04 悪役令嬢は出会う
「体を取り戻す……ですか」
「当然よ」
学生食堂で日替わりのランチをつつきながら、隣で今しがたハムサンドを取り落としそうになったカミルをじとりと睨む。何をそんなに驚いているのだろう、まさか雇用関係の解消を考えていた事といい、私が自分の肉体を諦めてローザとして生きるとでも思っていたのだろうか。そんなこと、ある筈がないのに。
「いい? 今私が何者かに体を乗っ取られているように、ローザも私に体を乗っ取られているのよ。それに、私がこれまでに築き上げてきたダイアナ・ハルトリングを壊されるのは、相手が誰であろうと我慢ならないわ」
「で、ですが……そんなことが可能なんですか?」
「乗っ取られて、その逆は不可能だなんて理不尽よ。できるに決まってるでしょう」
改めて目の前の仔羊のソテーに向き直ると、奥のテーブルで二人組の女子生徒がこちらを向いてひそひそと何かを話しているのが見えた。
別の方向からは「どういう取り合わせかしら」という声も聞こえる。また別の方向からは「今日のファインハルスさんは人相が悪いわねぇ」という声までした。隣でカミルが小さく溜息を吐く。
「言ったでしょう。ローザ様はそのようなお顔をなさらない、と」
「いいのよ、言わせておきなさい。むしろ体が戻った時に都合がいいわ、そうすればローザが『それは私じゃない』と言って疑う人はいないでしょうし」
それは私、ダイアナにおいても同様のことが言える。「また以前のダイアナ様に戻ってしまった」と嘆かれても知ったことではない。それは本当の私ではなく何者かに乗っ取られていたのだと説明すれば、みな一度で聞き入れて、偽りのダイアナに夢を見るのは辞めるだろう。
「……ねえカミル。あなた、本当に今のダイアナの元を離れる気? 私としては、そのまま仕え続けてくれても好都合なのだけれど。向こうの情報さえ私に流してくれればね」
「そうなると、学内でお嬢様と行動を共にするのが憚られます。今のお嬢様の姿はローザ様のものですので」
カミルの言い分はもっともだ。今日一日のみならばともかく、侯爵令嬢の従者が下級の令嬢と常に行動を共にしているとなれば、問題視されるのはまず間違いなくカミル本人、次点でローザである。その点しっかりと雇用関係を解消しておけば、最低限の礼儀は払った形になる。
……とは言え、何れにせよカミルはあまり快く思われないはずだ。ダイアナが私であったなら、カミルは一方的に首を切られた被害者という印象を与えるだろうが、今のダイアナではそうもいかないだろう。カミルが何か相当な失態を犯したことで、寛容なダイアナも見限らざるを得なかったと、そのような見方をされる可能性もある。あるいは、元々自由になりたがっていたカミルを心優しいダイアナが解放したか。そのどちらであろうと、私にはさして関係ないけれど。
ハムサンドを完食したカミルが、ナフキンで軽く口元を拭く。形が崩れていた襟を整えてから、カミルは改めてこちらに向き直った。
「ところで、お嬢様。体を取り戻すと言っても、具体的にはどうするんです?」
「今のダイアナがどういう意識でいるのか、にもよるでしょう。どうなの、カミル。彼女は一言でも、私はダイアナではないと言った? それとも、最初からダイアナとして振る舞っているのかしら」
カミルは口許に手を立てると、少し考えるような素振りを見せた。そうしているうちに、常の無表情がわずかに崩れ、そのまま困惑したような表情へと変わっていく。明確に言葉に詰まって、何かを言語化するのに苦しんでいる様子に焦ったくなって、「カミル」とやや語気を強めて名を呼べば、優秀な従者は速やかに口を開いた。
「違和感があった最初の日から、あくまでお嬢様として振る舞っておられました。自分はダイアナではない、といった旨のことは聞いておりませんので、おそらくご自分がお嬢様だと認識しているものかと。もう一ヵ月も前になりますから、まさか今さら体を返せと言われることは想定していないのでは……」
「そう。なら、その体が一体誰の物なのか、足りない頭で理解して頂かないと」
私もカミルに続いて食事を終え、カトラリーをプレートに置く。顔を上げ、視線を向けた先には――他の令嬢たちと談笑する、ダイアナ・ハルトリングの姿が見えた。
……許さない。一ヵ月前、いつも通りに眠ったら、翌朝私は体を奪われていたというの? そんなの、抵抗のしようがないじゃない。相手が仮に学院内の人間で、私に抵抗の余地があったなら、どんな手を使ってでもこの学院から追い出して私は自分を守ったはず。けれど私は、それすらもさせてもらえなかった。
カミルは言っていた、今のダイアナを周囲は好意的に受け入れていると。でも、そんなことは関係ない。私は自分の利益にならない人間に対して媚びへつらうような真似をしない。その代わり、利益になる人間……例えばフェリクス王子殿下などには、最大限の礼儀と敬意をもって接している。同じ時間を費やすのならば、自分にとって利益になる方を選ぶのは当然のことだから。
「これ以上、あのような非効率的な真似をされては困るわ。事情を話して体を返すよう言うのよ。それでも返さないのなら――」
「ストップ! それは駄目です! 駄目!」
黙りなさいカミル、そう言おうとして静止する。
……カミルの声ではない。鈴が鳴るような可愛らしい少女の声が、背後からした。
今しがたこの場で繰り広げられていた「体を返せ」などという突拍子もない話を聞かれていたのだろうか。学生食堂で話していた以上、立ち聞きされること自体は構わないが、まさか何かしらの反応を返されるとは思わなかった。
それも。
「そんなことしたら、計画が台無しです! 絶対話しちゃ駄目ですよ!」
芋娘こと、平民出身の特待生――フローリアに。
「な、なんなのあなた。気安く話しかけないでくださる? あなたは庶民、私は子爵令嬢よ。ここの食事はあなたの舌には合わないのではなくて? わかったらとっとと中庭にでも行って、手作りのお弁当でも広げていたらどうかしら」
「お嬢様、お辞めください。そうした振る舞いはお嬢様自身の品位を貶めます」
「私はあなたのお嬢様ではなくてよ。あらカミル、どうしてこんなところにいるのかしら? 早く主君であるダイアナ様のところへお戻りなさいな」
あくまで私はローザである、という体でカミルをシッシッと手で払いつつ、そこでフローリアが何やら意味深なことを言っていた点に思い至る。
「……待ちなさいフローリア。あなた今、計画と言ったかしら」
「ええ、言いましたね」
一切動じずに、フローリアはにこりと微笑んでみせる。
……様子がおかしい。こうも強く出れば、フローリアは怯えた表情をして頭を下げ、この場を立ち去るはずだ。私が眠っていた一カ月の間に、彼女に何があったのだろう。
眉を顰める私にそっと近づいて、フローリアが耳元で囁く。
「あなたがダイアナ様だってことは、もう分かってます。……放課後、温室でお話しませんか?」
「っ!?」
私は目を見開き、勢いよく彼女の方を振り向く。結った髪の毛先がフローリアの頬に当たって、何故だか少しだけ申し訳ない気持ちになった。私に指図するなんて百万年早いのではなくて、と言うつもりだったのに。