つ結晶――エクリプス・オパール。
その内側では微細な光が渦を巻き、容器全体にエネルギーを供給していた。
この結晶こそが、液体の中に眠る存在を維持する唯一無二のエネルギー源であり、この施設の根幹を支える鍵だった。
その中にいるのは、一人の少女だった。
銀色の長髪を揺蕩わせ、静寂の中で眠るその姿は、まるで時の流れから切り離されたかのようだった。
細く整った鼻梁、長い睫毛、わずかに開きそうな唇。
まだ十代にも満たないかのような幼さと、造形美ともいえる完璧な肢体。その姿は静止した人形にも見える。
ところが、ポッドの外装を走る制御モニターを覗き込めば、その内部が単なる“人工物”をはるかに超える精巧な有機体であることが読み取れた。
そのポッドを見つめる男が二人、側に立っている。
一人は古めかしい仕立てのスーツを完璧に着こなし、普段ならば自信たっぷりに口角を吊り上げているであろう元帝国特別情報局局長、ブルーノ・ラング。
だが今は、微かな不安を押し殺すように、やけに静かな表情でポッド内を覗き込んでいた。
もう一人は白衣を纏い、制御パネルのデータ群に神経を研ぎ澄ませている科学者然とした男――ウィン・アサミ。
黒髪に黒瞳、背は然程高くなく中肉中背。強い光を放つ研究モニターを凝視するその瞳は、まるで計測値の奥底に隠された真実を探し求めるかのように鋭い。
基地奥で響くわずかな機械音のなか、ウィンがそっと息を吸い込み、小さく声を上げた。
「……生育状況はやや誤差がある。現在の肉体年齢は13歳だが、想定よりも20%ほど発育が悪い。しかし、それ以外は正常値を示している。ESP適応値も安定。肉体面での崩壊徴候もゼロ」
「つまり、それはどうなんだ……?」
「……全く問題ないってことだ」
ウィンがそう呟くと、ラングは息を止めていたかのようにパネルから顔を上げ、口元をゆるめる。
「やっと……やっとここまで来たんだな」
ラングは歓喜に打ち震えながらも、雪辱の日々を思い返す。
苦労して上り詰めた局長の座を簡単に奪われ、全ての責任を押し付けられ戦争犯罪者に仕立て上げられたあの日。ラングは帝国に復讐を誓った。
それがついに結実する時がやってきた。
ラングはこの暗い地下で研究を進めてきた。
第2世代バイオロイドと、それをベースにしたセイレーン開発。さらにエクリプス・オパールを得て第3世代を生み出そうとする試み――しかし、真の目標はそこでは終わらない。
ウィンの協力により、ラングは更なる高みへと踏み込むことを決意していたのだ。
中央のポッドで眠る少女こそが、頂へと至る鍵。“第4世代型バイオロイド”――連邦と帝国の技術融合によって生まれた究極の新世代。
その性能は“新人類のプラットフォーム”とも呼ぶべきもので、理論上、老化現象が起こらないため寿命が存在しない。
身体性能は第3世代型よりも劣るものの、それでもなお人類を遥かに凌駕する性能を秘めている。
そして、特別情報局が夥しい量の犠牲者を生んで確立した脳転写技術用に調整済みの“ESP適用型人工培養脳”を搭載している点が最大の特徴だ。
これは副次的な効果として、強力なESP能力も持ち合わせている。
「信じられるか、ウィン。これは一見すれば人形のようだが、その実、眠れる神のような力を秘めている……」
ラングがポッドを見つめる横顔に、不気味な光が宿る。
連邦と帝国の技術をかき集め、自分の野望を成就させる“器”を得たのだ。
この帝国で唯一無二の絶対権力――皇帝の座を彼自身が手に入れるため、バイオロイド化した身体に自分を転写し、神聖修道院の選定すら乗り越えてみせる。
十分に浸透させた複製体たちと共に帝国の実権を名実ともに完全掌握する。
ドッペルゲンガー計画の最終段階として、ラングは長年この瞬間を待ち望んでいた。
その成果が、いま自分の足下で結実しているのだから、彼の瞳から喜びがこぼれるのも無理はない。
やがてその感情が高まり、口の端から笑い声が漏れ出してきた。
「うふ……はは、ははは……! ふははははっ……! そうだ、これこそ俺が欲しかったモノだ……!」
「ラング、あまり動揺を与えないでくれ。ESP保有個体は人の感情を拾う可能性が高い。この段階でも余計な刺激を与えれば、何が起こるか……」
「わかってるさ。だが、笑わずにいられるか? お前だって、この成果は待ち望んでいた……そうだろう?」
ウィンは相変わらず高笑いを続けるラングを他所にして、パネルへと再び視線を戻す。
硬質な電子音が、少女を満たす液体の制御モジュールから小刻みに鳴っている。
幸いにも少女の眠りは深く、計器が異変を検知している様子はなかった。
(待ち望んでいた……確かにそうだ。そのために……俺は、全てを捨てた……もう後戻りはできない)
ウィンは心中でだけそう呟くと、コンソールパネルを素早く扱った。
すると、それまで薄暗く光を放つ無数のプラントが、一転して鮮やかな光を放ち一斉に輝いた。
「第4世代は安定した。これで、オパールの持つ全ての出力を第3世代の量産ラインに回せる……いよいよ本格稼働だ。アデーレ型セイレーンの量産含めて、ドッペルゲンガー計画はいよいよ始動だな」
ラングが満足げにうなずくと、ウィンは小さく溜息をつく。
「ここまでは順調だが、問題は最終ステップ――お前自身の脳を、いつ第4世代バイオロイドに転写するかだ。転写自体は可能性が高まったとはいえ、万が一失敗すれば……」
「失敗? いいや、しない。ESP適用型人工培養脳……これは特別情報局が失敗を繰り返しながらもたどり着いた一つの答えだ。すでに俺が所有するデータでは、93.7%の成功率と出ている。お前が齎した連邦式の肉体増強プログラムとの適合率だって想定内。これほど盤石な組み合わせはない」
ラングは自信たっぷりに言うが、ウィンはどこか釈然としない面持ちでパネルを見据えたままだ。
「……プラント稼働率は92%を突破。第3世代型の製造ラインは数日もすれば第1ロット、300体の製造が完了する。……そのうち、使えるのは1体居れば良いくらいだが」
「結構だ、不安定な個体はセイレーンのように変態共にくれてやればいい。一ヶ月程度で自己崩壊するが、使い道はあるだろうよ。……帝国内の要人たちを挿げ替えるためには大量の複製体が必要だ。例え確率が低くとも安定稼働する第3世代を入手できるためなら、何度でも繰り返し製造すればいい」
ウィンは無数に煌めくコンソールのインジケーターを視線で追いながら、脳裏に過ぎる研究の遍歴を思い返していた。
かつて連邦に身を置いていた頃、彼はゼノス文明の遺跡を利用したバイオロイド開発プロジェクトに深く携わっていた。
それは第3世代型バイオロイドを安定して生み出す、まさに人類史を変革し得る最先端技術だった。
ただし、当時は莫大なコストと遺跡の稼働条件という厳しい制約があり、得られる成果は極めて限られていた。
――結果的に連邦が製造できた安定個体は72体のみ。そして、一体当たりのコストは駆逐艦に匹敵する約100億クレジット。
あまりにも高価かつ非効率的な代物だった。
それでも、遺跡が持つ先史時代の高度な技術を使えば、自己崩壊のリスクはほぼ確実に抑えられる。
今思えば、あれこそが“理想的な第3世代”を完成させる唯一の道だったのだろう。
一方で、ここアーセナル・ベースには、そんなゼノス遺跡など存在しない。
シューマリオンの地下に整備された無数のプラントは、あくまで帝国の技術とウィンが持ち込んだ連邦式ノウハウで組み上げられたものに過ぎない。
数百基に及ぶ製造ポッドが、わずか一週間という短期間で第3世代型を誕生させる能力を有しているのは事実だが、その品質は連邦のように安定してはいない。
ラングの言う「使える個体」は、あくまで数にモノを言わせる“賭け”の産物だ。
プラントは一度に300体を製造するが、そのうち大半は数週間――長くとも一ヶ月ほどで肉塊へと崩れ落ちてしまう。
身体組織の突然変異や因果的崩壊が起こり、自己崩壊という悲惨な結末を迎えるのだ。
一方で、僅かな確率で発生する安定個体は正常に機能し、そのまま第3世代型として行動可能になる。
たとえ数%にも満たぬ安定個体が得られれば、ラングにとって十分なのだ。
帝国人らしく質より量という発想で、とにかく大量に生産し、当たりとなる個体を引き続ければいい。
そうして数を揃えた暁には、要人たちを入れ替え、ドッペルゲンガー計画を推進する“駒”が手に入る。
「……大勢の崩壊死には目を瞑るか。まったく、度し難い悪党だな、俺たちは……」
ウィンは小さく苦笑しつつ、パネル上に並ぶエラーフラグを消去していく。
すでに稼働したプラントのうち、初期状態の発生すらままならずに死滅した個体が数十体――そんな報告が上がっていた。
通常ならその事実に研究者として胸を痛めるところだが、いまの彼に選択肢はない。ラングとの取り決めがすべてを縛っている。
「どうした、ウィン?」
低い声で問いかけるラングは、相変わらず目を輝かせながら中央の第4世代ポッドを見つめている。
ウィンは一瞬、答えに詰まるように押し黙るも、頭を左右に振って忘却に努める。
「いや、何でもない。……すべては想定内だ」
ウィンは作業パネルへ向き直り、リストに並ぶ「初期発生失敗」の文字列を淡々と処理していく。
自己崩壊した個体のポッドは廃棄すべく指令を出し、新たに培養環境を整えさせる段取りを作業ボットへ割り振る。
一瞬、こうして命を扱うことがどれほど虚しいかと感じかけたが、今の彼に迷っている時間はない。
その背後で、ラングが小さく鼻を鳴らした気配がする。
「ふむ……順調に進んでいるようだな」
わざとらしい調子で言葉を落とし、手のひらでポッドの冷たい外装を撫でる彼の姿は、まるで独り舞台を楽しんでいるようだった。
ここでは無数のバイオロイドが生まれ、そして何の救いもなく肉塊へと変わっていく。その事実さえも、彼にとっては単なる数字に過ぎないのだ。
やがて、ラングが静かに振り返る。
「そうだ、さっきのお前の問い……“いつ第4世代に転写するか”って話だったな。確かにリスクがゼロではない。脳転写に失敗すれば、新しい肉体も元の肉体も両方失われる。それならば、本当に問題はないか事前に試せばいいという結論に至った。……分かるな?」
ウィンはその言葉を聞いて操作する手を止め、顔をわずかに上げる。
「事前試験……?」
第4世代用ポッドは現状たった1基しか存在しない。
しかも、調整には莫大なコストと手間が掛かった。そんな貴重な試作品に脳転写を“試し撃ち”できる余裕などあるのだろうか。
「事前試験には当然、相応しい人間が必要だ……特別な人間だ」
言い終わるより早く、ウィンは首筋にちくりとした痛みを感じた。
反射的に振り返ろうとするが、そこには注射器を携えたラングの姿があり、何かが血液に流れ込む嫌な感覚が残る。
「ぐっ……!」
全身がじわりと重くなり、視界がぐらりと傾く。
警告を発するより先に、脚の力が抜け、指先も意思を失っていく。
微かな残響音のなかで、ラングの冷徹な声が耳朶を打った。
「実験体にはお前がちょうどいい。第4世代は一体しかないし、高価な代物だ。いきなり自分の脳を移すわけにもいかん。かと言って誰でも良いわけではない。……製作者である貴様が成功例となってみせろ。失敗したら、まあそれまでの話だがね」
ウィンは朦朧とする頭で何かを叫ぼうとするものの、声が出ない。
溺れるように宙を掻く腕は、やがて机の縁を滑り落ちる。
――裏切られたのか……いや、最初からこうなる運命だったのか……。
薄れゆく意識の狭間で、彼はラングの下卑た笑みを見た。
まるで成功を確信したかのような、底意地の悪い愉悦がそこにはあった。
――失敗しても構わない、そういうことか。
頭の片隅に、その冷めきった結論だけがぼんやりと残り、次の瞬間、意識は暗転した。
ラングは意識を失ったウィンの身体を横たえ、注射器を丁寧に片付ける。
遠くで轟音をあげるプラント群の稼働が、アーセナル・ベースの地下空間を震わせていた。
自己崩壊する量産バイオロイド、そして“試験体”として選ばれたウィン……すべてはラングの掌の上にある。
ほの暗い地下室の空気を切り裂くように、彼の高笑いがこだまする。
「さあ、ドッペルゲンガー計画は仕上げに入るぞ。皇帝の座は、もう手の届くところにある……!」
微細な紫光を放つエクリプス・オパールが、目覚めぬ少女を包む液体をかすかに揺らした。
塵芥のように散っていく数多のバイオロイドと、運命を翻弄される者たちの悲鳴は、鼓動を刻む管制音にかき消されていく。
そして、誰も立ち入らぬ深みで眠る少女のまぶたは、まだ固く閉じられたまま。
やがてこの場が再び静寂へ沈む頃、アーセナル・ベースは次の“誕生”に向け、狂気の歯車を休むことなく回し続けていた。