そして二人は永遠に
「で、どうしたの?」
「ふへ?」
唐突にそう問われ間抜けな声が出た。その瞬間、今まさに口に運ぼうとしていた本日の日替わりランチAトマトソースパスタが無様に落下した。ベチャッと辺りにソースが飛び散ってしまった。ああ、今日は黒のトップス着てて良かった……。
「やっと年度末ラッシュが終わったというのにそんなにドヨドヨしてたらそりゃ理由を聞いてみたくもなるでしょ」
「そ、そんなに……?」
「今日は特にひどい。うーむ、仕事でミスしたとかないのであればここは色恋沙汰ですな? 彼氏とうまくいってるんじゃないの?」
彼女は部署は違うが、同じフロアで他に年が近い社員がいないこともあり、こうしてでランチしたり飲みに行ったりする仲だ。あの合コンも彼女が声をかけてくれたものだから、当然のごとくレイのことも知っている。
「……あのさ、相手の思いもよらない一面を知ったらどうする?」
「えっ、すごい借金あるとか性癖がやばいとか?! 寡黙で真面目そうに見えたけど人は見かけによらないんだねー」
「いっ、いやそっち方面じゃないよ。なんていうか価値観の違いってやつが思った以上にでかかったというか……」
価値観どころじゃなく生物学的に全く違う地球外生命体だったとは言えない。が、レイの名誉のためにも借金と性癖ではないことは否定しておかねばなるまい。
「うーん、価値観の違いはでかいよねえ。性格の不一致と合わせて離婚原因のナンバーワンでしょ?」
「やっぱそうか……、そうだよね。価値観の違いってやつはなかなか難しいもんだね、ハハ……」
この間よぎってしまったこのモヤモヤをレイの前でうまく誤魔化せそうになかった。だから気持ちが落ち着いてから連絡をと思ってはいた。思ってはいたけど、年度末の繁盛期で忙殺されているうちにレイから先に連絡がきてしまったのだ。
……いや、本当は忙しいのを理由に先延ばしにしていただけ。先延ばしにしたところでいつまでも回避し続けることはできないのは分かっていたのに。ハハ、と乾いた笑いが情けなく口をついて出る。
「重症ですなー、こりゃ。そんなに難しく考えすぎずにもっとシンプルにいきなよ。考えて出せる結論でもないんだから本能に従うんだよ! 例えばふとした仕草がやたら目について苛つくとか手繋ぎたくないとかは序の口で一番分かりやすいのはキスとエッチだよね。生理的に受け入れられないヤツの唾液とか体の一部を取り込むとか本能的に拒否するでしょ! 受け入れられないならもう気持ちはない確定。当然価値観の違いなんて乗り越えられないでしょ」
「おお、なんて生々しい……」
「まあ、これは最終手段だね。まずはちゃんと顔を見てしっかり話しておいでよ。フラットな気持ちでさ!」
そう言って彼女は本日の日替わりランチBミラノ風カツレツを口に放り込んだ。ああ……、私もそっちにすれば良かった。肉パワーでちょっとは景気づけになったかもしれない……。
待ち合わせ場所で壁に背を預け、近寄りがたい雰囲気を醸し出しつつ腕を組む姿……、ドキドキポイント星五つ。
待ち合わせ場所に着いた私を見つけてフッと緩まったその表情……、ドキドキポイント星五つ。
さり気なく合わせてくれる歩くスピード……、ドキドキポイント星五つ。
低いけどよく通る少しハスキーな声と私の話を聞き逃すまいとしてくれてるかのようにやや傾けられたその姿勢……、ドキドキポイント星五つ。
なんということでしょう。アドバイス通りにフラットに検証した結果、満場一致で私がレイが好きだということは間違いなしではありませんか。
満開に咲き誇る桜はライトアップされ闇夜を淡く薄ピンクに染めている。それはまるで色鮮やかな雲海のようで、そこから光の柱のごとく空へ伸びるタワーと相まって幻想的な風景が広がる。
その中で、少しの隙間を開けて並んだ私達はお互いに何も言わずに桜を眺めていた。
付き合って初めてのデートでここに来た。まだ桜は咲き始めだったから、少し早かったねと二人で笑って来年は満開の時に、と約束した。
レイが地球を離れたら、よくある映画みたいに私の記憶はなくなるのかもしれない。この花びらのように一枚一枚ハラハラと儚く散って、ある日、何もなかったかのようになるのか。それとも春の嵐の様に一気に舞い散ってしまうのだろうか。嫌だなあ……、レイとの思い出だけでもこのまま覚えていたい。
桜を題材にした映画はどこか物悲しいお話が多いような気がする。この刹那的な美しさと夢から覚めるように潔くも幻想的に散っていく様が人を感傷的にさせるせいなのかもしれない。
「なあ……、連絡くれなかった理由は忙しかったからだけじゃないよな?」
隙間を保ったままにそう問うレイは、覚悟すら浮かぶ揺るぎない真っ直ぐな視線で私を射抜く。その姿は桜吹雪と相まってさながら討ち入り前の侍のようだ。私はレイの視線から逃れるように、そこかしこに降り積もる花びらをただじっと眺めていた。
「もう思い出巡りはいいかなあ〜、と思って」
そう切り出して見上げた先には、不可解だと言わんばかりに眉根にシワをよせるレイがいる。
私達地球人と見紛うその姿、形。それに加えて違和感なくコミュニケーションも取れ、同じように喜怒哀楽の感情を持っている地球外生命体。
でも……、そう見せているだけでそれが全て擬態だったとしたら? 本当に髪と目の色が違うだけなの? 今浮かべているその表情はホンモノ……? こういうときはこういう表情がふさわしいと、これもシミュレーション通りにしているだけだったら……?
ああ……、花開いてしまったこの猜疑心も桜のように奇麗に散ってしまえばいいのに。
「最初はね、いきなり地球外生命体ですとか言われるし地球の未来かかってます的なこと言われて、もうあまりの非日常に大混乱だったよ。とにかく何かしなきゃ、レイに思い直してもらわなきゃって必死で、ああ提案したんだ。だけど、よくよくね、よくよく考えてみたら評議会にはレイ以外にもいるんでしょう? それに、そんな重大な決定をこんなことでするわけないし。だったらもういいかなって思うんだ」
何か、言って欲しい。でも期待していない答えなら聞きたくない。だから、そのまま話を続けた。
「私ね、レイに出会って付き合えるようになって本当に嬉しかった。この一年たくさん色々な所に行くのも楽しかったし、部屋でダラダラお喋りしながらくっついてたりするだけでも楽しかった。あんまり楽しすぎてたまに夢じゃないかって思うくらい幸せだった。
でも、ネタばらしをされてそれは作為的に作られた出会いでしかなかったんだって、出会ってからもそうで、一緒にいる理由も報告書作成のため。そう思ったらあんなに幸せだった思い出が悲しくなって……。そんなのはもう嫌だよ
レイからみたらちっぽけな星のちっぽけな観察対象ですぐに忘れるのだとしても、私はずっと幸せだったまま覚えていたい。だからね……、これ以上現実で上書きしたくないんだよ」
そうか、私はレイが得体の知れない地球外生命体だというのだけが怖いのではなかったのか。
それよりも怖かったのは、私の好きになった『玲』などどこにも存在していなかったのだと、それを真実として突き付けられることだった。嘘だと知らなければそれが私にとっての真実で、幸せで楽しかった思い出のままに終わらせることができる。
『玲』との思い出はもう何一つ失いたくなかった。
途中から抑えきれない感情と共に溢れ出てきた鼻水と涙で顔はひどいことになっているのだろう。エグエグと涙混じりに話す私をレイはじっと見ていた。
「俺と離れたくないと思ってくれないかなとか、気持ちの再確認とかを期待してたんだが……。うまくいかないもんだ。いや、ミオの想像力からすると想定してしかるべきだったのか? 雰囲気でなし崩し的にとかじゃなく、変に格好つけずに説得にあたるべきだったのか……」
はぁ、と深いため息をつくと独り言のように呟く。何やら彼は彼で思惑があったらしいがこっちには全く話が見えてこない。はあぁ、とさっきよりも深いため息を吐き出すと、観念したように天をあおぐ。
「変に誤解させるんじゃないかと思って言いたくなかったんだが……。あの時の出会いの場が意図的だったというのは事実だ。そしてミオを選んだのも意図的だ。ただ、無作為抽出でもなく標準的だからでもなくて、俺の好みに一番マッチしたからだ。あと俺との相性も加味されている」
「好み……? 相性……?」
覚悟していた内容とはかけ離れた突拍子もない話に唖然とする。というか、突拍子がなさすぎて涙が一気に引っ込んだ。好みとか相性とか何の関係が?? 頭がハテナマークだらけだ。
「俺としては生涯の伴侶が見つからないことなど、どうでも良かったんだ。なのに、おせっかいなヤツがいてな。俺の好みで相性ピッタリの子がこの惑星にいるからって無理矢理に赴任させやがったんだ。とりあえず一年。その先どうするかは俺の意思で決めていいってことで一旦は従った。正直、ピッタリとか言ってもあくまで条件マッチしたってだけでそんなにうまいこといくかって思っていたしな。
最初の飲み会はこれもあまり言いたくなかったが会話シミュレーションを使った。でもこの惑星に来た当日にぶっつけで合コンだぞ? しかも、実際に会ってみれば外見は好みだし話してみた感じも好みときたら誰だって出会いから失敗したくないと思うだろ?
その後はシミュレーションになんて頼ってないからな? 告白だって色々勉強して俺なりにがんばって考えたんだ。反応薄くて死ぬほど焦ったけど」
苦笑混じりの顔のまま、ぐるりと桜を見渡す。
「この風景がミオの名前を表すんだと思えば、まあ興味深くはある。そうでなければ俺にはただ花が散っているとしか思えないんだ、満開であろうとなかろうとな。地球人の作る映画もそうだ。その豊かな想像力に関心はするが共感することはない。そういうものとしか思わない。そんな風に、俺はこの星の常識ってやつにそぐわないし、美桜に理解されないこともたくさんあると思う。でも、地球外生命体にだって好きな人を大事に思う心があるのは同じだってことは信じて欲しい」
どこかすがるように、何かの許しを請うように。レイはためらいがちに私の腕をとると、自分に向き合うよう引き寄せた。
いつもは真っ直ぐな眼差しがユラリと不安気に揺らいでいる。それを私から隠すかのように、更に引き寄せられ、寸分の隙間も許さないといわんばかりにぎゅうっと抱きしめられる。
「美桜が望むなら自己満足の決め事も付き合う。興味あるなら俺たちのコロニーに住んでもいいし、美桜が望むならずっと地球にいてもいいし。だから俺と結婚しよう?」
レイの暖かさと服越しに聞こえる少しだけ早い鼓動の音が、地球外生命体と人間という異種族でもレイとなら大丈夫だと後押しをしてくれるように思えた。
「うん……。こちらこそよろしくね」
「会えないし電話もないしもうだめだと思ってたんだ。ああ、良かった……。俺のこと受け入れてくれて」
レイは、心底ホッとした様子で私の首元に顔をうずめた。大きな体を丸めてそうしている姿がちょっとだけ可愛くて髪の毛に手をやりそっと撫でてみる。
「生殖に繫がらない愛を確かめ合うためだけの行為でも美桜とするのは気持ちいいんだけど……。俺としてはそろそろ生殖を目的にしたいわけだ。そうすると地球人はまず結婚とやらをしないといけないのだろう? それにずっと一緒にいるとなると諸々隠しておくのも難しいことも出てくるから、受け入れてくれて本当に嬉しいよ」
思わず髪を撫でる手が止まる。諸々隠しておかないといけないことって……。何か黒い本音も混じってるけど……。いや、これ絶対聞いちゃあかんヤツ!
「今回の評議会は銀河支部としての報告と、個別事案として俺自身が任期満了でこの惑星を離れるか任務継続するかを伝えるだけだ。まあ、今の所この惑星の住人をせん滅する理由なんて何もないから大丈夫だ。ただ、長期的に見ると多少環境汚染と核兵器が気になってはいる。せっかくの居住可能惑星の保護観点でいえばこの問題の状況によっては、未来永劫に我々が介入しないとは言えないな……。ああ、安心していいよ。美桜が側にいてくれる間は悲しませるようなことはしないから」
戦々恐々とおののく私をよそに更に物騒なことを続けたレイは、私の大好きな笑顔でふっと微笑みかけてくる。しかしその目は明らかに人外のそれ。腕輪はずしてないのにそんなん出るんですかー、レイの完全体ってどんなんですかーなんて一瞬現実逃避してるうちに、いつもの薄茶色に戻っていた。
もしかして私は早まったことをしてしまったのではなかろうか……?
ここは美しい桜吹雪の中、そっと寄り添ってハッピーエンドの流れではないの?! こんな映画ばりのベタなバッドエンドは微塵もお呼びじゃないよ……。
「安心したら腹減ったな。美桜は? 何か食べに行く?」
そんな私の心の叫びに気づいているのかいないのか。さっきのやばい発言も目も、何事もなかったかのようなレイがそこにいた。
……今日はもう深く考えるのはやめとこう。と、いうか考えてももう無駄な気がする。とりあえずビールの美味しいお店に連れて行ってあげようかな……。
後日談的 番外編で完結予定です。