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清澄の旅路  作者: ま行
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十話

 藤吾の父親は、およそ愛情深い何かを藤吾にしてやる事がほとんどなかった。酒を飲めば暴力を振るうし、ギャンブルの負けが込めば苛立ちを罵声にして浴びせた。

 しかし不思議なことに、藤吾を学校に通わせる事だけにはこだわった。理由はついぞ分からなかったが、親として譲れない一線だったのかも知れない。

 父親は各種支払いを期日前に用意できたことがなく、ここでも藤吾は金に追われていた。やりくりが上手になり始めて余裕ができたと思えば、足りない事態に陥る。そんな理由もあって集金がある時等は肩身が狭かったが、学校では友人もできたし、高校を出ることもできた。

 藤吾が心残りに思っているのは、金を無心するために無茶を言われ、苦労や迷惑をかけ通しだった人達の事だ。藤吾に何かできた事はなかったが、父はあの手この手を使って無理を通してきた。何があったか知る由もないが、凶暴な性格を知る藤吾には悪い想像しか思いつかなかった。


「父はちぐはぐな人でした」

 話し終えた藤吾がポツリと呟く。

「私も、何となく同じこと思った」

「父がい、生きていた時は、そ、そんなこと思ったこともありませんでした。こ、こうして思い出を辿ると見つかることもあるんですね」

 琥珀は頷いて同意する。

 二人は夜空を見上げる。夏の夜空から秋の夜空へ、季節は移ろい景観にも変化の兆しを感じさせる。

「ちょっと寒くなってきたね」

 夜の空気はもう肌寒い、時間は確実に進んでいると藤吾は思った。

「か、風邪ひかないようにしないとですね」

「藤吾さんが風邪ひいたら私が看病してあげる」

 琥珀は鼻をふんと鳴らして自慢げに言う。

「こ、琥珀さんはた、頼もしいですね」

 ニカッと笑う琥珀を見て、藤吾は確かめたかった事が確信に変わった。

 藤吾は琥珀の事を愛している。

 輝くような笑顔も、どんな時にも元気をくれる天真爛漫さも、琥珀がくれたすべての時間が藤吾の心に愛を刻む。

 この気持ちを確かめたかった筈なのに、心の内は、恐怖と焦りで暗くて重い影がかかっていた。それは琥珀達から離れるという、いつか訪れるその時が恐ろしくて仕方ないからだ。決心も今は鈍り、浮つく心は地面を見失う。

「藤吾さんどうしたの?」

 黙りこくる藤吾に琥珀は声をかける。その声にびくりと背中を震わせて藤吾は我に返る。

「い、いえ、ちょっとぼけっとしてしまって」

「大丈夫?顔色も少し悪いよ?ホントに風邪ひいた?」

 琥珀は藤吾の額に手を伸ばす。それを避けるように藤吾は勢いよく立ち上がった。

「だ、だ、大丈夫です!もう休みましょう!」

 それだけ言って藤吾は足早に部屋へと戻った。あのまま触れられていたらどうなっていただろうか、破裂しそうな心臓と熱くなる体、そのあとすぐに襲い掛かる恐怖心に感情は乱れ、その日藤吾は目を閉じても眠ることが出来なかった。


 琥珀は部屋へ戻る藤吾を見届けると、自分も部屋へと戻る。

「藤吾さん大丈夫かな」

 横になって天井を見つめ呟く、平気そうに見えたが、藤吾の我慢してしまう性格は、過ごした時間と辿った記憶で琥珀はよく理解していた。本当に体調を壊しても、心配をかけないように立ち振る舞うだろうし、出来る限り自分の力でなんとかしようとするだろうと琥珀は思っていた。

「私は何か力になれてるかな」

 琥珀は自問する。出会った時の藤吾より今の方が明るいように見えた。しかしボロボロに傷ついて壊れかけていた心がそう簡単に癒えるとは思えない、見えない無理をしているかもと琥珀は不安だった。

 秘密の場所で出会った時「産まれないほうがよかったのか」と泣いていた。狭いコミュニティで見かけた事もない人に、最初は不信感を抱いた。このまま見なかったことにして立ち去ろうとも考えたが、あの場所で泣く姿が、自分の姿と重なるように見えた。琥珀はそれを無視することはできない。

 声をかけると、藤吾は見るからに慌てていて、声も出せなくて、絞り出すように書いた言葉が『死にに来ました』だった。

 何とかしてあげたい、何か力になりたい、琥珀はそう思った。老田に命を繋いでもらったあの場所に、風前の灯の命がある。運命を感じずにはいられなかった。藤吾が泣き止むまで琥珀はそばに居続けた。声は出ていないのに背中をさすっていると、悲痛な叫び声が聞こえるような気がした。

 琥珀は藤吾を老田の元へ連れていこうと思った。どうしても放っておけないのに、自分にはどうにかする力はない、しかし秘密の場所で出会った訳ありの人を、琥珀が連れてきたなら老田にはそれだけですべて分かると確信していた。

 老田は藤吾を家に迎え入れてくれた。次は自分が藤吾の心を救う番だと思った。必死になって考えた。心を癒すにはどうすればいいか、中々いい方法が思いつかない、本を読み、インターネットで情報を探し、アイデアをノートに書き留めた。それでもこれだと思う物は見つからなかった。心の傷はデリケートで、下手に触れば脆く崩れ去ってしまう事を琥珀はよく知っている。

 悩んで夜空を眺めていたら藤吾に見つかってしまった。そして老田家へ連れてきた理由を問われてしまった。琥珀はまだそれに答えられない。どうしたらいいのか考えて、琥珀自身の事を語るのはどうかと思いついた。

 それが心の癒しになるとは思わない、それでも自分の思い出を「どう救われた」かを伝えれば、何かヒントが見つかるかもしれない、そして藤吾の事を知りたい、人となりを知る事が出来れば糸口がつかめるかもしれない、さらに琥珀は藤吾の事が気になっていた。死にたくなるほど傷ついてまで優しいのは何故、一緒に居るだけで暖かな気持ちになるのは何故、お互いを辿り合えば見つかると思った。

 しかし伝えてから琥珀は怖くなった。自分の過去を伝えることも晒すことも、おかしいと思われたら嫌だ、もし傷口を広げることになったらどうする。そんな思いから藤吾を不安にさせてしまった事を琥珀は後悔していた。

 だけど覚悟を決めてお互いを語り合うと、琥珀の世界は大きく変わった。今まで自分から語ることのなかった過去をめぐると、胸の奥を熱くさせる不思議な気持ちが溢れた。藤吾はそれを真剣に、そして大切に聞いてくれた。そしてまた藤吾の過去に触れて、泣いて笑って、藤吾を救うつもりが、いつの間にか琥珀は自分の心を救ってもらっていた。

 藤吾の助けになりたい、悲しみを癒すそんな存在になってあげたい、琥珀の心の中はそんな気持ちで一杯になった。

 琥珀は藤吾の事を愛している。

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