まだ見ぬ星空はさん然と
展望台へ続くエレベータって何か好きだ。浮遊感と共にあっという間に遠ざかっていく景色は今から地上を離れ空へと近づくという期待感を高めてくれる。更には着いた先の展望台から見晴らしの良い風景を見下ろす時の高揚感といったら……! その筆舌に尽くしがたい程の高揚感は私達がサルの時代から持っている本能的なものらしい、と何かで読んだことがある。
「わぁ、夜景きれいだねー。ねえ、レイの星にもこういう展望台はあるの?」
「こういうものはない。だから興味深くはある」
それはどういう興味深いなのだろうか。夜景に目を向けているレイの横顔を見上げるが、そこには何の意図も何の感情も浮かんでいなかった。無機質、という言葉がしっくりくるその視線の先には何が見えているのだろう……? この夜景を少しでも奇麗だと感じてくれているのだろうか? それとも遠く離れた母星に思いをはせているのだろうか?
あの不思議だけど奇麗な黒と金の髪だったら、この仄かに青みを帯びている夜景にアクセントのように映えるだろうな。そしてキラキラとしたあの宝石のような瞳はこの夜景の輝きと混じり合って、きっと映画のワンシーンのように絵になるだろう。
しかーし、絵になると言ってもラブロマンス方面では決してない。
たくましい首から続く広い肩幅にスーツの上からでも分かる厚めの胸板をあわせ持ちながらもマッチョ過ぎないというパーフェクトなバランスの上半身。引き締まった大腿筋から伸びるしなやかな足。そして男性らしい筋張ったたくましい腕を持つレイは、誰が見たってアクション映画の方がしっくりくるに決まっている。
しかし、手に汗握る名作アクション映画は数多くあれども、地球外生命体は敵としての出演が大多数で、地球外生命体が主役もしくは味方であるものはあまり思い当たらない。
よくある地球外生命体……、それは体内に入り込んで寄生したりそれだけでは飽き足らず中から食い破って出てきたり、獰猛に人を捕食したりしてくるグニャッとしてたりニョロっとしてたりヌメッとしてたりするタイプが多いだろう。あとはやたら硬そうで歯がすごいやつだったり人に擬態するやつもいるが前者に比べればやや少数派である。やつらに共通するのは切られても撃たれても押し潰されても速攻回復してきてあんなもんどうやって倒すんだよ! と序盤の主人公たちに惜しみない絶望感を与えてくることであろう。
はっ、これはぜひとも聞いておかねば……!
「ねえ、腕もげたら生えてくる? あとこっから落ちても平気だったりなんてことは?」
「いきなりにも程がある質問だな。今、全然そんな空気じゃなかったよな? 人の体をジロジロ見て考え込んでると思ったらどっからそうなってそんな物騒な質問になるんだ?!」
何ということでしょう。地球外生命体から得体の知れないものを見るようないぶかしげな視線を向けられる日が来るとは。そして、いかがわしい目で見ていたのがバレていたとはっ。
「いや、映画でなかなかダメージ喰らわないヤツがいたなーって考えてたら、こないだレイが身体能力はちょっと高いって言ってたの思い出して。これは聞いておかねばと」
「ピッコ○さんじゃねえんだから、気合でズバッと腕が生えてくるわけないだろうが。……期待に応えるようで何か癪にさわるが、高所からの落下はちゃんと着地姿勢が取れればまあ平気だ」
「おおおお、神よ。やっと私の願いを聞き入れてくださったのですね。これぞ地球外。やっときましたぁぁぁ」
「だから、お前は地球外生命体に何を期待してるんだ……!!」
ちょっとやってみて欲しいなー、そんな期待を込めてレイを見上げる。
「くっ、そんな時だけそんな顔しやがって……。おい、常識で考えろ。いきなり、スーツ着たいかにも普通の会社員が落ちてきたら辺りは騒然とするだろうが。しかもその男が平然と生きてたらさらにまずいだろうが。自ら騒ぎを起こして存在を明らかにするなんてことしたら軍法会議モノだ」
「おおー、軍法会議って本当にあるんだね。顔バレがまずいなら、このストールで顔を隠せば……」
「そういう問題じゃない。てか、覆面したら余計に怪しいだろうが!」
「じゃあ、ド○キホーテでス○イダーマンの衣装を入手するか……。ス○イダーマンなら上から落ちてきても絶対違和感ないよね。いや、ちょっとひょろいかな。と、するとスー○ーマン? うーんもやっぱ耐久性が高いのが被ってるからキャ○テンアメリカがいいかも!」
「アメコミヒーローへのそのこだわりはなんだ……。というか、怪しいことに変わりないだろうが。それにあんなド派手な全身タイツでダイブなんて全力でお断りだ!」
レイ、いい体してるからアメコミヒーローのコスプレ似合うと思うんだけどなぁ。人気が少なくてコスプレなしだったらやってくれるのかなあ。そんないつもの楽しいやり取りについつい口も軽やかになる。
「あのー、ちょっくら再現頂きたいシーンがあるんですよ、大佐。尊大な態度でやや斜め上に顔を上げながら夜景を見下ろして頂きまして、人がゴミのようだと高笑いしてもらえませんか、ぜひ」
「おい、本当にお前は俺をなんだと思ってるんだ。いくら大佐繋がりだからって、いたいけな少女から大事なペンダントを奪い取る外道な野郎と一緒にするな。というか、もはや地球外生命体関係なくないか」
「そんなこと言わず、大佐繋がりだし同い年じゃん。あっ、じゃあ、目潰ししてみても?」
「くっ、嫌な共通項出してくるな……。言わせたいセリフはわかるが、断る!」
「そんな出し惜しみしなくても、ちょっとオーバーリアクション気味に目がぁぁぁって言ってもらえれば……」
「そんなもん出し惜しみするか。断固拒否に決まってるだろうが!」
がっかりだ、心底がっかりだよ……! あーあ、帰りに借りて帰ろうかな。家の中なら言ってくれるかな。
「そんなくだらんことで心底がっかりするなよ。……それよりもっと思い出すことあるだろう?」
急に変わった声色にこれまでの気安い雰囲気は一気に雲散していく。低く抑えられどこか甘く言い聞かせるように背後から囁かれる声に聞き惚れる。
映画を見に行ってから、何度かご飯を食べに行き初めてのデートというやつの締めくくりでここにやってきた時のことだった。
『まだ知り合って間もないのにと思うかもしれないが、俺は君が好きだ』
まばゆい夜景を背景に告げられたのは学生のような超直球どストレートな告白。それなのに、恥じらうことなくじっとこちらに向けられた真っ直ぐな眼差しは何かの使命を帯びた大人の男性のそれだった。だから、私は返事を考えることも忘れ、目の前に佇む彼にただただ見惚れてしまった。
『あー、気持ちだけ告げられても困るのか……。ええと、俺と付き合ってくれないだろうかということなのだが……』
何の反応もない私に業を煮やしたのか、この沈黙に耐えられなくなったのか、しどろもどろにそう続けた。もしかしたら地球(日本)の告白サンプルまんまに言ってみたけど想定外の反応だったことに動揺したのかもしれない。でも、初めて見せた狼狽える姿と私の答えを聞いた時の心底ホッとし、嬉しそうにニカッと笑ったレイに嘘などなかったと信じたかった。
最初は私の家に上がるのすらどこか警戒していた。今思うと情報はあれども全てが初めてだらけでボロが出ないように気を配っていたのだろう。最初にスウェットを着たときも挙動不審だった。緩すぎないか?と真顔で聞いてきたのは面白かった。
そのうちスウェットの緩さになれ、少しだけ気の抜けた表情や寝てる姿も見せてくれるようになって。そうしてレイは私の日常に溶け込んだ。
「レイの住んでる星はどっちにあるの? もっと星の奇麗なところの高い山に登ったら見えるかなあ?」
こんなに高いところにいるのに、ここから見上げる空には星なんてほとんど見えない。きらびやかな街の煌めきとは対象的に霞む夜空の果てにレイとの繋がりを見つけたかった。
「ここの銀河からはかなり離れた銀河だから肉眼で見るのは難しいだろうな」
「そっか、銀河単位とかそんな距離感なんだ……。さすが宇宙はスケールでかいなぁ。方角くらいは分かるもの?」
「うーん、この惑星も動いてるしコロニーも動いてるし、一概にあの方向だって言うのはそれも難しいな。シミュレーションして見ないと」
想像できないくらい遠いんだなぁ
人類が月に降り立つだけでも大事件。太陽系の果てのその先の銀河系の外に行くなんて、夢のまた夢。任務が終わってレイが星に帰っちゃったら、私がどんなに会いたくても会いに行く術など何もない。この夜景は星の輝きをかき消すほどに明るいのに、その光は宇宙になんて届きもしない些細なものでしかないのだ。
レイは宇宙の果ての些細な光など気にも止めないだろう。その上、私は夜空を見上げてレイのいる方角に思いを馳せることすらできない。その現実が今更ながらにリアルに思えてどうしようもなく泣きたくなった。
「ねえ、滅びの呪文くらいは一緒に言おうよ」
「ハッ、そこは大佐とでいいのか?」
私の手を手すりごとすっぽり包むレイの大きな手と後ろから感じるレイの温かさに、安堵する。
「しかし、この惑星の住人は高い塔やら建造物を作るのが好きだよな。通信目的か監視目的ならまだしも、ただ高いところから景色を眺めるだけが目的だとしたら金と労力が全く見合わないと思うのだが」
目の前に広がる夜景を見渡すレイのその目はただそれを映しているのみだった。
「本当にこの惑星は興味深い。いや、惑星というより人間という種族か。やたらと自己満足な決め事や形式や儀式にこだわるし、愛だの夢だのと想像力も豊かだ。ああ、街が栄えると生殖行為は望むのに繁殖は最低限しか望まなくなるのも面白いな。滅びることはないという驕りからなのか?」
本当に淡々と、何の感情も見せず、あたかも観察者であるように語る。レイにとって興味深いというのはそういう意味だったのか。
私達が本能的に抱く高いところへの憧れも、飛ぶことへの渇望も、レイには理解することはできない……。いや、理解できないだけでなく滑稽にすら思っているのかもしれない。わざわざお金と時間と労力をかけてせっせと塔を建て登り眺め、せっせとロケットを作り隣の惑星に到達できただけで歓喜する私達を。
レイにとっては愛する人と結ばれて出産することもただの生殖行為でしかないのだろうか。
歩んできた歴史も違う、種族も違うのだから多少価値観が違うというのは分かっていたつもりだった。気持ちがあればそんなのはたやすく埋められるものだと思っていた。でもそんな甘いものではなかったのだ。レイは、根本的な何かが違う私達に似た何かだという事実がずしりとのしかかる。
いきなり降って湧いた映画や漫画のような非日常。それに浮かれていた気持ちが冷水を浴びせられたかのように急速に冷えていく。さっきまで心地よくて安心できるものだったレイの腕の中もまるで薄氷を踏むかのような緊張感を覚えた。重ねられた腕から覗く装飾もないシンプルな腕輪が夜景を映し出し鈍い光をはなっているけど、奇麗だなんて今はとても思えない。むしろ不気味にすら思える。私はその鈍い光から目を背けるように目の前の夜景をあてもなく眺めるしかできなかった。