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07 悪役令嬢と第二王子

 私も、隣に立つカミルも背筋を正す中で、フローリアは入り口のすぐ隣の壁に凭れ掛かって腕を組んでいる。どこかつまらなさそうな目でフェリクス様を見つめる彼女に、怒りを通り越して尊敬の念を抱いた。これまで不敬罪で問題にならなかったことに。

 ……と、彼女の振る舞いにばかり目が行ってすっかり抜け落ちていたが、先程フローリアは協力者を紹介すると言っていたのではなかったか。加えてフェリクス様は私をダイアナと呼び、「久しぶり」とまで言ってきた。つまり、フェリクス様は――


「殿下……まさか、事情は全てご存知なのですか」


 同じ疑問を私が口にするよりも前に、落ち着いた声でカミルが投げ掛ける。フェリクス様は王族らしく優美かつ穏やかに笑って、「うん、知っているよ」と肯定を返すとともに頷いた。

 その一連の動作をじとりと眺めていたフローリアが、ガラスに凭れ掛かっていた背中を起こしてこちらへとやって来る。そして、先ほどまでと比較するといくぶんか低いトーンで、事の経緯を話し始めた。


「最初は協力を仰ぐつもりはなくて、王子様には天然モノの悪役をやって頂こうと思ったんですが……その、本来の物語と違って、かなり良識的になってしまっていて。婚約者がいるという理由で惚れてもらえなかったので、面倒になって、もう事情を洗いざらい話して頭を下げたんです」

「ほ、惚れ……!? っあなた、芋娘の分際でこの国の第二王子に色目を使ったと言うの? もう少し自分の身分を考えて行動した方が良いのではなくて!?」

「お嬢様、芋娘はお辞めください。お嬢様の品位が疑われます」

「これが落ち着いていられるものですか!」


 大声を出し過ぎて頭が痛い。逆に何故、カミルはああも落ち着いていられるのだろう。フローリアから転生云々の話を聞き始めた頃は、私と同じくそこそこ動揺を見せていたはずなのに――ああ、やはり従者として優秀だから?

 以前に比べて私を咎めるような発言が増えたことはやはり気になるけれど、それはひとまず置いておいて、彼が優秀であるという事実に行き着くたびに口許が緩む。そんな私に、隣のカミルは「お嬢様、ですからローザ様はそのようなお顔をなさいません」と何度目かの指摘をする。目の前で、フェリクス様が苦笑いしていた。


「以前話を聞いたときは、にわかには信じがたいと思っていたけれど……確かに、ローザはそんな顔をしないね」

「あの、そんな顔とは……?」

「気の強そうな目つき。それに、はきはき喋るよね。僕のよく知るダイアナだ」


 さんざん言われてきた悪人面というワードが脳裏をよぎり、思わず口角が引き攣った。一方で、フェリクス様が私の表情に対して一定の印象を抱いていたことには少し驚いた。何故って、フェリクス様は幼少期より、あまり他者に対して興味を抱かないお方だからだ。


「それに、今のダイアナはその、何と言うか……人が良いし、穏やかで事なかれ主義だからね。君とは何もかも正反対だ」


 どういう意味ですか。そう尋ねそうになって、黙る。

 フェリクス様はこうも色々と明け透けな物言いをする人だっただろうか。今の発言は要するに、日頃の私が苛烈で高慢な振る舞いをしているということだろう。カミルが私に対して言ってきたままだ、否定するつもりもないけれど。

 話が逸れてしまったが、現時点でゆるぎない事実はただ一つ。あろうことか芋娘が、私という婚約者がいるフェリクス様を、いくら計画のためとは言えたぶらかしたということだけだ。苛立ちを隠さずフローリアを睨むと、彼女はきょとんとした様子で首を傾げる。その様子に、フェリクス様が呆れたように小さく溜息を吐いた。


「色目を使うと言っても、言い換えれば愛される努力をしてるってことでしょう。素晴らしいじゃないですか」

「そう思うなら、君はもう少し僕に愛される努力をしたらどうかな」


 即座に返された反論があまりにもフェリクス様らしくなくて、私とカミルはフェリクス様の整った顔を揃って二度見した。フェリクス様と言えば、王族の中でも最も人当たりが良いお方で、誰に対してもこのような非難めいた物言いはなさらないのに。

 フローリアはそんなフェリクス様にもさして驚きはせず、再び両腕を組むと、彼の顔は見ることなく、ぎりぎり余裕のある笑みを保ちながら口を開いた。


「してたじゃないですか、二日くらい」

「諦めるのが早いよ。君は自分の想定通りに物事が進まないとすぐに苛立つし、事を急ぐよね」

「私ほど努力ができる人間は早々いませんよ。ミニゲームのパズルのスコアを見てください、カンストです。本来は最高効率でプレイしても大体スコア五十万前後が限界なんですが、加速ツールを入れてノーミスなら出来るんですよ。ちなみにツールに関しては他言無用で」

「君は何を言っているんだ?」


 私とカミルを置いてけぼりにして、二人は私たちには理解できない掛け合い、あるいは口論に近しい何かをハイスピードで展開していく。それも、二人だけでやっていればいいものを、私を巻き込みながら。


「そういう訳だから、ダイアナ。君という婚約者がいながらこの……ミステリアスで独特な雰囲気を纏った女性と懇意にしているフリをすることを許して欲しい」

「気味悪いって言いたいんですか!? ひどいです王子様!」

「そうだよ、たったの五文字で言い表せることをわざわざマイルドな表現に換言したんだ。感謝してくれ」


 目の前で何が起きているのか、うまく飲み込むのに時間がかかっている。カミルに耳打ちされた「殿下も転生どうこうでおかしくなっているのでは」という発言に何も考えず頷きそうになったが、ダイアナやフローリアに比べて変化の度合いがあまりに大人しい。

 元よりフェリクス様は決して自分の本音を表には出さず、そつのない振る舞いをされるお方だ。外向きの顔を取り払ったこちらが本当のフェリクス・エーベルヴァインですと言われてしまえばそれまでだ。納得せざるを得ない。

 それに――フローリアの口から語られたフェリクス様のとある性質は、以前から……それこそ学院に入学するよりも前から、私が感じていたことと、まるっきり同じだった。


「……このように、不具合なのか分かりませんが、フェリクス様は恋心そのものを抱けなくなっている様なんです。さっきも言いましたけど、惚れないんですよ。私があの手この手で誘惑しても一向に靡いてくれない」


 そう、フェリクス様は恋をしない。そういった感情がすっかり抜け落ちているのではないかと思えるほどに。

 血縁がない同年代の異性というところまで条件を絞れば、フェリクス様の一番近くに居たのは私だ。それも一時的なものではなく、幼少期からずっと。そんな私でさえ、フェリクス様の恋心の在り処を知らない。存在しないのでは、と結論付けてしまうのは早計だけれど、そう勘違いしてしまう程度には。

 私やフローリアが抱くそういった認識に不満があるのか、フェリクス様は普段よりもほんの少し棘のある声音で、けれど笑顔だけは崩さずにフローリアへ反論する。


「そんなことはないよ。君にときめきを感じないだけだ」


 それを聞き終えると、すかさずフローリアは声を上げた。そこからは、流れるようなやり取りであった。


「もしかしてバカの方が好みでしたか? すみません、ステ振り間違えました。頭脳値カンストなのでお気に召しませんよね……」

「頭以外にも目を向けたらどうかな? 僕の予想では、君の問題はもっと別のところにあるよ」

「ごめんなさい、タイプじゃなさすぎてフェリクス様は攻略しなかったので、どう振る舞えばいいのか分からなくて。好みの女性のタイプを教えて頂けますか?」

「君以外、かな」


 二人は隣り合っていながら何故か同じ方向を向き、互いに顔を微妙に逸らしている。意地でも顔は見ないと心に決めているかのような頑なさで、必要以上に笑いも怒りもせず、一切表情を変えずに会話しているのだ。王族という身分からして幼少期より作り笑顔を強要されてきたフェリクス様はともかく、あのフローリアの貼り付けたような微動だにしない笑顔はなんだ。

 いや、それ以上に気になることがある。フローリアの発言の節々から感じられる、第二王子であるフェリクス様を軽んじるような態度だ。フェリクス様の変貌ぶりにばかり意識が行っていたが、彼女の発言をしっかりと拾い上げていくと、あまりにもひどい。


「な、なんなんです、この無礼な女は……!? 以前のフローリアが霞むほどの振る舞いです、有り得ません!」

「ああ気にしないでくれ、慣れたよ」

「慣れた、ですって!? ちょっとフローリア、あなたねえ……っ!」


 私が掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ると、フェリクス様は眉を下げて「まあまあ」と私を窘めた。はっとして私は身を引き、「お見苦しいところをお見せしました」と口早に言う。頬にじわりと熱が集まるのを感じた。

 すっかり大人しくなった私に、フェリクス様は穏やかな声で続ける。


「事情を知らない生徒たちの前では礼儀正しく振る舞うよう言ってあるから、安心してほしい。心配をかけてすまない、ダイアナ」

「いえ……申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」

「出過ぎたこと? それは違うよダイアナ、君は僕の婚約者だろう」


 そう言って困ったように笑うフェリクス様は、確かに私のことを大切にしてくれている。フローリアの話では、私はこんな彼をも見限らせ、婚約解消を選ばせるほどの事をしでかしたという。有り得ないとは言い切れないところがまた、笑えなかった。


「……あの、婚約解消のこともご存知なのですか?」


 私が尋ねると、フェリクス様は「もちろん」と頷いた。本当に事情は全て知っているらしい。


「ただ、本当にそんなことをしたら、ルーンベルグとグロウシュタイン両国の関係に再び火種を生みかねない。フリだけでいいと聞いているけれど、君はどうかな? それでも、心苦しいことに変わりはないけれど」

「私もそのように聞いております。殿下が承知しているのでしたら、私の方から申し上げることはございません」


 私が最も気にしていた点については、当然ながらフェリクス様も把握していた。フローリアの「フェリクス様が想定より良識的になっていた」という旨の発言といい、実物はどれだけひどい物語だったのだろう。逆に何故、そんなひどい物語に、こんなにも多くのイレギュラーが出てきているのだろう。異世界から来た人間、つまり本来いるはずのない人間が複数いるためだろうか。それとも、元が歪んでいるからだろうか。


「じゃあ、この計画にはご賛同頂けるってことで構いませんか? ダイアナ様」


 フローリアの言葉に、私は頷いた。

 身体が奪われるなどという超常現象に対応するには、同じく超常的な存在である彼女に助力を求めることが最適解のように思えたからだ。それに、とりあえず出来ることはすべて試したかった。


「ありがとうございます。……断罪イベントは、本来のシナリオ通り卒業パーティーで行います。それまでの間、転生者の方のダイアナ様の様子を気に掛けておいてもらえると助かります。私が彼女と関わるのは避けたいですし、計画実行までに、彼女にはヒーローを見付けてもらわないといけないので」

「ヒーロー? そちらも誰かしらの協力者を宛がえば良いのではなくて?」


 例えばカミルとか、と言おうとして、辞める。少なくとも今現在は私に一生を捧げると言っている従者に対し、私の姿をした別の人間と恋仲になりなさいなどと言うのは、あまりにも惨い仕打ちだと思ったから。

 となると、また別の人間をこの計画に引き込むことになるのか。さてどうすべきか、と思考を巡らせていると、フローリアは「駄目ですよ」と根本からその考えを否定した。


「そこまで仕込みにしたんじゃ意味がないし、ダイアナ様の中の人に対して失礼です。それに、もしバレた時に満足させるどころか彼女の心を折りかねない。……わざわざ仕込みなんかしなくても、彼女を好きになる人間は現れます。そのために、計画実行まで長めに時間を取ったんです」


 ――フローリア、カミルと三人で話していた時に聞いた、いまダイアナは交換留学生のヴェルナーと懇意にしているという話を思い出す。

 今こうして話している間も、ダイアナとヴェルナーの二人は歓談を楽しんでいるのだ。私の記憶が正しければ、ヴェルナーは周囲を寄せ付けず、一匹狼という表現が最もふさわしい人物だったような気がする。そんな彼と会話を楽しめる程度には仲良くなれていると言うのなら、フローリアの言う「彼女を好きになる人間は現れる」という言葉は真実なのだろう。

 とは言え、年度末まで体が戻ってこないのは厄介だ。加えて私が体を取り戻した後のことを思うと、ヴェルナーと急速に仲を深められるのもかなり憂鬱だが、今は考えないことにした。私の中に別の人間が入っていたと言えば彼も納得するだろう。気の毒ではあるけれど、こんな状況下で他人のことまで気遣っていられない。

 私は、先ほどまでとは打って変わって真剣な表情を浮かべている彼女をしげしげと見つめ、揶揄うようににやりと笑った。隣でカミルがまた何か言い出しそうな気配がしたので、それを遮るようにしてフローリアへと告げる。


「あなたって、真剣に話せたのね」

「私は常に真剣ですよ!」


 そう言って、彼女はへらりと笑った。褒めたそばからこれなの、と呆れてしまう私に、彼女はしたり顔で告白する。


「私も、ダイアナ様はもっと嫌な人だと思ってました。ちょっと怒りっぽくてちょっと嫌な人くらいでしたね」

「調子に乗らないでくださる?」

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