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08 悪役令嬢は従者と語らう

 温室を出てすぐに私はカミルと別れようとしたが、「一人で帰す訳には参りません、当たり前でしょう」と言ってその場を離れなかったカミルに根負けし、ファインハルスの屋敷まで共に帰ることになった。事実、ダイアナの用が終わるまでにはまだ少し時間があったので、問題はないだろう。

 二人揃って、慣れない帰路へ向け歩き出す。

 今日は元より学院内で体を取り戻すための調査を行う予定だったため、朝「迎えはいらない」と言って出てきたが、明日以降はどうしようか。しばらく考えていると、カミルがそれを察したのか「明日以降もお送りします。予定通りに事が進めば、明日にはもう私はハルトリング家の従者ではありませんから」と告げられた。

 ローザの屋敷までは徒歩でニ十分ほどと決して遠くはないが、それでも一人で歩いて帰るなんて選択肢はまず無い。カミルの申し出を受けると決めつつ、私は以前から理解していたはずの彼の有難みを改めて実感した。彼が居なかったら、と考えたらゾッとする。そのままハルトリング家で働けばいい、などと言った今朝の私は正気じゃなかった。


(……仮に私が国外に追放されていたら、カミルはどうなっていたのかしら。付いて――は、来ないわよね。私の行動によっては、「当然の末路だ」とカミルが笑う未来もあったのかしら……)


 校門を出たところで、私は立ち止まる。遠くの街灯を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「悪役令嬢、ね。……言い得て妙だわ」


 自嘲気味に独り言ちる私の隣で、カミルが小さく肩を震わせた。そちらへ視線を向けると、カミルはわずかに目を剥いてこちらを見ていた。しかし、私と視線が絡んだ途端、ばつが悪そうに目を背けてしまう。大方、フローリアから件の話を聞いた際に同じことを感じたのだろう。私に自覚があったことは予想外だったようだけれど。

 ――穏やかで心優しい人は、素晴らしいと思う。身分を気にせず、誰にでも分け隔てなく接する人物も、もしかすると尊敬すべき人なのかもしれない。より多くの人にそういった人物像が受け入れられるというのなら、そういう人になりたいと志すのもまた、素晴らしいことなのだろう。

 理解している。理解しているのに、私は、その価値観にうまく適合できないのだ。


(……ここは物語の世界だと、そう言っていたかしら。私は悪役として創られたから、そうなのでしょうね)


 私は、誰もが思い浮かべるいい人になりたいと、そう思えなかった。

 人より上に立ちたい。そのためには努力だって惜しまないし、他者を蹴落とすことも努力のひとつだ。自分のためにならないものには時間も、金銭も、一切費やさない。私のためになるのなら、いくらでも媚びを売る。

 その果てに何があるかなんてどうでもいい。所詮、いずれは第二王子の妃として飼い殺しにされる身なのだ。だから私は、私に許された少ない自由を、すべて自分を高めるために使い切りたい。その結果、悪役令嬢などと言われようが構わない。それら全てを負け犬の遠吠えにしてしまえばいいのだから。


「お嬢様、ですからローザ様はそのような――」

「くどいわよカミル。ところで」


 いささか鋭い声が出たが、いちいち気にしていられない。

 ……一番不可解なのはカミルだ。ローザになって、学院で彼に会ってからずっと気になっていたことがある。私は睨むように彼の瞳を見上げた。


「あなた前までは、私のすることに一切口出ししなかったわよね」


 今日一日、何度彼に口を出されたか分からない。それも、私の振る舞いを咎めるようなことばかり。

 以前までの彼は、私の行動に対して口を挟むことはなかった。彼に普通の使用人がしないようなことまで命じることはしなかったが、それこそ午前に言っていたフローリアに対する態度に関して何かを言われたことはない。

 はっきり言って不快だった。今は違うとはいえ、彼は私に楯突いていい立場ではないはずだ。明確な雇用関係がなくなったために気が大きくなっているのかもしれないが、それでも身分差は未だ大きい。なのに、何故。

 カミルは刺々しい私の視線を真っ向から受けながら、依然動じない。……やがて、私の目をしっかりと見つめたまま口を開いた。


「これまで私は、お嬢様のことを真剣に考えたり、ちゃんと向き合おうとしませんでしたから」


 言って、私に左手を差し出す。意図を察した私は、持っていた鞄を彼へと差し出した。

 温室に居た時よりも、空の色は鮮やかなオレンジに染まっている。何か言葉を交わしたわけではないけれど、私たちは揃って歩き出した。カツ、カツ、とヒールが石畳を叩く音が、道行く人々の足音か、あるいは談笑する声の中へと溶けていく。ぼうっと町中を眺める中で、零れ落ちた「じゃあ、どうして」という私の声は、無意識のものだ。

 その質問も想定していたのだろうカミルは、その答えを語るまでにさして時間を要さなかった。


「今のダイアナ様がお嬢様でないことを確信し、もうお嬢様はどこにも居ないと知った時……でしょうか。初めてしっかり考えたんです、お嬢様のことを」


 顔つきはいつもの無表情なそれだと想像できるのに、その声はあまりに優しい。日ごろ他者から私へと向けられることはほとんどない、大切にしている宝物へ語り掛けるような、そんな声。


「せいせいしたと、そう思ったのは一瞬だけでした。嫌いだったところをどれだけ思い浮かべても、それと同じだけ、好きだったところを思い出すんです。それを繰り返して、疲れ切って、夜が明けて……やっと気付きました。あなたは好きとも嫌いとも言えない人でしたが、それでも、居なくなって欲しい人ではなかったと」

「……」


 何を言えばいいのか分からなくて、私は俯く。聞き捨てならないようなことも幾つか言っていたような気がするけれど、どうしてか、それを責め立てる気にはならなかった。

 カミルという人間は、忠義に厚いのだと――今朝まではそう思っていた。そういう人柄を持つ人間を見出し手に入れた、かつての自分の判断に酔いしれて、沸き上がる歓喜に浸っていた。

 けれど今になって、はっきりと言葉にされて、ようやく気が付いた。

 彼が私を、人として大切にしてくれていることに。


(どうして、信用していなかったのかしら……)


 自分でも理由は分からないが、私の彼に対する信頼は、その全てが能力と人柄へ向けられていた。逆に言えば、彼の心情については一切信頼していなかった。理由は分からない。彼の胸中を疑わざるをえない事態になどなったことはない筈なのに、それでも私は、彼の気持ちの部分に対して全くと言っていいほど信用がなかった。

 ……別に、誰かに大切にされたかった訳ではないし、大切にされなかった訳でもない。お父様とお母様、そしてお兄様は私を愛してくださったし、特別な愛情こそ存在しないとは言え、フェリクス様にだって婚約者として大切にされてきた――なのに。

 いっそ胸が痛くなるほど、心に柔らかな熱が広がっていく。

 喜びが、安堵が、幸福が、波のように押し寄せる。

 狂おしいほどに欲しかったものを、やっと手に入れたような。


(……あ)


 頬を温かいものが伝う。それが涙だと気付くのに、少し時間がかかった。

 カミルの歩調が一瞬だけ緩んだ。気付かないで、と胸の内で唱えると、まるでそれが通じたかのように、彼は何事もなかったかのように再び歩き出す。本当に気付いていないのか、あるいは気付かないふりをしてくれているのかは分からない。……いや、きっと後者だ。カミルは、そういう人間だ。

 私が何かを話せば、泣いていることが分かってしまう。気を遣ったのだろうカミルは、再び話し始める。


「どこまで話しましたっけ……そうそう、お嬢様が居なくなった時のことです。何事もなかったかのように振る舞うのが難しくなってきた頃、思い出したんですよ。私の故郷に伝わる、『髪取り梟』という童話を」

「髪取り、梟……?」


 ゆっくりと、小さな声で問う。しゃくり上げるのが怖かった。

 そんな囁くような声を、町中であるにも関わらず、カミルはしっかりと拾い上げてくれた。


「子どもの躾けによく使われる話です。悪い子のところへは、夜に髪取り梟がやって来て……梟は爪と嘴で子どもの髪を剥いで、人に化け、その髪を被って子どもに成り代わるんです。髪を取られた子どもは梟になって、次はいい子になると誓い、また別の悪い子の髪を取りに行く。そういう話です」


 カミルの言う悪い子とは、つまり私を指しているのだろう。梟の仕業でないとは言え、事実として私は成り代わられてしまった。それも、フローリアが言っていた〝悪役令嬢モノ〟の話からして、この世界で私が成り代わられたのは偶然ではなく、必然なのだ。


「本当に、悪い子は成り代わられてしまったのね」


 涙も徐々に落ち着いてきて、私は自嘲気味に笑う。最後に正義が勝つと決まっているのは物語の世界だけで、実際はそうも上手くいかないと思っていた。ところが、ここは物語の世界だったのだ。であれば私がこうして痛い目を見るのも何ら不思議なことではない。


「……それで後悔して、私に悪い子を辞めさせようとしているってことかしら」

「ええ。もし私の前に戻って来てくださったら、今度こそはもう悪者になんてさせないと、そう決めていました」


 ――そうしたら、あなたは報いを受けたりしないでしょう。

 続けられたその言葉に、フローリアから聞いた私の末路を思い出す。精霊の寵愛を受けている彼女をいじめたことで、私はフェリクス様との婚約を解消され、国外に追放される。そして最終的には死んでしまう。子ども向けの勧善懲悪の物語のように、悪者が最後には手痛いしっぺ返しを食らう、模範解答のようなシナリオ。

 それを理解した今、これ以上の悪行を重ねるのは自殺行為になる。例えば私が不在の間に行われた定期試験でも、実を言うと私は彼女の筆記具を隠して失格扱いにして差し上げようと思っていたけれど――恐らく、それを実行していれば大変なことになっていたのだろう。嫌味を言う程度だったこれまでとは、話が違う。


「フローリアへの嫌がらせはもうおしまい、ってことね。まあ、それをする理由もないけれど」

「……理由、ですか?」

「ええ。彼女が私の知るフローリアでないのなら、もうどうだっていいわ」


 そう言いながらも、私はひどい胸騒ぎを感じていた。世界で一番憎かった相手は、もうどこにも居ないのに。

 ざわめく心には、愉悦も、罪悪感もない。ただ虚しさだけがこびりついて、やり場のない感情が降り積もっていく。これで良かったのだろうか、彼女は本当にもうどこにもいないのだろうか、そんな思いばかりが駆け巡っていた。


「お嬢様は、何故あんなにもフローリアを憎んでいたのですか?」


 それでも、その問いに対する答えは一つだけだ。


「嫉妬よ。惨めでみっともない、嫉妬」


 憎かった。邪魔だった。消えて欲しかった。

 ――羨ましくて、たまらなかった。

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